高橋源一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ここ最近で読んだ中で、圧倒的に1番感動した。
この本のことを誰かに紹介するとしたら、一言で済む。
「民主主義って、文学のことなんだよ」
「『ことば』に殺される前に」の感想にも書いたが、高橋源一郎さんの文章は、いつも知性と節度に満ちている。いつもそこに感動する。
「Ⅰ 自分の足で歩く」に収められた文章は、どれも哀しみが、それも怒りと戸惑いと混乱を通過した後の、だけど諦めることに抵抗した哀しみが通底している。そのことは僕に、radioheadのアルバム"KID A"を聞いた時のbjorkのコメントを思い出させた。
『あのアルバム(Kid A)は、もの凄く酷い光景を目撃してし -
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高橋源一郎さんの「ぼくたちはどう老いるか」を読んだ。簡単な言葉で書かれているんだけど、中身は深奥までずしんと響いた。
鶴見俊輔の「もうろく帖」、ハルノ宵子の「隆明だもの」、有吉佐和子の「恍惚の人」、耕治人の晩年の私小説、谷川俊太郎の死、高橋源一郎の弟の死などを取り上げ多角的に「老いる」ことについて、自分自身、家族、社会にとってどうなのかが書かれている。
この中で一番衝撃的で考えさせられたのは耕治人の私小説だった。経済的に苦しい親類もいない夫婦二人の人生の終わりが描かれている。
長年売れない貧乏作家を文句も言わずに支えてきた妻が認知症で壊れていく様子。ガスの付けっ放し、夜中にご飯の支度、糞尿の垂 -
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高橋源一郎は、72歳になった自分自身を起点に、「老いるとは何か」を真正面から見つめる。本書に通底するのは、老いを美化も克服もしない、しかし絶望とも同一視しない、独特の距離感である。老いとは「もうろく」だと彼は言う。つまり、一生懸命に考えることができなくなっていく過程そのものだ、と。
第1部で語られる哲学者・鶴見俊輔の「もうろく帖」は、その象徴だ。69歳から77歳にかけて書かれた記録は、「役に立たなくなる自分」を引き受ける試みでもあった。うつ病を「もうろくの稽古」と呼び、癌で入院し、自分がよぼよぼの老人であることを認めるには「日々の努力」が必要だと言う。その姿は、老いとは衰退ではなく、自分とい -
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高橋源一郎が「老い」をテーマにした雑誌収録のエッセイ集。題材として取り上げる作家とともにタカハシさん自身も1951年生まれなので今この時点で74歳で老境の域に入っていると言ってよいだろう。この本に書かれたこともタカハシさんの老いを色濃く反映している。今の時点で能力が劣化したというよりも、これから劣化することの覚悟、そして何より死してしまうことへの強制された覚悟が見てとれる。語るもの自身が、老いの「当事者」となっているのだ。もちろん、それを読む自分にとってもそれは当てはまる。
銀行が七十歳以上の人には融資できないというような個人的な経験を通して、タカハシさんは老いについてこういう。
「七十歳」前 -
Posted by ブクログ
高橋源一郎さんの人生相談回答本第ニ弾。
前作の「誰にも相談できません」よりも泣きました。
前書きでもう泣いた。
【また別のとき、誰かが泣きながらずっと話をしている。もう誰もとめることができない。ただわたしは話を聞くだけ。それでもいい。いや、それがいいのだ。やがて、時が過ぎ、その誰かは泣き止んで、わたしにこういう。
「話を聞いてくれてありがとう。もう、わたしは大丈夫」】
離婚4回、結婚5回、子供が5人、父親はギャンブル依存症で離婚家庭、本人も昔ギャンブル依存症だったことがあり現在も借金返済中。大学は中退しニート経験もあり。20代の頃は日雇い労働者。不眠不休での育児経験あり……筆者の経歴が濃