あらすじ
海外留学から帰って大学の教師になった健三は、長い時間をかけて完成する目的で一大著作に取りかかっている。その彼の前に、十五、六年前に縁が切れたはずの養父島田が現われ、金をせびる。養父ばかりか、姉や兄、事業に失敗した妻お住の父までが、健三にまつわりつき、金銭問題で悩ませる。その上、夫婦はお互いを理解できずに暮している毎日。近代知識人の苦悩を描く漱石の自伝的小説。(解説・柄谷行人)
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Posted by ブクログ
いつ同じ様な状況になってもおかしくない、ぬるま湯の身動きの取れない地獄がえんえん続く。ラストの場面で一筋の光明を見ようとする。夏目漱石で一番好きな作品。
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金のこと、新しい命のこと、代わりに死にゆく命のこと、切っても切れない縁のこと。大人になると現実味を帯びて絡んでくる、逃れられない事象に頭がクラクラする。
色んな厄介ごとが降りかかってくるが、それをかわしながら、どこかで自分を納得させ諦めながら生きていく。
後半の健三の言葉の意味を考えてしまう。事実はいつまでも消えないし現実は地続きなのかもしれない。
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健三は学問によりいち早く「近代」を吸収したが、個人主義の目をもって故郷を眺めたとき、それは「家族」という名の伝統的価値観によって彼を縛るしがらみでしかなかった。また教員という職業から高給取りとみられていた彼は、かつての養家島田を筆頭に親族一同から常に金銭的援助を求められていた。しかし健三の家にも資産がないばかりか家計は火の車なのである。家族や慣習とったしがらみに悩まされ、また金策に苦労する中で健三は妻御住との夫婦関係も悪化させてゆく。二人の関係が冷えるほど、御住は当てつけの如く産まれたばかりの子どもの世話に傾倒する。しかしそんな妻を健三は冷ややかに見てしまう。「家族」というコミュニティが解体されていく時代において、いつかは自分も妻も自立した子どもに見放される運命にあるからである。それは奇しくも自分が今まさに島田を見捨てようとしているのと同じように。最終的に、健三は島田の執拗な金銭の無心に対して手切れ金という形で決着をつけるが、それによりこれまでのしがらみが片付いたとは到底思えないのであった。
「家族」という伝統的価値観から抜け出しきれない健三の葛藤が描かれているが、そこからの脱却を試みた先にあるのは、「お金」に象徴される近代的価値観による新たなしがらみであるという皮肉を感じる作品であった。
Posted by ブクログ
私小説に徹するという意味で、漱石の他の作品とは一線を画す小説。
海外留学から帰って大学の教師になった健三は、長い時間をかけて完成する目的で一大著作(『吾輩は猫である』に相当すると思われる)に取りかかっている。その彼の前に、十五、六年前に縁が切れた筈の養父・島田が現れ、金をせびる。養父ばかりか、姉・御夏や兄・長太郎、事業に失敗した舅までが、健三にまとわりつき、金銭問題で悩ませる。その上、妻の御住とはお互いを理解できずに暮らしている毎日で…。
徹頭徹尾、金、金、金。さして裕福でもない健三に群がり無心する親類縁者たちと、それに辟易させられっぱなしの健三。
金銭を描くことを文芸的にタブー視する作家もいる中、漱石の作品では躊躇いなく金銭問題が取り上げられますが、わけても今作は金まみれ。
おまけに細君とは反りが合わず、互いを責め続けるという、暗澹たる状態。現代ならとっくに離婚でしょう。
金を遣っても尽きる見込みのない親類の無心に、「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」と吐き捨てる健三。
彼の嫌悪感はむろん自身にも向いています。劇的な展開こそないものの、光が見出せないため読後感は重い。
なお、今作は専ら健三、ひいては漱石の視点から描かれているため、妻・鏡子の口述をまとめた『漱石の思い出』で妻の言い分もひも解くとまた違った地平も見えそうです。
Posted by ブクログ
(個人的)漱石再読月間の14。
残すは未完の『明暗』のみ。
「小説として発表された自伝」とされている。非道い親族たちで、何故漱石が、お金がなくてツライ話ばかりを書いているかが明らかになる。楽しいことのひとつもない話。
漱石先生が神経症でひどい人だったということはよく知られていることではありますが、
親族、家族、胃潰瘍、神経衰弱の問題なしに、長生きしてもっとたくさん書いてほしかった。
ここまで再読してきて本当にそう思う。
せめて、明暗はもう少し先まで読みたかったなぁ。大好きなんですよ、『明暗』。読み返すの何回目だろう。
Posted by ブクログ
義理の父親が現われて、手切れ金を渡すまでを描く小説だと思っていた。もちろん、主要な軸にはなっているが、むしろ健三をとりまく親類連中との金銭関係が広く綴られている。健三は、彼らに必ずしも好意的ではない。特に妻との関係、会話は冷えたもので、却ってユーモラスなぐらいである。
漱石の自伝的小説ということから、かなり事実に近いのだろうと思いながら読むと、面白い。
当時は国民年金がないから、年を取るまでに財産を作り上げるか、誰かから援助を貰うしかなかったのだろうか。
Posted by ブクログ
夏目漱石の作品は人間味に溢れている。
極端な美意識の押しつけでもなく、
「日本的なもの」を無理に定義しようともせず、
ありのまま人間の姿、どうしようなく不完全な存在としての個人を描こうとしている。
人間味があるというのはそういうポイント。
三四郎では厭世的な青年の葛藤。
こころでは大切な人の恋人を好きになってしまうダメな大人。
道草ではもっと泥臭い人間が描かれている。
主人公は、学問に従事するそこそこの年齢の男。
細君ともギクシャク。(細君とのやりとりから垣間見える主人公のどうしようもなさや不甲斐なさ、甲斐性なしな感じがまたリアルでよろしい。)
養子に出されたときの人間の気味悪さ、親と子の不条理性、自意識の成長過程において傷を抱えた人の描写が非常に面白い。
特に、愛想を尽かすという行為が相手にとって最も効果的な仕打ち、という主人公の考え方に共感を覚えた人も多いのではと思った。
世の中ってなんて不条理で、その不条理な世界で生きている人間も決して純粋なんてものではなく不条理な生き物でしかない。いろいろな欲望が重なり合って、決してシンプルとは言えない世界で生きていくこと、それが人生なのだろうし、それだからこそ人生は面白く、美しいのだろう。