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日本文学を代表する天才作家の名作11篇!
没落貴族の家庭を背景に、滅びゆく高貴な美を描く「斜陽」。太宰文学の総決算ともいうべき、小説化された自画像「人間失格」。ふたりの若者の信頼と友情を力強く表現した「走れメロス」。家族の幸福を願いながら自らの手で崩壊させる苦悩を描き、命日の呼び名となった「桜桃」など、11篇を収める。
奥野健男氏のくわしい年譜、臼井吉見氏のこまやかな作品案内と作家評伝付き。
<収録作品>
斜陽
人間失格
ダス・ゲマイネ
満願
富嶽百景
葉桜と魔笛
駈込み訴え
走れメロス
トカトントン
ヴィヨンの妻
桜桃
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Posted by ブクログ
東京から遠く離れた地方に住み、日頃は仕事でほとんど休みもない私。先日、東京都三鷹市を訪れ、念願だった太宰治の入水◯◯現場とお墓、文学サロンに行けました。
サロンではボランティアの方から太宰の話をたっくさん伺い、太宰について私なりに学びを深められ、その魅力を改めて感じました。
それで太宰を読み直すことに。
私は、人間失格が傑作と思います。
ダメなダメな、人間として至らない情けない自分を許してもらいたい、肯定したかったんだなぁとすごく伝わってくるからです。
誰しも欠けたる存在ですよね。許せない面は持っています。その欠けたる部分が苦しくてたまらない時がある。
でもこの作品の最後の場面のように、誰かにあったかくそこを受け止められたら。
こんな自分でも、生きる価値があったと思えます。
Posted by ブクログ
まず、ラインナップがよかった。
太宰には名作、傑作と呼ばれる作品がたくさんあるが、本書に収められたのはその中でも選りすぐりばかりで、太宰を今まで触れてこなかったような人でも、太宰文学のエッセンスを感じ取ることができるし、太宰特有の暗さ、ニヒルを与えすぎない。
私は太宰のニヒリズム全開の小説は好きではない(むしろ嫌い)なのだが、そうしたものはこの本には入っていない。ラインナップがいい。
この中だったら、特に「斜陽」「人間失格」は本当に良いと思う。どちらも中高生の頃に読んだが、当時は全く違う読み方をしていたと言わざるを得ない。大学生になってから読んで良かった。
前に書いた太宰の新潮文庫の方にも感想を書いたので、そっちで触れなかった作品の感想をちょっとだけ書く。
「斜陽」
戦後の没落貴族の話。衰退していく、没落していく儚さの中にも美しさがあった。しかも主人公は単なる没落で終わらず、既存の道徳感、価値観を乗り越え、まさに「革命」を起こしたのも印象深い。基本的にその二軸で展開されたが、個人的には主人公の恋の革命家要素よりも、母や弟の没落貴族としての美しさが心に残った。
「葉桜と魔笛」
これもいい話だった。恋を知らずに死にゆく妹を気遣う姉の話、かと思ったら、妹は姉よりも色々と知っていて、姉のとった行動が切ないしおもろい。えーーってなった。アホみたいな感想を書いたけどすごく味わい深い作品。
「トカトントン」
ある男が何かに熱中しそうになると、どこからともなく「トカトントン」と聞こえてくる。そして、さっきまで熱中していたものに、スンと冷めてしまう。男はこの「トカトントン」から逃げられない。
寓話っぽい話なのかな?と最初思ったら、最後、その男に対する筆者のコメントがエグかった。
「気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。(中略)いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。」
さすが、苦悩に向き合う小説家だと思った。
しかもここまでドストレートに抉りにくるのも、凄まじかった。
「ヴィヨンの妻」「桜桃」
「ヴィヨンの妻」が、家庭を放棄し、人生の苦悩から逃れられない、それでいて本当にどうしようもない男、大谷(多分ほぼ太宰みたいなやつ)と、大谷と同じ価値観であるわけでもなく、どちらかというと鈍いような、純粋であるような、逆に鋭いのだけれどどこかひたむきな、女性の話。「人間失格」もだが、この話を読んで太宰って妻寝取られたことあるのかなと思った。
「桜桃」はさくらんぼのことらしい。基本的に本音をあまり言い合えない、雰囲気的な夫婦喧嘩っぽい話で、桜桃は最後にちょっとだけ出てくる。「子供よりも親が大事。」というのはいかにも自分のことで精一杯な太宰らしい。
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3/26 再読
母の誕プレに買って、あげる前にちょっと読み返した。太宰の好きな短編「駆込み訴え」「トカトントン」だけ読んだ。
「駆込み訴え」
「駆込み訴え」は、言うなれば「第五の福音書」だ。
福音書は基本、イエスの使徒などによって、イエスの人物像とその歩みを伝えるために書かれたものだ。しかし、「駆込み訴え」の斬新なところは、イエスの裏切り者、イスカリオリテのユダ視点で見たイエスを描いているところだ。もちろんイエスの教えを賛美する話ではないので、(そもそもユダ執筆となっている時点で既に)新約聖書に入れられる資格はないのだが、「使徒視点で描かれたイエス」というテーマは福音書と同じだ。
最初に読んだ時と比べて、新約聖書の福音書を読んだ経験が効いた。驚いたのは、この「駆込み訴え」が全く他の福音書と矛盾しないように、細心の注意を払って描かれてることだ。なるほど、ユダ視点で、聖書の裏話として書いてみようとなるとこうなるのか、と驚愕させられる。(ユダを選んでるところもちょっと太宰っぽい)この「正史との矛盾のなさ」も、この短編が「第五の福音書」と言えそうな特徴だ。(イエスの「奇跡」は全部ユダが調達したことにしてるのがおもろかった)
他の作品を読んでても、太宰は新約聖書が好きなんだろうな、と思うところはあったが、この短編は、太宰の聖書に通じた面が全開に出た傑作だと思う。
最後に内容に踏み込むと、ユダとイエスの「人間っぽさ」が良い。作中では、ユダはイエスに対して「自分とは正反対」と述べているようなところがあるが、それも結果的にそうなっただけで、ユダとイエスはとても近い人間なのだと思う。どちらも弱い人間で、誰かの助けを必要としてる。(ユダは実際、他の使徒に流されず、正しくイエスの人間を理解していた。)そしてユダは、イエスに愛情的に依存する。これが性的な愛であるかは読み方によると思うが、その愛は最終的に愛憎となって、ユダは「裏切り者」に転じる。そのユダの精神的な弱さや、相手より自分の気持ちの方が理解できない落ち着きのなさが、ユダの口調から猛烈に伝わってくる。裏切り者といえば裏切り者だし、賎民といえば賎民的なのだが、めちゃめちゃ「人間」っぽい。太宰はこういう「人間」を描くのが本当に上手いな、と思った。
「トカトントン」
前読んだときに割と良くまとまった感想を書いていたので、被らないように思ったことをふたつ書きたい。
【「トカトントン」失恋事件】
主人公の男は、なにをしようにも、「トカトントン」という音が聞こえて、何もかもやる気を失せてしまう。その中で、ある女性との恋愛で聞こえてきた「トカトントン」は、これまでの幻聴とは違って、隣で金槌を使っている音が実際に聞こえてきた「トカトントン」だった。それを聞いた瞬間、男はいい感じの雰囲気だったのに、「失恋」してしまう。
男は「失恋したのは私のほうだ」と言っているが、これは女性によって失恋させられたのではなく、幻聴ではない現実の「トカトントン」によって失恋させられたのだ、と思う。この男は唯一、これまでの「トカトントン」から逃れそうな瞬間がこの恋愛だったのだ。しかしそれは、ある種の偶然によって、「トカトントン」の呪いに引き戻されてしまったんだろうな。
【「トカトントン」と戦争】
思えば、この男が最初に聞いた「トカトントン」は、日本がポツダム宣言で無条件降伏したときだった。この男は兵役に行き、中尉と共に玉音放送を聞いた。これがこの後にずっと続く「トカトントン」病を患う原因になったのだとすれば、この「なにをやってもダメだ」という無力感は、すべて日本の敗戦から背負った若者の心情を象徴しているのではないか、と考えられる。
男は、「この悩みは私一人の問題ではなく、他にも同じような悩みを抱えている人がいる気がする」と最初に言っているし、「敗戦をきっかけに無気力になった日本人の若者」をテーマを付けているのかもしれない。
4/4 再読
「ダス・ゲマイネ」
これを読むのは多分、3回目か、4回目くらい。前読んだときはそんなに好きじゃないと思った記憶があるが、今回は割と面白かった気もするし、面白くない気もする。
タイトルはドイツ語で、「俗な」という意味らしい。それも合わせて考えると、「俗」でいることに耐えられない馬場の生き方が痛々しく、沁みる。自分の才覚を信じて何かしよう何かしようとするも、結局は自分がどの程度か、わかっているのは一番自分なのだ。太宰の話には、だいたいの話には太宰役が出てくる。最初読んでいて、主人公佐野が太宰役なのかと思って読んでいたら、あとから太宰本人ご登場でびっくりした。佐野は太宰の善性だけを取り出した存在なのだと思う。それとは対照的に、本人の太宰がこっぴどく悪く描かれる。馬場もちょっと太宰っぽさはありそうだが、太宰からは想像がつかないほど活力的だ。こいつは、「人間失格」でも出てきた友人じゃないか。太宰の周りにはこういう人がいたんだろうな。
Posted by ブクログ
太宰治は学生時代にかじった程度だ。
文字からインプットする話は、ネガティブ結末を好む傾向があるものの三島由紀夫はハマったのに太宰はハマらなかった。今回は井伏鱒二が描いた「太宰治」を読み、どのような時を生きた人が描いたのか。を想像しながら読むことができた。
人間失格の葉蔵然り、斜陽の直治然り、ダス・ゲマイネの馬場然り。何とも言えぬ、瞳の奥にひどく暗く深い闇を持った瞳が常に読者を見据えているような感覚に陥る。
太宰の描いた作品に登場するこれらの人物は少なからず太宰本人の過去を投影し、あるいは膨らませた上での人物なのだと感じる。
作品に作者そのものがここまで投影されているように感じるのは、太宰に魅せられているからなのか。果たして太宰の思う壺なのか。まだ時間をおいて読みたいと思う。
Posted by ブクログ
やっぱり「人間失格」は凄まじい。
太宰作品をそんなに読んだわけではないけど、これだけは別格だ。葉蔵の心理描写が恐ろしいほど真に迫っており、自分の心理とシンクロし、ドキドキする。
自分と葉蔵は似ているわけではない。だが「お前も同じ穴のムジナじゃないのか?」と問われれば…葉蔵が竹一に見透かされた時のように血の気が引いて顔面蒼白になるだろう。
僕は外面は常識的な好人物を演じている。職場では仕事がデキるやつ、部下に慕われる面倒見の良い上司ヅラするのも自然と板についているし、大方の評価も良い。
しかし、本当は問題は避けたい、サボりたい、休みたい、楽したい、逃げ出したい。生活と対面維持のためだけに仕事をしていると言っても過言ではない。働いても働かなくても同じ給料が貰えるなら迷わず明日から出勤しないだろう。出勤するとしたら世間体が大事だからだ。
家庭だって子どものためとか自分に言い聞かせながら、本当は世間体が大事なのと現状を変えるのが怖くて何もできないのだ。
〇〇死ねばいいのにとか本気で考えるし、それを呟くこともやめることができない。完全に病気だ。葉蔵と何が違う?
違うのは取り繕うのが上手いかどうか、辛抱できるかどうか、というところだけではないのか。いや、辛抱すらも本当の辛抱ではない。辛抱、我慢、忍耐と言えば聞こえが良いが、ただただ臆病なだけなのだ。現状が嫌で嫌でたまらないのに、体面に執着するし、そこから飛び出す勇気は全く持ち合わせていないのだ。
僕も人間失格はないのか?
でもそれを認めたくはないし、そんな勇気はない。
Posted by ブクログ
太宰の有名な作品を収めた贅沢な一冊。
こうして読んでみると、太宰の中にある自分への不信感や他人への恐怖心、それをどの作品も反映してるように思う。
文章が意外なほど美しく、リズミカル。
「走れメロス」の文体は、メロスが疲労困憊しながらも、体に鞭打って前に前に疾走する姿が感じられた。
簡単ではない文章なのに、するする読める。
とくに口語体の、話すような、語りかけてくるような言葉のリズムが心地よい。
聖書からの引用、女性の言葉遣いのたおやかさ、上品さなど、代表作を並べてみるとわかる太宰らしさを発見することができた。
大学生以来の「斜陽」が一番刺さった。
あの頃はこんなに感動しなかったのに。
没落していく貴族の姿が美しく静かに伝わってくる。
華族や宮様の品格のよさと、そこには相入れない俗人の世界の違い。
言葉遣いも違い、生活態度も違い、生きることに対する必死さは感じられない。
市井の人々から見ておママごとに見える生き方。
時代に取り残されようとしている人々、忘れ去られようとしている人々がこの時日本にもいたのだなと、その生き方が強く印象に残っている。
それだけではなく、おママごとみたいな生活、生き方をしているかず子は、ある人に恋をする。
その恋愛の姿も、やはりどこか浮世離れしている。
現実感がなくて、ふわふわしているようにも思う。
でも、情熱的で、時代がどうとかよりも、世間がどうとかよりも、自分の心だけを大切にする生き方を選ぼうとするところが、とてもしなやかにたくましく感じ、不思議な感動が呼び起こされた作品。
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