夏目漱石先生が病で亡くなる5年前に各地で行った講演を主にまとめている。
夏目漱石先生は小説の執筆だけでなく、講演もされていたのはちょっと驚きだったが、これがとても面白い。
講演の中に出てくる謙遜や周囲を引き立てる話もユーモアに溢れ、話の導入は分かりやすくも、話す内容は明快だが斬新で、100年以上
...続きを読む前の社会のみならず、今にも通用する事ばかりだった。
講義の断片だけ見ても、当時の社会で余程愛された人だったんだなと感じられる。
講義は6講義に分けられ、主たる内容は以下
『道楽と職業』
・自分中心に行うのが道楽、他人中心に行うのが職業
・文明が進むにつれ、仕事は分業化し断絶してくる
『現代日本の開化』
・開化には煩わしい事を無くす方面と、快い事を追求する方面がある。
・外的開化と内的開化がある。
・日本は外的開化を強いられた為に、砂上の楼閣のような不安定さを内包している。
『中身と形式』
・ものを知らないと形式、規律や外聞ばかり気にするようになる。
・大して中身を知ると、場合によっては形式を変えてよい事に気が付く。
『文芸と道徳』
・道徳は文学になぞって2種類ある。
すなわち浪漫派と自然派である。
浪漫派は理想を求め、自然派はあるがままを肯定する。
・どちらかに偏るのも弊害だから、どちらも持ちうる社会が健全なのではないか
『私の個人主義』
・個人は自分のこれだと尻の座るものを探し続けるべきである。
・しかしそれを他人に強制してはいけない。特に権力には義務が、金力には責任が伴う事を自覚すべきである。
もちろん、ここに書ききれるものではない。
特に最後の私の個人主義は、何度でも読み返したい勇気の出る素晴らしい講演だった。
以下、心に残った言葉
・博士の研究の多くは針の先で井戸を掘るような仕事をするのです。それを世間ではすべての方面に深い研究を積んだものとして誤解して信用を置きすぎるのです。
・科学者、哲学者、芸術家のようなものは他人本意では成り立たない職業です。
・物質的に人のためにする分量が多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにするほど、物質的に己の不為になるのです。
・できるだけ労力を節約したいという願望から出てくる方面と、出来るだけ気儘に勢力を費やしたいという娯楽の方面、これが経や緯となり開化という現象が起こるのです。
・今日は生きるか死ぬかという問題はだいぶ超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかという競争になっている。
・さて、自分がその局に当たってやってみると、かえって自分の見縊った前任者よりも激しい過失を犯しかねないのだから。。だから実行者は自然派で、批判者は浪漫派だと申したいくらいに考えている。
・私は終始中腰で、隙があれば自分の本領に飛び移ろう、飛び移ろうとのみ思っていたのです。が、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び込めないのです。
・私はこの 自己本位 という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。
・ひとつ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んでいかなくてはいけないでしょう。もし掘り当てることが出来なければ、その人は一生不愉快で、終始中腰になって世の中にごまごましていなければならないからです。
・もしどこかにこだわりがあるのならば、それを踏み潰すまで進まなければだめですよ。
・個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合は一人ぼっちになって、さみしい感じがするのです。
それはそのはずです。槙雑木でも束になっておれば心丈夫ですから。
小説の方も是非読みたいと思いました。