太宰治のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
怖いけど美しい。
物語としては大きな展開はない。
家族が没落して家庭が崩壊していく様を描いているだけといえばそれだけ。
でも怖いくらい鋭い言葉で胸の内を抉ってくる感じ。
> 人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。(p116)
>
> 戦闘、開始。(p130)
>
パンチの強いキラーワードが多くて、天才を感じる一方で、私が好きなのはこの一文。
> けれども、私は生きて行かなければならないのだ。子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。(p126)
>
誰でも子どもの頃はあるし、歳を重ねれば嫌でも大人になっていく。
環境に関わらず、それは誰にでも起こる。
「いつから大人になったのか」と聞かれれば、いったいいつからか分からないくらい、緩やかに時間が流れてきたのに、いつのまにか世間の中で戦わないといけなくなる。
いったいどうすれば、そんな栄枯盛衰を太陽の沈む様に重ねて『斜陽』なんて題名を思いつくんだろう。
太宰治はダメ男を描くのが上手すぎる。 -
Posted by ブクログ
文庫版解説によると、本作は位置付け的には太宰治の中期的作品となるらしく、表題作と「正義と微笑」は、ともに30代で中年を迎えた太宰治の年下の友人の日記やそれに類する文章にインスパイアされて書かれた姉妹的作品であり、そして「青春文学」に分類される作品なのだという。
中年を迎えた太宰治が、自らのこれまでの人生を織り込みながら、あくまでも10代後半、二十歳の書き手の視点で綴られた文章は、『晩年』や『人間失格』のような初期および後期の作品とは異なる「明るさ」な「軽さ」がある。他者の日記などを換骨奪胎しているが故に自己言及の度合いは希薄で、破滅的な太宰とは異なる顔を見せている。これらが戦時中、そして戦後間も無く書かれたことを関係しあって、私にはより生きることへの肯定的なニュアンスを随所に感じさせられて、とても響くものがあった。
なぜ生きるのか、は問題ではない。どう生きるのか、がここで大切にされているように思われる。軍事主義への反省、あるいは批判的な見方を書き手の一人称的語りに託すことで、「新しい人」としての希望的な生への指向性が描き出されているように思う。それが「青春文学」という野暮ったいレッテルを引き剥がすには十分な言葉、そして思想によって展開される。太宰治本人としては、中年の生の実感を落とし込むには難しいところもあったそうだが、少年から青年へ移行する未来への意気込みあふれる若者の視点とのバランスによって、両作は文学作品としては非常に稀有な地点に至らしめているところがあるように感じられた。
時代やその担い手となる若者たちのリアリズムとしての「青春性」を担保ながら、太宰治自身が抱え、『人間失格』に至る実存の危機と響きあうように両作は私に迫ってきた。このような作品を残しておいて、なぜ太宰治は破滅に向かわざるを得なかったのか、どうしても考えさせられてしまう。もっといけたのではないか、戦後の新しい思想とポエジーをものにすることは作者にとってあと一歩のところまで来ていたのではないか。そんなことを勝手に思わせられるほど、進歩的で素晴らしい作品だと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ
・世間、って世の中ではなくて個人
・同じ穴の狢だと思ってた堀木が自分とは違い何一つ失っていないと知った時、自分のことを見下していたことに気づいた時
・何があっても自分を信頼してくれていたヨシ子が、その純粋な心ゆえに人に騙されてしまうこと、それによって2人の関係性も破綻してしまうこと
・あとがきのマダムのことば「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
そんな人がかかえる内側の苦悩
高校生の時に読んでなにもわからなかったけど、今読み返して良かった -
Posted by ブクログ
ネタバレ太宰の自伝的小説。葉蔵の偏屈で冷め切っており、妙に謙って且つプライドの高さが感じられる作品。
(自分に重なる部分が多々あり苦しくなりました。
道化を演じていたり、論争ができなかったり、友人を馬鹿にしていたり)
子供の時から何にも興味がなく、食にも金にも。只、普通を演じる為、選んだ道が道化だった。
それは家族の前でもであった。
唯一、中学時代の冴えない竹一という親友には、全てを曝け出せ、
女にもてる いい画家になる が彼が私に対する予言でした。(後に前者は当たりますが、後者は微妙な漫画家止まりでした)
鎌倉の高校を行ったりサボったりしている間に堀木雅雄と出会います。内心見下した形でつるんでいましたが、他に仲間もいない為、仕方ありません。
葉蔵は、夜の街を遊んでいると自然と、淫売婦の忌まわしい雰囲気を手に入れるのでした。
そこでツネ子という淫売婦と一夜限りの関係を持つのですが、
堀木を連れて飲みに行った際、席の並び的にツネ子と堀木がキスをするかと思いきや、堀木がやめた!流石にこんな貧乏臭い女とはできん!と ツネ子に言い切るのでした。
ツネ子を不憫に思うのと同時に、貧乏者同士の共和といいますか、初めて恋に落ちる感じがしたのです。
散々飲んだ翌日、2人は入水自殺をするのでした。
ツネ子は死に、葉蔵だけ生き残り、自殺幇助になりそうな所、病弱そうな見た目により、起訴猶予となりました。
そこで、父は怒りの為、父の使いのヒラメ(平目にいている)の自宅の2階に住む事となった。しかし家を出る事も許されなく、何もなす事がない葉蔵の扱いも悪くなり、ある時聞かれます。
将来どうするんです?
葉蔵は 画家になる と伝えるがヒラメはええええ
とこちらも恥ずかしくなるような反応を見せた為、
葉蔵はヒラメ家を飛び出す事となりました。
向かう所は見下している堀木の家しかないという惨めと思いながらも、堀木家へ向かいます。
堀木は在宅しており、お汁粉を頂いた後、女性記者のシズ子が電報を届けにきます。
ヒラメからでした。すぐに戻るようにと。
シズ子が送っていきましょうか と声をかけてくれました。
シズ子は5年前に夫を亡くしており、シゲ子という娘と2人暮らしをしていて、娘の相手がてら、
シズ子の家に転がり込む形となります。
しかし、暫くして、結局は自堕落な自分がいるとこの家族がダメになると思い、また家出をします。
バァの2階で相変わらずの自堕落の生活をしている中、向かいのたばこ屋の娘、ヨシちゃんと酒を辞めるという条件で結婚します。(初日から破ってはいるが、ヨシちゃんがそれを認めません)
新婚生活の中、堀木とまた飲み歩くようになります。
葉蔵の家で飲み直している所、堀木は冗談半分で
お前は羞恥心を捨てている
お前は、どうにもならない
散々心の中で馬鹿にしていたはずの人間に見下されていたことに唖然とします
そして家内のヨシ子が、よくうちを訪ねる商人と
関係をもっていました。
葉蔵がかねて憧れる無垢の信頼心に漬け込んだ、行為であり、またヨシ子の無垢の信頼心を奪う行為でした。堀木が大きな咳をするのが精一杯で、葉蔵はすぐ様、屋上へ逃げるのでした。
それ以来、ヨシ子はおろおろするようになりました。
葉蔵も心労が溜まり、更に酒が増え、歯も体もボロボロです。
ある晩、砂糖水を飲もうとした時、ジオールという睡眠薬一箱をみつけます。
葉蔵は致死量の、一箱全てを飲み寝ます。二度目の自殺未遂です。
三日間起きず、起きたら、堀木とヒラメがおり、女のいない所にいきたい と告げました。
また飲み歩いているところ、吐血しました。
薬を求めて、薬局の老婆に酒はやめた方がいいとの助言から、酒よりはマシと渡された
モルヒネを打つようになり、あっという間に薬物中毒になってしまいました。
ヒラメ達に、脳病院に収監され、さらに廃人。人間失格となってしまいました。この時、27歳。めっきり白髪が増え40歳以上に見られます。
-
Posted by ブクログ
太宰治が『斜陽』で言いたかったことを一つに絞るなら、「滅びゆく古い倫理の中で、それでも生きるためには、汚れてでも新しい生命を抱えるしかない」ということかもしれない。
母は最後の貴族として品位があり、優雅で滅びにふさわしい美しさを持っている。けれどその美しさは未来を作らなかった。直治もまた古い階級の終末を背負いながら堕落し、薬物に逃げ、革命や思想を語りながらも結局は生の側へ踏みとどまれない。かず子だけが違った。かず子は上原に恋し、既婚者である彼の子を望み、望み通り妊娠する。
しかし、かず子の妊娠は明るい希望としてだけ描かれているのではなく、貴族階級の没落、母の死、弟の自死、上原という男の堕落、既存の結婚倫理の破壊、すべてを通過した後に残る、かなり乱暴で、倫理的に危うく、しかしそれでも生きる側に属するものとして置かれている。
つまり太宰が『斜陽』で描いたのは、「滅び」と「救済」ではなく、「滅びきった後に救済とは別の形で生命が残ること」。救済ではない。幸福でもない。倫理的な勝利でもない。それでも、生きる側へ引き戻すものがある。かず子にとってそれが子供だった。