夏目漱石のレビュー一覧
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1914年(大正3年)。
明治の精神とやらはともかく、生物として、配偶者の獲得は弱肉強食の仁義なき戦いである。だからKを出し抜いた先生については、私はさほど責める気になれない。人間はしょせん動物なのだから。第一、勝敗を決めるのは先生でもKでもなくお嬢さんであり、その点において3人の間に不正は何ら存在しなかったのだから。
だがKは死ぬべきではなかったと思う。生きて愛する女性のために、未来を祝福してやるべきだったのだ。たとえ心で号泣したとしても。そこで涙をのんで祝杯をあげてやることこそ、どんな道を説くより見事な心意気じゃないかと私は思う。そうすれば2人は幸せになれただろうし、世界に女はお嬢さんだ -
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狂言回し的な主人公である敬太郎の周辺の人物たちを巡る作品。
同じ下宿の住人である森本、友人の須永、その叔父である、実業家の田川と、高等遊民の松本、そして、従妹の千代子。
話は、森本から始まり、田川と松本との接触、須永と千代子の関係、松本の話に終わる。
本作で最も中心を成すのは、須永と千代子の話、補足的にそれにまつわる松本の話である。
「行人」の一郎同様、須永の苦悩は根本的に、千代子(それに拡大解釈すれば彼の母)を含めた女を介した、他人に対する「不可解」なのではないかと思う。
同時に、「行人」のレビュー・感想に記したごとく、自らにとっても、この「不可解」や、他者との交感、他人を受け入れる苦悩 -
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弟の二郎と妻お直との仲を疑う、学者である兄の一郎の苦悩を綴った作品。
高校時代の国語教師は「漱石は女を不可解な存在と感じていた」と論じたのを覚えている。
本作や「彼岸過迄」を読むと、漱石が「不可解」だったのはおそらく、女のみならず全ての他者、特に、最も近しいはずの身内ですら、その「不可解」の対象だったのではないかとすら感じる。
他の方のレビューに目を通すと、その感想には、概して一郎へ共感したかどうかの分かれ目があるように思える。
だがそれは、他の方々が一郎へ共感したかどうかを重要視したのではなく、個人的には、はたして他人は一郎のような苦悩を抱えたことがあるのかどうか、が気にかかったのだ。
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追記
表題作「夢十夜」について学部で読書会を行なって随分理解が深まったので追加。
夢十夜はそれぞれを漱石が見た夢と考えてもいいが、よく読んでみると技工の優れた点や、後の作品の片鱗、漱石らしい主張などなど様々なものが盛り込まれている。
第一夜は、死や土の匂いなど負の要素が確かにあるのにそれを全く意識させない美の連続、流麗な文章の巧みさは漱石ならでは。特に白い肌の色から白百合への色の流れの美しさと輪廻の象徴は脱帽。
他にも七夜八夜が表す英国文化に迎合する日本批判は十夜の庄太郎に見える「それから」の代助の片鱗などなど。たった数ページの文章でも読めば読むほど深みが知れて底が見えない作品でした。 -
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漱石は文豪なんだよ凄い人なんだってとわかっている筈なのに、どうも吾輩は猫なんて庶民的な作品のイメージからか侮りつつ読み始める感じなんですが、いきなり「倫敦塔」で度肝を抜かれ。
何これ、基本英国史、それにダンテにシェークスピアに仏教の無一物に終いには都々逸まで!何この人、本当に万能なんじゃないの。何でも知りすぎでしょうよ。
あと「一夜」がお気に入り。「草枕」や「虞美人草」に近いかなと。綺麗綺麗しい文章。艶やか。
でも「幻影の盾」と「かいろ行」はこの人こういうのは向かないんじゃ?と思っちゃったけど。日本の話に英文的雰囲気が有るのは良いけど逆はなんだかな。英国紳士に和傘持たせるような違和感。
でも -
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「修善寺の大患」と呼ばれる大喀血、そして三十分の死。その前後、夏目漱石は何を思い、どんな風に過ごしていたのか。療養生活を振り返りながら諸処の想いを綴った随筆。ほか「子規の画」「変な音」「三山居士」等随筆を収録。
以前文庫に収録されていたものを読んだのですが改めて読書。毎年年明け付近には読んでるので。久しぶりの漱石だったのですがやはり筆致が素晴らしいし、どんな些細なことでも含蓄深い。思っていたよりスイスイ読めました。時折挟まれる俳句と漢詩もいい味を出しています。晩年は漢詩が多い漱石ですがこの頃から漢詩多めです。
個人的には人生の悲哀と煩悶にいつも苦しんでいる小説が多いので漱石もなんかいろいろ小 -
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夏目漱石の自伝的作品。
実際に読んだのは、高校生か大学生のころ。
大学教師の健三とその妻お住、かつての養父母島田夫妻などとのやり取り。
個人的にも金やプライベートには何かと苦労した学生時代。
そのためか、記憶に残るのは、稼ぎの少ない健三の苦心、冷めた夫婦仲、親族とのしがらみ、などなど・・・。
とにかく、主人公健三の先の見えない不安や焦り、これらを肌身に感じたことを覚えている。
そして、もう一つ、強烈に記憶に残っているのは、江藤淳の「夏目漱石ー決定版」でも引用された、この一節。
「その時細君は別に嬉しい顔もしなかった。しかしもし夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっと嬉しい -
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聡明な頭脳を持つ哲学者である兄。それゆえに思考のみが先走り、本人が望んでいる行動に移せない。行動に移るなら愚鈍でなければならない。それにもなれないという哀れさ。
中盤で、兄が自分の妻の貞操を確かめる場面があるが、あの時どちらに転んでも兄は同じ反応を起こしたのではないだろうか。
自分で妻に対して聞きただしたかった。しかしそれができずに弟に頼む。結局何もないにも関わらず、兄は弟に対して癇癪を起こしてしまう。
「自己本位」という漱石について使い古された言葉を念頭において考えれば、ここでは「受身な我儘」がテーマになっていたのではないか。
妻に何も言えず、弟に任せる兄、ふと縁談が勝手にまとまってくれ