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Posted by ブクログ 2017年01月16日
「自然」でありたいと希望し、近代の論理に抗って三千代を選ぶ代助。しかし、後半の代助の心の動きは「自然」ではないように感じるところがある。柄谷行人はそれは姦通を扱ったから、無意識の発露であるからという。漱石は「拙」であっても「自然」であることを目指していたが、むしろ「自然」であるためには「拙」になって...続きを読む
Posted by ブクログ 2015年03月12日
漱石前期三部作の第二作。
自他共に認める、高等遊民である主人公代助の親友の妻を愛してしまうことによって、実社会に落とし入れられていくまでを描く、漱石による愛の物語。
まず、代助が高等遊民を自称名乗るに当たり、それに合わせて描かれる高等遊民らしい描写に圧倒されるだろう。
特に漱石の他作品(特に初期作...続きを読む
Posted by ブクログ 2014年07月21日
1909年(明治42年)。
国語の教科書のイメージが先行しているせいか、文豪作品は優等生的で退屈と思われがちだが、読んでみると必ずしもそうではない。最初こそ文体が堅苦しく感じられるかもしれないが、慣れてしまえば大したことはない。というか文体に慣れてしまえば、実はいわゆる古典的名作こそ、その中身は反社...続きを読む
Posted by ブクログ 2011年12月23日
文学上の「高等遊民」を感じようと読んだ作品。解説で吉田熈生が「息苦しい感じ」と評す漱石の文体を肯定できるようになるには年月がかかった。ストーリーは「自然」に人を愛そうとする遊民・代助の社会的不許の愛である。ただし注目に値するのは、物語の幹ではなく枝葉にある。視線の行方、煩悩の文字、不快な相互理解の描...続きを読む
Posted by ブクログ 2011年05月05日
代助の三千代への愛が真実の愛であるのに、代助が謂うところの義侠心によって、三千代を平岡に譲ったことが私には腑に落ちない。これでは真実の愛よりも義侠心のほうが代助にとっては価値あるものになるのではないか。私には、やはり謎だ。 代助から打ち明けられて初めは泣いていた三千代だが、「…けれども私もう度胸を据...続きを読む
Posted by ブクログ 2009年10月04日
主人公の代助は現在で言えばネオニートと言う言葉で一蹴されそうな身分。職につかず親の仕送りで生計を立てている。しかし普通のニートや引きこもりのように学びもせずただ娯楽に耽っていたりと言うことはない。彼は日々芸術など高尚な世界との交流を楽しみ学ぶ高等遊民であり、ニートと言う言葉で片付けるにはあまりにも舌...続きを読む
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