夏目漱石のレビュー一覧
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不思議と三四郎本人に共感というか、まるで自分事のように読めた。自分は三四郎タイプの人間だ。
新しい世界に飛び込み、あれこれ思いを巡らせるけれど、どこか受け身で積極的には動かない。特に人間関係。
人間関係も与次郎が持ち込んできたものを中心に成り立っていて、自分から友達を作ろうと積極的に行動したわけではない。故郷にいるおかんですら、未だに影響力がある。
連れだって歩く時も、イベントに連れ出される時も、どこか傍観者。
催し物に呼ばれて行くと、友人知人は自発的にあれやこれやと動いて、運営サイドにまわっている。自分はそれをはたから眺めるだけ。
当然、人間関係の強いベクトルが向いてくる恋愛にうまく立ち回れ -
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自分なんかが評価していい一冊ではない。
圧倒的な語彙と表現力。自分はその半分も理解できていないと思う。
どのような努力を重ねたら、このような日本語力を身につけることができるのだろう。漱石は確か英語もできるはず。
ストーリーというより、言葉の渦の中をゆらゆらとただ流されていくという感覚で読んだ。漱石の言葉の波の中をただ旅をするが如く。
途中で言葉の注釈を読むのをやめた。流れが止まるから。言葉の正確な意味などわからなくても、なぜかその情景、感覚が誌面から伝わってきた。不思議な感覚だった。
もっと言葉を知れば、きっとまた違った感覚を得ることができるのだろう。何度も繰り返し読むことで、きっと -
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#899「二百十日・野分」
漱石の割と初期に当る中篇二篇です。
「二百十日」は、「剛健な趣味を養成する」ことを目的に、阿蘇へ温泉旅行へきた圭さんと碌さんの会話を中心に話がトントン進みます。一見のんきな落語風の会話で笑はせてくれますが、資本家嫌ひの圭さんが放つ一つ一つの発言が時代を抉ります。
「野分」では、文学者白井道也と、高柳君・中野君の二人の若者が中心人物。白井道也は地方で教師をしてゐたが、学生たちに追ひ出されること三度、つひに東京で妻と二人で引きこもる生活に。
「二百十日」のテエマを更に進化させ、終盤の道也の演説は本作の白眉であります。観念的にならず、物語としても興味深く、ラストの -
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つい先日のことですが、知人を駅まで送った折に、駅ビルの本屋さんに立ち寄り……決して懐の寂しさを隠すためではなく……「ワンコイン一本勝負」として500円玉を握りしめて本棚の海を回遊しました……狙い目としては小説の文庫本ですね……流行りの作家や作品に関しては例え小品でも税込500円を切るものを探すのは難しいと思ったので、新潮文庫の棚で古めの作品を探したのですが、これがなかなか難しい。詩歌や戯曲を読む気分ではないなぁなどと勝手なことを独りごちながら、本の厚みを目安に探して最終的に手に取ったのが本体価格340円(税別)の『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫)でした。
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後期三部作『彼岸過迄』と『こころ』の間を埋めるニ作目。
『行人(こうじん)』は、道を行く人=旅人という意味。読み終わってみると、物語の終盤を暗示しているタイトルかな。
前作『彼岸過迄』同様に、「友達」「兄」「帰ってから」「塵労(じんろう)」の四篇から構成されていますが、「帰ってから」と最後の「塵労」との間が半年近く空いています。これは、胃潰瘍の再発のせいですが、中断する前後で話しの構成が変化しています。語り手が変わるところなどは、後の『こころ』に繋がるプロットが、この『行人』で試みられたのかなと思いました。
内容は、語り手である次男が、兄から「はたして妻はじぶんを愛しているのだろうか」と -
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吾輩は猫である。名前はまだない。
この有名な書き出しは知っていても、読んだことはなかった。伊集院静さんの『ミチクサ先生』を読んで、この小説をどうしても読みたくなった。
思ったよりもずっと分厚かったけれど(岩波文庫515ページ)、漱石のユーモア、風刺を交えた文章に引き込まれた。電車で読んでいる最中に、面白くて思わず吹き出してしまうことも。例えば、「ダムダム弾」をめぐる攻防。
あくびを「鯨の遠吠のよう」と書いているのも面白い。
日常を「猫」の目から見た物語ですが、人と人とのやりとりが面白かった。しかし、あのような結末になるとは思いもしませんでした。そういうことになるとの予想はつくもの -
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「寝られないとどうかして寝よう寝ようと焦るだろう」と私が聞きました。「まったくそうだ、だからなお寝られなくなる」p423
****以下ネタばれ?アリマス
本書は『こころ/エピソード零』といえるのではないでしょうか。孤独な主人公、長文の手紙、そして死の予感…。「こころ前夜」感、満載です。
なにもそんなことで悩まなくても…。漱石先生のたくさんの主人公たちに言ってあげたくなりますが…
「心のほかの道具が彼の理智と歩調を一つにして前へ進めないところに、兄さんの苦痛があるのです」p452
ちょっと乱暴な言い方をすれば、日本はこのとき〈思春期〉だったのかもしれません。
近代自我確立といわれる明治 -
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国語のテストでよくある問に
「この時の主人公の気持ちを答えなさい」というのがある
いや、分かるわけないだろ!
といつも思っていた
要領のいい嫌なタイプの子どもだったので、難なく大人が喜びそうな「答え」を書いていた
でも本当はそんなん本人に聞いてみな分からんだろ!と思っていた
正解なんか分かるわけないだろ!と思っていた
正しい「答え」なんてないと今でも思う
だけど正しい「問い」ならある気がする
「あなたがこの物語を読んでどんな気持ちになったか答えなさい」
「答え」はひとつじゃないが、全てが正しい「答え」だ
「あなたが『夢十夜』を読んでどんな気持ちになったか答えなさい」
むむ -
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「死は生よりも尊(たっ)とい」p23
晩年、漱石先生が辿り着いた死生観だそうです。
しかし、人に対しては
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」と助言ができない自分をもどかしくも思っている。そうして
「もし世の中に全知全能の神があるならば、(中略)私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る」ほど苦しんでいる。p97
これは本当にただの随想集なのでしょうか??
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読んでいる間ずっと『こころ』の続編?!という思いを禁じ得ませんでした。(本作は『こころ』の後に書かれたそうです)
「不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なもの -
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呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。『吾輩は猫である』1906
智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ。『草枕』1906
愛嬌は自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器であり、不愛想は自分より弱いものを扱き使う鋭利な武器である。『虞美人草ぐびじんそう』1907
僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。『それから』1909
冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯えていたと考えると、父のかたみとして、彼の悪い上皮だけを覚えているのが、子として如何にも情けない心持がする。『彼岸過迄』1912
君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せ -
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漱石の作品の中で、一番好きかもしれない。
日々を淡々と綴るだけ、という雰囲気はなんとなく谷崎の『細雪』と似ていると感じた。
ただ、『道草』は退屈で憂鬱な日常を過ごすことの重さがすごい伝わってくる本。
退屈で同じような日々の繰り返しといえども、そこにものすごーく濃密ないろいろが詰まっていて、粛々とページをめくってました。
それがとっても楽しかったしいい時間だった。
内容としては別にそんな大したことは書いてないんです。主人公の健三は大学教授で、奥さん(不仲)と子供のために毎日仕事に出てお金を得てる。
教授といえども生活は決して楽じゃないのに、腹違いの兄弟から義父、縁を切ったはずの養父母まで色んな