高橋源一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ああ、これは高橋源一郎版、21世紀的『君たちはどう生きるか』だなあ、と思いながらわくわくして読み進めたら、最後のあとがきにそれを意図して書いたってあって、少し自分の読書経験に自信がついた次第(笑)。
もう少し違うタイトルにならなかったの?
文庫で出版できなかったの?
もっと多くの人に読まれる可能性の高い流通形態をとることができなかったの?
という疑問が出るくらいいい本だと思う。
もしかしたら怒るような人がいるのかもしれないけれど、こういう形でしか表現できないことも確かにあると思う。
それに著者自身がこの本の内容すべてに諸手を挙げて賛同してもらうことを期待はしていないと思うし。
この本を読んで、それが「考える」ことのきっかけになればいい。
学校では教えてくれないこともあるし、教えられないこと、教えきれないこともある。
いや、たぶん本書でランちゃんのお父さん(誰かモデルになっているかは一目、いや一読瞭然)が言っている通り、本当に大切なことは自分で調べなくちゃならならいんだろうし。
とにかく一度読んでみてほしい。そしていろいろと考えてほしい。できればランちゃんのようにその考えたことを共有し合える仲間と巡り合ってほしい(僕としては巡り合いたいけどそれはなかなか難しい現状なので、ランちゃんのお父さん同様、書棚の本と向き合うことにします)。
そんな本でした。 -
Posted by ブクログ
再読。
再読、とはいっても今までは単行本、及び講談社文庫で発売されていたものを読んでいた。
今回は講談社文芸文庫として出版された版で読んでいる。
うちには三種類の「さようなら、ギャングたち」があるということだ。
もっとも多く読み返した作品がこの「さようなら、ギャングたち」だろう。
二桁、までは到達していないだろうけど、七、八回は読み返したと思う。
それほどまでに読み返すほどの魅力がこの作品のどこにあるのだろう。
すでに内容を知っている状態で読み返すと、始終切ない気持ちで読み通すことになる。
本当に切ない気持ちになってしまう。
本当に哀しい気持ちになってしまう。
何故なんだろう。
短いフラグメントが集積されてひとつの物語を形作っている、という形式。
バーセルミや村上春樹の「風の歌を聴け」やブローティガンの「アメリカの鱒釣り」「西瓜糖の日々」のような形式、と言えば分りやすいだろうか。
詩、なのかも知れないし、前衛的なのかもしれない。
たった一行だけのフグラグメントもあれば大島弓子の漫画のみによるフラグメントもある。
僕は全く前衛的とは思っていないのだけれど、やはり他の小説とは全く異なった言葉、全く異なった文章で書かれていると思う。
コクトーの「恐るべき子供たち」やコルタサルの「南部高速道路」その他過去の様々な小説へのオマージュともとれる箇所も随所に見受けられる。
きっと僕が読んだこともない作品にも触れている箇所があるのだろう。
万人向けでは決してない。
読んでみて「全く意味不明」と思われる方もいると思う。
僕もきっと意味不明のままに何度も読み返しているのだと思う。
それでもこの切なさ、この哀しみの疑似体験は得も言われぬ快楽を呼び起こす。
だから何度でも浸ってしまう。 -
Posted by ブクログ
高橋源一郎の三作目。
巻末に掲載されている「著者から読者へ」を読むと、著者は「全世界について書いてみたかった」とのこと。
最終的には、とある理由で編集者から急かされ、急遽完成させたのが、当作品とのこと。
うーん、実際に読んでみても「全世界」が書かれているのか、あるいは「全世界」を書こうとしたのか、まぬけな僕には良く判らなかった。
読んでいて感じたのは「著者は小説を信じていないのではないか」「著者は言葉を信じていないのではないか」「著者は言葉の無意味性を無意味な言葉を使って描こうと無意味な行為を繰り返しているのではないか」「そんな無意味な行為を行っている著者自身を描こうとしたのではないか」といったこと。
あるいは矛盾した感じ方かもしれないが、その全く逆、つまり小説や言葉を信じきっている、だからこそ書くことが出来た作品なのではないか、といったこと。
きちんとしたストーリーは存在しない(あるいは僕に判らなかっただけかも)し、物事を白黒はっきりとさせたがる人にとっては、まずつまらないだろうな、と思います(激怒する人もいるだろうな)。
僕は特にストーリーがなくても、文章や言葉の使い方が面白ければ、また、白黒はっきりしなくても、心地よい余韻が残る作品であれば、全然問題にしません。
よって、僕は最後まで一気に面白く読み終えることが出来ました。 -
Posted by ブクログ
単行本ですでに読んでいたのだが、文庫化された際に、単行本未収録の「魔法学園のリリコ」が収録されていたので、購入。
まぁ、この「魔法学園のリリコ」ってのが、20数頁の短編で、書きかけの作品の冒頭部分だけ、というか、次回作の予告編というか、いずれにしても中途半端に終わってしまっている。
正直、収録されていなくても良かったような……。
「『悪』と戦う」のほうは、単行本で読んだ時とほぼ同じ感想を抱いた。
解説の中森明夫氏によれば、この作品が高橋源一郎の最高傑作だそうだ。
僕としては最高傑作と思えるものは別にあるのだけれど、それでも傑作のひとつには違いないと思っている。
ただ、この人の作品らしく、つまらないと感じた人にとっては、とことん「つまらない作品」なのだと思うし、「つまらない作品」と感じた人に対して「わかってないなぁ」と批判することが出来ない、というのもこの人の作品らしいな、と思う。 -
Posted by ブクログ
何度目かの再読。
色々な登場人物が(ブッチ・キャシディ、サンダンス・キッド、タカハシさん、ゴジラ、ぱーざん、はるばあさん、ドン・キホーテ、松尾芭蕉、女子高生などなど)が色々な場所で(アメリカ、俳句鉄道888、ペンギン村、東京近郊のデニーズなどなど)で、ゴーストを介して交錯しあう、といった感じだろうか。
僕は高橋源一郎の作品を読むと、いつも切ない気持ちになってしまうのだが、今回も例外ではなく、とても切ない気持ちにさせられた。
特にペンギン村の章は何度読んでも泣けてしまう。
それはともかく、そもそも「ゴースト」は一体何だったのか、物語の中では白黒はっきりはされてない。
だから(これも高橋源一郎の作品の常なのだが)白黒はっきりした結論が知りたい方には残念ながらあまりお薦めは出来ないと思う。
僕にとっての極上の一冊。 -
Posted by ブクログ
副題が「ぼくらの民主主義なんだぜ2」となっている通り、昨年発売された「ぼくらの民主主義なんだぜ」の続編という体裁を取っている。
前作が2011年4月28日から2015年3月26にかけて朝日新聞に掲載された「論壇時評」をまとめたものだったのに対し、本作はその続きである2015年4月30日から2016年3月31日までを第一部として、また2011年以降に政治・社会について書かれたものを第二部、第三部にまとめてある。
前作同様に幅広いジャンルの書籍から様々な文章や言葉を引用し、引用するだけでなくそれらの文章や言葉を解説し、さらにそこに著者自身の考えや主張を加えている。
第一部の「論壇時評」をまとめたものは、枚数や文字数の制限もあり、短い中で全てを書き尽くせてはいないような印象を受けるが、だからといってそれらが欠点になっているようには思えず、むしろここに書ききれなかったことは読者一人ひとりが考えてください、と言われているようでもある。
第二部、第三部は第一部よりも多くの枚数を割くことが出来ているので、第一部以上に内容の濃いものになっているように思える。
読んでいて「なんでこうもスイスイと彼の考えが読み手に伝わってくるのだろう」と自問しながら読んでいたのだが、一つには彼の文章にその答えがあるのかな、と思った。
彼の文章はとても簡単なのだ。
例えば彼ほどの知識人であれば、読んでいてウンザリするほどに専門用語を使用して、判りづらい言い回しをして、堅苦しくて小難しい論文的な(あるいは衒学的な)文章だって書けるはず。
ところがここで彼が書いているのは、「小さな子供にでもわかるような」簡単な言葉と簡単な言い回しを使用した文章なのだ。
そんな簡素な文章でとても深くて広い内容を書いているのだ。
それと他の書籍からの引用が多いのだが、決してその引用に頼っている訳ではなく、あくまでも「高橋源一郎」の言葉として書かれているように受け取れるのだ。
かなり赤裸々で、もしかしたら少しショッキングな彼自身の告白も本作には収められているが、そういう箇所も含めて覚悟の座った自分自身の言葉で書かれていると感じられるのだ。
単純な読み物としても面白く(百田尚樹氏への批判なんて、絶妙でトリッキーで思わず笑ってしまった)、彼の考えに同意出来るにしても、出来ないにしても、いま自分の住んでいる社会、そして政治、最終的には自分自身の生き方に対して、再度思考を巡らす機会を与えてくれる、僕にとってはそんな内容の本であった。 -
復活希望
朝日新聞の論壇時評をリアルタイムで読んでいたが、改めて読んでみて、高橋源一郎氏の論壇時評が今も続いていれば良かったと思えてならなかった。
(降板の理由は『小説を書くため』だったと思うので、本人がこのコメントを読んでいたら『勘弁してくれ』と思うでしょうが)
2016年3月で終了しているけど、その後に起こった英国のEU離脱やトランプ米国大統領誕生のことも論壇時評で扱って欲しかった。