夏目漱石のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ高校時代に読んだのだろうか。恥ずかしながら、ストーリーをまったく思い出すことができず、未読なのだろうと思いながら読み進めたところ、襖の描写に至って、記憶がよみがえった。
授業中、他の説明文か何かを読み進めている合間に、教員の解説に耳を傾けず、この箇所を読み進め、襖に鮮血が飛び散っているのを想像していたことを思い出した。少なくともその場面に関しては、確かに読んでいた。
ただし、「先生と私」および「両親と私」の部分については、本書を手に取って初めて読んだ。授業でこの作品がいかに扱われていたのか、記憶は全くない。
今となっては。現代文の教員がこの作品をどう読み解き、いかなる指導をするのか、大いに関心を惹かれるところである。
本作の主題は、突き詰めれば、人物における「こころ」の変遷は複雑で、他者の「こころ」の内実はわからない。すなわち、我々に観測しうるのは、他者の動作や一挙手一投足といった外面のみであり、そこから内心を推し量ることしかできない。その本心そのものに到達することは、不可能である。だからこそ人間は面白いというのが、私の率直な感想である。
「先生と遺書」よりも、個人的には「先生と私」の部分が好みである。私自身が私と年齢的に近いこともあり、この関係性の描写に共感した。
15頁
「その時分の私は先生と余程懇意になった積りでいたので、先生から少し濃やかな言葉を予期して掛ったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷めた。私はこういう事でよく先生から失望させられた。」
16頁
「先生が私に示した時々の素気ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づく程の価値のないものだから止せという警告を与えたのである。」
22頁
「人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事の出来ない人―これが先生であった。」
私がいかに先生を慕っていたかが伝わる。人との関係性に悩んだ際には、この一文を思い返し、自らへの慰めとしたい。
42頁から47頁にかけての「恋は罪悪ですか」に始まる先生と私の掛け合いも人間関係の本質を凝縮したもののように思われる。慕われれば慕われるほど、その期待を裏切りたくないと願う先生の心情が、痛切に伝わってくる。
97頁
「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。然しどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るには余りに単純すぎる様だ。私は死ぬ前にたった1人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか」
これは、叔父の一件によって人間不信に陥ったというよりも(その影響も皆無ではないだろうが)、むしろかつてKに対して自らが取った行為こそが、先生の言う「過去の因果」の実質をなしているように思われる。先生は自分自身を最も信用し得ないからこそ、他者をも疑わずにはいられないのではないか。
284頁
「私は彼の目遣を参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。」
人の目線というものは実に不可思議で、目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、この描写もまた、人間の機微を鋭く捉えたものと言えよう。
318頁
「(略)そう容易くは解決が着かないように思われてきました。現実と理想の衝突、―それでもまだ不十分でした。私は仕舞にKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑がい出しました。」
人の心とは、けっして容易に理解できるものではない。その苦悩の内訳は決して1つの物事ではなく、いかなる要因がいかなる比重でKの心を圧迫し、彼を苦しめていたのかは、先生のように遺書によって詳細に綴られない限り、他者の窺い知るところではない。
だからこそ難しい。
そして、その難しさゆえにこそ、先生はそれを語らぬまま世を去るのではなく、自らを慕ってくれた私に対し、最後には心を開いたのだろう。
人の心は、難しいからこそおもしろい。
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Posted by ブクログ
ネタバレ非常に面白かったですね。
しっとりと心の中に物語が沈んでいくような感覚がありました。
初めてこれを読んだのは高3でしたか、高2でしたか、先生の遺書の一部だけが教科書に載っていまして、割としっかりめに読まされた記憶があります。
割としっかりめに読んだ記憶があります。
当時の僕は正直、面白さがよくわからなかったです。
三角関係の末自殺するなんてKも馬鹿だなとすら思ってました。
おまけにそれで病んで自殺する先生も先生だろとさえ思っていました。
大学生になり、せっかくだし、『こころ』全部読んでみるかと手に取ってみましたが、近代的な文章が肌に合わず、全く内容が頭に入ってこない。
そんなこんなで途中で読むのをやめ、別の本をまあまあ読みましたね。
2年ほど月日が経ち、その間にドストエフスキーやジョージオーウェルを読んだことで鍛えられたのでしょうか、このまま埃を被せておいていいのかと思ったのでしょうか、それとも全部読みもせずにこれほど著名な作品を語っていいのかと思ったのでしょうか、ふと思い立ってまた読むことになりましたね。
まあ、一番の理由は恋だとか愛だとかについて、何かと考えることが増えたからでしょうが。
この本は何と言っても、3部構成であることが重要です。
「先生と私」、「両親と私」、「先生と遺書」。最も重要な部分は「先生と遺書」ですが、前の2つがなければこの遺書がどのような思いの中で書かれたのかを理解することはできなかったでしょう。
「先生と私」では、2人の出会いから、親交が深まっていく様が描かれます。当時、東大の学生である私は、同じくかつて東大の学生でありながらも、現在働かずに生きている先生に強く惹かれます。
私はきっと哲学を専攻していたのでしょうか。先生の思想に強く惹かれ、学校で習うことよりも先生と言葉を交わすことがより有意義であるとみなしていました。
しかし先生はこの態度をどこか冷めた目で見ていました。きっと馬鹿にもしていたでしょう。
私はそれによって向きになり、先生の過去を探ろうとします。これが、先生にとっては少なからず見直す出来事だったのではないでしょうか。
「両親と私」では、私が、死の淵に立つ父のために実家へ帰省します。
かねてより父が重大な病にかかっていることを承知していた先生は、私に、遺産についてのアドバイスを、「生きているうちにしっかり話をつけておいた方がいい」というアドバイスをかなりしつこくしていました。
私はそれを不思議に思い、なぜかと問うと先生は、「どんな人であれ、一つのきっかけで人は罪深くなる」と答えます。さらにそれは何かと問うと、「金だ」と答えるのです。あまりに平凡な答えに、私はがっかりしました。
私が実家に帰省しているとき、既に東大を卒業しています。母は、父を安心させるために立派な職についてほしいと願います。実際、私もそれで焦っていたように思われます。
私は先生にいい人脈はないかという手紙を送りました。
先生から返ってきた手紙は、手紙とするにはずっしりと重たい、長い長い遺書だったのです。
私は、父の病床に伏しているにも関わらず、電車へと飛び乗りました。
ここからの内容は知っている人も多いと思うのでここからが感想ですね。
そこそこの大学に入学するか、受験に伴い意識の高さが芽生えだした年頃には、「私」とかなり共通点の多いところがあるように思われます。
この頃の学生は、特に僕の周りにいる人ということになりますが、就活やらなんやらで意識が高くなっていく人が多いのではないでしょうか。
投資やらビジネスやらに触れだし、自己や世の中について語る人が多くなるのではないでしょうか。
実際、「私」も「先生」も、「K」ですらも、そういうことに憑りつかれたことでしょう。先生が自殺する前に、己の過去をさらけ出した遺書を私に送り付けたのも、そこに対する指摘のためだとも解釈できます。というか、そうでしょう。
人から裏切られ、人を裏切り、人間そのものを信用できなくなった自分が妻を愛しているという矛盾を抱えた先生は、実際に偉くなる以前に精神のみに立派な考えを宿すことが無意味であると悟っていたようです。
この遺書を読んで「私」がどう感じたか、今後どのように変化していくかが語られていないのは、作者自身がその答えを持ち合わせていないからだと僕は判断しました。
しかし、人間の一例として、先生の遺書は人としての学びに少なくない影響を与えることは間違いないと思うのです。
精神をどこに着地させるかは結局個々人に委ねられ、そこに甘えなのない道を選んだ人は生きづらいだろうなと思います。
矛盾なんてどこにでもあるのだから、甘んじて受け入れて開き直ればいいのにと僕は思うわけですが。
むしろそれこそが人間のおかしさ、愛おしさだと思うのですが。 -
Posted by ブクログ
ネタバレずっと読んでたけど全然読み終わらなくて、結局1ヶ月くらいかかってしまった。
全体的にはコメディ調で、とんちの聞いた話が多い。笑った。
吾輩は猫であるが書かれた時代が丁度西洋化が結構進んでいたこともあってか、西洋化への批判も書かれていた。
西洋の思想は日本のこれまでの思想とは正反対だから受け入れ難いっていう意見は、福沢諭吉はじめこの時代のインテリはよく考えていたんだなあと思った。
もう西洋思想にどっぷり染まってしまった今だからこそ、従来の日本の考え方顧みることも大切だし、それを取り入れた方が生きやすくなりそうだ。
それに加えて個性の話もあった。私の考えがちょっと足りてないけど、今の個性ってどうなってるんだろうって考えた。
1番最後の話は心をえぐられた。
『坊っちゃん』を読んだ時も思ったけど、やっぱりチェーホフの『桜の園』みたいに、喜劇の皮を被った悲劇を描く。『吾輩は猫である』の最後も、悲劇といえば悲劇だけど、もしかするとそうではないのかも知れない。
最後の自殺の話。結局最後は自殺に帰結する。私もそう思う。夏目漱石も、こんな後ろ暗い考えを持っていたのは、ちょっと意外だった。『こころ』とかはそうかもしれないけど、イメージ的に、国民的な文学者だから、なんとなく。
その考えの先を描いた作品はあるのだろうか。
私にとって、その考えは真理でしかなかった。でも、人の文章でそれを観ると、悲しくなった。
1番最後の結末も悲しくて、うちの猫に顔を埋めて匂いを嗅いだ。
本人にとっては救済でも、はたから見れば悲しい。
はたから見れば喜劇的でも、本質は悲しい。
ぐちゃぐちゃで、よくわからない。
まだ人生経験が浅いから、わからない。これからずっと考えていくことなのかも知れない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「あなたはまじめですか」
この問いが深く残る作品である以上、読者にもそれ相応の態度が必要になる作品だと思う。
親族に裏切られ、なのに親友を裏切ってしまった先生と、文字に起こせばそう目新しいものでもないものに感じられるのに心理の生々しいリアリティに引き込まれてしまった。
裏切りを憎みながら自分も裏切ってしまった先生、狡猾に立ち回りKを殺してしまったのにも関わらず妻に告白し楽になることはできない先生、心理についてありありと分析できるのに肝心のKや妻の気持ちは分からなかった青春時代の先生。
醜さと高潔さを抱え、自分の矛盾に悩みながら孤独に生き続けた先生には、とても大きな魅力があると思った。
めっちゃ面白かったです!
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Posted by ブクログ
夏目漱石が「坊っちゃん」を発表して、今年で120年になるのだそうです。
それを記念して、先頃、新潮文庫から愛媛県イメージアップキャラクター「みきゃん」の特別カバー版が期間限定で発売されました。(ここではお示しできなくて残念)
キャラものが好きなわたしが飛びつかないはずもなく、見るなり購入しました。
で、いつ振りだか分からない再読をしました。
世の中が大きく変わったせいか、今読むとコンプライアンス的にどうなんだろうという出来事満載ですw
これも再読の妙というものかもしれません。
自他ともに認める無鉄砲な坊っちゃんは、父の死後、兄から600円をもらって物理学校に入り、1年で200円ずつ使って3年後に卒業し、四国の中学校の数学教師になります。
そして、いろいろな出来事に巻き込まれて(巻き込んで?)いくわけですが、赴任早々の職員室のシーンで面白い指摘がありました。
「授業はひと通り済んだが、まだ帰れない。三時までぽつ然と待ってなくてはならん。 ~中略~ いくら月給で買われた身体だって、あいた時間まで学校へ縛りつけて机と睨めっこさせる法があるものか。」
で、それを同僚の山嵐に訴えたら、山嵐はこう言います。
「君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕だけに話せ、随分妙な人も居るからな。」
山嵐先生としては、同じ数学教師仲間として、坊っちゃんと他の先生方との間に立ってジレンマを感じていたことでしょう。はい、ヤマアラシのジレンマですw
現代人のわたしとしては、明治時代から、こういう会話が存在してたんだぁ~、と嘆息しました。
みなさんは、どう感じられるでしょうか?
と、いうわけで、「みきゃん」のカワイイ特別カバーで読んでみませんか♡
本屋さんで見つけたら、ぜひ、お手にとってご覧ください♡ -
Posted by ブクログ
『とにかく恋は罪悪ですよ。よござんすか。そして神聖なものですよ』
先生が「私」に語ったこの言葉は、恋心が人の心を狂わせる一方で、どんな手を使ってでも誰にも譲りたくないという人間の強い気持ちが、愚かしくも、どこか尊いものであるということを暗示しているように感じた。
物語の終盤で、人間は決して完全な存在ではなく、常に利己的な本能に振り回される哀しい生き物なんだと突きつけられ、息苦しさを覚えた。だけど、どこかで救われるような、ほっとする感情も覚えた。人間とはそういうものだ、と誰かにそっと肩を叩かれたような感覚に近い。
生々しい人間のリアルな葛藤が、これでもかと描かれる本書。先生が私に伝えた心情が、いつまでも胸に突き刺さる物語だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ何から書けばいいだろうか。
高校生のときに初読し、心を鷲掴みにされたという記憶だけが強く残っている1冊だった。
10年振りに再読した。
当時は主人公を身近に感じなかったし、初読の時はある意味ミステリみたいな感覚で、先生のいう悲劇や隠しているものはなんだろうと思って夢中で読み進めていたかもしれない。
今回は大筋はだいたい知っていたのもあるが、主人公により感情移入した。
これは私が恋を知ったからかもしれない。
主人公が若くて、先生に対して色々期待し、思ったより反応が薄くてがっかりするのは非常に親近感が湧いた。
先生は「私」が恋の心で動いてきていると言っていて、ある種の片想いを先生にしていたと言えるだろう。
先生の思想や言葉選びに、「私」と同じように恋をした。
「恋は罪悪ですよ」
「(子供がいないのは)天罰だからさ」
「(奥さんと自分は)幸福な一対の人間であるべきはず」
「未来の侮辱を受けないために、今の尊厳を退けたい。今よりいっそう寂しい未来の私を我慢する代わりに、寂しい今の私を我慢したい」
先生の過去に射し込む黒い影を覗かせるような言葉選びには胸がギュッとしたし、繊細なこころの動きの表現の仕方が本当に素晴らしいなと感じた。
前に読んだ時は先生の過去が気になりすぎて、主人公と家族のことは正直どうでもいいなと思って読んでいた。
今大人になって見ると、病床の父の姿に胸が締め付けられた。主人公の胸のざわめきと、長い手紙から先生の過去なんてどうでもいい、知りたいのは安否だけと思いながらただページをはぐっていく部分が読んでいて自分自身とものすごくシンクロして、先生から電報が来たところや手紙が届いたシーンで嫌な汗がどっと出て一度本を置いてしまった。
そして先生と遺書へ。
なんて人間らしくて、暗くて、切ない話なんだろうか。
「こころ」とは色んな意味があるように思う。
先生と瀕死の父の間に揺れ動く「私」のこころ、
奥さんやお嬢さんを疑う先生のこころ、
精神的に向上心のないものはばかだと言いながらそれと矛盾する恋心を前に弱い人間だと気がつくKのこころ、
またお嬢さんへの崇高な愛、それによるKへの嫉妬心や不義理のこころ。
奥さんやお嬢さんの行動に猜疑心を持ちながら、本音ではお嬢さんだけは信じたい、Kへ打ち明けたい気持ちがありながら時期を逃しどちらへも動けない、など2つの感情により押さえつけられる描写が非常に多いと感じた。自分で人や行動に意味付けをして悩むものの実際の行動にまでは繋げる勇気もない、といった葛藤の描き方が素晴らしかった。人の「こころ」の繊細さ、一元的でないものの描写だろうか。
Kの遺書の封を切るシーンと、「私」が先生の遺書を開けるシーンが重なって見えた。
「私」が先生の立場であればどうしただろうか。
若くまじめである「私」なら、先生の過去を知りたいと言った純粋さや勢いで、Kに真正面から向き合うことができたのだろうか。
Kから恋心をどう思うか聞かれた際に精神的に向上心のないものはばかだ、と言って痛い矛盾を突いたところや、Kの遺書を見てまず出た感想が助かった、だったのが、先生自身が恨んでいた、いざというまぎわに急に悪人に変わる叔父と重なり、人間らしいなと思った。人間の醜さが、人間を嫌う理由となり、自分を含め全てを信用できない厭世的な考えに繋がっていた。
先生はKに対して、君は人間らしすぎるほど人間らしい。なのに口ではそうでないように振る舞う。
と言っていた。
Kは人間らしい欲望や感情は道のためには不要と考え、そういった彼からすれば「低俗」であるものから離れた場所を目指していた。
でも本当は欲望や孤独も持っている。そこに気がつかずにただ己に鞭打って道を進んでいた。
ああ、Kは私みたいだ。
ただ愛されたかった、寂しかった、なんて気が付かないんだ。私は、今まで積み重ねてきたことは皆がやっているのと同じだからそんなの努力に入らないと本気で思っていた。どこか自分が達観しているように思い込んでいた――強い自分でありたい、そうあるはずだと思い込んでいた。
いざ自分の奥底にあるただ単なる「寂しい」「愛されたい」といった感情に気がつくと、自分の矛盾に気恥ずかしくなった。自分もただの弱い人間だった。自分の弱さを無意識のうちに隠すために強くあろうと振る舞っていたんだ。そう気がついた時に涙が溢れて止まらなかったことを思い出した。
そう思うとKの切ない恋心の自白や「精神的に向上心のないものはばかだ」と先生から痛い矛盾を突かれた時の憔悴した様子「ぼくはばかだ」が、私のこころの中に入り込んでくる気がした。この時のKは、紛れもなく私自身だった。
誰しもが先生のような、Kのような、「私」のような、先生の叔父のような、弱いこころを持っている。先生に関しては、壁を打ち破る少しの勇気があれば違った結末が待っていたかもしれない。
先生は最期に、勇気を出して「私」を信用し、自分の心臓を文字通り断ち割って全てをさらけ出した。最期にはそう出来たのだなと思った。
「こころ」は私にとって大切な1冊には変わりないが、私の自己理解という観点から「大切」がまた変わった意味を持ち始めたように思う。
初読は過去をあばいていくミステリのような感覚。
今回の途中までは、言葉選びや三角関係、嫉妬心の描き方の美しさ。
読後、Kの生き方と自分の今までの自己批判を重ね合わせた。
Kの出てくるまではキュンと恋する乙女のような心持ちで読んでいたが、だんだんそれがなくなり、嫉妬心や恋心の表現に心酔すると同時に共感し、読後は私の人生のものの見方に重ねるようになった。
今回の再読で、この物語への気持ちが憧憬から、私自身への手紙というところまで降りてきた。
私にとって「こころ」とは、私が弱い人間であることを許してくれる1冊であった。
私も、「私」も、先生も、Kも、皆そうだから。
何度でも読み返したい、私の人生の1冊である。