あらすじ
海外留学から帰って大学の教師になった健三は、長い時間をかけて完成する目的で一大著作に取りかかっている。その彼の前に、十五、六年前に縁が切れたはずの養父島田が現われ、金をせびる。養父ばかりか、姉や兄、事業に失敗した妻お住の父までが、健三にまつわりつき、金銭問題で悩ませる。その上、夫婦はお互いを理解できずに暮している毎日。近代知識人の苦悩を描く漱石の自伝的小説。(解説・柄谷行人)
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漱石先生の金言がところどころに見られて読んでいてハッとさせられた。
特に、p183の「何故物質的の富を目標もして今日まで働いてこなかったのだろうと疑う日もあった。〜みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ」島田のことを「彼奴の事だから人情で淋しいんじゃない。慾で淋しいんだ。」と評した120ページ、p223の「衰えるだけで案外変わらない人間のさまと、変わるけれども日に栄えて行く郊外の様子」の対照。ここ、「坑夫」での漱石先生の主張「人は時事刻々変わって行く」の主張と矛盾しないか?そして最後p333の「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。」金言。これぞ純文学。
内容に関してはインテリ、金持ちの苦悩をしみじみと感じた。ただ金があれば人間関係も良いって簡単なものじゃないなと実感。細君と子供との関係も読んでて辛かった。細君可哀想。だけど細君強い。子供を公的な視点で怪物と評していたのは笑ってしまった。(300ページ)漱石先生の子供時代なかなか歪んでいるなと感じた。
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いつ同じ様な状況になってもおかしくない、ぬるま湯の身動きの取れない地獄がえんえん続く。ラストの場面で一筋の光明を見ようとする。夏目漱石で一番好きな作品。
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『明暗』の前にこの作品があるのだなと思うと感慨深い。
筆者自身の環境の変化(入院と退院)がこの批評に影響をもたらしてるのは多分にあるが、本作品中盤から、人物描写がさらに透徹していき小説家としてまた違うステージに立っているような気がする。この小説家としての技巧の変化は『明暗』に引き継がれていったのだなという淡い感想を抱いた。
谷崎潤一郎は『明暗』を屁理屈を重ねたものだというような批判をしていたような覚えがあるが確かに受け入れることの出来る批判だ。
しかし各登場人物の行動を細部にまで理屈立ててその原理を描写し、あたかも登場人物に対して絶対的な神のような存在になったかのように思えるまでの心理描写とそこから起因する行動描写に私は『明暗』という作品に非常な感銘を受ける立場である。その前身を味わうという意味で『道草』は夏目フォロワーからしたら必読の書と言えるのではないだろうか。
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彼らは顔さえ見れば自然何か言いたくなるような仲のいい夫婦でもなかった。又それだけの親しみを現すには、お互いがお互いにとってあまりに陳腐すぎた。
健三はその先を訊かなかった。夫が碌な着物一枚さえ拵えてやらないのに、細君が自分の宅から持ってきたものを質に入れて、家計の足しにしなければならないと言うのは、夫の恥に相違なかった。
夫婦関係。モラハラ全開で身につまされる。自分は正しく、相手をこういうものだと決めてかかり否定しマウントをとる。気をつけようと思う一方で、そうそうそうだよねと共感的に読む自分もいる。金が主題だったが、今の自分の境遇では夫婦のやりとりの方が読み込めた。
漱石おなじみの細かい情景描写が少なかった気がして読みやすかった。
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金のこと、新しい命のこと、代わりに死にゆく命のこと、切っても切れない縁のこと。大人になると現実味を帯びて絡んでくる、逃れられない事象に頭がクラクラする。
色んな厄介ごとが降りかかってくるが、それをかわしながら、どこかで自分を納得させ諦めながら生きていく。
後半の健三の言葉の意味を考えてしまう。事実はいつまでも消えないし現実は地続きなのかもしれない。
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健三は学問によりいち早く「近代」を吸収したが、個人主義の目をもって故郷を眺めたとき、それは「家族」という名の伝統的価値観によって彼を縛るしがらみでしかなかった。また教員という職業から高給取りとみられていた彼は、かつての養家島田を筆頭に親族一同から常に金銭的援助を求められていた。しかし健三の家にも資産がないばかりか家計は火の車なのである。家族や慣習とったしがらみに悩まされ、また金策に苦労する中で健三は妻御住との夫婦関係も悪化させてゆく。二人の関係が冷えるほど、御住は当てつけの如く産まれたばかりの子どもの世話に傾倒する。しかしそんな妻を健三は冷ややかに見てしまう。「家族」というコミュニティが解体されていく時代において、いつかは自分も妻も自立した子どもに見放される運命にあるからである。それは奇しくも自分が今まさに島田を見捨てようとしているのと同じように。最終的に、健三は島田の執拗な金銭の無心に対して手切れ金という形で決着をつけるが、それによりこれまでのしがらみが片付いたとは到底思えないのであった。
「家族」という伝統的価値観から抜け出しきれない健三の葛藤が描かれているが、そこからの脱却を試みた先にあるのは、「お金」に象徴される近代的価値観による新たなしがらみであるという皮肉を感じる作品であった。
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なんとまぁ、鬱々とした話だろう。読んでいてどんどん気が滅入ってきます。「行人」なんかも相当暗い話ですが、それでもところどころにユーモアがあり、笑える箇所がありました。「道草」においては、それがないとは言いませんが、非常に少ないです。またそれも暗いユーモアというか、苦笑いしか出ないようなものです。
相当読むのがきついですが、ただそれがある意味心地よいとさえ感じます。辛気臭い話に心を預けて、ただただ揺られているうちに、感覚がマヒしていきます。辛いときに悲しい映画を見て、涙を流すとスカッとするのと同じような感じでしょうか。ちょっと違うか。
手放しでよかったねとは言えないものですが、最後は心なしか明るさを感じさせる終わり方でした。「門」と同じような感じですかね。まぁ、とりあえずはよかったねという感じ。奥さんによる「漱石の思い出」と対の関係になっているようなので、そちらも読んでみたいですね。
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漱石の自伝と言われる作品。主に以下3つの事を軸にしている。1.かつての養父から無心2.第二子の出産3.親戚との関係と体調。
全体的に暗く救いがない雰囲気。子供の出産と言うおめでたい事すら少しも喜びにつながらない。漱石は自身がこんなにも人々の心の襞を観察し表現出来るのに、身近な人達との接触では見栄などが邪魔をしてうまく付き合えないもどかしさを感じる。断ればよいお金の無心を断れないこと、妻への配慮にかける言動など、読んでいていらいらが募る。この作品の発表時期にもよるが身近な人達も含めてこうまで赤裸々に書いてしまうとは。
ストーリーがないので中盤中だるみしたが、言葉の表現が面白く、また漱石が生きた時代を深く味わえる貴重な作品。ふりがながあるので読みやすかった。研究家による注釈も興味深い。
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夏目漱石の自伝的小説。親族に無心され続ける中での思いがまとまっている。以下、印象的な文。
・(兄へ)「みんな自業自得だと云えば、まぁそんなものさね」これが今の彼の折々他人に洩らす述懐になる位彼は怠け者であった。
・「みんな金が欲しいのだ。いや、金しか欲しくないのだ」こう考えてみると、自分が今まで何をして来たのか解らなくなった。
・彼は金持ちになるか、偉くなるか、二つのうち何方かに中途半端な自分を片付けたくなった。然し今から金持ちになるのは迂闊な彼にとってもう遅かった。偉くなろうとすれば又色々なわずらいが邪魔をした。そのわずらいの種をよくよく調べてみると、矢っ張り金のないのが大原因になっていた。
・「このおれをまたセビリに来る奴がいるんだから非道い」
・もしあの憐れな御婆さんが善人であったなら、私は泣くことが出来たろう。泣けないまでも、相手の心をもっと満足させることが出来たろう。零落した昔しの養い親を引き取って死水を取って遣る事も出来たろう。
・「単に夫という名前が付いているからと云うだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分には出来ない。もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質を有った人間になって自分の前に出て来るがいい。夫という肩書などは無くっても構わないから」
・「女だから馬鹿にするのではない。馬鹿だから馬鹿にするのだ、尊敬されたければ尊敬されるだけの人格を備えるがいい」
・ことによると己の方が不人情なのかもしれない
・金より外に人間の価値を定めるものは、彼女に取って、広い世界に一つも見当たらないらしかった。
・「私の頭も悪いかも知れませんけれども、中身のない空っぽの理屈で捻じ伏せられるのは嫌いですよ」
・「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない、一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
・「御父さまの仰る事は何だかちっとも分りゃしないわね」
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誰か俳優さんのオススメで読む。
漱石の自伝的小説だそうだが、大きな事件が起きる訳ではない。ないのだが、主人公の考えていることなど、まるで自分のことのように感じられた。
つまり自分勝手でプライドが高い偏屈な人間だということだ。
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解説が非常にわかりやすかった。
内容は、まったくもうな主人公と妻の言葉足らずの間柄に肉親だけにストレートな思いのたけ、でもそれももちろん心の中だけに留めて、と、とても歯がゆい聞いてて嫌になっちゃう人物なのに、ついつい読み進めてしまう。
面白いんだよなぁ。
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自伝要素のある漱石の小説のなかでは、あまり好きではない。
学者として成功したものの、金をせびりにくる養父や、厚かましい親族、そして仮面夫婦のような細君との距離感。リアリティがありすぎて、逆に重い。
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この作品に至るまでの多くに登場する苦悩する主人公がいます。「道草」は明確に自身の過去を下敷きにしているとのことですが、他の作品にもやはり作者自身の苦しみが投影されていたんだなと改めて思い至ります。
先日、漱石山房記念館に行ってまいりました。周辺の路地を入ったあたりなどは、当時の香りがほんの少しだけ残っていて、また記念館て掲出されている夏目さんの生涯に触れ、なるほどこういう境遇から編み出された名作たちなんだ、と感じ入りました。
苦悩の末、全くなにも解決しないままであったり、あるいはむしろ精神を分裂してしまった主人公たちがある中で、本作は僅かではありますが一件落着の感がないわけではありません。これは、半自伝という性質から、自身の未来に向けて照らしたいかすかな光であったのでしょうか。
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漱石の作品は、何回読みなしても、その度に違った印象や違った味わい、それまでにはなかった見え方のする作品ばかりだが、今回の「道草」は、一番その感が強かったかもしれない。
他の方もお書きになっているが、若い頃はネガティブな内容だけが続いて正直そんなにいい小説かな、と思わなくもなかった。が、数十年経って読み返してみると、置かれた状況は違うかもしれないが、いろいろなものが降りかかってきて、でもそれらを無視するわけにもいかず、そしてそれらは遠い昔に起因しているということは本当によくわかる。簡単に言ってしまえば「しがらみ」ということなのかもしれないが、それゆえ、大人になってからのほうが共感できる作品なのかもしれない。
今回の読書で、私の中の漱石作品ランキングの上位に食い込んだ。また読み返したとき、未来の私はどんな感想を持つのだろう。
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解説から、これが漱石の完成された最後の小説であったことを知る。何故『道草』と題したのか? 妻にも子にも優しくできず、元の養親からは無心され、思うように生きられない苦しさが、目的地へたどり着けないもどかしさと重なったのだろうか。漱石の自叙伝でもある本作は、読み手にとっても苦しさ、やりきれなさを感じさせる。だから、途中から妻・鏡子の『漱石の思い出』を読み始めた。そこには多少なりとも温かい家庭人としての漱石が見出されて安心した。漱石の作品を通じて所々で味わう江戸言葉も良い。
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夏目漱石が伝えたかったのは 則天去私(私心を忘れて 天に任せる)だと思う。
厄介な親類との陰鬱な心理戦が多いが、寂しさでスタートした物語が 妻と赤ちゃんの幸せのシーンで終わり、主人公の それでも 生きなきゃいけない というメッセージは感じた。タイトルから 考えると 道草をしたが、則天去私の境地で、落ち着くところに 落ち着いた ということだろう
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本作は、けっしてつまらないわけではないのだが、ビッグ・イヴェントなどもなく、ただ淡淡と日記のように物語が進行してゆく。それもそのはずで、解説などによれば、本作は漱石の自伝的小説であり、登場人物も周辺の人物と同定されるモデル小説でもあるそうだ。しかし、だとすれば、漱石の人間性には軽蔑を禁じ得ない。本作の主人公・健三は、漱石を投影したと思われる人物であるが、コレがまたどうしようもない人間なのである。妊娠中の妻に対しては、あまりにも無神経な発言を幾度となく繰り返し、いっぽうでしばしば金を無心に訪れる島田という男に対しても、強い態度で追い返すことはできず、けっきょくいつも言いなりになって金を渡してしまう。思いやりもなければ威厳もなく、ダメな男の見本のような感じで、漱石がじっさいにこのような男であったと思うとおもしろい。文豪に奇人・変人が多いということは昔からよくいわれているが、やはり漱石もこの例に漏れなかったわけである。むろん、小説じたいへの評価と、著者の人物像は別に考える必要があるのであるが、しかしこの小説は、著者あってこその小説であろう。おもしろいと断言するポイントがあるとすれば、まさにこの部分でしかないのであるから。
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養父母たちに何だかんだと無心される健三。妻との会話にはにべもないが、養父母達にはまた無心されても仕方が無いという気持ちが見え隠れする。
健三は誰もがそうだが、相手にああでも無いこうでも無いというやり取りが面倒臭いので、ぞんざいまたは適当な落とし所で折れていると感じた。
ストーリーとしてはスッキリしない。こんな立場にはなりたく無いと思う。
妻とは仲良く会話してもらいたいものだ。
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坊ちゃんの痛快さや、こころの男心のナイーブさを味わった上でこれを読むと、話の飛躍さにビックリする。
育ての親から金をせびられ、それで終わりかと思うと知人を名乗る者たちまでもが金を恵んでくれと擦り寄ってくる。
まるで乞食のようだ。
完全なフィクションではなく、夏目漱石の実体験に基づいているとすれば、彼はなんと複雑な人達のいる環境で育ってきたのだろうか。
養子として迎え入れた子供が大きくなると、育ててあげたと恩着せがましい態度をとる養父母たちに嫌悪感を抱く。
人を変えて金をふんだくろうと策略する養父がいちばん嫌いだが、細君が病んだことに腹を立て、自分本位に振る舞う主人公にも嫌気がさした。
あれが嫌これが嫌と言いたい放題なわりに、自分の欠点を細君から指摘されると腹を立てる。
立派なのは口だけで、じゃあ有言実行しようと動くかというとそうではない。
それに、養父から手切れ金として100円渡すところも、あっけなく渡してしまうから呆れてしまった。
だからつけ込まれるんだぞ!と、思わず怒号が口から出そうになってしまった。
が、物語として成立されるために脚色を加えているなら見事なものだ。
いつの時代にも、他人の金に目をつけて寄ってくる奴はいるんだな。
夏目漱石の違う一面を知れた気がした。
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私小説に徹するという意味で、漱石の他の作品とは一線を画す小説。
海外留学から帰って大学の教師になった健三は、長い時間をかけて完成する目的で一大著作(『吾輩は猫である』に相当すると思われる)に取りかかっている。その彼の前に、十五、六年前に縁が切れた筈の養父・島田が現れ、金をせびる。養父ばかりか、姉・御夏や兄・長太郎、事業に失敗した舅までが、健三にまとわりつき、金銭問題で悩ませる。その上、妻の御住とはお互いを理解できずに暮らしている毎日で…。
徹頭徹尾、金、金、金。さして裕福でもない健三に群がり無心する親類縁者たちと、それに辟易させられっぱなしの健三。
金銭を描くことを文芸的にタブー視する作家もいる中、漱石の作品では躊躇いなく金銭問題が取り上げられますが、わけても今作は金まみれ。
おまけに細君とは反りが合わず、互いを責め続けるという、暗澹たる状態。現代ならとっくに離婚でしょう。
金を遣っても尽きる見込みのない親類の無心に、「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」と吐き捨てる健三。
彼の嫌悪感はむろん自身にも向いています。劇的な展開こそないものの、光が見出せないため読後感は重い。
なお、今作は専ら健三、ひいては漱石の視点から描かれているため、妻・鏡子の口述をまとめた『漱石の思い出』で妻の言い分もひも解くとまた違った地平も見えそうです。
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漱石の文学は一面的に読むものではない、この小説でも多面的に考えさせられる。
このことがひどく気になった。
主人公「健三」は大勢のきょうだいの末っ子で生まれてすぐ養子に出され、それが「健三」の精神的放浪になり、行き場所を失うのにつながり、本人が悩むとはなんてことだろう。
昔は家名を残すために養子縁組が多かっただろうし、子どもがない夫婦が寂しさのためもらい子しただろうが、「健三」の養子先は将来めんどうを(働いて)みてもらうがためもらったのだ。それでは子どもが道具ではないか。
養家先の不都合で9歳ぐらいの時に実家へ帰されたけれど、籍は養家先に20歳過ぎまであり、吝嗇な養父、養母の後難を恐れ、実父がそれまでの養育費を払い証文まで交すすさまじさ。
その実父もいらなかった子が返ってくるなんて、という態度なのだからたまらない。
三つ子の魂百までも、精神的苦しみは性格をゆがめる。
もう結婚して娘も3人いる主人公、その養父母に、きょうだいに、妻の父に金銭的にたかられるのだ。しかも夫婦の関係がうまくなく、錯綜した悩みに襲われる。
悩みに悩む主人公を、こんなに追い詰めてどうしようというのだろうと、怖気づいてしまった。『道草』なんて題はとんでもない。
全くこの通りではないだろうが漱石の自伝的作品という、なんとつらい人生だったのだろうね。
しかも、これがために文豪になったかも知れず皮肉なものだ。
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かつての養父と出会ってしまうところから物語は始まるのであるが、どうして健三は彼の出現を不安に思うのかが徐々にわかってくる。さすが夏目漱石、配偶者、幼い養子から見た養父と養母、姉とその夫比田、兄、それぞれの描写は凄いと感心させられる。
健三はたいした稼ぎもないのであるが、その健三にお金をせびる人達と健三はそれを断りきれない。貨幣経済が進展した明治時代の世相が透けて見える。
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(個人的)漱石再読月間の14。
残すは未完の『明暗』のみ。
「小説として発表された自伝」とされている。非道い親族たちで、何故漱石が、お金がなくてツライ話ばかりを書いているかが明らかになる。楽しいことのひとつもない話。
漱石先生が神経症でひどい人だったということはよく知られていることではありますが、
親族、家族、胃潰瘍、神経衰弱の問題なしに、長生きしてもっとたくさん書いてほしかった。
ここまで再読してきて本当にそう思う。
せめて、明暗はもう少し先まで読みたかったなぁ。大好きなんですよ、『明暗』。読み返すの何回目だろう。
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現代小説とは違うので当たり前だが、話の流れに大きな変化はない。ざっくり言うと夫婦の日常生活を描いただけの作品。だけもも主人公の言葉で、日頃の自分を振り返ってみたくなるようなものがあったり、親戚付き合いとの中で主人公と似たような経験があったようにも感じた。自分が立派な社会人となり、人付き合いが増えるようになった時にもう一度読みたい作品。
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『こころ』の後に執筆され、漱石の自伝的小説とされる。妻とのすれ違い、親族からの金の無心などが綴られ、個人的には読むのにやや忍耐を要す。一方で妻と感情の行き違う折々の場面については、我が身に照らして身につまされる。。
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義理の父親が現われて、手切れ金を渡すまでを描く小説だと思っていた。もちろん、主要な軸にはなっているが、むしろ健三をとりまく親類連中との金銭関係が広く綴られている。健三は、彼らに必ずしも好意的ではない。特に妻との関係、会話は冷えたもので、却ってユーモラスなぐらいである。
漱石の自伝的小説ということから、かなり事実に近いのだろうと思いながら読むと、面白い。
当時は国民年金がないから、年を取るまでに財産を作り上げるか、誰かから援助を貰うしかなかったのだろうか。
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ダラダラと長い坂道を登るように怠い、その癖良い展望も望めない。「門」と違って脱世間的ですらない。生々しい人間関係とお金に縛られながら苦悩する夫婦の物語。
道草を読むと、漱石が奥さんに対して相当な独りよがりの態度を取っていたことがわかる。その態度に共感してしまったのも、読んでいて何となく辛かった原因だったのかもしれない。
本作品に限らず、漱石の小説は現代文の問題で棒線が引いてあって「このときの登場人物の心情を述べよ」なんていう問題が付きそうな文章があると、すぐ次の文章で漱石先生が勝手に答えを解説しだすような部分が多々ある。想像力を働かせたい読者には余計なお世話かもしれないが、自分には寧ろこれくらいが丁度良い。
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金の貸し借りなど、生々しい面が多く描写されている。
この小説には飾られた物、美しい物などは出てこない。
ただ健三の生活が淡々と綴られている。
いずれまた読み返したくなる作品だった。
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夏目漱石の作品は人間味に溢れている。
極端な美意識の押しつけでもなく、
「日本的なもの」を無理に定義しようともせず、
ありのまま人間の姿、どうしようなく不完全な存在としての個人を描こうとしている。
人間味があるというのはそういうポイント。
三四郎では厭世的な青年の葛藤。
こころでは大切な人の恋人を好きになってしまうダメな大人。
道草ではもっと泥臭い人間が描かれている。
主人公は、学問に従事するそこそこの年齢の男。
細君ともギクシャク。(細君とのやりとりから垣間見える主人公のどうしようもなさや不甲斐なさ、甲斐性なしな感じがまたリアルでよろしい。)
養子に出されたときの人間の気味悪さ、親と子の不条理性、自意識の成長過程において傷を抱えた人の描写が非常に面白い。
特に、愛想を尽かすという行為が相手にとって最も効果的な仕打ち、という主人公の考え方に共感を覚えた人も多いのではと思った。
世の中ってなんて不条理で、その不条理な世界で生きている人間も決して純粋なんてものではなく不条理な生き物でしかない。いろいろな欲望が重なり合って、決してシンプルとは言えない世界で生きていくこと、それが人生なのだろうし、それだからこそ人生は面白く、美しいのだろう。