高橋源一郎のレビュー一覧
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海上自衛隊の訪問をきっかけに、積読を解消。高橋源一郎さんが「戦争を語ること」について感じている違和感や勘違い、思い直しを記述したもの。戦争は悪いこととは分かっているが、それとどう向き合うかについては実は全く分かっていない。もちろん、戦争に関する本はたくさん読んだし、8月になればTVなどでみることもある。日本は加害者の国であり、沖縄や鹿児島、東京でも、戦争の爪痕を感じることもある。ウクライナでは今まさに戦争が起こっている。でも、個人としてどう向き合っているか、どう捉えているかと問われると、甚だ心許ない。しかし、こうしている間にも、ひたひたと戦争に向かっているかもしれない。戦争とはっきりとわかる前に、なんとなくそれらしい状態になって、その状態に慣れて、後戻りできない状態になるかもしれない。今、とく耳をすまし、目を見張り、声を上げなければと思った。
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Posted by ブクログ
スポーツうるぐすで,初めて知った高橋源一郎さんは,飄々としてて,誰の悪口も言わない,でもすごく鋭い人,という風に僕には映っていた.それから時々新聞や雑誌のコラムなんかで文章を読む機会があったり,試験問題で出逢ったり,その度ごとに「気になる」存在でありながら,きちんと本を読んだことがなかった.
その気持ちに踏ん切りをつけたのは麻布十番の焼き鳥屋さんでの志村けんさんとのエピソードを読んだ時.
あのエッセイの凄まじさ.これは読まなくてはいけない!と思った.…だのに,中々手に取る勇気が湧かなかった,何となく読むのが怖い…そんな作者だった.
で,この一冊.
とても丁寧だ.言葉も考察も.そして決して結論めいた方が書かれていないのも何だか新鮮だった.そして,とても「怖い人」だと思った.怒る人とか,危ない人とか,ヤバい思想を持った人とか,そういうことではなくて,今まで触れずにいたこと,気づかずなのか,あえて見なかったのか,深めれば痛い思いをすると思っていたからなのか…そう言った後ろめたさややましさみたいなものを全部見透かされてしまったような気がした.あーやっと,白日の元に晒せた,という妙な安堵感と相俟って,「これってヤバい納得,だよね?」みたいな変な感じにさせられてしまった.
あーこれは…明日から見る世界が変わるやつだ…参りました,ありがとうございます. -
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強く強く心を揺さぶるものがありました。
それは必ずしも本書で語られた内容によるものではなく(だってたぶん僕はこの本で語られたことの1/3も分かっていないと思いますから)、高橋源一郎という人が、背伸びをせずに、かといって自身を矮小化することもないまま、できるだけ等身大で、それはつまり戦争体験者でもなく、かといって戦争に無責任にあるわけにもいかず、ただ戦争というあまりにも巨大な(少なくとも巨大だと思われてしまう)課題についてどうしたらよいか分からないという立場に立って、戦争を考えるためにはどうしたらよいかということを実演してみせてくれた、その正直なありように、心が、あるいは偉そうに言えば僕の知性と呼びうるものが反応した、そんな気がします。
本書は太宰治の「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」という『津軽』の言葉で締め括られていますが、これは本書にかけた高橋源一郎さん自身の自負であるように僕には感じられました。
「戦争についてできるだけ誠実に向き合ってみた。そしてその過程で見たもの、感じたもの、考えたことを、できるだけ正直に書いてみた。さあ、君は僕の言葉をどのように聞いてくれたのだろうか。いつか、君の意見も聞いてみたいね。(タモリさんが言うところの「新しい戦前」というこの時代を)しっかり生きよう。考えることをやめるな。では、また次の本で」
本書のなかで「日常」について語られる箇所がありました。
「日常」を忘れず、「日常」を保持し続けるためには、「日常」を経験するだけでなく、その日常の中で「日常とはなにか」を問うという行為が必要でしょう。
思考停止だけはしてはいけない。
そんなメッセージを感じて、心は揺さぶられたのではなかったと思います。
2023年一番最初に読み終えた本になりました。
今年もできるだけたくさん本を読みたい。映画を見たい。
そんな気持ちになりました。
今年最初の出会いがこの本でよかった。 -
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作品紹介・あらすじ
「文章」の書き方は、自分の好きな「文章」が教えてくれる。
だからまずは自分の好きな「文章」を見つけよう。
タカハシさんが好きなのは、明治生まれの貧しい農夫木村センの文章や、免疫学者・多田富雄、スティーブ・ジョブズの驚異のプレゼンなど。
タカハシさんはそれらの、どこが好きなのか?
どうすれば、こんな「名文以上の名文」が書けるようになるのか?
これは、専門家やエライ人以外のみんなのための文章教室。
文庫化に際して「補講 二〇一八年の秋に学生たちが『吉里吉里国憲法』を書く」を増補。
(『ぼくらの文章教室』改題。)
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読み始めて直ぐに「何か読んだことあるな」と思ったら文庫化に際して「ぼくらの文章教室」を改題したとのこと。そうか「ぼくらの文章教室」を読んでいたんだ。でもあれは何年も前に読んだもの。何故直ぐに「何か読んだことあるな」と思ったのか。それは冒頭で紹介されている木村センさんの文章が強烈だから。「老人の美しい死について」という書籍からの引用なのだけれど、多分僕の何十年にも渡る読書歴の中でも、トップに位置するくらいに強烈で悲しい文章だった。ちっとも上手い文章じゃないし、漢字も殆ど使われていない。文字が読めなかったおばあさんが、どうしても「最後に」家族に伝えたいことがあったので、お孫さんと一緒に文字を習い始めて、書かれた文章とのこと。多分生まれて初めて書いた、唯一の文章なのだと思う。同じようなことを書いてしまうけれど、僕はこんなに強烈で心にいつまでも残る文章を他に知らない。だから読み始めて直ぐに思い出した。
この本には文章を上手く書く秘訣とか、小説の書き方とか、そういうハウツー的なことは一切書かれていない。その代わり、「文章」とは何か?という根源的なことが書かれているように思う。上記の木村センさんの文章と同じく、色々な人々の文章が引用されているけれど、どれも心にずっしりと重たいものを残してくれる。それらはそんじょそこらの小説などからは絶対に感じ取ることが出来ない。 -
Posted by ブクログ
朝日新聞に、作家・高橋源一郎さんによるルポルタージュの大きなコラムが定期的に掲載されていました。個人の幸福と富の追求ばかりが無前提に信じられている時代に、そうではない視点を示してくれる、数少ない文章でした。そもそも、作家という職業の人たちが、必ずしもみんな現代という時代にコミットしているわけではないでしょう。現代に自ら関わる作家である彼の、「著者初のルポルタージュ」として世に出た、この本をぜひ読んでほしいです。表紙裏の紹介文を引用します。
「作家は、さまざまな場所を訪ね歩いた。ダウン症の子どもたちのアトリエ。身体障害者だけの劇団。愛の対象となる人形を作る工房。なるべく電気を使わない生活のために発明をする人、クラスも試験も宿題もない学校。すっかりさま変わりした故郷。死にゆく子どもたちのためのホスピス。足を運び、話を聞き、作家は考える。『弱さ』とは何か。生きるという営みの中に何が起きているのか。文学と社会、ことばと行動の関わりを深く考え続けてきた著者による、はじめてのルポルタージュ」。
ハンディを負った人々、社会的に「弱者」と言われる人たちが暮らす生活の中に、「強者」を目指すよう「マインドセット」された私たちが見失ったものがあります。そのことを教えてくれるこの本で報告されるいくつかの事実は、私たちが気づかないふりをしていられるほど、軽いものではないと思います。(K)
「紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉」2014年8月号より。