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Posted by ブクログ
中盤こえるくらいまでやたらと難しい言い回しがくどくどと続く印象。漢籍や西洋の書籍からの引用が多いとかそういう話ではない。解説で、正宗白鳥は今作を批判したと読んだが、わからんでもない。
しかし終盤になると俄かに展開が速まり、筋に重きを置いたからなのか、格段と読みやすくなった。小野さんが突如として「真面目」になったのには少し狐に摘まれた感じがしたが、宗近一の言葉はなるほど人を動かす熱さがある。思わずじんと来た。
これまでに漱石の作品は『吾輩は猫である』『坊っちゃん草枕』『彼岸過迄』『こゝろ』『明暗』を読んだが、どれもそれぞれに特徴があっておもしろい。向田邦子の文章も好きだが、あの人のは反対にどれを読んでも変わり映えしないので、その対比からなおさら作品によって表情の違うのが面白く感じた。
解説によると、正宗白鳥は今作を説教くさいというような趣旨で批判したらしい。正宗白鳥の作品は『入江のほとり』を岩波文庫で読んだくらいだが、割と好き。しかし正宗白鳥が批判する今作も別の味があってよい。どの作家も同じ文章書き始めたら世も末。あまんきみこじゃないが、みんな違ってみんないい。
莫邪路と干将路というのが蘇州市内にあり、どっかの将軍(干将)と悪玉の親分(莫邪)の故事でも引いているのかと当時思っていたが、なるほど干将は剣匠でその妻が莫邪というのかと今作の註釈を読んではじめて知った。
Posted by ブクログ
「こういう危うい時に、生まれつきを叩き直しておかないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しは付かない。此処だよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけでできている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのは勿体ない。(中略)僕が平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。真面目になるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が現存しているという観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持ちになる。安心する。実を言うとぼくの妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。―――どうだね、小野さん、僕のいう事は分からないかね」(p367)
おそらく、漱石はこの一文に辿り着くために虞美人草を書いた。勧善懲悪小説は旧世界の古くさいイデオロギーに過ぎない。したがってつまらない小説である。つまり説教臭くて嫌だという批判もあっただろう。しかし、それでもあえて、伝えなければ世の中がヤバいことになるという切迫感が、焦燥があったことは明白である。
Posted by ブクログ
まず際立っているのが文章の難解さ。地の文が凄まじいまでの美文であり、知らない単語が怒涛のように押し寄せる(私が無知なだけですね)。漢文や故事の素養を下地にした表現も多用されており、ページを捲るたびに自分の無学をひしひしと感じる・・・。
でも、そこがよいのです。読み進むうちに絢爛豪華な文体を味わうのが癖になる。彫琢された文章ってこういうことを言うのね、と思う。
それになんといっても漱石作品は会話が面白い。藤尾と小野の恋の駆け引き、甲野と宗近の気心の知れた友人同士のおしゃべりなど、気の利いたやりとりが素敵。
さて、肝心の物語だが・・・
筋書きだけ見ると、まあ、メロドラマである。あらすじを言ってしまえば一言だ。それをここまで読ませるのはさすが漱石といった所か。終盤の展開が急すぎてびっくりしたけど。
登場人物の性格もはっきりしており(悪く言えば類型的?)、娯楽小説として心置きなく楽しめる。
お気に入りは超俗の哲学者甲野さん。宗近君もラストで道義を語るところでちょっと見なおした。真面目になります。
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