【感想・ネタバレ】門(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

親友の安井を裏切り、その妻であった御米(およね)と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めのなかに暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。(解説・柄谷行人)

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Posted by ブクログ

漱石先生の作品を読んでいると、自然、時代を感じずには居られないのでありますが、今回も文体共々透き通る様な感じを受けました⁉️
初期3部作という事で、身構えて読み進めましたが、一万円札ではなくて、千円札に落ち付く由来を何となく感じるに至りました‼️
そういう事から、些か腑に落ちない点も在りますが、しかしながら、疑い無く名作であると判を押したいです⁉️
漱石先生の作品はこれからも楽しみです

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2025年04月08日

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過去の出来事に対する後悔に苛まれながらも、日々何事もなく過ぎていく日常に深く幸せを感じる矛盾。
「こころ」ととても似ているところが多くて、あ〜漱石だなと感じた一冊でした。

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2024年09月30日

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はじめて読んだときは それから のインパクトが強すぎて、物足りなかったような感触だったが
読み返すとこちらの方が好みだと感じた。情景描写と、そのなかでひっそりと暮らす様子が描かれていて、非常に落ち着いて読める作品。

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2023年08月11日

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「こころ」に次いで好きになりました。場合によってはこころより好きかもしれない。解説に、「物語の後半寺に入ったのは作品の欠点という説もある」とあったけど、僕はそうは思わなくて、宗助の足掻きという名の逃げを表すのに効果的だったし、まぁこれがなければきっと宗介とお米のストーリーは彼らが死ぬまできっと今のまま平行線。結構な出来事も自分たちの中で理由をつけて卑下して逃げてるように見えるけど、その生活をさも美しく描いてる漱石ってやっぱ…嫌なやつ 笑(褒めてます)
安井からお米を奪った時の描写の少なさ、なぜ彼らが今の暮らしを選んだかの背景、会話の返事を待たずして(あまりにも明らかだからか、意図したものかはわからない)次の展開に移る作風が気に入りました。

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2023年05月06日

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夏目漱石の「三四郎」、「それから」に続く初期三部作最後の作品。
「それから」は、友人の妻を奪い返し、高等遊民を脱した主人公・長井代助が職を探しに出たところで終わります。「門」は代助の「それから」を描きますが、完全な続編ではなく登場人物の名前も状況も違います。

「それから」の物語をひとことで言うなら社会から逃れるように暮らす宗助と御米夫婦の苦悩や悲哀です。小説は何故この夫婦がひっそりと暮らしているのか、終盤まで説明しません。この小説は「朝日新聞」の連載小説ですが、愛読者はこの夫婦の事情を不思議に思いながら毎日読んでいたと思います。新潮文庫では裏表紙でプロットを全て説明していますが、これは余計なお節介です。「門」は「それから」よりも物語の動きがほんの少しだけ早いので、物語の進行を楽しむべき小説と思います。

「門」が描く夫婦の心情から、物語の色調は「それから」に比べて暗いです。それでも、希望もないけど、絶望もない夫婦の穏やかな日常が悲劇的に崩れることはない予感を小説の中で感じました。したがい、個人的に非常に居心地の良い小説世界であり、読んでいるあいだ幸福感を感じました。特に宗助が冒頭お茶の水あたりを散策する場面、大家一家との交流、何気ない夫婦の日常の会話は何とも言えない心地よさがあります。
終盤に主人公は救いを求め鎌倉の寺に参禅します。これは唐突な感じもし、不要と思いましたが、それでは「門」という題名は成立ちませんね。

結論を言えば、三部作の中ではいちばん好きな小説となりました。もし、自分が小説家になったら、こんな小説を書きたいです(なんちゃって)。

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2022年05月25日

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門の先に何が見えたのか。

遺恨を残した友人との過去か、
睦まじい夫婦の未来か...

宗助は優柔不断故に、門を通る人ではなく、その前で立ち竦む人である。それでも労苦を受け入れ、日々対峙している姿勢は現代の我々にも通底する。

春の兆しが夫婦の日常を優しく慰めた。

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2021年10月28日

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ネタバレ

布団の中の可憐な自白のシーンでもう読みたくないと思うほど息が詰まった。
辛い、苦しい、うまく行かない、子をだめにした、御米の胸の内は、私の頭では処理しきれない膨大な悲しみだった。
小説でこんなに自失したのは初めてかもしれない。

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2021年02月15日

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ネタバレ

再読。個人的には、夏目漱石の作品の中で最も好き。私見だが、多くの平均的人間は過去と対峙してそれを解決ないし克服することなどできず、主人公のように逃避してやり過ごしていくのではないかと思う。そういった意味で、友人の恋人を奪った過去と対峙し、自分の罪に耐え切れず、自殺という形で解決を図った「こころ」と奇妙に対照をなしているように映る。
平均的人間の自分も、おそらくそれゆえに、主人公の無為なやり過ごし方に共感できるのだろう。劇的ではなくともわずかに暖かな、ただし、どこかにすぐ崩壊する危うさを孕んだような主人公の人生は、共感できると同時に、胸につまされるところもある。

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2021年02月11日

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ネタバレ

突然の坐禅のくだりはタイトルに合わせたかった感が否めませんが、個人的にそこで悟りを開かなかったのはよかったです(それからのような宗助の過去と比較すると軽く短すぎるため)。
しかし、何事もない日常の中で、ひっそり暮らす宗助と御米の互いへの静かながらも確かな愛情と信頼とが描かれていてとても好きです。

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2024年12月18日

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"こころ"で夏目漱石に惹かれて、内容もわからずとりあえず読んだ一冊。
起承転結がはっきりしているSFが好きな私でも、日常に潜む些細な感情を独特なセンスで表現している本書に読む手が止まらなかった。宗助と御米との幸せな夫婦生活の裏にある確かな影が人生の儚さと奥ゆかさを感じさせられた。タイトルにもある"門"と宗助との繋がりも読んでいただきたい。

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2024年04月07日

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ネタバレ

なんというか始終暗く怯えながらもほそぼそと普通に暮らしていく過程があり。

何か問題が起こるかと思わせてそれがなにか解決していくと見せかけて結局問題も起きず解決も見せずまた薄暗い生活が続いていく感じだなぁ。

何度か読むと味が出てくるかもしれんが今はこのくらいに感じた。

略奪婚のような後ろ暗い事をするとずっとこうやってひっそり暮らすことになるぞってことかな?

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2023年10月19日

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かつて犯した罪を背負い世間に背を向けて暮らす宗助と御米、その背徳の行為を作品は具体的に語らない。その静かさに友の女を取った罪の深さを知る。作品としては「それから」の続きという位置づけだ。だが、新しいテーマとして宗教(禅)が提示される。
漱石は書く「彼(宗助)は門を通る人ではなかった。又、門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」無論「門」は宗教的あるいは禅的なものへの比喩であろうが、宗教をもってしても助けられない宗助は、何を糧に生きたらよいのか?
この作品、ほとんど50年振りの再読だが、その当時感じた御米の可愛らしいは今も変わらない。救いの無い宗助の捨てて得た珠玉の宝はこの可愛らしさなのだろう。

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2023年05月03日

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めずらしく仲の良い幸せそうな夫婦…と見せかけて「それからのそれから」。
幸せそうな日常はいつ崩れるかもわからないような軟弱な地盤の上に建っている。
出店で買ったささやかなお土産、本筋からは逸れた他愛の無い会話、読み返してみればそれら全てが空虚であり慄然とした感さえある。
無邪気で愛想のよい御米が前夫を捨てたのだと思うと、その邪気の無さが空恐ろしい。

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2023年03月23日

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過去により満足な地位につけず、淡々と日々を送る。夫婦仲は良好。過去の重荷は、時間がゆっくりと解決する、そう思うしかなくやり過ごしていく。あり得た未来の姿としての坂井、過去の自分の映しとしての弟。そのコントラスト。
しかし不意の再来によりその手法は解決でないと知る。悟るために禅寺に赴くが、修行に専心することもできず、かといって問題を放擲することもできない。立ちすくむしかない。
門がメタファーなのは間違いないが、それが禅寺でのエピソードのメタファーだけなのか。作品全体のそれなのか。いや。後者なのだろうがどのような意味で?
また、屏風の一件もとてもメタフォリックなのだが、解釈が難しい。

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2023年02月04日

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親友であった安井を裏切り御米と結ばれた宗助という三角関係の物語。子供がいないことを気にしている御米、安井とのことを恐れている宗助はそれぞれ罪悪感を持っているのだが殆どのシーンは何気ない日常だ。何を言いたいのかよくわからなかった。何故鎌倉への参禅したのか、”それから” の代助がどう関係あったのか見えない部分も多かった。

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2022年09月03日

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「略奪婚の先に幸せはあるのか?」と本の裏表紙に書かれているけど、そこがテーマなのか?と個人的には思った。

むしろ幸せの有無というよりは、そこからくる罪悪感との向き合い方を描いた作品じゃないかなぁ。

巻末の解説がとても的を射ている。同じ出来事に対する罪悪感の違い。御米は自責の念から子供ができないことを天罰だと思い苦しみ、宗助は略奪した相手に対する罪悪感を感じている。

その対応の仕方もそれぞれ違う。御米は宗助に打ち明けることでどこか少し軽くなったような気がする。かたや宗助は誰にも打ち明けられず、一人でなんとかしようと寺にまで赴くが、結局は何かを得るわけでもなく、ただ時が経ちその場をやり過ごすことができただけであった。

最後の夫婦の会話の季節の訪れに対する感じ方の違いが、その対応の仕方で得た安らぎの違いを物語っていると思う。やはり罪悪感や不安は、ひとりで抱え込んでいてはどうすることもできないということじゃないかな。宗教に邁進し一人で考えに耽っても意味はなく、本当に思いを共有してくれる人に話し、自分の罪悪感や不安の所在を明確にしていくことが大事だということなんだとおもう。

おそらく、宗助はまた安井が日本にくると知れば同じ罪悪感に襲われるだろうな。不安や罪悪感に向き合うためには、御米が宗助に打ち明けたように、宗助も御米に打ち明けて、二人で乗り越えていくことが大事なんだと思う。

自分も罪悪感や不安をどうしても感じてしまう。ひとりで抱え込まずに、妻や医師に打ち明けて相談しながら、なんとか人生に幸せを感じられるように生きていければと思う。

あ、そういう意味では裏表紙の文句も、間違いではないのか。

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2022年05月12日

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『三四郎』『それから』から続く、所謂三部作と呼ばれる一作。
優柔不断な性格ながら、思い切った決断をした主人公とその妻の、倹しい生活を中心とした描写だが、後半の思いがけない出来事から一気に展開が変わる。
禅寺の門を叩き救いを求めるが、やはりそこにはそこには何も無い。
お互いに同じ罪の意識を抱える夫婦。
夫婦の関係は情熱的ではないものの、ある意味夫婦としては幸せなのかもしれない。

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2021年12月04日

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『三四郎』『それから』に次ぐ3部作の最後。
『それから』の「高等遊民」から一転、勤め人となり安月給で慎ましやかな生活を妻としている主人公。お互いを労り合いながら仲睦まじい夫婦の様子が見られる前半。
後半になり意外なところから物語の核心に触れ始める展開となり、主人公は過去に犯した罪の意識から救いを求めて禅寺へと赴くが、何の悟りも救いも得らないまま帰宅。
妻もまた同じように罪悪感を抱いている事がわかる場面も前半に見られ、夫婦は今までもこれからも、ずっと罪悪感に苛まれながら生き続ける事からは逃れられないと言う悲哀の結末。
暗いし『三四郎』の様なユーモアのある楽しさを味わう事は出来ないけど、心理描写、情景表現の巧みさは相変わらず。夏目漱石の世界をしっかり堪能出来ました。

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2021年11月07日

Posted by ブクログ

「三四郎」「それから」から続く三部作の最終巻。登場人物や物語はそれぞれ異なるものの、共通店はいずれも三角関係を描いているということ。本作でもそれがテーマになっているが、恋愛、結婚というのはいつの時代も答えがなく、難しいものだと感じさせる。

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2021年09月18日

Posted by ブクログ

漱石の小説の中では一番好きかもしれません。夫婦の距離感がなんか好き。

出だしから終わりまで、何も進まず、何も解決せずに終わる物語。
日常の断片なんですな。
罪悪感をせおう善良な夫婦のなにげない会話の数々が良かったです。
この小説の主人公は宗助といいますが、『崖の上のポニョ』の主人公と
同じ名前です。宮崎駿さんは、映画を作るときにこの「門」を読んでいた
といいます。それで、主人公が同じ名前になったんでしょう。
崖の上の坂井という人物も出てきます。タイトルもそこからとったのかもしれません。
この本の解説で柄谷行人さんが、欠陥のある小説だみたいに書かれていましたが、
そういうところがあったとしても、面白かったです。

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2025年06月12日

Posted by ブクログ

全体的にほの暗く、ちょいちょい宗助と御米の目線が切り替わるが、微妙にお互いがかみ合っておらず、かといって二人とも無理に自分の気持ちをわかってもらおうとも思わず、同じ罪を抱える者同士離れる気まではならないという感じが出ている。一応最後は、季節も春が近づき、御米の体調もよくなり、小六の食い扶持も繋げそうといういい兆しの中、宗助だけが下を向く。
解説と、「異性愛者の悲劇」を読んで、成程男性は男性同士でのみ認め合えるんだっけなと確かめたところである。

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2025年08月07日

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ネタバレ

ぼやかして書いてある部分が多いものの、結構内容は深刻な感じ。漱石はやはり一度読んでわかるようなものではないかもしれない…。

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2025年03月09日

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ネタバレ

親を亡くし、弟を引き取ってひっそりと妻御米と暮らす宗助。御米はかつて宗助の友人安井と同棲していたが、宗助が略奪してしまったことが割と後半に明らかになる。それまでは子どもがいないことを気に病む御米の描写や、御米をやや疎んじる宗助の弟小六の様子があるけれど、その伏線が全編の真ん中くらいにあるこの略奪婚の話で急に回収され、そこからは、後ろ暗い罪故に子どもができないと悩む御米と、隣人坂井から坂井の弟の友人である安井を引き合わされそうになって戦く宗助が描かれる。宗助はそれを気に病んで鎌倉の禅寺に行き、十日間籠るが、悟りの門は閉ざされたまま、家に帰ってくる。そこで安井はまた東京を出て行ったと聞いて一時の安寧を得たところで物語は終わる。
漱石は門人に適当にタイトルをつけさせて、そのタイトル『門』に合わせてこの話を書いたというが、ちゃんと最後に門に回収されていてさすがなのと、門外漢とか、門に関する語が(意識してみるからかもしれないけど)ちょいちょい使われている気がした。
『三四郎』や『それから』よりも淡々として静かな展開という印象。

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2025年02月14日

Posted by ブクログ

前期三部作のひとつ。
今回初めて読んで、タイトルの「門」の意味を知ることに。たぶんだけれど、自分の中で納得してるのでこれでいいかなって思ってます。
漱石を読むのにはパワーが必要です。読み終わった後はくたくたになるけれど、なんか大きな山を登り切った爽快感が感じられます。他の作家ではなかなか感じられない気分。やっぱりいいね、漱石!

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2025年01月12日

Posted by ブクログ

題名『門』の意味を考えながら読んでみましたが、どうも題名は他者に依頼して命名された
ようです。ストーリーにちょっと唐突感があり、戸惑う感じです。
『三四郎』『それから』と共に三部作をなし、そのしめくくった作品のようですが、遡って前二作を読んで、本作品を眺めてみたいです。

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2024年03月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

それからを読んだ後に読んだせいか、「あれ?もう終わり?」が一番の感想だった。社家族からも、友人からも、社会からも見捨てられた宗助と御米の暮らしはずっと暗くて楽しいのだろうかと思った。
2人の世界には2人しかいなくて、小六が入ることさえ好まなかった。お互いに依存してるんだなと思った。安井と鉢合わせするかハラハラしていたが、結局しなくて少し残念だった。それからのインパクトが強すぎたため物足りなかったが、御米が熱を出した時の宗助の慌てようが面白かった。

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2023年11月30日

Posted by ブクログ

略奪しちゃったとは言っても、恋に落ちちゃったんだったらしょうがないじゃんね。いっそ、正々堂々としてたらこんなにぐだぐだ思い悩まないんだろうけど、そうはいかないもんだね。宗助の心の門が開く日が来るといいね。

解説読んだら、そうばっかじゃないんだな。てっきり宗助は安井や世間に対しての負い目を感じてるから暗いのかと思ってたけど、もはや安井から御米を奪った時から既に情熱は冷めてしまったんだな。

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2023年10月28日

Posted by ブクログ

それからの続編にあたる。最初から最後まで何も起こらないが宗助の内奥に妙に共感する。まぁ生きるってこういうことかも。日常の疲れた時読むと良い。こんな人生もアリかな。

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2023年01月28日

Posted by ブクログ

1910年 漱石前期三部作

主人公宗助は、かつて友人であった男の妻を奪い、その妻と二人、世間を転々としながら、二人ひっそりと暮らしていた。
二人は、多くを希望せず、穏やかに、仲睦まじくしている様子が、描かれていく。
貧しい、子供ができない(亡くなってしまったり)、社会との繋がりが乏しいなど、二人の生活が、寂しさを伴うものであることが影をおとす。

宗助達は、妻の元夫と再会しそうになり、心乱れる。その乱れを、鎌倉で参禅することで、取り直そうとするが、悟りを得ぬまま帰宅する。
結局、友人とは、すれ違いに終わるが、その怯えは、生涯続くのであろう。

こちらは、日常生活が多少、動きがあるので、読みやすい。
誰かを傷つけた過去からは、逃げられないということなのかな。

「こころ」の、先生が、「それから」と「門」の両面を持っているように思う。

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2022年02月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 主人公、宗助は、大学生の時、親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた。そのような罪を犯した負い目から、大学も卒業出来ず、親元に帰ることも出来ず、親の遺産相続も叔父の意に任せ、妻と二人、隠れるように、地味に、倹しく暮していた。
 叔父の死により、弟小六の学費を打ち切られても、積極的解決に乗り出すこともなく、諦めの中に暮している。
 そんな中、ひょんなことから裏に住んでいる家主の坂井から、安井の消息を聞かされ、心を乱し、救いを求めて、禅門を潜るが、何日かの修行の結果分かったことは、
「彼は門を通る人ではなかった。又、門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」
ということ。
 要するに、宗助は優柔不断なのだ。安井を裏切ったとき以来の、御米との隠れるような暮らしの中でも、父親の遺産相続についての叔父との話し合いでも、小六の学費についての叔母との話し合いでも、問題解決を先延ばしにするというよりも、正面から問題に向かうことが出来ず、禅門を潜っても悟りを拓くまで修行する覚悟もないのだ。
そして、自分たちは幸せになる資格など無いと言いながら、御米と二人傷を舐め合うように、実は幸せに暮している。
 と、痛烈に主人公を批判したが、実は自分のことを書かれているようで、本当に心が痛かった。
 
あとがきで知ったのだが、この小説は新聞連載であって、「門」というタイトルは漱石の弟子たちによって決められた物で、漱石先生自身は書き始めてからでも「一向に門らしくなくて困っている」とこぼされていたらしい。最後に「門」というタイトルに落ちを付けるために、宗助に禅門を潜らせたらしい。漱石先生、お忙しかったのですね。
 最後のほうは難しかったですが、明治の言葉、漢字使い、明治の東京の街の様子など、読んでいて素敵な点も沢山ありました。

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2021年02月23日

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