あらすじ
妻の裏切りを知らされ、共産主義運動から脱落し、心中から生き残った著者が、自殺を前提に遺書のつもりで書き綴った処女作品集。“撰ばれてあることの 慌惚と不安 と二つわれにあり”というヴェルレーヌのエピグラフで始まる『葉』以下、自己の幼・少年時代を感受性豊かに描いた処女作『思い出』、心中事件前後の内面を前衛的手法で告白した『道化の華』など15編より成る。(解説・奥野健男)
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中2病文学とかいわれることもあるけど、めちゃくちゃかっこいいのはいつ読んでも毎回思う。逆に、まだ読んでない中2は早く読んだほうがいい。三四郎とかこころとか、そのあたりを1冊読んで、その次にこれを読むとなおいいかもしれない。個人的には中3で読みました。
Posted by ブクログ
高校時代の愛読書。
死(自殺)を予感した天才青年の「遺書」として読んだ。
エピグラムに掲げられたヴェルレーヌの「選ばれてあることの恍惚と不安とふたつ我にあり」というセリフに、太宰の天才としての矜持と、その裏の天才なるが故に何でも見えてしまう底なしの恐怖とを感じて胸が詰まった。
太宰は、処女作において、既に自分の最後を幻視していたとしか思えない。
その美しくも痛ましい心の震えに感応して、読者も途轍もなく苦しくなる。
しかし、そこには甘美さもある。
妖しくも危うい魅力に若者はハマる。
本書は、太宰治の魅力に満ちた初期の傑作作品集だ。
最初に最高傑作を書いてしまった者は、悲劇的な人生を予定されている。
何故なら、それを超えることは不可能であり、この後の全ての作品が処女作の模倣でしかないのだから。
それは、処女作として「一千一秒物語」を、書いてしまった稲垣足穂に似ている。
尤も、足穂翁はそれを自覚して泰然自若として処女作の模倣を行ったが、太宰はそうではない。
処女作を超えるべく、刻苦勉励の文筆活動を行ったのだ。
この美しくも痛ましい短編集は、暗記するほど読んだものだ。
次第に太宰の文体と思考が乗り移って来るような気がした(だけだった)。
太宰治は38歳で亡くなっている。
何と、未だ青年ではないか。
芥川龍之介が、服毒自殺したのは35歳。
まだ、若造ではないか。
三島由紀夫も45歳。
これから脂の乗ってくる時ではないか。
夏目漱石が亡くなったのは、
49歳!
まだ40代ではないか。
修善寺の大患を経験しているので、彼の晩年の
写真は60-70代の老人にしか見えない。
漱石も、夭折とは言えないにしても、壮年にして
世を去っていることを知ることは重要なことに
思われる。
死というものにせき立てられて、必死に生き延びるのが青春時代かもしれない。
若さの内に唐突に訪れる死。
その強迫観念から逃れられなくなり、若く死んだ文学者たちの声ばかりを聞くようになる。
大宰が若くして死んだことを知っているから、処女作を遺書と見做しただけではない。
自作未遂を繰り返してきた太宰治にとっては、どの作品も遺書だったのだから。
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『思い出』
みよとの話が切なかった。みよにとって太宰は雇用主の一人でしかなかったのだろう。
『彼は昔の彼ならず』
面白かった。相対性理論の「気になるあの娘」の「気になるあの娘の頭の中は普通普通わりと普通」という歌詞を思い出した。
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ふた通りの読み方があると思う。
書き手である、太宰の心境を思いながら読むのと、自分にあてはめ、共感したり嫌悪したりしながら読む読み方。
私は、太宰の著書を読むとき、太宰が自殺したことを必ず思い出す。
そして、自殺したことも含めて、すべてが作品として、私の胸にのしかかってくる。
太宰の描く、どうしようもなく歪んだ、本来人間のもっている汚い泥みたいなものに、共感して、悲しくなって胸が痛くなる。
Posted by ブクログ
「猿ヶ島」の終わりの一文が凄く好きです。
猿が様々な人間を批判している場面に私達の普段の生活と重なる部分があり、考えさせられました。
主人公が安定した生活を選ぶのか。自分の生きたいように生きるのか。という選択肢が出た際に、後者を選んだ場面が印象に残りました。
Posted by ブクログ
この時代の常識や、固有名詞などがわならなかったので少し読みづらかったです。しかし、はっと目を見開かされるような文章に感銘を受けました。憂鬱ではないのに、死の気配を感じる。そんなところでしょうか。年が明けたら再読しようと思います。
特に猿面冠者を気に入りました。工場見学みたいな楽しさがありました。
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太宰のデビュー短篇集。
太宰治を知る上でのエッセンスが詰まってると個人的には思います。
「葉」と「猿面冠者」が好き。
「葉」は小説ではなく、アフォリズムっていうのかな?デビュー前の作品やボツになった作品の印象的な断片を集めて散りばめた作品。
いかにも太宰って感じの警句が揃ってる。
「猿面冠者」は『どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいた。』
こんな書き出しで始まる、ある駆け出し作家の話。
本気で読むとラストで肩透かし食らっちゃうかも。
作中作をちゃんと一本描き上げてくれていたらそれはそれで読みたかったなぁ。
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太宰治を初めて読んだ。全体に漂うノスタルジックな世界観とは裏腹に、文章自体は思いのほか平易で、読みやすさがあった。主人公の内省が率直に描かれ、情景描写はあえて抑えられているように思えた。作品の舞台や風景よりも、語り手の心の動きに焦点が置かれている点が印象的だった。
「猿ヶ島」は、より物語性を備えた一篇で、純文学初心者としては意外性があった。島に漂着した主人公が、実は猿であり、そこが動物園だったという結末は寓話的でありながら、どこか現代的な小説らしさも感じられる。単なる童話にとどまらず、大人向けの文学として仕立てられており、猿を主人公に据えることで人間社会を風刺的に映し出しているように思えた。「走れメロス」に通じる書き方なのかなと思った。
「道化の華」はさらに実験的で、一つの小説の進行と、それを執筆する作家の感情とが並行して描かれるメタ小説的な構造を持っていた。設定は面白かったが、二重の物語が同時に展開するため、どちらの世界にも没入しづらい面があった。
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どの本をと読んでも太宰治らしさがみえていい。津軽の表現が、多くて風情あった。
でも、全てを理解するのはまだまだだと思ったのであと3年後にもう一回読みたい。
Posted by ブクログ
いやぁ。自分は太宰治の熱心な読者というわけではないですし、自虐と自己憐憫の果てに破滅に至るような作品なのかと身構えていましたが、意外なほどの明るさと瑞々しさを湛えた青春の書じゃないですか。
まずもって、27歳の若さで世に送り出した処女作品集のタイトルが『晩年』って。人生に疲弊し切った老人の繰り言のような題です。が、内容を読むにつけ、人生にそれだけ絶望し尽くすというのもまた若さなのかも、と思わされましたね。年齢ではなく、感性において、太宰は本当に若い。逆に若者でなければ書き得ないような鋭さといいますか、斬新な感覚に満ちています。
妻の裏切りを知らされ、共産主義運動から脱落し、心中から生き残った著者が、自殺を前提に遺書のつもりで書き綴った処女作品集。
“撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり”というヴェルレーヌのエピグラフで始まる『葉』以下、自己の幼・少年時代を感受性豊かに描いた『思い出』、心中事件前後の内面を前衛的手法で告白した『道化の華』など15編より成る。
1 葉/2 思い出/3 魚服記/4 列車/5 地獄図/6 猿ヶ島/7雀こ/8 道化の華/9 猿面冠者/10 逆行/11 彼は昔の彼ならず/12 ロマネスク/13 玩具/14 陰火/15 めくら草紙
所々、著者自身による前置きや脚注、解説や弁解めいた文言が挿入されるあたり、鼻につかないではないです。四の五の御託を並べるのはいいから、早く本編に行ってよ!と言いたくなる感じ。が、溢れ出る文才の絵の具をキャンバスに叩きつけたようなアオハルっぷりはたまりません。この純度・深度を他の作家で味わうことは困難ですわ。
Posted by ブクログ
太宰治の最初の本。中編小説15篇が収録。
老年の作家が書いたような「晩年」というタイトルだが、太宰が27歳の時のもの。収録されている作品に「晩年」というそれのものはない。太宰が遺書のつもりで、それまでの人生のすべてを書き残した。
もはや90年近く前の本なのだが、令和の時代に読んでも全く色褪せた内容には思えない。
Posted by ブクログ
生活。
良い仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ
どうにか、なる。
“葉”
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「お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい。お前はからだが弱いから、心だけでもよくなさい。お前は嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい。」
一番好きな一節。胸に刺さったなあ。
Posted by ブクログ
全体的に、ものすごく前衛的で、語り手である自分に批判的で、詩的で、難解なフランス文学を思い出した。
「魚服記」は結末の意味がわからず、父親に犯されたという解釈を読んでなるほどなぁと思うと同時に何だか後味が悪かった。
「列車」は人間の心理が深く描かれている作品だなぁと感嘆した。
「地球図」はただシロオテに同情。悲しい話だった。純粋な信仰心に感動。
「猿ヶ島」は冒頭の描写にまんまと騙されて、自分が見物されている側だったというオチをまさに体験した。
「道化の華」は、一人称と三人称が交錯する型破りな形式で、こちらが恥ずかしくなるくらい己を曝け出し自己批判に終始していたが文章が美しくて惹き込まれてしまった。魔物だなぁ。
「猿面冠者」は構成が凝っていて難解だったけれどオチを理解したら面白かった。
「彼は昔の彼ならず」は「晩年」のなかで一番好きな作品だなぁと思った。「彼」の「芸術家」らしさに心惹かれるあまり家賃の滞納を許してしまう大家が、「彼」に幻滅するまでの心理の移り変わりが鋭く描かれていて素晴らしかった。いるよねああいう人。
「ロマネスク」はおとぎ話を読んでいるような不思議な感覚だった。
Posted by ブクログ
太宰治の作品を読むのは「人間失格」に次いで2度目。
15篇の短編に登場する男たちそれぞれに著者自身が投影されていて、全部を読み切ってはじめて彼の人物像が浮かび上がってくる。
彼の人並外れて過剰な自意識とナルシシズムに垣間見える普遍的な人間臭さに読者は魅了されるのかもしれない。
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著者の物語と著者自身の関わりについて、よく言われていることがあるけれども、ここでは、そのことについては触れない。あえて僕が、それを語る必要がないと思うからだ。皆で同じことを言うなんて、言い方は悪いかもしれないけれど、馬鹿げていると思う。いまさらなのですよ。悪しからず。
人というのは、どうしようもなくて、それは誰しも心当たりがあると思う。浮かぶも沈むも、本人次第、と言ってしまったら身も蓋もないけれど、その心当たりが人一倍強く思いあたる僕としてはなおさらだ。堕ちるときは堕ちる。言い訳だってするし、他人のせいにもするかもしれない。妥協だって肯定するし、いつだって逃げ道を用意する。ここまで思い当たることがあると、自己嫌悪を通り越し、諦めの境地に踏み込むことも厭わない。
そんなものですよ、人なんて。
読書の際は、常に僕自身のことを平行して考えているような気がする。確信は、あるような、ないような、曖昧な感じがするけれども、それは、きっと共感ということにつながっているのかもしれない。読書を始めるまで、共感という感覚には馴染みがなかった。想像力が足りなかったのかな。共感って、想像力だと思うから。想像して、自分のこととリンクするから、共感に至るわけでしょう?著者の物語を読むと、いつもそう思う。想像が生々しく思えるくらい。それだけ共感の度合いも高まるというもの。
『晩年』という短編集は、物語のバリエーションに魅力があると思う。著者の物語につきまとう重さが幾分薄らいだ、物語としての面白みに富んでいる印象。物足りなさを感じるなら、それはあまりにも著者のイメージに引かれ過ぎだと思う。固定観念は、ほどほどに。でないと、見逃しているものが、あるかもしれませんよ。
著者の人生を知るからこそ、それを覗き見しているような気がして、愛おしくすら思えてくる。自らの人生などと重ねてみたりして、ぼく自身の不甲斐なさに頭を抱えてしまうこともあった。そのうえで、何らかの発見があるのでは、と期待してしまう浅はかさ。
いや、自分のことは棚に上げてしまおう。あくまで読者は傍観者。距離感は思いのほか近いけれど、鵜呑みにしてしまうことなどは、分をわきまえつつも、どこか熱狂を抑え切ることが難しい。ある意味で自虐なのかもしれない。自身に重ねてしまう。
省みては、ため息をもらす。
どこかの物語に登場する、何をとっても完璧な主人公は一見気持ちがいいけれど、果たしてそれは、傍観者である読者との関係をより鮮明にするだけで、いわば他人行儀な熱狂の先には、結局何も残らない。
読者である自身との境界の曖昧さこそ、著者の物語に惹かれる理由だと確信している。
Posted by ブクログ
202403
太宰治にしては明るい部分もあり、様々な手法に取り組もうとしてたことが伺える
202503-04再読
葉
色んな句や短編の組み合わせ
撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり
思い出
著者の学生時代の思い出。特に女中のみよへの恋心(男におかされ出て行ってしまう)
魚服記
父と暮らす炭屋のスワが最後鯉になる、女の目覚め、絶望、変身を童話的に
列車
友人の彼女が振られ青森駅行きの列車を見送る。時間を持て余し悪態をつく。
地球図
ローマのシロオテのキリスト教日本伝教、その死刑囚としての結末。
猿ヶ島
人の漂流と思いきやロンドン博物館からニホンザル二匹が逃げたというオチ。見世物の人間から実は自分たちから観察されてた=文学者の宿命と文壇に対する風刺。
雀こ
井伏鱒二へ送る、青森弁のはないちもんめ。
道化の華
女と心中して自分だけ助かった大庭葉蔵の友人達との病院での話。私小説? 作者が出てくる。ああ何という失敗!
猿面冠者
ある作者は自分を彼と言う、で始まり彼の小説家として創作の迷い。メタ小説風の便り
逆行
蝶々◦老人、盗賊◦百姓と飲み屋で喧嘩、くろんぼ◦サーカスの黒人を探す少年。第一回芥川賞候補作。
彼は昔の彼ならず
のらりくらり家賃を払わない青扇と家主の話。あの男と僕とちがったところが一点でも、あるか。
ロマネスク
仙術太郎◦仙術で下ぶくれに変化、喧嘩次郎兵衛◦喧嘩の鍛錬をして嫁を死なせてしまう、嘘の三郎◦嘘ばかりついてきた。太郎、次郎兵衛、三郎が揃い我々は兄弟だ、我々の生き方を書物にしようと嘯く。
玩具
金を親にせびる。この小説をどうしようか。私を信じなさい。一二、三歳の思い出を語る。未完。
陰火
誕生
工場の息子の帰郷から結婚、両親の死、娘の誕生
紙の鶴
嫁が処女と嘘をついた。友人の家で鶴を折った。
水車
前夜関係持つ憎い男女。男は思案しながら女を追う。
尼
話をする尼が寝ると如来が現れ消え尼は人形になる
めくら草子
なんにも書くな。なんにも読むな。なんにも思うな。ただ、生きて在れ!
「この水や、君の器にしたがうだろう」
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学生時代、正直、太宰は苦手だった・・と言うか避けていた。
余りのデスパレートな空気感とデカダン、ニヒリズムの象徴たる容貌もあって。
この歳になって、読む気になって手に取るとそこはかとない津軽の香りとともに習作的な手触り感は心地よくゆっくり読み進めた。
秋という時節柄のせいか、「雨月物語」から取った民話調の「魚服記」関係の一の逆転が面白い「猿ヶ島」情景が目に浮かぶ「尼」はかなり好み。
史的香りのある「地球図」
太宰って、こういった歴史の中の人間関係も書くんだと意外性があり、面白い。
「ロマネスク」「彼は昔の彼ならず」「道化の華」はこの作品集が昭和8~11における遺書的な想いで書かれた背景を考えると最も雰囲気を濃く表しているように思えた(その他の幾つかは焼き捨てたと巻末にあるのを見て驚かされる)
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デビュー作、芥川賞の候補になったのは収録されてる逆光と道化の華のようですが、いまでは大家となってるとはいえ、さすがにこのレベルでは石川達三の蒼茫のもつ迫力には負けてる。自分の人生をモチーフにした思ひ出・道化の華はあくまでのちの作品のモデルにはなっても、のちの作品のクオリティには至っていない刺さりが弱い。地球図はキリシタンもので芥川へのあこがれか。猿ヶ島も小説家が使いたがる設定。彼は昔の彼ならずは人間失格の少し明るい感じで意外と太宰イズムが現れててよかった。ロマネスクみたいな寓話が私は好きなようです
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葉
意味不明
思い出
青年の思春期ってかんじ
魚服記
スワがおとうを夢に見て、酔っ払って落ちたことを悟って助けに行ったという無理のある別エピソードを考えてみたけどどう考えても近親相姦。ちょこちょこ女、な描写があって嫌な予感したんやってな、胸糞の悪い…。バッドだけど最後の魚の描写からしてハッピーエンドか?
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人間らしい太宰治の事が色々書かれてあったり。
よくわからない話もあったり(自分の読解力が足しないのかも?)
またいつか読み返したらもっと何か分かるのかもしれない。
Posted by ブクログ
昭和十一年刊行の太宰治の処女作品集。
以前、別のアンソロジーで「富嶽百景」を読んだとき、自分がどう見られているのかをすごく気にする人だと感じたが、それは本書収録の作品にも直截的に書かれている。また、(意識的か苦しまげれかはさておき)小説の筋をいったん止めて作者自身が説明や言い訳をしたり、とりとめのない文句をコラージュ的に並べて雰囲気を演出したり、または箴言めいたことを書いてみたり、気取っていて自意識が非常に強い。解説には二十三、四歳のころに書かれたとされているので、そうなるのも当然ではあるのだろうけれど、いま一歩作品に入り込めない。思春期に読んでいれば、また印象は違ったのだろうとは思う。
どの作品にも作者自身が反映された登場人物が出てくる。
以下は印象的だった作品
・「猿ヶ島」
猿の流れ着いた島が、実は動物園だったと判明する。
先着の猿が語るさまざまな職業についての皮肉が面白い。
・「猿面冠者」
人生の岐路に立たされたとき、見知らぬ人から手紙が送られてくる、「風の便り」という小説を書く過程を作者の思考を交えながら描く。小説のなかで小説を書くという入れ子構造になっている。
同じ手法をとっている「道化の華」(本書収録)では、読者に見られることを意識したうえで悩み、卑下している感がある。
・「彼は昔の彼ならず」
親の遺産を譲り受けた青年は、木下青扇という男に家を貸したが、いっこうに家賃を払う気配がない。取り立てに行っても、いつもうまい具合にごまかされてしまう。働くようにすすめるも、女房が変わるたびに手をつける仕事も変わり、稼げている様子はない。なかば放っておいているところに、青扇の最初の女房が青年のもとを訪れる。
・「ロマネスク(仙術太郎 / 喧嘩二郎兵衛 / 噓の三郎)」
蔵にこもって仙術を会得した太郎。喧嘩の腕を磨こうと鍛錬を積む二郎兵衛。幼いころから嘘をつき続けてきた三郎。思うよういかない三人を、おとぎ話のような形で滑稽に描く。
Posted by ブクログ
死に向かって生きる。死ぬために生きる。
生きていることにもがき苦しみ、死ぬこともままならぬ。
太宰治はどう考えていたのやら。
自叙伝として、そして遺書としてのこした作品とのことですが、私にはわからぬ世界です。
しかしながら何故か惹かれてしまうのが不思議。
Posted by ブクログ
今を引き延ばしてどうにか生きる。それでいい。
大きな、或いは小さな挫折から正しく死ぬ程の絶望を味わう。それを昇華させる力を持ち得ているのは正直羨ましい。わたしはまだ、この気持ちをどうするべきか、模索しているのだろうから。
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ビブリア古書堂の事件手帖から
中身は短編集
お話を楽しむというより、太宰文学とは?という観点で読んでみる方が良いかもしれない
難解な作品も多いので、ネット上の様々な解説と併せて読むと、理解が深まる