養老孟司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
死は観念ではなく、日々トイレでひねり出さねばならないウンコと同じく、有機的でどうにもならないものなのだという養老節に、毎度のごとく唸らされました。
都市化と共に生活の場から死も消えたというのは納得です。都市というのはクリーンで支配できるものに満ちています。汚らしいもの、秩序を乱すものは許されず、周辺に追いやられます。当然、臨終は病室においやられ、すぐに匂いを発する死体などもさっさと焼却処分される。野生動物の死骸すら、その日のうちに処理されて目につきません。
こうして本物の死はかくされ、無味乾燥かつ抽象的な数字におきかえられる一方で、フィクションの世界では残酷で派手な死が跳梁跋扈する。それで想像力ばかりが刺激されるから、無駄に恐怖心が高まってしまう訳です。新型コロナに対する世間の過剰反応にも、案外そんな理由があるのではないかと、本書を読みながら思いました。
養老先生は、フィクションに出てくる死体は嘘っぽいと言います。長年、解剖学に心血を注いだ専門家の言葉には重みがあります。きっと、私たちが思うよりも違うのでしょう。しかし、普段死体をまぢかに眺める機会のない私たちには、本質的な違いなど分かりようもありません。
昔、ミイラ展や人体の不思議展に行ったことがあります。どちらも本物の死体が展示されていました。興味深くエキサイティングではあったものの、ある意味では少し拍子抜けもしました。
なんだかミイラは大きな干物に見えたし、プラスティネーションはおどろくべき精巧な標本であり、私が思っていた死体ではなかったのです。今思えば、何かもっとおどろおどろしさがあるだろうと期待していたんだと思います。見世物小屋に求めるべき物を求めていたのです。
ただ一点、スライスされた人体標本の頭部にうっすら毛が生えていたのだけは、なんだか今でも覚えています。理由は分かりませんが、それを見た時にはじめてこの人は生きていたんだと思えました。
不思議な感覚でした。これが養老先生言うところの「死体である死体」の存在感なのでしょうか。それはフィクションの世界にあるように、怖くもなく、グロテスクでもなく、ドラマチックでもありませんでした。目の前のこの人は、自分と同じように生きていたのに、たしかに今は死んでいる。自分も、いずれこの人のように死ぬのに、どうやら今は生きている。
この不思議さには果てがありませんでした。見つめれば見つめるほどに、分けがわからないけれど、何か心の深い部分に、慄然と鮮やかに響いてくるものがあったのです。哀しみでもなく恐怖でもありません。言葉にはならないものです。それが都市化によって私たちが失ったものなのかも知れません。
死とはなにか、生とはなにか。それは情報や論理だけで答えが出るものではなく、なんだか分からないけれども目の前に歴然と存在する有機的なシステムと向い合う中にしか、見えてこないものである、という、養老先生の言葉には、不思議と心安らぐものを感じました。
他にも色々と面白い話がありました。ただ最終的に心に残るのは、父親の死について、しんみり語る先生の後ろ姿です。何度も読んだ話ですが、とりわけ本書では響いてきます。 -
Posted by ブクログ
養老先生の思考を辿ることができる本のひとつ。
あんまり小難しい内容だって身構えなくても大丈夫。
どこにいるどのような人間に対しても一定の理解をしていているように見えます。
長く生きることでしか到達できない答えがあるんじゃないかって思えてくる。
この人のようなものの考え方、感じ方ができるようになってみたい…そういう、なんだか不思議な魅力があります。
静かにこちらに語りかけてくれるような文体で、尖りを感じない。
ご本人も仰っているように、“常識的”な価値観…。
そういうものを獲得した上で、犯人に伝わる形にすることの、どれだけ尊いことか。
生き方とお手本になる、マイ・ベスト・エッセイに入ります! -
Posted by ブクログ
壁シリーズの第5段です。古本屋で見つけたので購入してみました。今どきの話題にふれつつ、愛猫まるをたまに登場させつつも、『バカの壁』と同じように、けっこう集中力と頭脳労働が求められる本です。「おじいちゃんの遺言かぁ、モー娘みたいにタイトルに「。」つけちゃって可愛い〜」なんてニヤニヤしながら読むと痛い目にあいます。さすが壁シリーズ。
自分は建築について考察する部分で、けっこう腑に落ちました。空間を共有すると簡単にいうけれど、確かにそれぞれの体験は全然別だよなと。
たとえば実家にしても、その家にいる感覚は、親と子ではまったく違うでしょう。自ら数十年ローンを組んで、日々苦労と充実感を重ねながら自分の稼ぎで手に入れた家に住む人間と、なんとなくあるのが当たり前な感覚で住む人間の体験が、同じであるわけがないのです。でも、そんなことも、こうしてあえて意識しなければ、存在しないも同然です。それを、私たちはごく普通に同じ空間を共有していると信じています。
これは改めて考えると、怖い事だし、同時に心踊ることでもあります。他人の体験は永遠に自分のものにはならなず、想像したとしてもそれは「仮にその状況にある自分」の体験でしかないという、この分からなさ、ある種の断絶の感覚こそ、逆にいえば新たな体験を予感させる要因だからです。
すべて分かりきった世界にどんな喜びがあるというのでしょうか。人や事物にレッテルを貼り、分かったつもりになる時に人は、自分自身の「思考」もしくは「記憶」しか見ていません。
もちろん、どうにもよく分からない「他者」はストレスの元ではあります。だから排除しようという恒常的な意識の働きがあるのでしょう。でも、言ってしまえば、意識(思考)にとって、身体こそがまず最初の大自然であり「他者」なのです。
「意識」は永遠に若く元気で生きるべきだと考えますが、「身体」は自然の法則にしたがい粛々と死にむかいます。そんな自然たる身体を、思い通りにしたところで、グロテスクな結末にしかならないのではないでしょうか。オルダス・ハクスリー『素晴らしい新世界』がまさにそんな世界を描いています。養老先生の本を読んでから読むと、かなり面白いと思います。
というようなことを、読みながらつらつら考えました。
ひとまず、養老先生の遺言は、個々人が生々しく体験する刺激であるところの感覚所与と、思考が作った抽象概念は、現代人が思っている以上に乖離してきており、社会がだいぶまずいことになってるぞ〜そろそろ身体に気づけ〜、という事だと受け取りました。 -
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養老孟司という人間について分かる。
世間的に賢いとされる人間が、年老いて死期が近い今、人生を振り返りどう考えるか、死に対してどう思うか、今の世界に対して何を思うか、が記されている。
読んでいる時、徒然草の冒頭、
「徒然なるままにひぐらし〜」
の一節が思い浮かんだ。
言語化するに足りる知性、やる気を持ち合わせていないため詳細は省くが、私のこれからの人生を、どのように考え、どのように全うするか、少なからず影響すると思う。
様々なことを考えながらも、全てに対してあえて結論を出さない感じが読みやすく、歳を重ねながらも柔軟な頭の良い人なのだろうと思わされた。
その他壁シリーズも読みたいと思う。 -
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「虫は人の鏡」、このタイトルの意味が、本を読んでわかった。虫を含めた自然は学びの宝庫。私の場合は植物を通して学び続けていきたい。
〈本から〉
擬態は情報系内部の現象
われわれの網膜は三色原理だが、鳥は四色原理を使う
ピカピカ光って飛んでいるホタルは、つまり雄である。雌はジッとしていて、雄が光って飛んでくると、雄の信号に合わせて光る。
ゴキブリを馬鹿にする人は多いが、オーストラリアのゴキブリには、子どもを養育する種類が複数ある。種によっては腹に腺があって、その分泌液を子どもがなめる。早い話が、哺乳するのである。あるいはモグラオオゴキブリは、地中に穴を掘り、そこに餌を運んで子どもを育てる。こういう虫を見ていると、やはり私は感動する。自分はゴキブリにも劣る。そういう気がすることもある。
略
こうして考えていくと、対象がなんであれ、結局私にものを教えてくれてきたのは、自然だということを知る。
その自然は、見ようとする気持ちさえあれば、なにもテレビやインターネットの中だけではなく、皆さんの周辺にいくらでもあるはずである。この本が、いくらかでもそういうものを見よう、考えようという、皆さんの気持ちのきっかけになったとすれば、私にとって、それに勝る幸福はない。 -
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読書開始日:2021年12月28日
読書終了日:2021年12月30日
要約
日本は世界に珍しい「無思想という思想」がある国。世間、風土、思想は補完関係にあり、従来の日本は世間、風土が大きく、思想は小さくてもうまく回っていたが、西欧思想介入による個性尊重、意識尊重傾向が強まり、軋轢が生まれている。
今こそ無思想という思想を自覚し、その思想を大衆と照らし合わせどう生かすかが重要である。
その重要なポイントである大衆に対して、今一度感覚世界尊重を訴える必要がある。
「同じ」を追い求めていく概念世界では、意味あるもの不変なものが重要視される。なにかに意味づけしたく、最悪は全ての出来事を人為にする。最終的には原理主義のデメリット、決めつけによる思考停止、堕落に陥る。
日本のいい部分は、感覚主義、自然主義として、その時々で柔軟な対応が出来ていたことだ。
違いをあるものとする。感覚を重視する。違いがあるという前提の中で真理を追い続ける。それを個人個人で行うことで無思想という思想ができあがってくる。
自分の証明は身体だ。意識は常に変わっていく。自分の証明は身体に預け、自分が変わること、周囲が変わることを受け入れ、それを味わいながら真理、あるはずのない正解を追い続ける。
これを大衆の1人としてまずは自分が行っていく。
(備忘録)
同じにしていく。抽象度を上げていく。
これは便利だが、やり過ぎると原理主義に陥る。
人ほど自然なものは無い。
やはり感覚を感じとり、その人それぞれへの対応することを「目指す」
意味を追い求めすぎるな。
果ては無機質なオフィスになる。 -
Posted by ブクログ
読書開始日:2021年11月27日
読書終了日:2021年12月4日
要約
①感覚所与を意味のあるものに限定し、世界を意味で満たす。それがヒトの世界、文明世界、都市社会。
②都市社会の弊害は全てに意味があることを強い、意味ないものを徹底的に排除する。それにより人間本来の死生観との乖離が起きている。人生についても意味あることへの強迫観念が強いられる。
③意識と感覚の違い自体を意識することが重要。
所感
養老孟司さんの本は本当に面白い。
都市社会を、説明によって理解することができた。
意味の強要。
自分も経験してきた。
自分はSNSから距離を置いた。
この意味の強迫がとても居心地悪かった。
残された学生生活、残された20代、楽しまなきゃ損。俺はこんだけ楽しんでる。談笑だけでは飽き足らず、一生残る情報として書き記す。自分が精一杯自分の人生に意味をつけた証として。
既に一般市民の若年層にも意味強いは浸透している。
個性尊重もそのせいだ。
個性なんてものは今の自分がそもそも個性で、その個性すらも諸行無常。
自分なんてない。
むしろせせらぐ川のように流動的に、時に濁流のように、移ろうものが自分だ。
その中でもイメージする川に矯正する、矯正してもらえるような存在が必要。
その関係は、もちろん移ろうを前提とした関係だ。
前提は前提としていながらもそこに向かうことにきっと幸福はある。
意味づけがダメと言っているわけでは全く無いんだ。
ただそこには人間としての感覚も入れないと、ただのコンピューターに成り下がる。
再読したい。