夏目漱石のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
私の個人主義
著:夏目 漱石
紙版
講談社学術文庫 271
夏目漱石の講演をまとめたものであるが、かなり読みにくい。けっこう難渋しました。
複文、重文のかたまりであり、かなり時間がかかりました。
明治という、近代化を始めたばかりの日本にある、自立と開化の雰囲気がよいとおもいました。
気になったのは以下です。
■道楽と職業
・こと昔の道徳観や昔気質の親の意見やまたは一般世間の信用などからいいますと、あの人は家業に精を出す、感心だと褒めそやします。いわゆる家業に精を出す感心な人というのは取りも直さず真っ黒になって働いている一般的の知識の欠乏した人間にすぎないのだからおもしろい
・職業というものは要するに人のためにするものだという事に、どうしても根本義をおかねばなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。
■現代日本の開化
・要するに、2つの乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいという願望から出て来る種々の発明とか器械力とかいう方面と、できるだけ気儘に勢力を費したいという娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化錯綜して現今のように混乱した開化という不思議な現象ができるのであります
・現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかというのが問題です。
西洋の開化は内発的であって、日本の開化は外発的である。
ここに内発的というのは、内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずからつぼみが破れて花弁が外に向かうをいい、また外発的とは外からおっかぶさった他の力で已むをえず、一種の形式を取るのを指した積なのです
・もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
・学者は解ったことを分かりにくく言うもので、素人は分からない事を分かったように呑込んだ顔をするものだから非難は五分五分である
■中身と形式
・相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣が違う。いくら科学者が綿密に自然を研究したって、必竟するに自然は元の自然で自分も元の自分で、決して自分が自然に変化する時期が来ないごとく、哲学者の研究もまた永久局外者としての研究で当の相手たる人間の性情に共通の脈を打たしていない場合が多い
・なおこの理を適当に申しますと、いくら形というものがはっきり頭に分かっておっても、どれほどこうならなければならぬという確信があっても、単に形式の上でのみ纏まっているだけで、事実それを実現してみない時にはいつでも不安心のものであります。
・要するに、形式は内容のための形式であって、形式のために内容ができるのではないというわけになる。
もう一歩進めていいますと、内容が変われば外形というものは自然の勢いで変わってこなければならぬという理屈にもなる
・一言にしていえば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形作るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです。
■文芸と道徳
・近年文芸の方で、浪漫主義及び自然主義、すなわち、ロマンチシズムと、ナチュラリズムという2つの言葉が広く使われてまいりました
・今日の有様では道徳と文芸というものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは、分限を談ずるをいさぎよしとせず、また文芸に従事するものは、道徳以外の別天地に起臥しているように独り極めて悟っているごとく見受けますが、けだし、両方とも嘘である。
■私の個人主義
・自力で切り開いた道を持っていく方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとは決して申しませんが、しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分のつるはしで掘り当てる所まで進んでいかなくってはいけないでしょう
・第一に、あなた方は自分の個性が発展出来るような場所に尻を落ち付けべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。
しかし、自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になってくるでしょう
・我々は、他が自己の幸福のために、己の個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。
・私のここに述べる個人主義というものは、決して俗人の考えているように国家に危機を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。
目次
この本によせて
1 道楽と職業
2 現代日本の開化
3 中味と形式
4 文芸と道徳
5 私の個人主義
ISBN:9784061582712
出版社:講談社
判型:文庫
ページ数:170ページ
定価:660円(本体)
1978年08月10日第1刷
2018年04月17日第81刷改版発行
2020年09月15日第83刷 -
Posted by ブクログ
作品と著者に関して私の記すに及ぶものでは無いので控えるが、私が手に取って読んだ本そのものを紹介したい。
とある古本市でたまたま見つけたもので、大正十年九月二十五日十八版のものであった。百二歳の祖母の生まれた年に発行、発売されたものということで思わず即買いした。表紙というか外装というか布製で押絵も施され、背表紙には”行人 漱石”と布に刻印?された豪奢な感じで、当時、とても高級な本として売られたものと思う。定価は一圓八十銭と書かれ、MITSUKOSHI.LTD TOKYO の 切手、印紙のようなものが貼られている。印刷は、今は印刷が取れた凸版印刷株式会社。お宝的に保管して置こうと思ったが、その後、体調崩したりと今ひとつのことが続き、何となく、この本が、読め!と言っているような気がして、なるべく傷まないように、一頁一頁気を付けながら読んだ。仮名遣いや旧漢字であることはもちろんのこと、校正ミスも沢山あり、読むのがかなり難儀だったが、多少、表紙がそり返ったり、綴じに歪みが出たりしたものの、大きく損傷することなく、読み切った。歴史に名を刻み、国を代表する文豪の本を100年を越した今において、当時そのままに手に取って味わえた。この本を最初に買って読んだ人が、100年経って尚、その本を私が読んでいることをもし知ったら、どんなふうに思うかな?なんて感慨にふける読後だった。 -
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ネタバレ終始代助の子供っぽさ、煮え切らなさ、だらけ具合にムカついていた。これから代助はどうするのだろうか。
代助は三千代が平岡と結婚する前から好きだと言っていて、最悪な形ではあるが三千代の気持ちも確かめることができた。だが、いざ三千代が自分と一緒になるためなら死んでも良いと言った際には怯えて何も言えなくなった。あれほど三千代のことを愛していると言っていたのに、結局は三千代の意思を侮っていたのだと思った。
三千代は死んでまで代助と共に生きることを選んだが、代助は三千代も手に入れ、あわよくば家族ともうまく付き合っていきたい気持ちが表れていてどうしようもないと思った。
家族に見捨てられ、親友にも裏切られた代助を可哀想だと思うが、仕方がないことだ。 -
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清くまっとうに生きる人間のなんとつまらないことか!代助は親の言うがままに従えばいくらでも楽に生きる道はあったのに、激情に任せて自分の意思で茨の道を選んだ。この後悔と裏腹な大胆な感情の揺らぎこそ漱石文学の醍醐味だと思う。ニートだろうが金が無かろうが親に勘当されようが、人を好きになってしまったらもうしょうがない。それでこそ人間ではないか。クソのつくほどつまらない人生を生きながら「オレはまだマシな方」と自己正当化を繰り返し、「あーあ可哀想に、あいつは堕ちたな」と他人の内心不幸を喜ぶだけが娯楽になっている人間から見れば代助の決断は大いなる愚行に過ぎないだろう。しかし私は代助のように真に人間的に生きたいと思う。
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主人公の津田と妻のお延の日常の生活を描いた作品、ただの生活描写ではなく、人間模様に焦点が当てられています。主人公の忘れられない元彼女に思い切って会いに行くのだが・・・。というお話。
学生の頃に途中で読むのをやめた本です。未完で終わっている作品ですが、当時の自分も未完でした。今になって読み返すと、なかなか面白い作品で、どんどん夏目漱石の世界に浸っていってしまいました。年齢を重ね時間を無駄に過ぎた分、微妙な関係の津田夫婦、また微妙な関係の津田と小林、そして最後に気になる清子との距離感が絶妙すぎです。特に女性の心の内、津田の心の内を詳細に描写しているため登場人物の心の変化が非常に面白いです。
また、女性の心の描写から当時の日本の慣習や家族の在り方、家族の中でのそれぞれの立ち位置などが読み取れます。そのため、津田の心だけでなく、女性陣の心の「明暗」がねちっこく感じるところもあり、かわいくみえるところもありで飽きさせないところが作品の面白さの一つと思いました。 -
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修善寺の大患と言われる、漱石が胃潰瘍の悪化から人事不省に陥ったときの体験談『思い出す事など』。他に二葉亭四迷や正岡子規との交流記など7篇。
漱石は、幼年期に養子に出されたり戻されたりの不安定な家庭環境を過ごし、その後は留学するものの、当時を振り返って「ロンドンで暮らした2年間はもっとも不愉快」とまで言い切るほどのストレスを抱えて、人間不信に落ち入り引きこもりになったりしています。神経がまいって胃がやられるのも無理からぬところですね。
しかし、大病して死の淵がら戻ってきてくれたことで、『こころ』をはじめとする10年の作家生活の後半に書かれた作品を読めるわけで、壮絶な吐血との戦いに打ち勝ち、よく帰ってきてくれたと思いました。
こういうものを読むと、大病前後の作品の変化を感じ取りながら、まだ読んでいない作品も読みたい気持ちが強まります。『硝子戸の中(うち)』もそうですが、漱石はエッセイも良く書けているなあと感心しきりです。
その他、二葉亭四迷のこと『長谷川君と余』と、正岡子規のこと『子規の画』は、漱石の目から見た知らない面を知る事ができ、とても興味深い内容で、この2篇も読めて良かったです。
余談ですが、岩波文庫の小説は「〇〇作」、随筆は「〇〇著」などと表紙・背表紙にあって、小説とそれ以外の区別が分かりやすくていいですね。 -
Posted by ブクログ
ネット上に於いて繰り広げられるやり取りは得てして、物事を単純視し短絡的な考えで人を罵倒し、バカにしがちだ。しかし、その対象が自分の期待を裏切るとプライドが傷つくのか激怒し、余計に執着して過激化へと向かい、あら探しに終始するのを、私は嫌と言うほど見てきた。要はその対象の存在に呪われるているのである。
原因はよくわからないが、人間という存在の難解さを理解できない、もしくはしようとしないからかもしれない。まあ、人はメンツが保てないと怒るのだろう。
大学生の時分、私はネットに影響され人を理解しようとせず冷笑的で嫌な人間であった。しかしその過ちに気付き、人の多面性への理解が深まったのが夏目漱石「吾輩は猫である」である。
多くを語ることは野暮であろう。苦沙弥の苦悩や迷亭の呑気そうに見えつつも、自身が抱いている時代への不満等に、猫はどのように結論づけるのか…少なくとも、自動車教習所の待ち時間に読んでいた、世間知らずの私には今までにない読書体験であった。
ネットで調べればすぐわかることであるが、あまり前提の知識がない方がいいと思う。
猫で得た読書体験が未熟ながら私の人生の土台となっている。