あらすじ
己は人間として「失格」なのだと断ずる男・大庭葉蔵は、三つの手記と三葉の写真を残して消えた。1948年、入水直前の太宰治が筑摩書房の雑誌「展望」から放った異端にして普遍の世界的人気作。初版単行本表紙&本作冒頭の直筆原稿を掲載したカラー口絵付き。
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Posted by ブクログ
・世間、って世の中ではなくて個人
・同じ穴の狢だと思ってた堀木が自分とは違い何一つ失っていないと知った時、自分のことを見下していたことに気づいた時
・何があっても自分を信頼してくれていたヨシ子が、その純粋な心ゆえに人に騙されてしまうこと、それによって2人の関係性も破綻してしまうこと
・あとがきのマダムのことば「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
そんな人がかかえる内側の苦悩
高校生の時に読んでなにもわからなかったけど、今読み返して良かった
Posted by ブクログ
太宰の自伝的小説。葉蔵の偏屈で冷め切っており、妙に謙って且つプライドの高さが感じられる作品。
(自分に重なる部分が多々あり苦しくなりました。
道化を演じていたり、論争ができなかったり、友人を馬鹿にしていたり)
子供の時から何にも興味がなく、食にも金にも。只、普通を演じる為、選んだ道が道化だった。
それは家族の前でもであった。
唯一、中学時代の冴えない竹一という親友には、全てを曝け出せ、
女にもてる いい画家になる が彼が私に対する予言でした。(後に前者は当たりますが、後者は微妙な漫画家止まりでした)
鎌倉の高校を行ったりサボったりしている間に堀木雅雄と出会います。内心見下した形でつるんでいましたが、他に仲間もいない為、仕方ありません。
葉蔵は、夜の街を遊んでいると自然と、淫売婦の忌まわしい雰囲気を手に入れるのでした。
そこでツネ子という淫売婦と一夜限りの関係を持つのですが、
堀木を連れて飲みに行った際、席の並び的にツネ子と堀木がキスをするかと思いきや、堀木がやめた!流石にこんな貧乏臭い女とはできん!と ツネ子に言い切るのでした。
ツネ子を不憫に思うのと同時に、貧乏者同士の共和といいますか、初めて恋に落ちる感じがしたのです。
散々飲んだ翌日、2人は入水自殺をするのでした。
ツネ子は死に、葉蔵だけ生き残り、自殺幇助になりそうな所、病弱そうな見た目により、起訴猶予となりました。
そこで、父は怒りの為、父の使いのヒラメ(平目にいている)の自宅の2階に住む事となった。しかし家を出る事も許されなく、何もなす事がない葉蔵の扱いも悪くなり、ある時聞かれます。
将来どうするんです?
葉蔵は 画家になる と伝えるがヒラメはええええ
とこちらも恥ずかしくなるような反応を見せた為、
葉蔵はヒラメ家を飛び出す事となりました。
向かう所は見下している堀木の家しかないという惨めと思いながらも、堀木家へ向かいます。
堀木は在宅しており、お汁粉を頂いた後、女性記者のシズ子が電報を届けにきます。
ヒラメからでした。すぐに戻るようにと。
シズ子が送っていきましょうか と声をかけてくれました。
シズ子は5年前に夫を亡くしており、シゲ子という娘と2人暮らしをしていて、娘の相手がてら、
シズ子の家に転がり込む形となります。
しかし、暫くして、結局は自堕落な自分がいるとこの家族がダメになると思い、また家出をします。
バァの2階で相変わらずの自堕落の生活をしている中、向かいのたばこ屋の娘、ヨシちゃんと酒を辞めるという条件で結婚します。(初日から破ってはいるが、ヨシちゃんがそれを認めません)
新婚生活の中、堀木とまた飲み歩くようになります。
葉蔵の家で飲み直している所、堀木は冗談半分で
お前は羞恥心を捨てている
お前は、どうにもならない
散々心の中で馬鹿にしていたはずの人間に見下されていたことに唖然とします
そして家内のヨシ子が、よくうちを訪ねる商人と
関係をもっていました。
葉蔵がかねて憧れる無垢の信頼心に漬け込んだ、行為であり、またヨシ子の無垢の信頼心を奪う行為でした。堀木が大きな咳をするのが精一杯で、葉蔵はすぐ様、屋上へ逃げるのでした。
それ以来、ヨシ子はおろおろするようになりました。
葉蔵も心労が溜まり、更に酒が増え、歯も体もボロボロです。
ある晩、砂糖水を飲もうとした時、ジオールという睡眠薬一箱をみつけます。
葉蔵は致死量の、一箱全てを飲み寝ます。二度目の自殺未遂です。
三日間起きず、起きたら、堀木とヒラメがおり、女のいない所にいきたい と告げました。
また飲み歩いているところ、吐血しました。
薬を求めて、薬局の老婆に酒はやめた方がいいとの助言から、酒よりはマシと渡された
モルヒネを打つようになり、あっという間に薬物中毒になってしまいました。
ヒラメ達に、脳病院に収監され、さらに廃人。人間失格となってしまいました。この時、27歳。めっきり白髪が増え40歳以上に見られます。
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後書きの「神様みたいないい子」という一言がこの本の本質だと思った。過敏な繊細さを隠すための道化、他者を拒絶できない不器用さ。主人公の破滅は愚かさではなく過剰な優しさゆえのものだと思う。古い物語だが、同調圧力が強い現代社会の構造と似ており、人間の本質について考えさせられる作品だった。
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◯人への強烈な不安を描いているのでは
3つの手記をもとに、葉蔵の人生を描いている。お道化を演じながら3人の女性と過ごし、人間への不審や戸惑いを感じながら生きる葉蔵。人間として生きることに苦しみ、最後は自分で自分に「人間失格」の烙印を押す。葉蔵の苦悩がありありと具体的に語られていて面白い。
さて、葉蔵の苦悩は痛いほどわかるところが多くあった。例えば、地主の父親が懇意にしている政治家の演説を聞いた人たちが帰りに政治家の演説や父の悪口を言うのに、当の父の前では称賛する場面。このような、「実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信」があることに葉蔵は嫌悪感を感じる。たしかに、まだ自分には、外面はいい顔をするのに裏では悪口をボロカスにいう人がいると苦しくなる。自分が嫌われたくないという思いをまだ捨てきれていないからだろうか。そんな、人間の影の部分にたいして、葉蔵は苦しんでいるように感じる。
私の場合、そんな世界を受け入れるしかないとは思いつつも、傷つきたくない自分がいる。(悪口を言われて、傷ついたとして何が悪いのか)とおもうが。
でも、結局は、そんな嫌な気持ちも幸せな気持ちも葉蔵の最後の言葉に収斂されていくのだろう。
「いまは、自分には幸福も不幸とありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。」
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太宰治という名前は知っていたが、読んだことはなかった。こんなに読みやすいのか、こんなに自分の心の中に素直な人か。と思いながら読んだ。主人公はただ生きるのに器用すぎて不器用で、でもなんとなくほっておけない、いわゆるだめんずだなあ。でも、そうでしかいられないんだよね。名著である理由がわかったし、思ったより全然読みやすい。、
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何度目かの再読
いつ読んでも不思議と新しさを感じる
いや、ただの痴呆か
確実なのは読んだ年齢、状況の違いで共感部分が変わること
また読むだろう
Posted by ブクログ
2026/02/01
神に問う。無抵抗は罪なりや?
堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人という刻印を額に打たれる事でしょう。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
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内なる葛藤が激しく、脆く、恐ろしい。周りと違うことを憐れんでいるようで、己を特別な存在だと思っているようにも見えた。そんな穿った見方をするのは私の歪みだろうか。身に覚えがあるからか。叫びのような言葉を浴び続けてしばし放心。圧倒されて夢中で読み耽った。最高。
Posted by ブクログ
人間失格は新潮文庫で3回読んでるが、帯の場面が大好きなのと他の人の解説を読みたくて購入。自分へのクリスマスプレゼント。
帯の「それは世間が許さないではない。あなたが許さないのでしょう」という場面が1番好き。ずっと心に残ってる。筑摩書房がそこに焦点を当ててくれてこの上なく嬉しい。SNS上の不毛なやり取りにも通ずるものがある。
古典の条件は時代が変わっても新しいことにあるというが、その定義でいうと人間失格は間違いなく古典。解説にもあったが、現代の問題意識に通ずるものがある。
解説も名文だったな。気軽な気持ちで読んで欲しいというのが頭に残っている。筑摩書房と太宰の関係も知れてよかった。
Posted by ブクログ
人と関わることへの恐怖や自己否定の感情が、痛いほど率直に描かれていると感じた。
主人公は常に他人の顔色をうかがい、道化を演じることで社会に適応しようとするが、その姿は次第に自分自身を追い詰めていく。
有名なフレーズ、「恥の多い生涯」という言葉に象徴されるように、主人公が自分を許せず、社会からも切り離されていく過程は、弱さや醜さを隠さずにさらけ出す語り口でやや不快ですらあるが、その正直さゆえに強い説得力を持っており、それに惹かれ読み込んでしまう。
暗く救いのない物語でありながら、人が人として生きることの難しさを突きつける作品である。
読む側の心の状態によって、共感にも拒否にも変わる点が、何度も手に取り、読んでしまう理由なのだろう。
Posted by ブクログ
幼い頃から人間という存在を恐れ、道化でごまかしてきた主人公。人間である以上逃れない「人間の条件」から逃げ続けた末に、やがて破滅へと至る過程がとてもドライに描かれている。
自分にとって苦手なことや、時には恐ろしいと感じることは、人生の中でいつかは決着をつけなければならない。そんなことは誰にもいくつかはあるはずだし、だからこそ誰もが何らかの歪みを内に秘めているのだと思う。主人公の惨めな生き方に腹が立つと同時に、心情的に妙に共感できる部分があるのも多分それが理由だろう。
読み終えたとき、とても暗い気分になり、このストーリーをどう受け止めれば良いのか混乱したが、自分の内面を映す鏡として機能しているように感じた。
Posted by ブクログ
ごつごつの文章。リズムはまずまずなので最後まで読める。
内容は身を持ち崩した男の物語。この本はタイトルの妙と当時としては衝撃的なダークな人生の内容でつづった小説、ということか。
このあと、同様な本は山ほど出ていて、表現や構成が「人間失格」よりずっと良いものもある、ということか。
この本が書かれたのは戦後の1948年。読んでみた感想として明治期の本かと思っていた。
Posted by ブクログ
最後の畳み掛けは圧巻でした。
太宰治の文章にはストーリー性があって、やや難解な語を使っている所もスラスラと頭に入ってきました。多分意識されてるのかな?
肝心の内容はここでは話しませんが、読んでいる内に感情が奥へ奥へと引き込まれていく感じで、思わず見とれてしまいました。締めは、太宰治の矜恃とも言える、圧巻の締めでした。
読んでみてこの感覚を味わってみてください。基本的に読みやすいので、若者の方にもおすすめできます。
Posted by ブクログ
初めての太宰治。思ったより暗めの物語で、出口のない感じが凄かった。様々な社会問題が取り上げられており、それが今の現代人にも刺さっているのではないかと思った。「人間失格」な葉ちゃんが結局一番人間っぽいのではと感じた。
Posted by ブクログ
素直な感想だと
共感できる事はあるが、共感しきれないだった。
主人公程、自分の気持ちを理解してそれを抑え込める程我慢強く器用じゃない。
自分は何を求めてるのか今でも分からない。楽したいけど楽すぎても嫌やという我儘な性格なので、、、
自分の欲そのままに生きたら人間として駄目になる、この人間は社会の中で生きる人間の事なのかなと浅はかに思いました。
Posted by ブクログ
人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
このフレーズがとても好き!
太宰治初めて読んだけれど、こんなに読みやすいんだと驚いた!
勝手に読書最上級者じゃないと読みづらいかなと思ってた!
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学生時代に読んだという人が多いと思う。
もしそうであっても、25〜29歳あたりの人が読むとまた違った印象を抱くと思うので、是非再読してほしい。
Posted by ブクログ
主人公の「自分は人間失格」っていう徹底した自己否定のものがたり。人の感情に本当に敏感で、感受性や観察力が鋭い。それ故に壊れていく過程が悲しい、、
コンビニ人間の主人公と真逆
Posted by ブクログ
恥ずかしながら太宰治はすごく昔の人だと思っていたのですが、あれ?自分の祖父と同年代かも?と気がついて、急にものすごく親近感が湧いて読んでみることにしました。
意外と読みやすくてびっくり。
主人公の心情もわかりやすい。
だけど、私はあまり共感はできませんでした。
人間が怖いというところはなんとなくわかるのですが、
人間が怖いから道化を演じるって、ものすごく器用じゃない?いやいや人間関係しっかりやってくスキルあるよーっと思ってしまいました。笑
人の心の中をここまで詳細に知ることはなかなか無いから、そうか、ふだんふざけてるあの人も実はみんな演じているだけなのかも?など、身近な人をもう少し深く観察してみたいような、知りたくないようなそんな気持ちになりました。
私はどちらかというと、おバカなフリよりも良い人のフリをしてしまうので、さらに愚かだなと反省しました。
Posted by ブクログ
私はこの本を読むのに三度挑戦した。
一度目は序章で止まり、二度目は幼少期の部分で読むのをやめてしまった。そして三度目で、ようやく最後まで読み終えることができた。だから今回読み終えたこと自体に、ある種の達成感と意味を感じている。
人間失格を読み終えてまず感じたのは、これは単なる文学作品ではなく、まるで自分のために書かれた本のようだということだった。それほどまでに主人公・葉蔵の姿は、自分の内面と重なる部分が多かった。
特に強く共感したのは、葉蔵の幼少期である。
彼は人の顔色をうかがいながら生き、道化を演じることで周囲の人間関係の中に自分の居場所を作ろうとする。
それは単なる性格ではなく、むしろ人間社会の中で生き延びるための生存戦略だったのではないかと思う。自分の本心を隠し、笑わせる役を演じることで場の空気を保つ。その姿は、幼少期の自分と重なる部分が多く、読んでいて胸が痛くなった。
近年「アダルトチルドレン」という概念を知ったとき、私はそこに強い共感を覚えた。アダルトチルドレンとは、機能不全の家庭環境の中で育ち、大人になってからも人間関係や自己認識に影響を抱え続ける人を指す。
葉蔵の「道化」という生き方は、このマスコットの性質と非常に近いように感じた。
人を笑わせることで場を保つ。
自分の本音は決して見せない。
人間が怖いからこそ、先回りして人を安心させる。
その姿は決して誇張されたものではなく、むしろ現実にも存在する心理なのではないかと思った。
また印象に残ったのは、葉蔵が社会や家族への反骨から、次第にイリーガルな行為へと流れていく姿である。
彼はただ堕落したのではなく、どこかで社会そのものに違和感を抱いていたのではないかと思う。
さらに、葉蔵が抱えていた「やりたいこと」と「生活」との間の葛藤も強く印象に残った。
彼にとっては絵を描くことが本来やりたいことだった。しかし現実には生活のためのお金が必要であり、その折り合いをうまくつけることができない。
理想と現実の間で引き裂かれるような感覚。
生きてはいるが、どこか死んでいるような感覚。
その姿にもまた、自分と重なるものを感じた。
そしてこの作品の中で特に心に残ったのは、ヨシ子の事件である。
葉蔵が感じたのは単なる嫉妬ではなく、「綺麗なものが汚された」という感覚だったのではないかと思う。
ヨシ子は疑うことを知らない、純粋で綺麗な心を持った存在だった。
しかしその純粋さゆえに無防備であり、結果として傷つけられてしまう。
葉蔵はその純粋さに惹かれ、同時に守りたいと感じていたのではないだろうか。
その感覚もまた、自分の中にあるものだと思った。
この作品を通して感じたのは、葉蔵は「人間そのもの」に失格だったわけではなく、世間一般が定義する「普通の人間」から外れてしまった存在だったのではないかということだ。
私の中では、葉蔵は報われていない。
そしてこれからも報われることはないだろうと思う。
あまりにも多くの傷を負いすぎてしまったからだ。
もし生きること自体が最大の苦しみであるならば、
死ぬことでようやく報われる存在もいるのかもしれない。
そんなことを考えさせられる作品だった。
そして読み終えた今、私はこう感じている。
葉蔵は私そのものではない。
しかし、私の中にも確かに葉蔵が存在しているのだと思う。
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人は本当の自分を見せずに生きることもできるし、周囲に合わせて関係を成立させることもできる。しかしその一方で、自分と他人の間には常に見えない距離があり、完全に理解し合うことは難しいのではないかという感覚も感じた。
葉蔵の幼少期の心理には、自分の経験と重なる部分があった。人の顔色を読み、相手が望む行動を先回りして取る感覚は理解できる。そのため物語の前半では強い共感が生まれた。
しかし物語が進むにつれて、葉蔵が同じ逃避を繰り返し、自分を変えようとしない姿を見て、共感は徐々に距離のあるものになった。苦しさは理解できるが、そこから抜け出そうとしない姿には疑問も感じた。そのため、葉蔵の生き方を「理解できるが共感し続けることはできない」と感じた。また、恋愛でよく聞く回避型の重症版なんだろうなと思った。こう本を通して他人の人生を客観的に見るとなんで簡単なことなのにしないんだとか、こうしたらいいのにとか簡単に言えるけれども自分のことになると急にその簡単なことがとてつもない大きな壁に見えて怖いこともわかっている。その感覚を持ち合わせながらもこう自分の弱さを認めて、そんなこと気にしなくていいのにと思えるようになりたいなとおもった。
また、この本が現代でも多くの人に読まれている時点で、こういった葉蔵のような感覚を持ち合わせている人は一定数いて、どこか共感できる要素を持ってる人が多いのかなとかんじた
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大学を卒業する前に読んで以来、2度目の『人間失格』
前回は新潮文庫のを読んで、以下のような感想を記していた。
/「名作」と言われているので、タイトルに惹かれたのも含め、ずっと読みたかった。
読みやすかったけど、しっくりこなかった。
また年を経て、読み直したい。/
そこから社会に出て幾年経って打ちのめされた私は、この作品に共感せられるようになった。
完全に自分のことを書いている、とは思わないが、分かる部分が多くて、自分の内面をこんなに描写してくれた太宰に感嘆した。そして、自叙的なんだけど、あくまでもフィクションの小説に仕立てるあたりは、読み終えてため息が出た。
(ただ、追い詰められてにっちもさっちも行かなくなって薬物に溺れていく描写には、読んでいて心臓が早鐘を打つ感じがして、恐怖を覚えて少し手を止めたりはした)
ここで、母と友人の『人間失格』への印象を記す。
母「あれでしょ、クズでどうしようもない男がぐちぐち言っているやつでしょ」
友人「数頁読んで面白くないと思った。つまらんなあって」
私は、母と友人のそれらの感想を聞いて、そして彼等の私から見えうる性格を鑑みて、妙に納得した。特に友人は、私より賢く、健康的で、現実的に考えて生活をしていると思えるから、そういう感想をもって然るべきと思った。そして、私はその友人を尊敬して頼りにもしているし、気も合う。
ただ、私は現実的より情緒的に生きているというだけのことだ。だから、太宰作品の暗さを、内面をえぐっていくどうしようもなさを、自分との共通部分として面白く感じることができる。
それが、いいとか悪いとかはない。少なくとも生きづらい。でも、太宰作品を楽しめる。
私はそういう人間である。
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人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡りに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。
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大なり小なり人間は仮面をかぶっている。主人公は幼少期にそれを隠しながら生きていく。周囲を喜ばせるためのおどけをやったり。自分にも思い当たるところがある。自分の子供もそのような行動を幼児の時からやっている気もする
初めてのオーディブル小説。ナレーションもよく大変満足
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葉蔵の孤独や生きづらさは、本当に特殊なものなのだろうか?
自分は「世間」とは何かがどうも異なる。決して理解し合ったり心を許すことができない。だけど道化で「世間」に紛れ込む。
誰かの書評を見て、自分と主人公は重なる部分があるのではないかと思ったことがこの本を読んだきっかけだった。
葉蔵は容姿に恵まれ、面白いことも言える。これは、人間社会で生きていく上で大変な武器だと思う。たとえ自分と世間との隔たりを感じても、葉蔵は社会に受け入れてもらえているではないか。だから葉蔵はなんて贅沢なんだろうと思った。
でも、容姿が良かったことがかえって葉蔵を甘やかし、不幸になってしまったのではないかと思う。女性から言い寄られ、かりそめにも孤独を癒すことができてしまった。自分から努力して相手を理解する必要が無かった。自分が優しくしなくても、葉蔵は誰かに救ってもらえた。
ヒモのようになってしまえば、一生懸命働く必要も無く、現実的な悩みが少ないため、悪く言えば暇で、より葉蔵の関心は内に内にと向かってしまったのではないか。
自分の内面を見つめすぎて、囚われすぎてしまうと、どんな人でも破滅できてしまうと思う。
葉蔵が「こうである」と評価した周りの人々1人1人は本当にそれだけの人間だったのだろうか?例えば捕まった時に話しかけて来た刑務官や、その後面倒見役になった人など。
葉蔵は「優しい」と評されていたけど、一緒に自害しようとした女性のことを何とも思わなかったり、その女性の家族のことも考えず、恐ろしいほど人に無関心で薄情だと思った。
それこそがこの本のテーマだったのだろうか?
葉蔵の1番の生きにくさは、人に関心を持てないことでは無いか?
一回では理解しきれず、感想が難しくうまくまとまらなかった。
けど、同じ境遇でも、葉蔵が容姿に恵まれていなかったら、もう少し平凡に生きれていたかもしれないとは思う。
Posted by ブクログ
自分とは真逆で共感できなかったけれど、いつも明るくおどけて容量の良い、しかしどこか取り繕ったところが垣間見えるタイプのあの人が思い浮かんだ。意外とああいうタイプにも繊細だったり、何かしら苦悩があったりするんだなとは思った。
Posted by ブクログ
版は色々ありますが、本家本元 筑摩書房から昨年出た新装文庫が、初単行本のオマージュっぽくて最高です。
道化を演じることでしか社会と繋がれない主人公・大庭葉蔵が、他者への恐怖から破滅へ向かう半生を描いた物語。
一見すると特殊な転落劇ながら、根底にあるのは誰もが隠し持つ「自分を偽る苦しさ」や「世間への恐怖」。多かれ少なかれ共感するところがあるから読み継がれるんでしょうね。
人間のエゴに絶望しつつも純粋さを求めていたこと。痛々しいほどの自己開示が、時代を超えて読む者の心を打つ普遍的な作品だとしみじみ思います。
Posted by ブクログ
葉ちゃんの気持ちはわかるーけど、ここまで悲観的で向上心もない考え方には疑問。悲観的な部分しか敢えて書いてないのかもしれないけど。斜陽の方が好きだったなー
Posted by ブクログ
太宰治といえばこの作品。自伝的小説とのことだが、怠惰な生活や繊細な雰囲気から太宰治像が読み取れた。あんまり好みではなかった。よほどモテたのだろう。