夏目漱石のレビュー一覧
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『夢十夜』で初めて漱石を知り、『草枕』で文体に衝撃を受け、この『虞美人草』で面白さにどっぷりと嵌った。漱石の小説の中で一番好きかも。
よく「漱石は女性が描けない」とか言われるけど、だからって別に男性が描けているとも思わない。小説を書いている。
それはともかく、この人間関係、マンガ的で面白い。ちゃんとキャラが立っている。男も女も。
それを「通俗的」だと言われれば確かにその通りなんだろうけれども。
職業作家としての初めての長編小説。「面白い小説」を書こうと苦心したんだろうな。
装飾華美な文体や、ほんの少しハミ出ている「セオリー」たる主張のようなものがちょっとくどいような気もするけど、それはご愛敬。
この頃の書簡で「維新の志士の如き烈しい精神で文学をやつてみたい」とか言っちゃってるし。そこがまたイイ味出してるんだと思える。
これ、最後をどう受け止めるかは、評価の分れるところなのか知らん。
自分は、うまくまとまって大団円、と読んだけれども。
宗近君の説く「真面目」の話や糸子の「人が何と云ったって――それがなぜ悪いんでしょう」というくだりとかは、読んでいて正直気持ち良かった。これ、傍線引きまくりの文庫本を他人に貸してしまって恥ずかしいやら恐ろしいやら。
ところで漱石先生の別の書簡に、こんな言葉があるのが可笑しい。
「分りもしないのに虞美人草の批評なんかしやがる。虞美人草はそんな凡人の為めに書いてるんぢやない。博士以上の人物即ち吾党の士の為めに書いてゐるんだ。なあ君。さうぢやないか。」
「なあ君。さうぢやないか」って……なんだろうこの気概。初めて読んだとき笑ってしまった。冗談としてではなく。「真面目」だ。
良んだよなあ漱石。とっても。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ漱石の手に心臓を掴まれた気がした。
第四章『塵労』は読んでいて苦しい。
「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」
「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
「僕は迂濶なのだ。僕は矛盾なのだ。しかし迂濶と知り矛盾と知りながら、依然としてもがいている。僕は馬鹿だ。人間としての君は遥に僕よりも偉大だ」
「どうかして香厳になりたい」
ああ、苦しい。
駄目だ。
泣く。 -
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布団の上から身を動かせずに見えるものがこんな豊かで慈愛に満ちたものなのか、そしてそれを表現している文章の綺麗さに感動してしまった。死に近いという一点のみでは、少なくともその気概を持って接する分には若い人には負けない。どっかでこういう言葉を聞いたけど、いやいや、もうただただ頭を垂れるしかない小さな自分がそこにいるだけだった。
知り合いの旦那さんが亡くなられる数年前に読んでいた本が並んである本棚から拝借してきた本の中の一冊なんだけれども、こうやってものを介して出会う前に一度お話ししたかったなと思わずにはいられません。
思い入れこみでの評価だけども、星5つの基準を変えなきゃなと思いました。 -
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しっかり?夏目漱石読んだのはじめてだな〜。
夢十夜をちゃんと読みたくて借りたけど予想以上に収穫があった。
中でも『永日小品』と『我が輩は猫である』の「迷亭くんの話」がよかったな。
なんかもう足先がぬるま湯に浸かっているような安心感がある。でも足先しか浸かってないから肝心の本体はふとした瞬間に寒気が走る。そんな気持ちいいホラー。
夏目漱石を一度キッチリ読もう。
実はかなり好きな文体で話の組み方でござった。
古い文体だと毛嫌いしてはいけませんね。読みだすとかなりハマりそうな気がする。
それにしても『夢十夜』の完成度の高さよ………
全部ものすごく好きだわ〜。 -
Posted by ブクログ
1914年(大正3年)。
明治の精神とやらはともかく、生物として、配偶者の獲得は弱肉強食の仁義なき戦いである。だからKを出し抜いた先生については、私はさほど責める気になれない。人間はしょせん動物なのだから。第一、勝敗を決めるのは先生でもKでもなくお嬢さんであり、その点において3人の間に不正は何ら存在しなかったのだから。
だがKは死ぬべきではなかったと思う。生きて愛する女性のために、未来を祝福してやるべきだったのだ。たとえ心で号泣したとしても。そこで涙をのんで祝杯をあげてやることこそ、どんな道を説くより見事な心意気じゃないかと私は思う。そうすれば2人は幸せになれただろうし、世界に女はお嬢さんだけではないのだから、Kだって別の女性と結ばれて幸せになり、「そんなこともあった」と笑って話せる日がきたかもしれない。
「僕は馬鹿だ」とKは言う。馬鹿で結構ではないかと私は思う。「自分も含めて人間は、基本的にはみんな馬鹿」と気づいてからが、本当の修業ではないか。阿呆な自分を思い知って、じたばたあがいて悶絶して、それでもなお人生にイエスという、そのためにこそ覚悟を決めるべきではなかったか。有為の若い命を、花開く前に散らせてしまっては悲しすぎるではないか…。
…と、突っ込み所は多いのだが、それは人間心理が異常なほどリアルに書かれている証拠である。個人的には、純文学というよりサイコサスペンスとして楽しませてもらった。いたる所でネタバレされているにも関わらず、これ程の緊張感を最後まで読者にキープさせる筆力は、流石というしかない。 -
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狂言回し的な主人公である敬太郎の周辺の人物たちを巡る作品。
同じ下宿の住人である森本、友人の須永、その叔父である、実業家の田川と、高等遊民の松本、そして、従妹の千代子。
話は、森本から始まり、田川と松本との接触、須永と千代子の関係、松本の話に終わる。
本作で最も中心を成すのは、須永と千代子の話、補足的にそれにまつわる松本の話である。
「行人」の一郎同様、須永の苦悩は根本的に、千代子(それに拡大解釈すれば彼の母)を含めた女を介した、他人に対する「不可解」なのではないかと思う。
同時に、「行人」のレビュー・感想に記したごとく、自らにとっても、この「不可解」や、他者との交感、他人を受け入れる苦悩が重要な命題でもある。
ただ、一郎とは異なり須永の場合は、その苦悩の原因が、女=他者ではなく、須永=自分自身である。
一郎は妻お直を含めた他者を理解できないことに悩まされたが、須永は従妹の千代子によって、自らの持つ苦悶に気付かされ、苛まれれている。
個人的には、本作や「行人」のみならず、他の漱石作品に数多みられるこれらの煩悶に、はたして他人も悩まされているのかどうかと、つくづく思う。
ただそれは決して他人を軽んずるような意味なのではなく、他人を「不可解」に感じている自分にとっての大きな疑問でもあり、他者を理解や受け入れるとのできない、自らにとっては永遠の謎のようなものなのだと思う。
他人も顔に出さぬだけで同様に悩み苦しんでいるものなのかどうか、精神的な意味で他人に近しく接することのできない自分にとっては、おそらく一生分からないのではないかとも思う。
一方で、必ずしも苦悩と感じているかどうかは定かではないものの、この「不可解」という命題は、敬太郎を除くそれぞれの登場人物にも端々に感じ取れもする。
風来坊的な森本、どこか他人に心を許さない感のある田川、高等遊民を称して世間と隔絶した風のある松本、自ら期せずしてか須永を翻弄する従妹の千代子。
みんな、どこか他者への理解を拒絶し、どこか他人と打ち解けようとしていない感じすらある。
案外、他人もそのようなものなのかもしれないとも思う。
ちなみに本作も、10年以上前の学生のころに一度読んだのだが、今回「行人」の読後、改めて青空文庫のものを読んでみた。
さらに余談ながら、以前、「行人」を読んだ友人に、一郎からお前を連想した、と言われたことがある。
ただ、一郎ほどの英才でもないし、本作を読み返してみて、自分自身は、一郎よりもむしろ須永に近いような気もした。 -
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弟の二郎と妻お直との仲を疑う、学者である兄の一郎の苦悩を綴った作品。
高校時代の国語教師は「漱石は女を不可解な存在と感じていた」と論じたのを覚えている。
本作や「彼岸過迄」を読むと、漱石が「不可解」だったのはおそらく、女のみならず全ての他者、特に、最も近しいはずの身内ですら、その「不可解」の対象だったのではないかとすら感じる。
他の方のレビューに目を通すと、その感想には、概して一郎へ共感したかどうかの分かれ目があるように思える。
だがそれは、他の方々が一郎へ共感したかどうかを重要視したのではなく、個人的には、はたして他人は一郎のような苦悩を抱えたことがあるのかどうか、が気にかかったのだ。
正直に記せば、子どものころからぼんやりと、大人となったいまではより明確に、本作の一郎や「彼岸過迄」の須永のような苦悩を感じることがたびたびある。
ただ、その苦悩の原因はおそらく、他人に受け入れてもらえないということではなく、他人を受け入れない性質のせいか、どこか他人も自らを受け入れないのではないかという懐疑を基にしているではないかと、最近つくづく思う。
本作や他の漱石作品から感じられるのは、自らと同様に、彼自身もそのような苦痛を抱えていたんだろうということ。
そしてそれは、「近代人の苦悩」と簡単な言葉で片付けられるほどではなく、彼自身とともに自らもいまだ苛まれている重要な命題なのだと思う。
また、自分自身にとっては、明治の世から自らと同じ悩みにとらわれている人間がいたことを慰みとするわけでもなく、結局、これから先も、この苦悩を抱えていくしかないことに気づかされたに過ぎないのかもしれない。
10年以上前、学生のころ読んだのだが、最近、青空文庫のものを再読した。
なので本来は再読かもしれないが、以前読破してからだいぶ月日が経つので、改めてこちらに感想を記した。 -
Posted by ブクログ
追記
表題作「夢十夜」について学部で読書会を行なって随分理解が深まったので追加。
夢十夜はそれぞれを漱石が見た夢と考えてもいいが、よく読んでみると技工の優れた点や、後の作品の片鱗、漱石らしい主張などなど様々なものが盛り込まれている。
第一夜は、死や土の匂いなど負の要素が確かにあるのにそれを全く意識させない美の連続、流麗な文章の巧みさは漱石ならでは。特に白い肌の色から白百合への色の流れの美しさと輪廻の象徴は脱帽。
他にも七夜八夜が表す英国文化に迎合する日本批判は十夜の庄太郎に見える「それから」の代助の片鱗などなど。たった数ページの文章でも読めば読むほど深みが知れて底が見えない作品でした。
漱石先生可愛い
表題作の夢十夜はずいぶんと暗示的で理解するのが難しいです。
ですが、一緒に収録されている文鳥と永日小品はとても面白い。
漱石先生がロンドンで道に迷ったり、道に迷ったり道に迷ったり。
先生の他愛も無い日常を垣間見るのは明治の世の人と今の人とが同じ「日本人」であることを感じられとても面白いです。