夏目漱石のレビュー一覧
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何度か脱落した本書ですが、ようやく読み終えることができました。話はそれなりに面白いのですが、次から次へとダラダラと続く感じが少しつらいところです。寝る前に少しずつ少しずつ読み進めていきました。登場人物たちのキャラがつかめてきて、ようやくスイッチが入った感じです。
「草枕」ほどではないですが、かなりの教養が問われる作品です。巻末の注釈とにらめっこしながら、何とか読み進めました。当時の読者はこれを注釈なしで読んでいたんでしょうか。感心します。
最後の方は後期の作品、例えば「こころ」にもつながるような話があります。Kや先生が自殺した、その理由はこの「吾輩は猫である」に書かれてあることがその一つなのでしょう。単に友人を裏切るとか裏切られるとかそういうことでもないのでしょう。
あれだけバカバカしいやり取りをしていた苦沙弥先生や、迷亭君、寒月君、東月君、独仙君たちが、最後にそれぞれ帰っていくところなどは、しんみりさせられて、読後感は思いのほかビターです。
漱石の世の中に対する目線が、デビュー作にして固まっていたというか、生涯変わらなかったというかそういうことを感じました。 -
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「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「翻訳とは……」
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
主人公「小川三四郎」名刺には里見美禰子とあった。友人、佐々木与次郎、野々村先生、妹よし子、先輩、広田先生、原口さん画工、里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。原口さんの絵の知り合い、三井さん
「彽徊家(ていかいか)」は、物思いにふけりながら、あちらこちらと行きつ戻りつする人(彽徊する人)を指す言葉です。
三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。
第二の世界のうちには、苔のはえた煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある
第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。
ない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。
我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――
「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」
野々宮は三四郎に向かって、
「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と言った。
美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。
そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。
野々宮は三四郎に向かって、
「妙な連つれと来ましたね」と言った。
「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」
女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。
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夏目漱石は、1916年12月9日に亡くなりました。『三四郎』は、夏目漱石の小説で、1908年に発表されました。この作品は、主人公の三四郎が東京の大学に入学するために田舎から上京し、新しい生活に慣れ、友人を作り、恋をするなど、若者の成長と心理を描いた青春小説です。三四郎は、理想と現実のギャップに悩みながらも、自分自身を見つけていく過程が描かれています。 -
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「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
上記の有名な冒頭で始まる本書は、夏目漱石自身の体験をもとに、二週間ほどで執筆されたものだという。
物語はあってないようなもので、著者の「非人情」的芸術論が主な内容になっている。
この「非人情」の意味が明確に示されることはなく、主人公は非人情、非人情と言いながらも、当人にもその意味ははっきりとわかっていない様子。
著者もその主人公の矛盾を意識しているようで、自虐的に描かれている。
『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『野分・二百十日』に続いて本作を読んだが、改めて夏目漱石は愛嬌のある人だと思った。
彼は、孤高であろうとするものの、秀でたところのない、熱くなりやすいだけの頑固者をよく描く。そこには、自身の人付き合いの悪さ(実際には多くの門下生に慕われていたようだが)や、孤独を孤高と取り違えてしまう男性的気質への、痛烈でありながら温かな皮肉が滲んでいるように思う。
こうした部分が野郎の私にはグサグサ刺さり、頭を掻きながら、自分の短所も受け入れて愛してあげたくなる気持ちにさせられた。
『草枕』でも、こうした自虐の文調は健在で、出戻り娘の那美とのやり取りの中には、なかなか思い切ったジョークも多数あり、何度もクスッと笑いながら読み通した。
それにしても、彼の膨大な語彙と知識量には毎度驚かされる。
漢籍の引用に英詩、古典の比喩が自在に飛び交う。明治維新からまだ半世紀も経たない時代にあって、翻訳の基盤も十分に整っていなかったであろうなか、英文学を原文で吸収し、それを即座に日本語へと移し替えるという、その知的水準の高さは我々の想像をはるかに超えている。
比肩する者のない勉強熱心さと、妙に人間臭い素直さ。
この両義性が、国境や時代を軽々と越えて読まれ続ける古典を量産させたのだと思う。
なんだか『草枕』の感想というよりは、漱石作品への懸想文になってしまった。
とにかく彼の作品は好き。
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有名作だがちゃんと読んだのは初めて(読んだというか、オーディオで聴いた)。抱いていたイメージは、「滑稽もので、他の名作に比べると、そんなに熱心に読む価値は…どうだろ?」といったものだったが、音声コンテンツで別のことをしながら流し聞くにはとても良かった。ポッドキャスト「吾輩通信」アーカイブ全エピソード一気聴取、みたいな感じだった。文字の本では冗長すぎて読みきれなかったかもしれない。
スタイルはたしかに滑稽風味だが、達観した猫や胃弱でぶーたれたくしゃみ先生の語る内容は、私は共感できることが多く、当時連載を楽しみにしていた読者の気持ちは、今なら様々なSNSのお気に入りアカウントの更新を楽しみにするような気持ちだったかもしれない。西洋文明に出会った明治の時代、「もっともっとと成長、発展を目指す今の考え方は、どこまで行っても決して満足できない仕組みなのだから、心の修養を積むしかない」といった文明論は、今も有効というか、何も変わってない。
漱石さんのこと、私はまだそんなによく知らないけれど、くしゃみ先生も猫も彼の分身なんだろうな。他の人物たちも多少は。漱石の頭の中でいろんな声がわんわん(にゃんにゃんか)鳴り響いていたのかも…。「あいつはきちがいになって巣鴨に入れられたよ」と噂される知己からの手紙に実は感じ入っていたくしゃみ先生は、自分も狂っているのではないかと延々考える。そうして深刻になる主人を猫が呆れて見ている。どちらも自分の声なのだろうな、と想像した。
太宰治『人間失格』の手記の男も「脳病院」に入れられていたな。(最近伝記を読んだ)ブラームスの師匠だったロベルト・シューマンも。精神病の歴史にも興味がある。
一方で、もっと女性の書いたものも読みたい。 -
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草枕
著:夏目 漱石
解説:重松 泰雄
出版社:岩波書店
岩波文庫 緑10-4
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
で始まる有名な小説というか、その冒頭の一言以外は、あまり内容を知らない
山本七平氏曰く、日本教のテキストにて、日本教を知りたいならば、草枕を読めと、勧めているので、手にとりました
まず題名がいい、草枕、旅のまくらことばであり、そのおももちは、万葉の昔を彷彿とさせる
いくらなんでも、すぐに、これは紀行文だということがわかる
だが、近代小説としては、三十一文字ではなく、十七文字を主にしている
それに、漢詩あり、Poemあり、ただのくたびれた画家の物語なのであるが、英文学者のただならぬ、ギャップにたちまち違和感をおぼえる。解説にもあったが、主人公の画家とは、夏目漱石そのものなのである
明治の世では、この草枕がバカ売れして、夏目漱石は作家の道に進むことに自信をもったとある
が、内容を一読したが、どこがおもしろいのかは、よくわからなった。美人の女将でもいなければ、こんな退屈なところに何泊もできないよなあ、が、感じたことです
日本教の教徒としては、失格です
都会の喧騒を抜けて、寒村に足を踏み込んだ画家の物語、登場人物もそう多くない
画家=画工なのにあまり絵をかいていないような
主人公 画家
茶屋の婆
馬子の源さん、那古井の源兵衛
宿の小女
宿の出戻りの若女将 那美
宿の旦那、老人
観海寺の和尚、大徹
身投げをした先代の女将(故人)
小坊主 了念
久一 那美の兄 赤紙で出征
目次
草枕
1
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3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
注・解説(重松 泰雄)
ISBN:9784003101049
判型:文庫
ページ数:240ページ
定価:650円(本体)
1929年07月05日 第1刷発行
1990年04月16日 第76刷改版発行
2017年06月05日 第112刷発行 -
Posted by ブクログ
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
冒頭にあるこの有名な句を読む機会があり、読んでみました。
東京から温泉宿に宿泊した画家とその宿の出戻り娘の出会いを描いた作品。
自分はストーリーそのものというよりは、夏目漱石独特の人物や情景の描き方だなぁと思いながら、読んでいて心地よい感じがしました。何がと言われてもうまく説明は出来ないのですが。
とにかく言葉が難しいです。本文はこの文庫で170ページ強くらいですが、注釈は30ページ以上あります。一つ一つ注釈を参照しながら読んだので、かなり読み終えるのに時間がかかりましたし、もし注釈を参照せずに読めたらもっと感動できるのかもしれないなと思いました。夏目漱石の博学っぷりには驚愕しますし、やはり作家という人たちは本当にすごいなと改めて思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ高校時代に読んで以来で、8年振りくらいに再読。
話の筋は覚えてたけど細部はすっかり忘れてた。
宗助とお米が結ばれて社会と決別する流れを覚えていなかったのだけど、元々その辺りは詳細に書かれていないから覚えているはずもなかった。
でも書かれていないおかげで色々想像できた。
過去の過ちに報いる形でお米が死んだり、宗助が耐えきれず狂ったり、安井との一件を知った坂井が激昂したり、安井と宗助とお米が再会したり…っていう安直な展開にならないのが好き。
過ちが生活の所々に影を落としながらも時々幸福を感じて細々と命を繋いでいくことが示唆されるラストのやり取りも好き! -
Posted by ブクログ
いやぁ、これはすごいなぁ。漱石の語彙力は半端ないです。他の作品でもそういう面がないわけではないですが、この作品は特に描写がねちっこいです。山を見るだけでも、どれだけの言葉が紡がれるのか。右へ行ったり左へ行ったり、上へ行ったり、下に行ったり、ぐるぐると回りまわって主人公の心の内が描かれます。本当に目が字を滑るような感覚が何度もありました。
話の筋的には大したことは起こっていません。いやそれなりに起こっているのかな。とはいえ、そういうことではなく主人公の心のうちに起こるちょっとしたさざ波の、その微妙な揺れ方をこれでもかこれでもかと、手を変え品を変え描き出すその執着というか、こだわりというかなんというか、そういうものに酔うような感覚があります。そしてそれがそのまま主人公の心持であるのかもしれません。
そんな作品なのに坑から出た後は、新鮮な空気がすえるかのごとく、からっとした読み心地に代わります。最後の方は気持ちよく、読後感はいいんですよね。