あらすじ
「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。だれもが自分のことだと思わせられる、太宰治、捨て身の問題作。
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凍りのくじらを読んだ後だったからかな、
カワイソメダルを持った男の話としか思えなかった、、、。
自分を守るために偽ることだったり、流れのままに生きてしまうことは、思い当たる節がある、、、
それでも自分自身を生きるために、大きな夢がなくても、目標とかやりたいことをどんなに小さくてもいいから、見つけて生きていきたいなと思った。
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本を読むのは好きだけれど今まで読んだことがなかった。面白かった。道化になる・・・というのは当てはまる人も居そう。私は「このティッシュを使うのを辞めたら・・・など途方もないことを考える」というのにとても同感した。幼い頃よくそう考えていたなと思い出した。人が誰しも考えたことがあるようなことを描写するのがとても上手い。色々な出会いや出来事が重なってしまった結果この結末になったのだろう。私は主人公は幼い頃に性的虐待を受けていなければこうなっていなかったのではないか・・・と考えてしまった。タイトル回収をきちんとしてくれたことに感動を覚えた。名作と言われる理由がわかった。
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斜陽の方が僕にはしみた
人は全員優勝ではないし同じ人間でもない
あの立派な人も僕と同じ人間だなんて言うのは卑屈という考えが新鮮だった。優れた人を自分と同じ土俵に引きづり下ろしてるんだけだという理屈らしい
しかし太宰治の帰郷を読んでからその考え方は醜いと感じた
都会の喧騒が人を醜くする(人に寄るのかな?いや寄らないよな)、地元の家族はいつまでも上品な(穏やか、愛を持ってるという意味で)生き方をしていると思う
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同じく、葉蔵と同じくまではさすがにですが私もひたむきに明るくしてしかし裏では悩んで、おちゃらけるような体験をしたことがあるんです。
だからこそ、溺れてしまうことも少し似ている気もして葉蔵より遥かに軽いものですが胸を打たれる小説であることは間違いなかったです。
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「それは世間が、許さない」
「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」
"まるで自分のことが描かれている"ような
リアリズムでアイロニックで切実な文学的感動にとらわれ、
弱くも美しくかなしい魂の代弁者として、救済の手を差し出す作品
大切にしている内的事実を守るための
苦闘や挫折、敗北する過程で露わとなる
偽善に満ちた悪と醜さと非人間性が蔓延る俗世間は
とても他人事とは思えないでしょう?
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「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです」という言葉、わかる〜。
幸福な出来事のあとに悪いことが起こるなら、それならいっそ幸福ごと最初から回避してまおうとすることが自分にもよくある。
そうすれば幸福と不幸の落差に落胆する分が減るから。
この誰かと共感しづらい微妙な心の機微を、なんと細かく適切な言葉で表すのかと感動した。
おそらく同種の人間が読めば響くし、そうでない人にはよくわからないとしか評されないであろう、人間の、というか太宰治本人の心の芯に触れるような作品。
人間失格じゃない人間なんていないんじゃないか。
どこか欠けている部分があるからこそ、周りの人は思わず助けたくなってしまうような魅力があったのだろうと思う。
それは女性に限らず、堀木も、ヒラメも。
むかーし一度読んだときはあまりにも自分が若かったこともあって難しく感じたのですが、今回プレミアカバーで販売されているのが目に止まり、軽い気持ちで買ってみたらとてもよかった。
この作品の良さがわかるくらい大人になったんだなーとしみじみ。
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まあ普通に有名な作品だし,みんな読んだら良いと思う。けどハマる人とハマらない人は多いと思う、ただハマらない人は楽しく人生を過ごすと思うし、ハマる人にとっては読んでよかったという本になると思う。まあだから読んだら良いと思う。時代を超えて、こういう話しは面白いと感じるんだなと、発売当時の昔の人の気持ちを考えた。
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この主人公大庭葉蔵は、太宰治自身の小説化された自画像である。
幼少期から、世間に対して、人間を極度に恐れていて、人間としての自分の言動に、みじんも自信が持てず、恐怖心、憂鬱な感情をひた隠しにして、それを悟られないよう、道化を装い生きていく。
この恐怖心、人間不信がある限り、愛情も道徳も妄想となり、神さえも信じられなくなる。
この精神性、苦悩を敢えて文章に記す事がとてもすごい事に感じられる。共感では決してないが、読み進めるうちに、何故か引き込まれていく。誰にも、このような堕落している精神性はひそんでいるのかもしれない。
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「恥の多い生涯を送って来ました」
から、始まる手記。
あーそうでした、そうでした。ずいぶん以前、生涯というほどの人生をまだほとんど生きてない頃、太宰治という神秘的存在に惹かれて、私が数冊も読んだ、ただ1人の純文学作家でした。
いったいその頃の私は、この作品たちをどう理解していたのか、きっと理解などしてないな笑
ただ、今も多分昔も思うのは、
普通、作家さんの書く作品とは、確かに作家さんの魂はこもっているだろうけれど、別の人生であり、別人格であると思って読むのだけれど、太宰治に限っては、その文章のひとつひとつが、全て、彼の血であり肉であり、息づかいであるかのように感じてしまう。
この作品を書き上げ、1ヶ月後に亡くなってしまう。
まるで遺書かのような作品になるはずだが、私にはそんな重さは感じられず、確かに内容は重いのだろうが、泥の中にいても、どこか、軽やかで、清らかで、「愛する人が死のうと誘ってくれたので、それなら私もご一緒しましょう」っという台詞が出て来そうな。
最後の一文「いまは、自分には幸福も不幸もありません。ただ、いっさいは過ぎていきます」
このように、幸福も不幸も感じない世界で、でもなお、清らかな心を捨てきれず生きていて欲しかったと思う。何故なら、こんなにも恥の多い人生のはずなのに、どこまでも真っ当で、どこまでも清らかな人と感じてしまうからだ。
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映画でも本でも、それを見てる最中とか読み終わった直後じゃなくて、もっと時間が経ってからじわじわ心に留まった部分をたくさん思い出すタイプの良作が自分にはあって、これはそれでした〜初めて太宰読んだけど他も読もう〜
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この小説が、普段は道化によってひた隠しにしてきた作者の内的真実を徹底的に深掘りし告白した自叙伝だからこそ、現代において違和感や生きづらさから自分を取り繕ったり、嘘を言ってしまうような読者の人に対して、その行動の裏にある意識が書き連ねられているようで、今もなお共感を得て、愛読され続けているのだなと感じた。すなわち私たちは自己分析の究極系を見せられ、その重なりに自己を投影しているのだと思う。作者と思考の深さは違えど、どこか通ったことのある道のような既視感があり、破滅に至るような凄まじい作者の人生をどこか間近で見れているような感覚がある。苦悩に対する目から鱗のような解決策を提示してくれる訳ではないけど、往年悩んでいた作者がいたという事実、そしてそれに共感して長く愛し続けている読者がいるという事実、それらは目で推し量ることはできないけれど、同じ類の人間が確かに存在しているという安心感を与えてくれる。もっと他の作品も読んでみたいなと思った。
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表紙カバーに書かれている太宰治の生涯を踏まえながら読むと、主人公も周囲の人間もとてもリアルに浮き出てきて、写真では血の通っていないように見える主人公が特に生々しく感じられた。道化を演じたり、酒や女、薬に溺れたりする様子はタイトルと反してとても人間らしいと感じた。
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「自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。」
これだけで、語り手の殆どがわかってしまう素晴らしい文章。一語一語をにらみ、じっくり読むことで見えてくると言うのではなく、すぱっと頭に入ってきたと同時に、語り手の人格が形成されていく流れを体感できる。もちろんこれまでの文章が助けに入ってくれているのだろうけども、それにしても良い。
語り手は罪人として縛られているときの方が、そうでないときよりも不安を覚えず、ほっとした気持ちになる。この描写がやけに印象深い。簡単に自らを彼に重ね合わせてはいけないような気がする(彼に対してあまりにも不遜に思えて)けども、なんか分かる。全く同じ状況というのは体験したことないし、体験しないようにしていきたいが、程度の違いを許容できるのであれば、記憶の中にも同じ状況はある。何かに自らを縛ってもらうことで、自身がどこかに飛んで行ってしまうのを防いでくれているのか、ふとした瞬間に自分でも知らない突発的な何かにとりつかれないように思えているのか。語り手と同じかは分からないが、ある空間に自身をおいていることが私にとっては好ましく、限りなく広がる空の下に居るときはどことなく不安を感じてしまう。それと比べ、小さな部屋の中というのは自身がどこに居るかがわかりやすい。なんとなく三人称視点のような気持ちを感じやすく、その部屋の中にあるものとの位置関係を把握できていることが好ましいのだと思う。どこまでが自分であるかが理解できるからなのかな。
罪の対義語(アントニム)を語り手は考え続ける。その答えまでの道のりが長く、とうとうたどり着くことができなかった。一方堀木は平然に法律だと答える。この会話もまた印象深い。初期の最後にも悲劇喜劇ゲームの描写があることも作用しているのか。罪の対義語について考える機会というのはなかなか珍しいのではないだろうか。堀木のように法律とも言えるかも知れないけど、個人的には寛容とか信頼とかなんじゃないかなとは思える。この考えには、自らが出した結論が何なのかは正直どうだって良くて、何らかの答えが出るかどうかにスポットライトを当てるべきだと思う。罪の反対を知らないならば、罪の反対の行動をとることができない。罪を犯してしまわないような行動をとることができない。んじゃないかな。罪に対して興味が無い堀木という存在も、少し悲しいかな。あの時、罪に多少なりとも興味のある人間と、罪のアントについて議論できていたらと思うと、少しばかり悔しい気持ちになる。
初めて読んだ太宰作品(メロスはノーカンとさせてほしい)だったけど、思っていたよりずっと楽しめたし、そこまで昔の作品でないというのが作用していると思うが、読みにくさもない。暗い作品だと知っていたが、思っていたよりも暗くない。一人の人間が描かれたありのままだと思った。文学的な観点での解説や批評などは何一つできやしないが、面白かった。
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太宰治作品は走れメロスしか読んだことないです。
新潮文庫の夏のプレミアム文庫で買いました。
黒カバーに金箔印刷カッコイイ
太宰治ファンに怒られるかもしれないですけど、現代のXにいるめっちゃ文章力ある妙に自虐うまいオタクくんみたいな文体でたまげた。
()で補足する文章小説あるんだ...私もよくSNS文がソレになるので、無知のリスペクト文体だったのかも⁈??????(文章力無人間、逆にそんなことを言って恥を知れではある...すみませんでした)
内容面白かったです。
面白かったって言っていいか謎だけれど...
いい感じになった女との結末を、次の行で結果書かれてるの凄い。
おい!ネタバレするなよwwwwと思いながら読んでました。走れメロス好きなんですけど、太宰治本を介して妙に近い距離にいる?親しみのある?感じがあって不思議。斜陽も読んでみようかなぁ
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全然人間失格じゃなかった。むしろ人間臭くて優しくて自分がないがためにどんどん堕ちていくのが悲しい。むしろ人間失格なのは世間でうまくやっている周りの人間だよ
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ページ数も少なくサクッと読めました。
終始こちらに語りかけるような書き方で、私も主人公に情が乗りそうになりました。
太宰先生を初めて読む中で印象的だったのが、作中に嫌味な言い回しがなく、誰かを下げる表現もあまりなかったことです。そのため、私は読後感が割と清涼であると感じました。
他作品の作中表現も気になったので、次は「斜陽」を読んでみようと思います。
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人間関係に1番もがき苦しんで自分を取り繕っていた葉蔵が1番人間らしいとすら思った。最後のあとがきのバアのマダムの一文が全てで、葉蔵は自分が人間失格だと思い込みすぎていたように思う。最後の方の畳み掛けが凄かった。
Posted by ブクログ
はっきりとした感想が思い浮かびませんが、すごく身に覚えのある、共感に至るところがあります。
愛想よくすることは努める必要があり、他人との劣等性を強く感じてしまい、逃げることを選択する。
この相容れなさは自分を下げ続けてしまう感情です。
所感はただのクズが勝手に落ちぶれて、沼に嵌って抜け出せず、自滅していく無様な話ですが、何か引っ掛かるのです。
自殺する選択肢があまりにも軽くあるのは時代背景なのかわかりませんが、女とともに死を選択するところは私の思考にはなく、理解し得ません。
孤独感からの解放を求めていたのでしょうか。
人間失格
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、いっさいが過ぎて行きます。
Posted by ブクログ
恥の多い生涯を送ってきましたと冒頭に書かれていた。読み終わったあと、結局葉蔵(太宰治)は、何が恥だったんだろうと思った。
毎日酒に溺れていたこと?生活がだらけていたこと?女に夢中になっていたこと?浮気されたこと?ピエロのように演じ続けたこと?
葉蔵は人生を通して、ありのままの自分を曝け出すことができていなくて生涯ずっと演じ続けていた。
それは現代でいう生きづらさに通ずるものがあると感じた。どこかしら共感している自分がいました。
太宰治に比べたらまだまだ人生捨てたもんじゃないと思ってしまった。
人間の弱さや本質を垣間見ることができる作品。
Posted by ブクログ
空気を読み、愛想笑いをし、役割を演じる。世間の人々は人間関係の調整をしながら”普通”に生きている。一方、葉蔵にとって演技は人間関係の表面的な調整ではなく、存在全体の偽装と感じる。素の自分を出した瞬間、存在を否定されると恐怖する。でも葉蔵を否定するのは世間ではなく葉蔵自身。自分で自分を否定しているため、幸福が来ると「自分には資格がない」と感じる。葉蔵は自分を隠すため、命懸けの演技を続けているうち、何が自分の本音か、どこまでが役なのかわからなくなる。演技しているのではなく、演技しかなくなる。仮面を外した奥が空洞になり、”人間である”という感覚から脱落していく。太宰治『人間失格』1948★
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五月のキュウリの青味には、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさが在る。太宰治『女生徒』1939
幸福の便りは待っている時には決して来ないもの。『正義と微笑』1942
駄目な人間は幸福を受け取るときでさえ、下手くそを極めるものである。太宰治『貧の意地』1944
かず子。旧華族の娘。家は没落、東京の邸宅を失い、伊豆の小さな家に引越し。母は弱気になり病死。弟(直治)が戦地から帰国するが、家の金を持ち出し、酒に溺れて自殺。かず子は元カレの上原を訪ね、一夜を共にし妊娠▼もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。私ひとりの力では、とても消す事が出来ないのです▼生きていること。やりきれない息もたえだえの大事業。太宰治『斜陽』1947
よい仕事をしたあとで一杯のお茶をすする。お茶のあぶくにきれいな私の顔がいくつもいくつもうつっている。どうにか、なる。太宰治『葉』1947
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爆撃のさ中に、幼児達は奇妙に泣かないものである。彼等の心臓は波のような動悸をうち、彼等の言葉は失われ、異様な目を大きく見開いている。(彼らの目は)必ずしも不安や恐怖というものの直接劇的な表情を刻んでいるというほどではない。理智的に思われるほど情意を静かに殺している。坂口安吾『白痴』 1946
私は悪人です、と言うのは、私は善人です、と言うことよりもずるい。坂口安吾『私は海を抱きしめていたい』1947
虚空・狂気・桜。坂口安吾『桜の森の満開の下』1947
自由を与えられれば与えられるほど生きるのはつらいんだよ。縛られれば縛られるほど生きるのは易しいんだよ。坂口安吾『作品 創刊号』1948
Posted by 読むコレ
再読。晩年に心身ボロボロの状態で自身の思いの丈をぶつけた手記的な作品、という印象でしたが、全く異なりました。
言うなれば(生意気ですが)冷静そのもの。
主人公の持つキャラクター性は、世間一般に知られる著者の性格とはきちんと一線を画している様ですし、物語は伏線を張るなどしてリーダビリティにも気を遣っていた様子。ましてやコミカルな描写まで抜け目なく挟まれており、まさか人間失格でちょっと笑わされてしまうとは!
氏がどんな心境で本作を執筆されたかなど知る由もありませんが、作家の気迫と矜持は見せつけられました。
すげえ。
Posted by ブクログ
名著。
時代を超えてもなお、読まれ継がれていく理由がわかる気がする!有名な冒頭一文から始まりその意味を巡って、太宰本人なのか葉蔵の人生が細かく描かれていく。
明らかにダメ人間ではあるが、どこか現代を生きる人間にも当てはまるような、共感できるような部分が垣間見えて、だからこそ人によっては読んでて堪えるのだろう。
おどけて見せたりして、その場しのぎの保身に走る姿にはどこか心打たれた。。。
「人間失格」とは何をもって失格なのか?
とても興味深い!
Posted by ブクログ
葉蔵は、平々凡々な人間として生きるには、あまりにも不器用で、繊細すぎる人間だったように思う。 しかし一方で、周囲に合わせるために本心とは違う自分を演じてしまう、という葉蔵の感情そのものは昔も今も問わず、多かれ少なかれ誰もが持っているものでもある。 葉蔵は決して人間からかけ離れた存在なのではなく、むしろ人間が普段は隠している弱さや孤独を極端な形で体現した人物なのかもしれない。平々凡々な人間にはあまりにも向いていなかった葉蔵が、同時にあまりにも「人間」というものの象徴だったように感じた。
Posted by ブクログ
人間失格のあらすじをネット等で読むと陰鬱で重苦しいといった印象を受けるが、実際に原文を初めて読んで、むしろあっけらかんとしていてユーモアに満ちているとすら感じられた。全体を通して何度もというよりは、印象に残った部分だけを繰り返し繰り返し読みたくなる作品だった。