太宰治のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
※こちらに収録された『待つ』のみの感想です
人が一番不安を覚える行為。それは待つ、ことかもしれない。
次に起きること・遭遇するものを充分に想像できてしまっているのに、
その予想を裏切られ、考えてもいなかったことと向き合うことになる。
そんな気持ちに駆られることが「待つ」の持つ一面だ。
しかし、そうなる可能性を背負うことは放棄できない。
主人公の娘は、誰もが逃げたくなるその事実に
まっすぐぶつかり、壊れそうになるまで考え、悩む。
彼女は、きっと、きっと幸せになれる、と私は確信している。
たった4ページの掌編小説が、もう何年も脳裏に焼きついている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ幸福は一生、来ない。
待って、待って、待ちきれなくて家を飛び出した次の夜にやってくる。一夜遅れて。
そんなことわかっているけれど、眠りに就く前に、明日の幸福を願わずにはいられない。
そういったいじらしさ、愚かさを、少女の成長の葛藤を交えて描いている。
心の成長というと、スポーツや青春ものが多くヒットするような気がするけれど、これも成長の一種だと私は思う。
むしろ、スポーツとも青春とも縁遠い中学高校時代を送った私からすれば、
こういった、誰も答えを教えてくれない、正しい道も、抜け出す術も教えてくれない、
ただ「大人になれば笑い話として懐かしむことができる、今はそういう時期なんだ」とだけしか助言を得られない壁を
よじ登ろうと躍起になって足をかける話こそ、思春期の成長を表現できているんじゃないか、と思ったりも。
少女の、正しくありたい、世間さまから「いいお嬢さん」と思われたい、という願望と、
それに伴わない自分の狡猾さへの嫌悪、女であるから知っている女の醜さへの嫌悪、
本能によって、自分だけを一生は愛せないこと、感情やら理性やらを貪りながら自分を見失ってしまうこと、の哀しさ、
子どもであった時の自分の純粋さと恥じるべきわがまま、
大人になっていく自分の、いろいろな知識を得て、思春期に振り回される感情。
それらをぜんぶごちゃごちゃにかき混ぜて、どろどろな少女の世界、思考を描いている。
それなのに文体はとても美しく感じてしまう。たとえるなら千代紙みたいな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ学校の国語の試験で、作家の意図は?という問題がよくありました。
採点結果を見ると、どうしても納得できないことがよくありました。
本当に、作家は、それを意図したのでしょうか?
作家の意図は単純ではないのではないでしょうか?
走れメロスは、分かりやすいかもしれないし、太宰らしくないかもしれない。
作品ごとに別々に読むか、作家ごとまとめて読むかは、その人の好みです。
ただ、複数作品まとめて搭載している本を買うかどうかは、迷うかもしれません。
富嶽百景だけでも価値はあるし、走れメロスだけでも価値はあると思います。
両方好きになる必要はないと思いますがいかがでしょうか。 -
Posted by ブクログ
最低な男である。いつも人の顔色を伺っているくせに、自分に好意的な人の気持ちは踏みにじる。他人が自分を受け入れてくれないと傷つくのに、自分は他人を受け入れようとはしない。自分から社会に背を向けておいて、社会から拒否されたと言って嘆く。自分の感情にばかり気をとられて、他人の感情を思いやるゆとりがない。自分のことしか考えられない、情死の相手の名前すら覚えていない、そんな男。
そんな男の告白を、他人事だと切り捨てることができないのは何故だろう。実在したらとても付き合いきれないはずのこの男に、惹かれてしまうのは何故だろう。一人の弱い男が転落していくだけの話なのに、そこに祈りを見てしまうのは何故だろう。
私の中にも、彼の持つ「非合法」な何かがあるからだろうか? それとも、私は所詮「合法」の人間で、彼――というより、作者・太宰の、血を吐くようなお道化のサーヴィスを、憐れむふりをして楽しんでいるだけなのだろうか? 安全地帯から彼を見下ろして、こんな駄目人間でなくて良かったと、胸をなでおろしているにすぎないのだろうか? そもそも、この告白はどれが事実でどれが創作なのか、どこまでが本心でどこからが演技なのか?
とにかく無数の「?」が頭に浮かび上がる。ある場面では主人公の駄目っぷりにイライラさせられながら、別の場面では「その通りだ!」と一緒に叫びたくなってしまう。読んでいて、こんなに心を掻き乱される小説は、そう多くない。しかも、どうしようもなく泥沼な心理状態を描いているのに、文章としては圧倒的に美しいのだから不思議だ。
さらに、肝要な点が語られていないのも不思議だ。なぜ主人公がかくも執拗な対人恐怖に苛まれることになったのか、父との確執や幼少時の性的虐待に鍵がありそうなのだが、それらについては不自然なほど僅かにしか語られていない。書かなかったのか、書けなかったのか。赤裸々に告白しているようでいて、核心に触れることは決して許さない、そんなミステリアスな所にも惹かれてしまう理由があるのかもしれない。
物語の終盤に主人公が達した、「ただ、一さいは過ぎて行きます」という心境は、絶望なのか、それとも救済なのか。それは読者が自分で判断するしかない。この作品は太宰の事実上の遺稿だというが、ここまで人生を捧げなければ人々の心を震わせる傑作は書けないのだとしたら、文学とはなんと激しく凄まじいものなんだろうと改めて思う。それはともかくこの作品は、極めて技巧的な優れた小説でありながら、小説という枠を超えた特殊な代物であるように、私には感じられた。