あらすじ
親友の安井を裏切り、その妻であった御米(およね)と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めのなかに暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。(解説・柄谷行人)
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Posted by ブクログ
布団の中の可憐な自白のシーンでもう読みたくないと思うほど息が詰まった。
辛い、苦しい、うまく行かない、子をだめにした、御米の胸の内は、私の頭では処理しきれない膨大な悲しみだった。
小説でこんなに自失したのは初めてかもしれない。
Posted by ブクログ
再読。個人的には、夏目漱石の作品の中で最も好き。私見だが、多くの平均的人間は過去と対峙してそれを解決ないし克服することなどできず、主人公のように逃避してやり過ごしていくのではないかと思う。そういった意味で、友人の恋人を奪った過去と対峙し、自分の罪に耐え切れず、自殺という形で解決を図った「こころ」と奇妙に対照をなしているように映る。
平均的人間の自分も、おそらくそれゆえに、主人公の無為なやり過ごし方に共感できるのだろう。劇的ではなくともわずかに暖かな、ただし、どこかにすぐ崩壊する危うさを孕んだような主人公の人生は、共感できると同時に、胸につまされるところもある。
Posted by ブクログ
突然の坐禅のくだりはタイトルに合わせたかった感が否めませんが、個人的にそこで悟りを開かなかったのはよかったです(それからのような宗助の過去と比較すると軽く短すぎるため)。
しかし、何事もない日常の中で、ひっそり暮らす宗助と御米の互いへの静かながらも確かな愛情と信頼とが描かれていてとても好きです。
Posted by ブクログ
なんというか始終暗く怯えながらもほそぼそと普通に暮らしていく過程があり。
何か問題が起こるかと思わせてそれがなにか解決していくと見せかけて結局問題も起きず解決も見せずまた薄暗い生活が続いていく感じだなぁ。
何度か読むと味が出てくるかもしれんが今はこのくらいに感じた。
略奪婚のような後ろ暗い事をするとずっとこうやってひっそり暮らすことになるぞってことかな?
Posted by ブクログ
親を亡くし、弟を引き取ってひっそりと妻御米と暮らす宗助。御米はかつて宗助の友人安井と同棲していたが、宗助が略奪してしまったことが割と後半に明らかになる。それまでは子どもがいないことを気に病む御米の描写や、御米をやや疎んじる宗助の弟小六の様子があるけれど、その伏線が全編の真ん中くらいにあるこの略奪婚の話で急に回収され、そこからは、後ろ暗い罪故に子どもができないと悩む御米と、隣人坂井から坂井の弟の友人である安井を引き合わされそうになって戦く宗助が描かれる。宗助はそれを気に病んで鎌倉の禅寺に行き、十日間籠るが、悟りの門は閉ざされたまま、家に帰ってくる。そこで安井はまた東京を出て行ったと聞いて一時の安寧を得たところで物語は終わる。
漱石は門人に適当にタイトルをつけさせて、そのタイトル『門』に合わせてこの話を書いたというが、ちゃんと最後に門に回収されていてさすがなのと、門外漢とか、門に関する語が(意識してみるからかもしれないけど)ちょいちょい使われている気がした。
『三四郎』や『それから』よりも淡々として静かな展開という印象。
Posted by ブクログ
それからを読んだ後に読んだせいか、「あれ?もう終わり?」が一番の感想だった。社家族からも、友人からも、社会からも見捨てられた宗助と御米の暮らしはずっと暗くて楽しいのだろうかと思った。
2人の世界には2人しかいなくて、小六が入ることさえ好まなかった。お互いに依存してるんだなと思った。安井と鉢合わせするかハラハラしていたが、結局しなくて少し残念だった。それからのインパクトが強すぎたため物足りなかったが、御米が熱を出した時の宗助の慌てようが面白かった。
Posted by ブクログ
主人公、宗助は、大学生の時、親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた。そのような罪を犯した負い目から、大学も卒業出来ず、親元に帰ることも出来ず、親の遺産相続も叔父の意に任せ、妻と二人、隠れるように、地味に、倹しく暮していた。
叔父の死により、弟小六の学費を打ち切られても、積極的解決に乗り出すこともなく、諦めの中に暮している。
そんな中、ひょんなことから裏に住んでいる家主の坂井から、安井の消息を聞かされ、心を乱し、救いを求めて、禅門を潜るが、何日かの修行の結果分かったことは、
「彼は門を通る人ではなかった。又、門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」
ということ。
要するに、宗助は優柔不断なのだ。安井を裏切ったとき以来の、御米との隠れるような暮らしの中でも、父親の遺産相続についての叔父との話し合いでも、小六の学費についての叔母との話し合いでも、問題解決を先延ばしにするというよりも、正面から問題に向かうことが出来ず、禅門を潜っても悟りを拓くまで修行する覚悟もないのだ。
そして、自分たちは幸せになる資格など無いと言いながら、御米と二人傷を舐め合うように、実は幸せに暮している。
と、痛烈に主人公を批判したが、実は自分のことを書かれているようで、本当に心が痛かった。
あとがきで知ったのだが、この小説は新聞連載であって、「門」というタイトルは漱石の弟子たちによって決められた物で、漱石先生自身は書き始めてからでも「一向に門らしくなくて困っている」とこぼされていたらしい。最後に「門」というタイトルに落ちを付けるために、宗助に禅門を潜らせたらしい。漱石先生、お忙しかったのですね。
最後のほうは難しかったですが、明治の言葉、漢字使い、明治の東京の街の様子など、読んでいて素敵な点も沢山ありました。