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『道草』は漱石唯一の自伝小説だとする見方はほぼ定説だといってよい。すなわち、『猫』執筆前後の漱石自身の実体験を「直接に、赤裸々に表現」したものだというのである。だが実体験がどういう過程で作品化されているかを追究してゆくと、この作品が私小説系統の文学とは全く質を異にしていることが分る。 (解説・注 相原和邦)
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Posted by ブクログ
夏目漱石の表の傑作が『こころ』なら、裏の傑作は『道草』と言ったところでしょうか。 裏と言うだけあり、誰にもおすすめしませんが、自分は読んで良かったと思いました。 自伝的要素を持つ本作は、幼少期の不遇な境遇を混じえつつも、何か特別大きなイベントがあるわけでも無く、多少の起伏がある程度の話が淡々と進ん...続きを読むで行きます。内容は書くまでも無く、親類縁者から金を無心される話と、心を通わせられない夫婦の会話に終始しており、ラストもケリがついたと思いきや、主人公の言葉に含むものがあり、なんだかスッキリしません。まさにタイトル通り、著者の作品に付き合った読書体験そのものが『道草』だったかのよう。 そのスッキリしないラストは、アガサ・クリスティーの名言 “人生で最も悲しいことの一つは、人は覚えているということです” という言葉がふと脳裏にうかび、個人的には納得した次第ですけどね。 そんなことを書いていると、暗い話ばかりなのかと言えばさにあらず。みんなあの手この手で申し訳なさそうに、お金を無心しにくる様子が面白かったり、そこまで言うかというような夫婦の呆れた会話のやり取りに一喜一憂するのが楽しかったです(憂いの方が多いけど)。 例えば、養父の島田だけで無く、その妻で離縁された養母の御常(おつね)さんが金の無心に来たときの、妻の御住(おすみ)さんが、「……今までは御爺(おじい)さんだけだったのが、御爺さんと御婆さんと二人になったのね。これからは二人に祟られるんですよ、貴方(あなた)は」などと言うところでは、健三が気の毒でありつつもツボってしまいましたw 会話は、自伝的小説と言えど、主人公の健三に対しては、自らを俯瞰して見る第三者的な視点の筆致で書かれており、特に妻の御住との会話のやり取りで見せる、互いの心の内が書かれているのが本作のいいところ。 注釈に「……このような一節内での視点の転換は『こころ』以前には見られなかったもので、『道草』が主人公のみならず他者の内面に分け入る手法を開拓していることを示している」とあります。次の作品『明暗』が未完に終わってしまったのが惜しまれます。 それにしても、健三と御住の会話で、健三がこれを言ったらいけないということを、一時も逡巡せずにすぐに口から出せば、それは揉めるわけで……健三って何だかB型っぽいなと思ったら、夏目漱石もB型でした(苦笑)。 そんな会話や心の内で、女性に対する辛辣な言葉が多々でてきますので、そういうのが苦手な人は注意が必要ですね。
これは初めて読んだ。作者の自伝的な作品。 せっかくロンドンに留学したのに、帰国したら貧乏になっていた彼の家。 親戚縁者から借金や小遣いをせびりに来られてストレスを感じている。 奥さんともしっくりこないし、けんかをする。 何が面白いか、と言ったら人物描写だ。なかでも元養母が丸い年寄りになって座布団に座...続きを読むっている様子。 彼女の描写は見事。 喘息持ちのお姉さんの描写も面白い。口やかましくて愛されていないのに、夫に妾がいることに気づかず弟から貰っている小遣いを与えていて、夫孝行と呼ばれている。
自分としては漱石の中で一番わかりやすくて大好き。 そこまで人間関係も複雑ではなく、多分小学生でも読める。 漱石読んだことない人へ第一番に勧める本ではないと思うけど、 読みやすさでは坊っちゃんやこころをはるかに凌ぐ。個人的には。
夏目漱石の自伝的作品。 実際に読んだのは、高校生か大学生のころ。 大学教師の健三とその妻お住、かつての養父母島田夫妻などとのやり取り。 個人的にも金やプライベートには何かと苦労した学生時代。 そのためか、記憶に残るのは、稼ぎの少ない健三の苦心、冷めた夫婦仲、親族とのしがらみ、などなど・・・。 と...続きを読むにかく、主人公健三の先の見えない不安や焦り、これらを肌身に感じたことを覚えている。 そして、もう一つ、強烈に記憶に残っているのは、江藤淳の「夏目漱石ー決定版」でも引用された、この一節。 「その時細君は別に嬉しい顔もしなかった。しかしもし夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっと嬉しい顔をする事が出来たろうにと思った。健三はまたもし細君が嬉しそうにそれを受取ってくれたら優しい言葉も掛けられたろうにと考えた。」 世の多くの人々は、慎ましくともささやかな幸せを求めるものかと。 だが、この作品を読むとどうしても頭をよぎる、所詮世の中は先立つものがなければ幸福などありえない、という思い。 同時に、もしそのとき最良の相手と思ったとしてもその後も幸福な結婚はありえるのだろうか、という疑問。 そのせいなのかどうか、未だに独り身・・・。 ただ、学生のころから社会に出たいまもずっと、まだどこかにその思いや疑問を抱えているのは確か。 未だ独身なのは、少なからずこの作品の影響だとも思える。
すごい迫力を持った作品です。そうだよなあと感心することしきりです。 最後の一文がこの物語の主題を的確に表していると思います。 「世の中に片付くなんてものは殆(ほと)んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
健三は、幼少期、養父島田とその妻お常に自分たちを実父母と思わせるような洗脳を受けたが、それに嫌気がさした健三は却って二人を嫌った。二人が不倫問題で不仲になり、養父母それぞれがそれぞれに片づくと、もてあまされた健三は実家に戻された。 健三は実家に戻ったものの、養父母の考えで実父の戸籍には戻されず、実父...続きを読むは実父で、自分の嫡男とはいえ別の戸籍に入っている出来の悪い子供を養育することに乗り気でないため、食うは食わすがそれよりほかは一切あたえなかった。 異母姉は夫から邪険に扱われ、持病の喘息で息も絶え絶えになっていても夫は飄々とすましていた。それでも健三の異母姉は夫に傅き、客があると自ら血を出してもてなすことを楽しみとしたため、貧しかった。 同母兄は役人として働いていたが、病身のために生活は苦しく、休んできられるか、休まず働いて身体を壊すか、その瀬戸際で鬱々と生活していた。 妻お住の父は貴族院議員にまで推薦されたが、就任は果たされず、それどころか政治闘争の渦中に巻き込まれたために地位を失い、株に大金をつぎこんで全部すってしまったことで、一転赤貧洗うがごとき生活を送っていたが、プライドだけは高かった。 そんな人間関係の中で、洋行して教師の職に就いた健三は、なまじっか社会的な身分をもっていたために、明日の生活もわからない親戚縁者からたかられる。異母姉は夫が外に女をもっていることを知りつつもどうしようもできず、貧乏を理由に異母弟の健三に毎月無心した。 兄は仕事を失うかもしれない心配から、弟の健三に仕事の斡旋を頼んだ。 ある日突然現れた島田は、姻戚からもらっている補助だけではやっていけないと健三に金をせびった。 新しく家庭を築いていた島田の元妻お常は、後夫にさきだたれたことがきっかけで貧しくなり、島田に遅れて無心にきた。 妻お住の父は株で金をすって以来生活を立て直せず、プライドは捨てぬながら散々みくだしてきた健三に資本金を拠出するよう頼んだ。 こうして健三は方々から金を無心され、断ることもできず、時には縁故を使って金を工面し続けた。 最後に島田から、完全なる絶縁と引き換えに金を無心され、健三はそれに応えて100円を融通してやったが、仲介に入った兄、姉夫、さらに妻までもがやっと片づいたと安堵するなか、健三のみはそんな形式的手続きだけでおわりやしないとつきはなした。 解説、註釈、ともに元広島大教授、相原和邦の研究ノートにされてしまっている感がすごい。解説に書いていることを註釈にも書く理由がわからない。説明のためとはいえ、註釈で先の展開をネタバラシしてしまう神経も理解できない。それ以外の註釈も、辞書ひけばわかることや、文脈から充分推測しうることばかりで、あんなに沢山の註釈をつける必要は果たしてあったのかと大いに疑問。 p.146 ℓ.6 「細君は依然として自分の誤解に氣が附かないらしかつた。」⤵︎ 註釈 一四六 6 「「自分」を健三とうけとめて〈『道草』の私小説性が露呈した〉などとする先行の注もある。しかし、ここの「自分」は「細君」として素直に読む方がよい。……細君はすでに紙入れに紙幣を補っているので、健三が誤解しているのだが、それを知らず「空っぽう」と信じている健三の目からすると、細君が誤解しているとしか思われないのである。」 ↑ 意味不明。そもそも「細君は依然として自分の誤解に氣が附かないらしかつた。」は地の文であり、それを書いているのは健三ではなく漱石なので、自分=御住(健三の細君)とするなら、御住が誤解していると思っているのは漱石自身であり、健三ではない。 また、細君が細君自身の誤解に気づかないと解釈するなら、その誤解とは一体……。文脈からして誤解しているのは明らかに健三(財布は空だとゆう勘違い)で、註釈でも健三が誤解していると註釈を書いた本人が書いているのに、ここで細君が誤解しているとなると混乱する。 ただ、地の文に漱石がうっかり自己投影してしまった(。だからこれは漱石の私小説だ。)と解釈するのも早計かと思う。 個人的には、書いているうちに、自己投影したのではなく、健三になりきってしまったとみるのが自然ではないかと思う。
かなり後味の悪い終わり方でした。私が女性であるからかもしれませんが、主人公の態度や発言に少しイライラして、その後の細君の正論に共感してしまいました。子どもが出る場面がこの本では唯一の癒やしかもしれません。
ずいぶんとお金の話が出てくる。 はっきりと断れない主人公の健三である。 今後もこのままの状態が続いていくのだろう。 「片付いたのは上部だけじゃないか・・」 「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。・・」 健三は、このまま苦悩しながら今までの生活を続けていくことになるのだろう。 悩んで悩んで、な...続きを読むおさら解決の糸口が見つからないまま・・。
起承転結の起伏が無いと感じるのに、面白いところがスゴイと思う。 状況が同じ輪の上を回る様に、人間関係も回って何とかならんかなーと感じるのは何時でも同じなんだなぁ。 細君が随分と恰好良い。男尊女卑の時代に、尊敬して欲しいなら尊敬される人格でないと、てのは強くて好き。細君がちょいちょい良い味だしてる。
養父・島田をはじめとして金をせびりにくる人たちに、決して裕福ではないのに金を渡してしまう主人公とそれを嫌がる妻。 心では分かっていても、やっぱりどうしようもないときはある。因縁とか、人情とか。そういう闇をしっかりと書きだしていると思う。 夫婦の行き違いや細君のいかにも女らしい物言いは凄くリアルで、現...続きを読む代でもこういうのはよくあるような。変わらないんだなあ。
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