あらすじ
鎌倉の海岸で、学生だった私は一人の男性と出会った。不思議な魅力を持つその人は、“先生”と呼んで慕う私になかなか心を開いてくれず、謎のような言葉で惑わせる。やがてある日、私のもとに分厚い手紙が届いたとき、先生はもはやこの世の人ではなかった。遺された手紙から明らかになる先生の人生の悲劇――それは親友とともに一人の女性に恋をしたときから始まったのだった。
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Posted by ブクログ
読んでよかった。
難しい言葉も出てくるけれど、勉強になった。
恋愛か友情かは、とても難しい問題。
矛盾するような感情で成り立ってるこころや気持ちはたくさんあるんだなと思った。
詳細を詳しく書きすぎず、読者に想像の余白を残しているのは、意図的か分からないけれど、作品に奥行きを持たせていると感じる。
小説内で共感できる部分を見つけると、時代を超えて気持ちを共有出来ている感じがして嬉しくなった。
また時間が経ったら読み返したい作品。
Posted by ブクログ
本当に文章が綺麗。
人の矛盾に纏わる心理描写が多いと思いきや、行動や思想が一貫してありたいと努める心理描写が物語全体を通して散りばめられ、随所で登場人物に深い共感をしながら読み進められた。
Kに「精神的に向上心のないものはバカだ」としたり顔で言った後の意地の悪い先生の猛攻と、Kの自死に対する罪責感とは裏腹に、それを妻やその母に打ち解けられずにいるエゴイズム、終いには妻の気の毒を知りながら自死を選ぶ先生に、むず痒い読後感があった。
でも、そんな先生にも少なからず共感しながら読めるのだから、本当に漱石の人物描写は上手い。
Posted by ブクログ
現代に生きすぎている私は、
テンポの良いものに
慣れすぎている。
(小説やドラマ、映画だけではなく、
YouTubeやTikTok、リール等も然り)
人がぱっと死んだり、
あっけなく人生の何か重要なことが変わったり、
どんどん進んでいくストーリーが今は当たり前。
だからこの漱石の「こころ」を読むと、
人1人の人生、そして命が
そう簡単に終わったりしないのが普通であり、
これこそが現実なんだという気持ちになる。
自分にとっての当たり前を
このテンポに戻したい…
Posted by ブクログ
最初に総括的にこの本を講評する。不朽の名作と言われるだけあって、「また10年後に再読したいが、また違った感想を持つだろうか?」とも思わせてくれたし、人間の負なる感情や姿の機微を巧みに描いていたように思われる。
具体的にどんな負なる感情や姿を感じ取ったかというと、kの理想と現実のギャップに思い悩む姿であったり、先生のエゴイズムだったり、先生の自責思考であったり、孤独であることの苦悩などが描かれていたような気がした。
また、先生は昔は素直で死の直前より実直であったが、kとの恋愛のいざこざなどを経験していくうちに、猜疑心や自責思考に苛まれておかしな方向へ進んでいったような気もした。これは自分の今昔の性格の差と同じであり、先生に同情の念を抱いたり、先生に自分の性格の変遷を投影してみたりした。
最後になるが、私たち人間は楽しさや喜びなどポジティブな感情ばかり味わいたいと思う愚かな生き物であると私は思う(もちろん私もそうだが)。
だが、漱石はこうした人間の愚かな部分を叱責するが如く、あえてネガティブな感情を盛り込んだ作品を世に出し、私たちに人間の感情の陰なる部分について一考を促す機会を提供し、自省を促してくれたのかもしれない
Posted by ブクログ
再読。
Kは、己の”道”に反する恋愛をしたことを容認せず、自死という選択をする。
先生もまた、自らのエゴイズムのためにKを自死に追いやったのだという自責の念にかられ自死を選択する。
エゴイズムを追求する”こころ”、自省する”こころ”、自己と他者の間ですれ違う”こころ”。
もっと幸せな終わり方はなかったものかと思うが、明治の精神に生きたKと先生にとってはこれが最善だったのだろうか。
過去への後悔を伴った『門』と似て、抑制された文体に切なさが増す。
Posted by ブクログ
やっぱり夏目漱石が好き。どうしてこうも染み渡るんだろう。私のこころ、先生のこころ。妻君のこころ、Kのこころ。自分の家族、先生の家族、妻君の家族、Kの家族。それぞれが揺れ動く。本の半分で先生から手紙が来た。先生のこころは悲しくて泣いていた。私だけにこころを許してくれた。許してくれた時にはもう死んでしまっていた。生と死。先生は父の死が親族と疎遠の要因となり、私は父が正に死の床に伏せている。Kも先生も死ななければならなかったのか。
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2回目読んだがやっぱり最後の遺書のところが最高
脳髄よりも、私の過去が私を圧迫する結果こんな矛盾な人間に
私の心臓をたち割って、暖かく流れる血潮をすすろうとしたから
私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が止まったとき、あなたの胸に新しい命が宿ることができるなら満足です。
私は冷ややかな頭で新しいことを口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べるほうが生きていると信じています。血の力で体が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強いものに強く働きかけることができるからです。
本当の愛は宗教心とそう違ったものでないということを堅く信じているのです。
そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字をさしうるものだろうかとと考えました。
鉛のような飯 気分がすぐれず、ご飯の味が分からなかったことのたとえ
あたかもガラスで作った義眼のように、動く力を失いました
もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。
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恥ずかしながら30代にして、初めてちゃんと読みました。今も昔も人間の根本的な悩みは、同じなんだなと思った。身近な人間に罪悪感を抱きながら生きている自分と主人公が少し重なった。
また、妻さん、親友のK、主人公それぞれの『こころ』について考えさせられた。早く僕も好きなんですってKに言いなさいよ、と読みながら、何度思ったことか…。年頃の奥手な男子と、知識人であるがためにまどろっこしい考ばかり…イライラもしたけど、細やかな描写がなんとも親近感が湧いて、100年前にかかれた本だと思えなく、面白かった。
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高校の時に授業で初めて読んだ。その時の現代文の先生の教え方が上手で、こころに隠された細かい心理描写だったり、風景の表現の仕方の工夫だったりを教えて貰った時、ただ読書が好きで本を読んでいたけど、今まで私は表面的にしか物語を受け取ってなかったんだってショックを受けた覚えがある。こころの単元が終わってすぐに本屋で文庫買った。何気ない一文が実は心理を表してる文だったりしてびっくりしたし、何より面白さに気づかせてくれたからあの時の授業には本当に感謝してる。
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およそ35年ぶりに再読。中学3年生の時に読んだ以来でした。
当時の私、わかったのかな??
細やかな描写が自分の胸にじわっとしみわたるような文章だった。
明治時代にあっても令和の時代にあっても、若者の儚い、脆い感覚は変わらずにあって、発表から100年以上経った今でもとても瑞々しく感じられる作品だった。
プレミアムカバーということで、真っ白なカバーに銀の文字で「こころ」と記してあったのも素敵なカバーでした。
再読できてよかった。
漱石最高!
Posted by ブクログ
先生の御嬢さんに対する恋心や、Kも同じく御嬢さんに恋心をいだいているとわかった時の先生の気持ちの動揺と焦り、Kが亡くなってからの先生が抱く罪悪感どの感情もひしひしと文字から伝わってきてまるで自分がまさにその状況にいるような気分だった。
私が手紙を読んだ後、私はどんな思いでどんな行動をするのか、取り残された奥さんはどのような気持ちで何をしているのか、私は父の最期を見届けることが出来るのか、書いてないことによって読者の物語のその後の想像力を掻き立てるほんとに面白い本だと思った。
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高校2年生ぶり!久しぶりに「向上心のない者は馬鹿だ」を拝見した笑 当時こころの授業のお陰で現代文が好きになったのを思い出した。高校生の時では下『先生と遺書』の一部しか教科書に載ってなかったから知らなかったけど、先生を慕う私が先生の手紙が届いた瞬間危篤状態の父を国元に置いて、家族にも黙って、汽車に乗ったのに驚いた。
その後彼は家族から勘当を受けたりしてないだろうか。父親が亡くなる時は見送れたのだろうか。この先生からの秘密をどう消化したのだろうか、恋愛しようと思えたのだろうか、と色々な疑問に思いを馳せた。先生は自分の考えを自分の中だけで反芻し凝り固めて、許してくれるであろうと思っていた妻にも打ち明けずにそのまま自ら死を選んだけど、その先生をどう感じたのか、何を学び取ったのか。そういった遺書を読んだ私の思いを一切触れず、遺書で重たい余韻を残していたのが印象的だった。
わかるのは、先生の願い通り私は先生の妻にKの自殺の経緯を打ち明けないこと。他の誰にも先生の遺書のことを打ち明けず、自分の教訓として大事に持っておくんだろうなということ。
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中1の時に、高橋留美子さんの漫画「めぞん一刻」の中で出てきて読んだ。
人間のエゴイズムや一人称形式の代表的な作品だとか、そんな予備知識無しに読み始め、
「おいおい、そりゃずるいやろ!」
「えっ!?死ぬんかーい!」
などと感想を持ち、「教科書に出てくる近代小説も面白いんだなぁ」と思わせてくれた作品。
ブックリストに登録する為に感想と評価を入力するが、自分の読書の歴史を語るには外せず、敬意を評して、星5でv
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最近古典の小説にハマり手に取った一冊。
過去読んだような気もするが改めて大人になり、有名なこの本と向き合ってみたいと感じた。
個人的には、話の内容はもちろんだが話の構成に改めて感銘した。話の主軸になる部分を半ばまでは、多くは触れず徐々に展開していく流れは引き込まれていた。
内容については、生と死というテーマも考えさせられつつ、生きること、自体について深く考えさせられた。
生きることが多様になった現代であるが、むしろ生きづらさには共感を感じる部分が多い。
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題名「こころ」のとおり、思いやりや葛藤や汚さ、諸々含んだ繊細で複雑な人間の心を、これほどまでに緻密に描写した作品は他に読んだことがない。
登場人物の揺れ動く心情に、一部軽蔑を感じるも、思わず「自分でもこうしてしまうかもしれないな…」「わかるわかる…」と深く首肯しながら読んでしまう。
Posted by ブクログ
どす黒くてどうしようもないこの心は、
自分だけが持っているものじゃないんだってことを教えてくれた。
明るい内容じゃないのに、ものすごく心が救われる。
人間みんな、そんなもの
そう割り切って生きていこうって
諦めとはまた違う勇気を貰える物語。
この小説に出逢えて本当に良かった。
日本近代文学の傑作
誰しもが読んだことのある傑作。
三章仕立てのこの小説は、前半で先生との出会い、中盤で父との関係、終盤で先生の過去を描いている。読者にとって最も謎なのは、先生の自殺の原因だろう。彼は何に悩み、なぜ「僕」にだけ過去を明かして自殺したのか。
どうやらこの謎に、多くの批評家や小説家が挑んだらしい(この記事を参考にした:https://naruhoudou.com/kokoroisun/)。名だたる批評家が挑んだこの謎を一般読者が解くのは難しいと言わざるを得ないが、だからこそ挑む価値があるとも言える。何故なら、結局誰にもわからないのだから。
Posted by ブクログ
高校の頃、授業で少し読んで面白かった記憶があった。
授業で取り扱う「こころ」はごく一部抜粋であるため、先生とKと「私」の関係性を把握できない生徒が多かった印象。文庫本では、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」に分かれているため、関係性の把握は難しくない。
恋が原因となり先生の親友であるKが自殺、という内容はあらすじにも書いてあるとおりご存知の人が多いと思うが、終盤は想像以上の重さであった。
「もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きていたのだろう」
「要するに私は正直な路を歩く積りで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。」
「私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。」
先生は恐らく善人ではないが、悪人でもない。非常に人間らしいと思った。
この物語において1番哀れなのは誰だろうか。
「先生と遺書」からは先生の遺書での回想で、その後の登場人物の動向や心情は一切書かれていない。
先生はどのように死んだのか、「私の心臓に流れている血潮」を浴びせられた「私」は心情に変化があったのか、妻はどうなったのか。
不明な点はあるし、最後も先生の遺書で締めくくられているので不思議な終わり方にも感じられるが、この重苦しい雰囲気の余韻に浸りたいので、私はこれでいいと思う。
Posted by ブクログ
日本文学というものを大人になって初めて読みました。難しい言い回しは多々ありましたが、全体感を見失わず読み進めることが出来ました。
先生とK、それぞれの想いがある中、分かりあうにはきちんと向き合い理解することが大事だったんではないかと、人と人との向き合い方は普遍的だなと感じました。と同時に、人は過去に捉われ、抜け出すことは容易ではないなということも、自分自身の状況から深く刺さった作品でした。
Posted by ブクログ
国語が苦手で学生の頃読まなかったので、初めて読みました。「先生」の遺書を読んだ「私」がその後どうなったのか気になります。巻末の解説では、完結してないところに意味があるようなことが書いてありましたが…国語が苦手な私にはよく分かりませんでした。ただ、明治の頃に書かれたとは思えない程読みやすかったです。
Posted by ブクログ
高校生の頃、教科書に一部が載っていたのを読んだことはありましたが、通しでは初めて読みました。
当時は正直暗くて重い作品というイメージが強かったですが、今回読んでみてその印象はあまりなく、構成の巧妙さを感じたのと、あからさまな内面描写がそこまで多くないにも関わらず登場人物(主に私と先生)の内面がしっかり伝わってくる感じがしました。
読み始めてすぐの頃は、文体や知らない単語、言葉遣いが出てきて、昔の文学作品を読んでる感みたいなものが強かったですが、文章に慣れてくると、ここ最近の作品と同じように、作品の世界に集中することができて、そこまで敷居を感じる必要はなかったなと思いました。
Posted by ブクログ
今更ながらちゃんと読んでよかったと思えた一冊
恋愛の挙げ句拗らせた話かと誤解していた
人間が生きる上で絶え間なく繰り返される懺悔や
死にきれず日常に留まるあたりの描写が凄い
Posted by ブクログ
高校の現代文以来のこころ。
高校時代は、Kから姑息な手で好きな人を奪い、Kを精神的に追い詰めた先生は酷い人だと思っていた。
よかれと思ってやったことが自分の首を絞め、以前からずっと好きだった人を親友に取られる不安。私が先生の立場だったらどうするだろう。先生と同じようにKにお嬢さんへの好意を伝えられなかったとしたら、私もなんらかの手段でお嬢さんを手に入れようとしてしまうかもしれない。親友だからこそ、とられたくないという気持ちが強いかもしれない。罪悪感を抱えて生きていくのはしんどいと思う。
お嬢さんへの純粋な恋心が、妻への罪悪感からくる優しさに変わっているところが皮肉。
Posted by ブクログ
知らない人のいない名作を読んでみた。
読後の感想を書くのが難しすぎる…
一つ言えるのは、夏目漱石さんが百年以上前にこんなにも詳細な心情描写をしていたことに、とにかく驚いた。Kが御嬢さんへの気持ちを打ち明けた時に、先生が「精神的な向上心のない奴は馬鹿だ」といつものKの常套句を用いて皮肉るかのような場面は、凄くずるいなと思いつつ人間だなぁと…
昔から人のこころはとにかく難しく、本当のこころは誰にもわからないんだなと汗…トホホ…
題名がぴったりだなと思いました。
Posted by ブクログ
後半部分の盛り上がりが大きいだけに前半部分がダラダラと感じてしまったが、父の死や明治天皇の死の主人公の捉え方と先生の捉え方が対比されて後々の伏線になったというかんじなのかな。
そして心情描写がすさまじい。人間の細かで繊細な感情を物質的に、視覚的、感覚的に表現するときの正確さと読者に伝わるように伝えられる表現力。
この物語のおもしろさは人間の心情描写だと思うけれど、その中でも特に自分の気持ちについて登場人物が述べるだけでなく他人の気持ちを推測ったり想像して行動したりする、という感情に対する思考を取り入れているのが面白いと思った。
人のずるさとか醜さを鮮烈に描写し訴えかけるすばらしい作品だが、個人的にはどうしても先生の自白のなかに利己的な考えがみえすいているように感じて腹が立ってしまう。
本当に自分の行動に悪いと思っているのならせめて奥さんを精神的に幸せにして欲しかった。結局自分が犯したことを悔いたり嘆いたりするだけでまわりのひとに迷惑しかかけていない。奥さんの純潔さを汚したくないから過ちを打ち明けないのだというけれど、主人公にも自分の過去の過ちをはっきりという勇気がなかったところからみてもやはり保身のことばかりしか考えていないように映った。
最後に手紙を受け取った後の主人公の反応も気になったところだけれど、そういった描写がないのはむしろ逆に先生が手紙で述べた、“自身の過ちを地肉として経験に活かしてほしい”という願いを投げかけられているような気がした。
腹が立ったり不条理だと感じた展開もあったけどこれこど人間の利己的なずるさや現実逃避してしまう精神そのものなのだと気づいた。逃げたくなることも、嘘をつきたくなることもある。でもそれで自分のことも他人のことも苦しめなくて済むようにもっと実直でまっすぐな人間でありたい
Posted by ブクログ
すごく読みやすかった
ずっと暗く、読んでいて息苦しい 全部最初の方に後にこれはこのようなことに繋がるとか書いてあるから死の理由がわかった時も驚きというのはなかった
ただ恋愛だけでそこまでになるか?というのはあったきっと恋愛だけが理由で2人は命を絶ったのではなく、ずっと死んでも生きてもどっちでもいい。できれば死んでしまいたい そんな思いで生活してきたのだろう
読み終わったあとは心が空っぽになりながらもスッキリする、空元気のような気分になった
Posted by ブクログ
呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。『吾輩は猫である』1906
智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ。『草枕』1906
愛嬌は自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器であり、不愛想は自分より弱いものを扱き使う鋭利な武器である。『虞美人草ぐびじんそう』1907
僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。『それから』1909
冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯えていたと考えると、父のかたみとして、彼の悪い上皮だけを覚えているのが、子として如何にも情けない心持がする。『彼岸過迄』1912
君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団駄を踏んでくやしがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない。『行人こうじん』1913
鋳型に入れたような悪人は世の中にいない。平生は善人で普通の人間が、急に悪人に変わる。▼私は淋しい人間です。私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間じゃないですか。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味はわなくてはならない。『こころ』 1914
わざわざ人の嫌がるようなことを云ったり、したりする。そうでもしなければ僕の存在を人に認めさせる事が出来ない。仕方がないからせめて人に嫌われてでもみようと思う。『明暗』1916
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「学んだことがない」と「学んだことがあるけど忘れた」は違う。むしろ忘れた後に本当の学問の効果が残る。内田百聞ひゃっけん
Posted by ブクログ
先生と私が鎌倉で出会う。前半は私視点の話で後半は先生の手紙。叔父に財産を奪われ人間不信になった先生が未亡人の母とお嬢の家に住む。そこに親友Kも後から住むことになり、Kがお嬢に恋をしてることをしる先生は抜け駆けしてお嬢と結婚することになりそれを知ったKが自殺する。それをずっと気にかけてた先生もその後自殺。人間不信になると人はダメになる。
夏目漱石「こころ」に触れ
朝日新聞で100年ぶりに連載されたことをかなりたってから知った。
明治時代の大学生、勿論家庭もそれなりに裕福であろう。しかし、どうしてもその時代の大学生は、自分の生きざま、思想に陶酔しているように感じてしまう。
文学者であれ、芸術家であれ自分は特別な存在として身を置いているようだ。
それが、現代の若者と似ても似つくさない、ある意味とても魅力的に写る時代背景、ロマンを感じることができる。
明治、大正の堅物であるが故の純粋な恋心が伝わる。