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Posted by ブクログ
高校時代の愛読書。
死(自殺)を予感した天才青年の「遺書」として読んだ。
エピグラムに掲げられたヴェルレーヌの「選ばれてあることの恍惚と不安とふたつ我にあり」というセリフに、太宰の天才としての矜持と、その裏の天才なるが故に何でも見えてしまう底なしの恐怖とを感じて胸が詰まった。
太宰は、処女作において、既に自分の最後を幻視していたとしか思えない。
その美しくも痛ましい心の震えに感応して、読者も途轍もなく苦しくなる。
しかし、そこには甘美さもある。
妖しくも危うい魅力に若者はハマる。
本書は、太宰治の魅力に満ちた初期の傑作作品集だ。
最初に最高傑作を書いてしまった者は、悲劇的な人生を予定されている。
何故なら、それを超えることは不可能であり、この後の全ての作品が処女作の模倣でしかないのだから。
それは、処女作として「一千一秒物語」を、書いてしまった稲垣足穂に似ている。
尤も、足穂翁はそれを自覚して泰然自若として処女作の模倣を行ったが、太宰はそうではない。
処女作を超えるべく、刻苦勉励の文筆活動を行ったのだ。
この美しくも痛ましい短編集は、暗記するほど読んだものだ。
次第に太宰の文体と思考が乗り移って来るような気がした(だけだった)。
太宰治は38歳で亡くなっている。
何と、未だ青年ではないか。
芥川龍之介が、服毒自殺したのは35歳。
まだ、若造ではないか。
三島由紀夫も45歳。
これから脂の乗ってくる時ではないか。
夏目漱石が亡くなったのは、
49歳!
まだ40代ではないか。
修善寺の大患を経験しているので、彼の晩年の
写真は60-70代の老人にしか見えない。
漱石も、夭折とは言えないにしても、壮年にして
世を去っていることを知ることは重要なことに
思われる。
死というものにせき立てられて、必死に生き延びるのが青春時代かもしれない。
若さの内に唐突に訪れる死。
その強迫観念から逃れられなくなり、若く死んだ文学者たちの声ばかりを聞くようになる。
太宰が若くして死んだことを知っているから、処女作を遺書と見做しただけではない。
自作未遂を繰り返してきた太宰治にとっては、どの作品も遺書だったのだから。
Posted by ブクログ
この短編集は遺書のつもりのようだけれど
なかなか遺書にしては
面白いものも多い
たとえば小説を書きながら、
自らの心の声まで加えてしまう
突然小説の中に自らが現れて
なんだか愚痴をつぶやく
小説の内容に自らが照れているかのようで
かわいい感じもする
これは読者への罠なのかも‥
「道化の華」の締めくくり方もまたいい
『‥そして、否、それだけのことである』
太宰治らしく感じる
もうひとつ
「陰火」の中の「紙の鶴」の最後の一文がかわいい
『‥まずこの紙を対角線に沿うて二つに折って、
それをまた二つに畳んで、こうやって袋を作って、それから、こちらの端を折って、
これは翼、こちらの端を折って、これはくちばし、こういう工合いにひっぱって、ここのちいさい孔からぷっと息を吹きこむのである。
これは鶴』
これを読んであるバンドの歌の歌詞を思い出した
その歌詞はちょうちょ結びの結び方を
文章にしていた
やっぱりかわいかった
そして
この「紙の鶴」は初めにカギかっこ、そして
最後にカギかっこ。長い文章がすべてカッコの中にある。改めて見直していて初めて知った
すべて友人に話している言葉だったのか‥
またしても太宰治にしてやられている
どれもこれもさみしい小説なのに
さみしさを感じない
でも本人としては
何もかもがしっくりこなかったのかなあ
つらかったのかな‥
Posted by ブクログ
一ヶ月かけて読み切った。
太宰が27歳で出した、処女作品集『晩年』。執筆したのは23, 24歳の頃だというから、二十代半ばである私は、ただ凄いなァと思って、共感するところも多かった。
『晩年』というタイトルからも、これが自殺を前提に書かれた遺書的な作品であることがわかる。
解説には、自分の人生を懸けて『晩年』を書いたが、それが文壇に評価されて、太宰自身も「もっと書くものがある」と、書くことで生きることを続けられた、そんなような経緯が書かれていた。
本作品集は、色んな手法が試されていて、自叙的な作品もあれば、視点がひっくり返る寓話的な作品もあったり、滑稽な諧謔のある傑作もあったりと、太宰の魅力がふんだんに詰まっているのだと感じた。面白かったのだ。
太宰は「クズでどうしようもない男」というのは、私の母の寸評であるが、私は太宰が好きだと思った。人間のシンソウに迫って、それを隠すことなく小説に仕立てる、その危うさを孕んだ生き方と言葉に惹かれている自分がいることを、私は認める。
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その夜、二階の一間に寝てから、私は非常に淋しいことを考えた。凡俗という観念に苦しめられたのである。みよのことが起ってからは、私もとうとう莫迦になって了ったのではないか。女を思うなど、誰にでもできることである。しかし、私のはちがう、ひとくちには言えぬがちがう。私の場合は、あらゆる意味で下等でない。しかし、女を思うほどの者は誰でもそう考えているのではないか。しかし、と私は自身のたばこの煙にむせびながら強情を張った。私の場合には思想がある!
よそう。おのれをあざけるのはさもしいことである。それは、ひしがれた自尊心から来るようだ。現に僕にしても、ひとから言われたくないゆえ、まずまっさきにおのれのからだへ釘をうつ。これこそ卑怯だ。もっと素直にならなければいけない。ああ、謙譲に。
僕こそ、混沌と自尊心とのかたまりでなかったろうか。この小説も、ただそれだけのものでなかったろうか。ああ、なぜ僕はすべてに断定をいそぐのだ。すべての思念にまとまりをつけなければ生きて行けない、そんなけちな根性をいったい誰から教わった?
「真似をしますのよ、あのひと。あのひとに意見なんてあるものか。みんな女からの影響よ。文学少女のときには文学。下町のひとのときには小粋に。わかってるわ」
「まさか。そんなチエホフみたいな」
おれは君に知らせてやりたい。どんな永遠のすがたでも、きっと卑俗で生野暮なものだということを。
Posted by ブクログ
太宰治を初めて読んだ。全体に漂うノスタルジックな世界観とは裏腹に、文章自体は思いのほか平易で、読みやすさがあった。主人公の内省が率直に描かれ、情景描写はあえて抑えられているように思えた。作品の舞台や風景よりも、語り手の心の動きに焦点が置かれている点が印象的だった。
「猿ヶ島」は、より物語性を備えた一篇で、純文学初心者としては意外性があった。島に漂着した主人公が、実は猿であり、そこが動物園だったという結末は寓話的でありながら、どこか現代的な小説らしさも感じられる。単なる童話にとどまらず、大人向けの文学として仕立てられており、猿を主人公に据えることで人間社会を風刺的に映し出しているように思えた。「走れメロス」に通じる書き方なのかなと思った。
「道化の華」はさらに実験的で、一つの小説の進行と、それを執筆する作家の感情とが並行して描かれるメタ小説的な構造を持っていた。設定は面白かったが、二重の物語が同時に展開するため、どちらの世界にも没入しづらい面があった。
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