夏目漱石のレビュー一覧
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「愛嬌と云うのはね、自分より強いものを斃す柔かい武器だよ」「それじゃ無愛想は自分より弱いものを、扱き使う鋭利なる武器だろう」
小野さんは自分と遠ざかるために変わったと同然である。
わが悪戯が、己れと掛け離れた別人の頭の上に落した迷惑はともかくも、この迷惑が反響して自分の頭ががんと鳴るのが気味が悪い。
雷の嫌なものが、雷を封じた雲の峯の前へ出ると、少しく逡巡するのと一般である。只の気の毒とは余程趣が違う。けれども小野さんはこれを称して気の毒と云っている。
真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。口だけで真面目になるのは、口だけが真面目になるので、人間が真面目になっ -
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ようやく読みきれた『虞美人草』。前半部分は漢文調が続くので慣れるまで時間がかかりました。後半部分になって、登場人物の中でも話の要となってくる人物の正確や様子が分かってきて、徐々に作品に引き込まれていきました。それは男女間のもつれや師弟関係のしがらみがかかわってきているからだと思います。このあたりから人の心にある弱い部分や傲慢が部分が感じられたのもあります。
また、虞美人草はひなげしのこと。花言葉は「心の平穏」「労り」「慰め」「思いやり」。作品の後半でようやくこのタイトルが登場人物の心の移り変わりを表しているようにさえ思えてきました。
宗近君が小野君にまじめに生きることを説く部分はすごいと思 -
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現代のラノベの文体だって
言わずとしれた夏目漱石の初期の代表作である。大家漱石の作品ということで、様々な観点からのうがった解釈も可能とは思うが、単純にユーモア小説として読むのが気楽で良いような気がする。この作品の真の値打ちはその切れの良い短いセンテンスの文体にあると思う。この文体が日本近代文学に与えた影響は非常に大きいと思う。現代のラノベの文体だって、坊っちゃんの子孫かもしれない。
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ネタバレ漱石の死去により未完となった大作。
勤め先の社長夫人の仲立ちで半年ほど前にお延と結婚し、平凡な毎日を送る津田由雄には、お延と知り合う前に将来を誓い合った清子という女性がいた。
ある日突然津田を捨て、津田の友人・関に嫁いでいった清子が、一人温泉場に滞在していることを知った津田は、痔の手術後の湯治という名目のもと、密かに彼女の元へと向かった…。
これまでの漱石の作品には似ていません。大上段に構えるでもなく、飾り過ぎない筆致で描かれる市井の人々の日常ですが、これが滅法おもしろい。
一応、主人公は津田ではあるものの、彼も数ある登場人物たちの一人にすぎないという点で、かなり相対的に描かれています。
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漱石の自伝と言われる作品。主に以下3つの事を軸にしている。1.かつての養父から無心2.第二子の出産3.親戚との関係と体調。
全体的に暗く救いがない雰囲気。子供の出産と言うおめでたい事すら少しも喜びにつながらない。漱石は自身がこんなにも人々の心の襞を観察し表現出来るのに、身近な人達との接触では見栄などが邪魔をしてうまく付き合えないもどかしさを感じる。断ればよいお金の無心を断れないこと、妻への配慮にかける言動など、読んでいていらいらが募る。この作品の発表時期にもよるが身近な人達も含めてこうまで赤裸々に書いてしまうとは。
ストーリーがないので中盤中だるみしたが、言葉の表現が面白く、また漱石が生きた時 -
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新婚の男には、忘れられない女がいた――。
大正5年、漱石の死を以て連載終了。
人間のエゴイズムの真髄に迫った、未完にして近代文学の最高峰。
勤め先の社長夫人の仲立ちで現在の妻お延と結婚し、平凡な毎日を送る津田には、お延と知り合う前に将来を誓い合った清子という女性がいた。ある日突然津田を捨て、自分の友人に嫁いでいった清子が、一人温泉場に滞在していることを知った津田は、秘かに彼女の元へと向かった……。
濃密な人間ドラマの中にエゴイズムのゆくすえを描いて、日本近代小説の最高峰となった漱石未完の絶筆。用語、時代背景などについての詳細な注解、解説を付す。