あらすじ
「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。だれもが自分のことだと思わせられる、太宰治、捨て身の問題作。
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Posted by ブクログ
流石、面白過ぎた。
太宰治の限りなく自伝に近いフィクション。
〈あらすじ〉
「恥の多い生涯を送ってきました。」という冒頭から、男は自身の人生を告白し始める。幼少期から人間に対し強い恐怖心を抱き、道化師を演じることでのみ家族や友人含む他人と関わってきたこと。勉学の才能に恵まれたにも関わらず裕福な出自に甘え酒や女遊びに堕落していく学生時代のこと。心中未遂の後に女の住まいを転々とするも薬に手を出し病棟に入れられたこと。その言葉の通り恥の多い彼の人生に人の生きづらさや不完全さが描かれている。
前半は高尚な文章で「僕は裕福な家に生まれ勉強もでき人間関係は苦手だったがコツを掴み人気者で女にもモテる」って書いてます。おもしれー男。
中盤はいよいよヤバいやつだなとドン引き。現代でいう発達障害的なものの匂いがする。持ち前の顔の良さでどうにか世渡りして行く様子が一種の才能にも見えるし、長くは続かないその刹那的な生き方に強い虚無感も感じられる。
後半は、もうご愁傷様。確かにこいつは人間失格。若いお嫁さん気の毒だ。酒と薬と女で人生めちゃくちゃかーと同情していたらまだ27歳だって。全然これからジャーン(人生100年時代の今日とでは27歳の意味が違うのか)。
強い陰の力があって近寄りたくないのにその文才に引き込まれるような1冊だった。いやこの文章力羨ましい
Posted by ブクログ
読書に少しづつ魅了されていた時に出会ってしまった、私にとって薬でも毒でもあるような一冊でした。
本屋でこの題名を見た時、きっと私はこの本を読まないといけないだろうというような感覚に支配され、気がつけば買ってすぐに読破してしまったのを覚えています。
普通とは相容れない主人公、葉蔵が人間臭く落ちぶれていくストーリー展開、読者という視点で葉蔵という人間を見ていなければ、きっと同情することも魅力を感じることもなかったでしょう。
この一冊を読んでしまったが故に同情し、魅了されてしまいました。
読み終わった後の余韻と、なにかこの本が自分の価値観や世界観に影響を及ぼす恐怖感が今でも鮮明に思い出されます。
自分で考えれば考えるほど、この本に考えさせられていることに少し嫌気がさすほどに脳内にこべりつきました。
間違いなく、素晴らしい一冊ですが、いい意味でも、悪い意味でも、私の中にずっと残り続ける名作です。
変に勘違いされないよう、最後に添えておきますが、私はこの本が本当に大好きです。
Posted by ブクログ
初めて純文学と呼ばれる作品を読みましたが、非常に面白かった。表現の仕方が面白い。個人的に1番好きなところが、寿司の不味さを訴えかけるように話す部分。もともと読点が多い文章が好きなこともあって、読んでて楽しかった。
人間として生きづらい、私は人間ではない、と自分を卑下して苦しむ様子が、一周回って人間臭いと感じた。 そんなになっても歳を重ねる彼は、もはや人間でなかった方がまだ救いがあったかもしれない。
この作品のモデルが太宰治本人であるかは知らないけれど、よく39まで生きてこれたなと思った。
Posted by ブクログ
<どんな人におすすめ?>
古典をこれから読みたいと思っている人
<感想>
時代を超えて通じるものがある。
それが古典を古典としてたらしめているものなんだろう。
20代のときに3回読んで3回挫折していたこの本が、
アラフォーの今、最後まで読めた。
私はまだ古典に慣れ親しんでいないので、
お門違いなことを言っているかもしれないが、
夏目漱石『こころ』に描かれているエゴイズムのようなものがこの作品にも描かれている。
それがタイトルにも表されている『人間失格』なんだと思う。
途中から自伝的小説かと思い、太宰の年譜を見やる。
なるほど、そうか。
ヨシ子が犯されているのを見た直後の文章にものすごい熱がこもっていると思ったのだが、解説を見てやはり同様のことを経験していたのだと知る。
・隣人の苦しみがわからない
・道化は人間に対する最後の求愛
・二匹の動物を見たあと、若白髪がはじまり、よろこび、共鳴からは永遠にはなれるようになった(p129)
読み終わった今となっては太宰治記念館(青森県五所川原市)や
太宰治全集を手に入れたいと思った
言文一致体なので、これから古典を読み始めたいという方におすすめ
Posted by ブクログ
近代文学といえばみたいな作品。
最も印象的なのは
友人と世間について考えるシーン
世間とは君の意見だろ?
もうすぐ100年ほど前の作品になるが、このでの思想や哲学は今でも共感できる。
普遍的な名作には力があることを改めて実感した。
Posted by ブクログ
中学生の時に読んで、ほんとにほんとに救われた作品。恵まれているからと言って、死にたいと思ってはいけないわけじゃないことを教えてくれた。
23歳になった今改めて読むと、また違った見方ができる。
ネットでは「自虐風自慢」なんか言われていることもあるが、葉蔵の恵まれた容姿、才能、家柄は葉蔵を苦しめるものでしかない。
繊細すぎる性格と、それに伴って深くなる思考は、生きづらいとしか表現できない。
ラストでは少し希望も見えるような終わり方だったが、実際の太宰の死を考えると...
Posted by ブクログ
初めて読んだ時は「これは自分のことだ」と思いました。発表当時も多くの共感があったようで、例にも漏れず現代の二十歳過ぎの私も共感することが多くありました。共感した部分は女の人に結果的に溺れてしまうところでした。繊細な性格についても共感しましたが、強くシンパシーを感じた部分が女性関係でした。彼ほどの破天荒な、もしくは破滅的な交友はありませんが大なり小なり感情的な部分で気持ちが重なりました。
葉蔵の容姿が端麗だったことが彼を苦しめた一つの要因かなとも考えました。端麗さが幼少期での性的虐待につながり人間不信を加速させていました。相談できる家庭環境でなかったことも大きく関与していて葉蔵は当時は被害者でした。
人間に対する一定の信頼というのは社会生活において非常に重要で、それが欠けていると本当にしんどいです。私は上司から受けたハラスメントで極度の人間不信を四年経ったいまでも抱えています。そうした気持ちを葉蔵が全ての人間から受けていると考えると彼の精神力はある意味で非常に強かったとも言えると思います。
葉蔵の抱えた内面の脆さが容姿と相まって、女性をひきつける要因となっていました。何故か惹きつける・惹きつけられてしまうのは母性に関連していると思います。自分ではどうにも対処できないところで他人を巻き込んでいく様子は彼の罪悪感や恥に直結していました。彼が女のいないところへ行きたいと言ったことは彼にとっては恥辱・羞恥にまみれた言葉だったと思います。
Posted by ブクログ
解説がめっちゃ良かった。
一度人間として太宰治は''死んだ''あと、心を無にして才能に溢れる作品を世に出し続けた。その後自分の心の底に眠っていた本当の自分を出して、本当に死んだ。戦後も戦時中も作品を出し続けるその気概や、孤独と向き合える力は単に酒や女に溺れた男と称して言い訳がない。
家庭であまり愛されずに育ち、親が資本主義の波に乗るエリートで、農民の土地を買い占める成金の息子であるというステータスに疑問を持ってマルクス主義の運動に参加するところが、最高。
精神疾患(アルコール中毒、薬中毒)といったものへの理解がまだあまり無い時代背景もあり、時代を感じた。芥川龍之介の自殺に影響されてるところも、文豪だーー!!となった
家庭環境って愛着形成に甚大な影響があるなぁと感じた。
Posted by ブクログ
凄まじいの一言。読後は呆然自失となる。
太宰にとって、世界とは無意味にすぎなかった。
印象的な文言に「世間とは、個人ではないか」というのがある。
思慮深い真理、皆が抽象的に想像していることを、見事に言葉として表現しているのではないだろうか。
圧倒的なニヒリズム。
彼はもしかすると、重度の対人恐怖、社交不安障害であったのかもしれない。
現在、心療内科、精神内科などは簡単に予約が取れないほど通う人間が多いという。
そんな生きづらい世の中の内に、太宰が今も読まれている理由があるのだろうか。
自己破壊を繰り返すことでしか、生きる価値を見出せないような、文学を語る資格がないのだというような悲痛な叫びが聞こえてくるようだった。
ひたすら世間に恐怖し逃げ続けつつも懸命に生きた太宰と、考えることを拒否し本能のみで生きながら群れることでしか自己を実感することができず世界の半分がスマートフォンの中にあるような人間が蔓延る現在の世の中において、人間失格なのはどちらだろうか。
Posted by ブクログ
言わずと知れた日本文學界不朽の名作。読み終えて思うのは、やはり自分も「恥の多い生涯」を送ってきたのではということです。
幼少時代を振り返ると、両親や周囲の大人たちの期待や怒り、感情に応えようとする余り、自分の本心を隠しながら日々やり過ごしていたように思います。自分からこれがしたい!という気持ちで選択肢を選び取ったことって何回あったっけ、、
それから月日は流れ、思春期•青年期へ。これまでに染み付いた判断の物差しを外部に求める思考は中々棄てきれず、本音が言えなかったり、自分の殻を破れなかったりすることもしばしば。周囲に合わせるということは、自分で考えることから逃るということでもあるのです。
勿論、葉蔵が伝えたいのは自分本位になれということではありません。ただ、長年自分の顔に貼り付いた「道化」をかなぐり捨て、自我を強く持ちなさい、今日からでも遅くない。と語ってくれている気がします。
Posted by ブクログ
再読です。
「人間失格」というタイトルは、何度見ても本当に魅力を感じます。
作者の遺書のような作品だということも知ってはいたのですが、あえて主人公に重ねないように意識して読みました。
前回よりも物語の解像度が上がったからか、主人公の恐怖や不安などの感情がこちら側にゆらり、もたれかかってくるような感覚でどこか儚く、目の前に居たらダメだとわかっていても思わず追いかけたくなっていたでしょう。
ふらりと終わりの近くを歩いている姿を羨ましく思ってしまうのは、生に喜びを感じている今の私だからこそ得られるものかもしれません。
次にこの作品を読むときに感じる感覚がどういったものになるのか、とても楽しみです。
Posted by ブクログ
Premium Cover 2015
人の心みたいなものを感じられず、食欲もなく、ただひたすら周囲に合わせお道化を演じて生きてきた、というのは流石に人間離れし過ぎていて共感しようがなかったけれど。それでもだんだんと見え隠れし始める人間らしさやクズっぷりがタイトル通り最高に人間失格で面白い。
解説がとても良かった。太宰の生涯と本作の成り立ちが物語のように整理され、本作ももう一度読みたくなったし、他作にも触れてみたくなった。
Posted by ブクログ
太宰治の生前残した最後の完結作品であるこの作品は、彼の遺書とも受け取れる。
死による解放、もしくは死による自らの存在証明を切望したことのある者は、
主人公の美しく破滅していくさまに、太宰治の姿を、もしくは自分の姿を投影して、
彼に憧れのようなものを抱きさえするのではないかと思った。
個人的には、胸の内を見破られたような冷たさよりも、人間に期待し、裏切られながら苦しみ生きる者たちに対する温かみさえ感じる作品だった。
(それは、作者が自分自身に向ける無意識の、そして最後の慈愛だったのかもしれない、と思うが、 慈愛という言葉は相応しくないかも。生きていく本能というべきか、もしくは諦めか、、)
また、自分が他人に見せていると思い込んでいる姿と、他人から見る自分の姿は、案外乖離している場合が多くて、
自己認識に長けている自覚がある者ほど、自分の存在を自分のなかに閉じこめてひとりで管理しようとするせいで、それに気づけないものなのかもしれないと考えた。そしてそういう人ほど、乖離していることに気づけなくて、苦しむということも。
それは、自己認識と他者認識が噛み合っていればいいよねという話ではなく、他人からどう見られるかでしか、自分を形作れない性分って悲しいなぁと思う、ということ。
Posted by ブクログ
読後も色んな解釈を調べながら改めて考えさせられた、余韻の残る作品。
人間を恐れながらも人間になろうともがき続ける主人公には苛立たしいところもあったけど、最後にはただただ哀れでならなかった。
Posted by ブクログ
なんとなく共感したような気がするけど全然分からないかも。
人間が矛盾していて誰しも少なからず道化を演じている節はあるよね、というところは分かりつつ、どうしてその感覚を理解できないのか、なぜそれがそんなに恐ろしいのかは分からない。そういうものじゃないかと思ってしまう。これはむしろ私が社会の価値観に毒されているんだろうなと思うけど。
この話は太宰治の自伝だという話を聞いて、なんか相当苦しんでいたようだけど最後の言葉良かったね、と温かさを感じた。
Posted by ブクログ
「人間失格」は、昭和時代にはマスト・リードの文学だった。高校生・大学生の頃、太宰治はハマった作家の一人だった。確か本棚には、新潮文庫の黒い背表紙が何冊も並んでいたと思う。なかでも、「人間失格」は、自意識過剰だった若い頃の私には、自分を代弁してくれていると感じていたように思う。
だからこそ、年齢を重ねて、自意識過剰が減ってしまったあと、あの頃のようにはハマれないだろうと読むことを避けていた。あの頃の感動を、「なーんだ」と上書きしたくないから。
しかし、この度知った英語での読書会。英語で本の話をするのはハードルが高いが、AI英会話アプリ「Speak」を相手に管を巻くことで抽象度の高いことも話せるようになった今、リアルに試してみたいし、参加を決めた。従って、「人間失格」を再読した。再読ではない。昔は何度読んだか分からないから。
薄いし、日本語だからすぐに読めるだろうと放置したままで、結局読んだのは当日であった。「なーんだ」とは思わなかったし、新たな発見もあったが、主人公に以前のようには感情移入はできなかった。
驚いたのは、実際に読書会に参加して、他の文化圏の、今、現在ティーンエイジャーでない人がどのように捉えたかを聞いた時だ。
私にとっては、マスト・リードな文学作品だったし、昭和時代に読んだので、全くスルーしていた箇所に嫌悪を覚える人が多くいたことである。「ミソジニー」という単語が使われていたし、女性をひどい目に合わせていることに対してのことだ。
書かれた時代が百年近くも前なので、太宰治の「人間失格」の文学作品としての価値が損なわれるとは全く思わない。しかし、私自身が、あの当時もこの度も、「人間失格」の中で女性が軽く扱われていることを何とも思わなかったのである。
もし、昔読んでハマらなかったら、今読んで「あれ?」と感じたであろう。それが証拠に最近、有吉佐和子の「青い壺」を読んで、さすがのベテランの作品と面白く読みながらも「女だから」、「男だから」と言った表現が多用されていることに対して、ちょっと嫌だなと感じた例がある。
時代が異なる文学作品を今の価値で判断してはいけないのは分かる。「源氏物語」なんて小児性愛の話だし。ちなみに「源氏物語」は今でも好き。
表現の自由もあるし、いちいち突っ込んでいたら何も書けない。でも、こういうことの積み重ねによってアンコンシャス・バイアスが作られるのかもしれないとも思った。中途半端に百年くらい昔だからいけないのか?「源氏物語」や「千夜一夜物語」に女性蔑視と批判する人は少ないであろう。
優れた文学作品を愛することと、その背後にある価値観を問い直すことは、矛盾しないのだろう。
Posted by ブクログ
あまりにも有名な作品だが初読。周りの人間に共感できないことを自覚しながら、少年のときに道化を覚え、それからは自分以外の人間に対するえもいわれぬ恐怖と戦いながら、女性たちから寄せられる謎の好意に翻弄されつつ生きていく主人公の様子が、この作品を最後に自殺した太宰治のその後を知っているだけに、痛切に感じられた。文体は古いものの、内容には古さを感じさせないものがあり、時代を超えて読み継がれてきたことに納得し、これからも読み継がれていくと感じた。
Posted by ブクログ
ずっと読んでみたかった作品。演技をしている自分他人の前でおどけてみせる自分をすごく冷静に見てたり女性と同じテンションではない自分を分かってるんだけどどっか自分に甘くて女関係も薬も沼っていく感じがすごく共感してしまった。葉蔵はほぼ太宰自身のことらしいけどどうなんだろう。ちょっと昔の文体?だしずっと心の中の独白と堕ちていく事しかないのにスルッと読めた。
Posted by ブクログ
【お、おもしろい】
あとがきの最後の一行を読んで鳥肌が立った。
この最後の着地をもって人間失格は名作になったんだと思う。
葉ちゃんほどではないがら誰しもが自分に重ねてしまう部分があるんじゃなかろうか。
自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。進められて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れができるような恐怖におびやかされているのでした。
物語としてインパクトのある描写がすーーっと過ぎてしまうのに違和感を持ちながら読み進めた。
言葉遣いが昔なので短編だけど読むのにちょっと時間がかかったがその分細かい描写が描かれていて現代の文学とは別の濃密さがあったと思う。
Posted by ブクログ
はしがきとあとがきで内容をサンドイッチすることによって、主人公の破滅的な人生を、読んでてつらくなり過ぎないよう、あくまで三人称視点で俯瞰しながら楽しめるようにしているのが読みやすかった。
解説に書いてあるように、一度精神病棟に入ってから人間としての太宰は死んで、余生を作家という生き物として燃やし尽くしたのだとしたら、太宰の死因は自殺じゃなくて殉職といっても過言じゃないかもしれない。
Posted by ブクログ
本書ほど一人の人間の人生に深く関心を持てる作品はないと言っても過言ではない。近代社会における著者の苦悩がありありと文字に起こされている。この短さにしてこの満足度は素晴らしいとしか形容し得ない。太宰の人生の濃さを知ればこそより楽しむことが出来るだろう。
Posted by ブクログ
空気を読み、愛想笑いをし、役割を演じる。世間の人々は人間関係の調整をしながら”普通”に生きている。一方、葉蔵にとって演技は人間関係の表面的な調整ではなく、存在全体の偽装と感じる。素の自分を出した瞬間、存在を否定されると恐怖する。葉蔵を否定するのは世間ではなく葉蔵自身。自分で自分を否定しているため、幸福が来ると「自分には資格がない」と感じる。葉蔵は自分を隠すため、命懸けの演技を続けているうち、何が自分の本音か、どこまでが役なのかわからなくなる。演技しているのではなく、演技しかなくなる。仮面を外した奥が空洞になり、”人間である”という感覚から脱落していく。太宰治『人間失格』1948
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五月のキュウリの青味には、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさが在る。太宰治『女生徒』1939
幸福の便りは待っている時には決して来ないもの。『正義と微笑』1942
駄目な人間は幸福を受け取るときでさえ、下手くそを極めるものである。太宰治『貧の意地』1944
かず子。旧華族の娘。家は没落、東京の邸宅を失い、伊豆の小さな家に引越し。母は弱気になり病死。弟(直治)が戦地から帰国するが、家の金を持ち出し、酒に溺れて自殺。かず子は元カレの上原を訪ね、一夜を共にし妊娠▼もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。私ひとりの力では、とても消す事が出来ないのです▼生きていること。やりきれない息もたえだえの大事業。太宰治『斜陽』1947
よい仕事をしたあとで一杯のお茶をすする。お茶のあぶくにきれいな私の顔がいくつもいくつもうつっている。どうにか、なる。太宰治『葉』1947
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爆撃のさ中に、幼児達は奇妙に泣かないものである。彼等の心臓は波のような動悸をうち、彼等の言葉は失われ、異様な目を大きく見開いている。(彼らの目は)必ずしも不安や恐怖というものの直接劇的な表情を刻んでいるというほどではない。理智的に思われるほど情意を静かに殺している。坂口安吾『白痴』 1946
私は悪人です、と言うのは、私は善人です、と言うことよりもずるい。坂口安吾『私は海を抱きしめていたい』1947
虚空・狂気・桜。坂口安吾『桜の森の満開の下』1947
自由を与えられれば与えられるほど生きるのはつらいんだよ。縛られれば縛られるほど生きるのは易しいんだよ。坂口安吾『作品 創刊号』1948
Posted by 読むコレ
再読。晩年に心身ボロボロの状態で自身の思いの丈をぶつけた手記的な作品、という印象でしたが、全く異なりました。
言うなれば(生意気ですが)冷静そのもの。
主人公の持つキャラクター性は、世間一般に知られる著者の性格とはきちんと一線を画している様ですし、物語は伏線を張るなどしてリーダビリティにも気を遣っていた様子。ましてやコミカルな描写まで抜け目なく挟まれており、まさか人間失格でちょっと笑わされてしまうとは!
氏がどんな心境で本作を執筆されたかなど知る由もありませんが、作家の気迫と矜持は見せつけられました。
すげえ。
Posted by ブクログ
この世界では生きるのに向いていなかったんだね。繊細で神経質で考えすぎの優しい人だったんだろうなと思う。
太宰の自伝的小説みたいなので、最後の1文は、自分は人間失格だとは思いつつも肯定してあげたい気持ちがあったのかな。
「ただ、一さいは過ぎて行きます。」
この言葉が刺さったなぁ。
Posted by ブクログ
暗い話なのにどこか引き込まれる…
主人公が太宰治なのかは分からないけど、
こういう
「ちょっと暗くて、面白くて、隙がある」
感じの人がモテるのはわかるなあ…
本章自体は短いのでぜひ読んでみてほしい。
Posted by ブクログ
生きづらさを感じることへの共感、理解というものが、現代とは異なる時代での孤独(道化を演じる辛さ)は計り知れないが、葉蔵が自分の容姿が良いことなどを利用して女性にお願いを頼む時に「キスしてあげようか」と言っていたのはとても気持ち悪いなと感じた。そしてそれに魅入られお願いを聞いてしまう女性たちにも同様に気持ち悪さを感じた。
「恥の多い生涯を送ってきました。」
から始まり
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。」
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分の過去、今が幸せなのかしんどいのかに関わらず、時間や日々は過ぎていくのだという言葉は生きていく上で大事にしたいと思った。
Posted by ブクログ
言わずと知れた作品だからという理由で手に取った。
共感と軽蔑を繰り返しながら読み終えた。
他人に恐怖する気持ちなんかには共感できて、恵まれているくせに生きづらそうなところや自ら破滅の道に進むところにはイライラした。
だけど最後のページ、最後の一文で作品に対する印象がガラっと変わった。
マダムからみた主人公の印象が明かされて、とても切ない気持ちになった。
Posted by ブクログ
葉蔵というのが主人公の名だが、物語を読んでいくとまんま太宰治の投影だということが分かる。世間という個人を恐れながら、女と薬と酒に溺れていく様は、鬱病の自分に近しいものを感じた。古い文体なので、理解はしづらかった。
Posted by ブクログ
この本ははしがきのぶっ飛ばし方からして凄まじい。
久々に読んで改めて思った。人間が見せる人間らしくない造られた一面が子供の頃から出ており、それがゆくゆくの失格のルーツになっている。
淫売婦の軽い好意がとても心地よかったり、世間がどう思うかという説教は実は世間というより貴方の意見では?という問いだったり、誰かしらが金の工面を何とかしてくれたり。
この辺りは、当時読んだ時も印象には残っていたが、今は少し共感できる部分がある。ここまで薬つけになることはダメだし、彼の崩壊と一緒にしてはいけないが、どこか他人事ではない。
主人公を「人間失格」の対象として見ていたのが、自身にも少し重なってきたような気がする。そういう人はいるだろうか。
特に最近読んだ世界99の主人公もあらゆる人物にトレースして倫理的にグレーゾーンなコミュニケーションをしていたよな。。。やっぱ現代にも生きるな。と思った。