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Posted by ブクログ
魅力たっぷりの短編集。
『風の便り』、「作者は例外なく、小さい悪魔を一匹ずつ持っている」という言葉が印象深い。まさかあの作家さん、この作家さんの中にも悪魔が……!?「真の尊敬というものは/遠い距離を置いて寂しく眺め合う事なのでしょうか」この言葉の持つ寂しさも考えるものがあった。
ところで。大正〜昭和初期の文学ってカタカナ語は「ー(伸ばし棒)」をほぼ使わないイメージだったんだけど、全部が全部ってわけじゃないのね。「ノオト」「ジャアナリズム」とかは伸ばし棒なし。でも「モーゼ」「アパート」「コーヒー」「オーライ」このあたりは伸ばし棒あり。どういう言葉は伸ばし棒でどういう言葉はそうじゃないとかあるのかな。いやでも特に傾向とかはないかなー。
犬に「ポチ」って名前つけるのっていつからあるんでしょ。気になるなあ。
Posted by ブクログ
黄金風景
清々しい読み物だ。「負けた」ことが、気持ちの良いものだ。
皮膚と心
最後「そう言われて私は、恥ずかしく思いました」が、わたしも、恥ずかしい気持ちになった。自分の頭のわるさが、わかり、また、皮膚病がサッサと治って、ばかみたいな自分を自覚した、それだけが残ったと思った。
善蔵を思う
丁度読んでいた時、自分は失敗したのではないかと苦しい心持ちであった。そうしたら最後、薔薇が偽物でないことが分かり、主人公の心が明るくなるにつれ、わたしの心持ちも明るくなった。「神は、在る。」と見て、ホッとした。間違いでなはないのだ、大丈夫なんだ、と思えた。心が泣いていた。
きりぎりす
昔から、お金を持つと人が変わったようになり、誇りを失い下らない人間になってしまうことはあるのだなと思った。妻は優秀な人だ。お金に目がくらまず、自分の誇りを大切にしている。最後、小さいきりぎりすが背骨で鳴いている気がする、ということろが優しい、寂しい、気持ちがした。
佐渡
クスッと笑えるところが何箇所もあった。特に、「あれは何というか島ですか」という質問くらい馬鹿げたものは無い、が面白かった。声が出た。何かあるかも、と心弾んで佐渡に行ったのに、皆白々しく、何もなく終わるところが現実帯びていて面白い。
風の便り
時々クスッと笑えることところがあった。太宰治はそういう作家なのか。作家同士のやりとりが興味深かった。素直な意見の交わし合いで、批評し合いながら楽しんでいて、現代にはないような交流で。素敵だなぁと思った。
Posted by ブクログ
学生時代に心酔していた太宰治、ちょうど読む本が尽きたので、本棚からふと手に取ってみて、うわ!やっぱりいい!と思った。
今回特に好きだったのは以下三編。
『燈籠』
口に出したくなる「言えば言うほど、人は私を信じて呉れません」というキラーフレーズ、
そして「それに違いはございませぬ。いいことをしたとは思いませぬ。けれども、ーーいいえ、はじめから申しあげます。私は、神様に向かって申しあげるのだ。私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい」という毅然としたスーパーキラーフレーズ、
極めつけのラスト、蔑まれていても別にわびしくない、逆に美しいと思うというカウンター。
世間的にどう思われていようが、明るい電灯の下で仲良くしているのだけで特に何もなしとげていなかろうが、幸せでいいし、誇りを持っていいのだと晴れやかな気持ちになる。
『皮膚と心』
女の、気分でころころ移り変わる感情の解像度が高すぎる。思ったことを思ったまま、その場で書いているようですごい名人芸。
吹き出物でどんどん大袈裟に落ち込んで、勝手に鬼や悪魔になった気分になり、もはや「私は、お化けでございます」「このまま死なせて下さい」とまで思うのは滑稽で、でも共感できる。
『佐渡』
太宰のギャグセンスが爆発している作品だと思う。
自分をさむらいに例えるくだりがすごく好き。
美化せず、佐渡のつまらなさをそのまま書いている正直さがいい。
Posted by ブクログ
太宰にとって、報われぬ人生こそ表現者として最も大切で、美しいものであり、それを無理やり華々しくしてしまうことは全てを汚し破壊する行為なのだろう。
そんな太宰の価値観は己の生き様や人間性を自分で受け入れ肯定する為に生まれたのだろう。
太宰が狂人に成り得なかったのは妻子の存在があったからこそなのであろう。
狂人になり得ぬ表現者は時に世界一つまらぬ人間にもなってしまう。
太宰も、きりぎりすの画家も、報いるべき存在によって狂人に成り得なかった。
そんな自分の、表現者として必要のない、大切な人に報いる気持ちを自虐するかのように書かれているようだった。
失敗作の人生を与えられた人間にとって、陽の光を浴びることは俗欲にまみれた行為でしかなく、脚光を穢れとして永遠に苦悩の中で生きなければならないのかしら。
諦めることを肯定も否定もせず世の理としてするっと飲み込ませる感覚は、太宰の亡霊に足首掴まれて彼の生きた世界へ引きずり込まれるよう。
きりぎりすは、「おわかれ致します。」の一言で始まった。その固い意思が宿る切れ味のある一言に引き込まれる。
あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。と。
そして、「この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。」で終わる。
世間の価値観に一切鑑賞されることなく二人の間にあった幸せ。
ひとつの出世から濁流のように世間が二人の間へ入って来る。
表現する者は、干渉されてはならないのだ。
表現者としての成功は、大衆から喝采を浴びることかもしれないが、表現者としての幸せは、誰にも邪魔されず、大切な人のためだけに、贅沢もせず、醜い見栄も張らず、ただ純粋に表現することなのである。
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