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“豆腐屋主義”の圭さんと奔放な性格の碌さん。江戸っ子二人の軽妙な会話を通じて、金持が幅をきかす社会を痛烈に批判する『二百十日』。理想主義が高じて失職した元中学教師の文筆家・白井道也と二人の青年・高橋と中野。学問、金、恋、人生の葛藤を描く『野分』。漱石の思想や哲学をもっとも鮮やかに体現する二作品。(解説・紅野敏郎)
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Posted by ブクログ
「現代の青年に告ぐ」は明治の青年達にだけでなく、平成を生きる私にも十分に伝わった。生きるってことに真摯に向き合えと叱咤激励されている気分。
「二百十日」弥次喜多よろしく小気味よい会話が続く。阿蘇の噴火口を、宿から明治時代の装備でもって徒歩で目指す大変さが伝わってくる。もちろん山岳小説ではない。漱石お得意の批判的精神が、時に漢文的表現が現れるので気が抜けない。「野分」冴えない文学者・白井先生の、同時代に同調できない不器用な生き様のやりきれ...続きを読むなさを描いたものと読み進めたら、終盤の堂々たる講演がとても印象的なものとなった。高柳君ではないが立ち上がって拍手を送りたい。転地療養用の百円を寄贈してしまった後の高柳君はどうなるのだろう?
二百十日 単純で剛健な豆腐屋の圭さんと金のある禄さんの阿蘇山登山を、ほとんどふたりの会話で描写する。 主題は華族、金持ちに対する庶民の批判。その批判を圭さんに言わせ、禄さんが軽くかわす。おそらく、この小説が書かれた時代は、格差社会の入り口でもあり、かつ人々が理想を持ち始めた時代。したがい、漱石も単純...続きを読むには新興の金持ちを批判はできなかったのではないか。禄さんの態度が漱石に近かったような気がする。 ユーモア小説としても抜群の出来。熊本の宿屋で半熟玉子をふたつ頼むと、ひとつは固ゆで玉子、もうひとつは生玉子が来る。くすぐりが効いている。 野分 正義や理想主義のために教師の職を辞し、雑誌記者として細々と暮らす白井道也先生、裕福な中野君、理想主義者であるが道也先生ほど徹底できない高柳君、三者三様の交流を通して当時の日本人の考え方を描写する。二百十日と同様、この作品でも漱石はどの生き方が正しいかという態度を取っていない。高柳君と中野君、中野君と道也先生、道也先生と高柳君の交流はあるが、3人が一堂に会する場面はない。これにより、それぞれの階級が別の階級をどう思っているかがわかる。漱石が言いたかったのは、明治時代の後期、日本が世界に向かっていくなかで、どんな階級であれ、内なる理想を持つべきということと思う。最後の道也先生の演説の場面で「すべての理想は自己の魂である」「西洋の理想に圧倒されて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である」。この演説から100年以上たった現在でも我々は、やはり理想を持つことを心に刻むべきである。
「豆腐屋主義」について語られる『二百十日』。 主義を曲げずに教壇から姿を消して文人になる道也先生、陰の高柳君と陽の中野君が出てくる『野分』。 明治時代に生きる若者に向けた、若者がどう社会の中で活動していかなければならないかを、漱石先生は伝えたかったのかなぁ…。今の時代の僕らにも通じているような主張...続きを読むがあって、頑張らないとなぁと思っちゃう。
読めて良かったー。読み応えのある「野分」の方が好き。 金銭本位な世の中で学者という人間は窮屈だったろうと思う。それでも敢えて苦しい境遇に身を置いて、社会に屈せずに己の道を貫く道也先生の姿勢に背筋の伸びる思いがする。 人間としての「道」が、富や権力より大事だということをきっとわたしは頭では理解し...続きを読むているけれど、だからといってそれを堂々と口にするのはなんとなく気恥ずかしくて、結局は世俗の評価基準に甘んじてしまっている。でもそれではいけないと思わされる。どんなに世界が歪もうと正しいものは正しいと、信じ続ける勇気を与えてもらっているような気がして。 中間部分あたりで道也先生の語る「文学」の話と、最後の演説の場面は痛快です。本当に本当に素敵。 それから最後の場面の、呆気ないけど劇的な感じも好き。 学問の意味を見失い気味なひとに、納得いかない世界に悶々としているひとに、是非、この本を。
あまり有名じゃないだろうけれど、どちらも傑作だと思う。漱石をとっつきにくいと思っている人にはおすすめ。ほんと、面白いです。
#899「二百十日・野分」 漱石の割と初期に当る中篇二篇です。 「二百十日」は、「剛健な趣味を養成する」ことを目的に、阿蘇へ温泉旅行へきた圭さんと碌さんの会話を中心に話がトントン進みます。一見のんきな落語風の会話で笑はせてくれますが、資本家嫌ひの圭さんが放つ一つ一つの発言が時代を抉ります。 「...続きを読む野分」では、文学者白井道也と、高柳君・中野君の二人の若者が中心人物。白井道也は地方で教師をしてゐたが、学生たちに追ひ出されること三度、つひに東京で妻と二人で引きこもる生活に。 「二百十日」のテエマを更に進化させ、終盤の道也の演説は本作の白眉であります。観念的にならず、物語としても興味深く、ラストの展開は中中ドラマティック。 漱石作品中でも地味な扱ひで知名度が低いかも知れませんが、漱石の文学者としての覚悟も窺へる貴重な一作ではないでせうか。でも道也の奥さんは可哀想でした。
学問に対する志は確かに大切だと思う。ただ金力を余りにも毛嫌いしすぎている印象はあった。ラストの展開、中野君は高柳君の作品見たさもあって金を融通したのではないか。もしそうなら高柳君の行動は中野君の見当違いになりはしないか?事象や主張が明確なだけに、疑問の多い作品だった。それだけに、反論やら別の展開を想...続きを読む像しやすいのは面白かった。あと、同意できる部分や上手い表現は他の作品に劣らず多かった。 結婚式で、立派な中野君と見窄らしい高柳君が出会った時、お互いがお互いを「これは」と思ったとあるが、この辺りは言葉の選び方が秀逸だと思う。「これは」と思うだけで、その先はお互いの友情やら思い遣りが考えるのを一歩留まらせるのだ。しかし、その先を考えさせざるおえないのだ。
「野分」 最初の「白井道也は文学者である」に 引き寄せられた。白井道也だけでなく 高柳君も 夏目漱石なのだろうか。「野分」は 夏目漱石の決意書であり、若い学者への職業論。最後の演説は 野分という言葉の通り、台風のような 強い言葉。風が吹くタイミングで ストーリーが転回している 著者が文学者として伝...続きを読むえたかったのは 「文学は 人生そのものである〜苦痛であれ、困窮であれ〜それらをなめ得たものが 文学者である」
『野分』について 小説の体を成していますが、思想的な主張の色彩が濃く表れています。 学問とはかくあるべしと主張をする者と、それに共鳴する者が主軸になりますが、彼らが最後に報われるというわけではありません。その点で、理想を宣言しつつ、理想主義者が肩身の狭い思いをする現実を批判した作品のように思いま...続きを読むす。 各々の言い分にうなずける部分があって、それぞれの主張の中間地点に、歩きやすい道があるんじゃないかと思ってしまいますが、その中途半端な考えは、彼らの方からするともっての他なのでしょう。 幕引きが突然に訪れる感があります。その分劇的ですが、もう少し先まで顛末を知りたいと思いました。
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二百十日・野分(新潮文庫)
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