夏目漱石のレビュー一覧
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漱石は文豪なんだよ凄い人なんだってとわかっている筈なのに、どうも吾輩は猫なんて庶民的な作品のイメージからか侮りつつ読み始める感じなんですが、いきなり「倫敦塔」で度肝を抜かれ。
何これ、基本英国史、それにダンテにシェークスピアに仏教の無一物に終いには都々逸まで!何この人、本当に万能なんじゃないの。何でも知りすぎでしょうよ。
あと「一夜」がお気に入り。「草枕」や「虞美人草」に近いかなと。綺麗綺麗しい文章。艶やか。
でも「幻影の盾」と「かいろ行」はこの人こういうのは向かないんじゃ?と思っちゃったけど。日本の話に英文的雰囲気が有るのは良いけど逆はなんだかな。英国紳士に和傘持たせるような違和感。
でもなんだかんだで圧倒的なる筆力に畏まって読み進めていたのに、また「趣味の遺伝」で笑わされ。趣味の遺伝って結局一目惚れってこと?しかし一度合った美人が何処の誰だろうという問題を「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」ってどんな思考回路だ!あと高跳びを応用したチラ見にも笑い。
うーん漱石。勿論凄いんだけれど、彼はちょっと高みに置くには面白すぎる。 -
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「修善寺の大患」と呼ばれる大喀血、そして三十分の死。その前後、夏目漱石は何を思い、どんな風に過ごしていたのか。療養生活を振り返りながら諸処の想いを綴った随筆。ほか「子規の画」「変な音」「三山居士」等随筆を収録。
以前文庫に収録されていたものを読んだのですが改めて読書。毎年年明け付近には読んでるので。久しぶりの漱石だったのですがやはり筆致が素晴らしいし、どんな些細なことでも含蓄深い。思っていたよりスイスイ読めました。時折挟まれる俳句と漢詩もいい味を出しています。晩年は漢詩が多い漱石ですがこの頃から漢詩多めです。
個人的には人生の悲哀と煩悶にいつも苦しんでいる小説が多いので漱石もなんかいろいろ小難しく考えて苦しんでるような人なんだろうなあと、漱石についてそれなりに勉強してるし愛もあるのにそれはないだろwって印象を持ってるんですけど、自分のために看病してくれたりわざわざ東京から来てくれた人に対してものすごく感謝してたり、この人達のために生きたいと書いていたりする。「ああ、ほんとはこんなにまっすぐに想いを述べられる人なんだ」と、その文章に胸打たれて思わず泣きそうになりました。そういうの多かったです。やっぱ読み応えすごい。
ほかの収録作品でもそうです。「三山居士」は寂しさの余韻がいい。「子規の画」も好き。いろいろ書きたいのですが長くなるので。次は八犬伝読書でふつーの読書ちょっとおやすみします。 -
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夏目漱石の自伝的作品。
実際に読んだのは、高校生か大学生のころ。
大学教師の健三とその妻お住、かつての養父母島田夫妻などとのやり取り。
個人的にも金やプライベートには何かと苦労した学生時代。
そのためか、記憶に残るのは、稼ぎの少ない健三の苦心、冷めた夫婦仲、親族とのしがらみ、などなど・・・。
とにかく、主人公健三の先の見えない不安や焦り、これらを肌身に感じたことを覚えている。
そして、もう一つ、強烈に記憶に残っているのは、江藤淳の「夏目漱石ー決定版」でも引用された、この一節。
「その時細君は別に嬉しい顔もしなかった。しかしもし夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっと嬉しい顔をする事が出来たろうにと思った。健三はまたもし細君が嬉しそうにそれを受取ってくれたら優しい言葉も掛けられたろうにと考えた。」
世の多くの人々は、慎ましくともささやかな幸せを求めるものかと。
だが、この作品を読むとどうしても頭をよぎる、所詮世の中は先立つものがなければ幸福などありえない、という思い。
同時に、もしそのとき最良の相手と思ったとしてもその後も幸福な結婚はありえるのだろうか、という疑問。
そのせいなのかどうか、未だに独り身・・・。
ただ、学生のころから社会に出たいまもずっと、まだどこかにその思いや疑問を抱えているのは確か。
未だ独身なのは、少なからずこの作品の影響だとも思える。 -
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聡明な頭脳を持つ哲学者である兄。それゆえに思考のみが先走り、本人が望んでいる行動に移せない。行動に移るなら愚鈍でなければならない。それにもなれないという哀れさ。
中盤で、兄が自分の妻の貞操を確かめる場面があるが、あの時どちらに転んでも兄は同じ反応を起こしたのではないだろうか。
自分で妻に対して聞きただしたかった。しかしそれができずに弟に頼む。結局何もないにも関わらず、兄は弟に対して癇癪を起こしてしまう。
「自己本位」という漱石について使い古された言葉を念頭において考えれば、ここでは「受身な我儘」がテーマになっていたのではないか。
妻に何も言えず、弟に任せる兄、ふと縁談が勝手にまとまってくれれば良いと思う私、兄を疎ましく思うもなんら処置を下せない家族、自然のままに流そうとする三沢、これら全員が受身な我儘を持っている。その根底にあるのは決定に伴う責任を回避したいという甘えではないか。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」
Hのこの言葉がそれを表していると思う。
唯一自己の愚鈍を主張している嫂の直とHはこれとは違うと思った。
「今の日本の社会は――ことによったら西洋もそうかも知れないけれども――皆な上滑りの御上手ものだけが存在し得るように出来上がっているんだから仕方がない」
この言葉がそれを代弁している。
長々と愚説を書きましたが、読み物として普通に面白いです。一読あれ。 -
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・「三四郎」「それから」が甲乙つけがたくどちらも好きです!
・『改札場のきわまで送って来た女は、 「いろいろごやっかいになりまして、……ではごきげんよう」と丁寧にお辞儀をした。三四郎は鞄と傘を片手に持ったまま、あいた手で例の古帽子を取って、ただ一言、 「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、 「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。』
・「なにつまらない――かわいそうだたほれたってことよというんです」「あたりまえにのばすと、こうです。かあいそうだとはほれたということよ」
・『「本当は金を返しに行ったのじゃありません」美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。』
・「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」
・『女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。「我はわが愆とがを知る。わが罪は常にわが前にあり」聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。』
・『やがて唱歌の声が聞こえた。賛美歌というものだろうと考えた。締め切った高い窓のうちのでき事である。音量から察するとよほどの人数らしい。美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた。歌はやんだ。風が吹く。三四郎は外套の襟を立てた。空に美禰子の好きな雲が出た。かつて美禰子といっしょに秋の空を見たこともあった。所は広田先生の二階であった。田端の小川の縁にすわったこともあった。その時も一人ではなかった。迷羊。迷羊。雲が羊の形をしている。』 -
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主人公の代助は現在で言えばネオニートと言う言葉で一蹴されそうな身分。職につかず親の仕送りで生計を立てている。しかし普通のニートや引きこもりのように学びもせずただ娯楽に耽っていたりと言うことはない。彼は日々芸術など高尚な世界との交流を楽しみ学ぶ高等遊民であり、ニートと言う言葉で片付けるにはあまりにも舌足らずと言う気がする。
3回読んだが、難しいところが多い。三四郎より簡単だったと言う人がいたが、僕にとっては哲学的表現が多いように感じ三四郎より難解であった。
色々と難しい代助の人生観は度々理解できないものがあるが、共感できたりするところが多い。彼の人生観をただのニートの言い訳とみなすのはあまりにも勿体無いであろう。それはこの作品が100年経った今でも盛んに読まれていることによって裏づけされていると言える。
前半200ページ(いわゆる『起』の部分)はややだるいところもあるが、哲学が好きな人にはお薦めできる。後半の100ページ(ここに『承転結』が詰め込まれている。しかし個人的にはこの物語は転で終わっており、結は無いような気がする。結の部分は3部作の最後をしめくくる『門』で語られているのだろうか)で話は怒涛の展開を見せる。
しかし働かない身分での妻帯が許されて、不倫が許されないなんて、当時の社会の掟って現在と随分違うのね〜と思う。