高橋源一郎のレビュー一覧
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[「僕らの」言い分]小説家としても活躍する高橋源一郎と、反安保法案のデモで一躍注目を集めた「SEALDs(注:自由と民主主義のための学生緊急行動)」に所属する学生たちによる対談を記録した作品。「SEALDs」の結成とその歩み、そしてメンバーが考える民主主義について熱い議論を交わしています。
ニュースでその名称だけはよく目にしていたのですが、実際にその思うところを目にすることで、この運動がどういったものかの一端を確認することができました。いくつかのレビューでは、メッセージに「中身がない」とか「空虚」という批判が散見されるのですが、これほどまでにぼんやりとして、かつ様々なところで矛盾の綻びを抱 -
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さすがは並みいる男性作家が選んだ作品集である。全部面白い。
「ちょっとちょっと…」と傍で話しかけられるような親しげな語り口と
抜群のリズム感が心地いい。特に気に入ったものを少し…。
「道化の華」
ラスト3行でいきなり視界がぱあっと広がり、ぞくっと怖くなる。
視点のトリックで読者を驚かせるのが上手い。
「彼は昔の彼ならず」
心の本質が似通った人間が近くにいると、お互いに感応してしまうのだろう。
口先三寸のペテン師のような男を非難している主人公の男もまた、
親の遺産で遊び暮らす怠け者。
才能ある芸術家のパトロンになりたいという、
彼の下心を見透かしたペテン師の作戦勝ち。 -
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よかった。今まで恥ずかしながら吉本隆明氏の著作を
読んだことがなかったのですが。
彼の言葉、詩、思想のかっこよさを初めて感じた
気がします。深くまでは理解できていないのでしょうが
かっこいいと思える言葉や思想だと思いました。
彼の著作を今後読む機会があれば、読んでいきたいと
思います。
”世界と自分との両端性”
”先端と始原への同時的かつ両方向的な追尋の姿勢”
”みんなが言っていることは正しいが腑に落ちない感覚”
”無限性と有限性”
”ヨブ記においての解釈とキリスト教の誕生”
”西洋社会とキリスト教・アフリカ的段階”
”原生的疎外感”
”指示表出と自己表出・無意識内臓系と意識感覚系”
”歴史は -
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小説はこれでいいんだと思う。というか、むしろ、今までどうして出てこなかったのか、というか、おれが知らなかっただけなんだけど。沈む日本を愛せますか、の高橋源一郎にひかれて、購入した3冊のうちのひとつ。こうだよね、これだよね、そう、忘れてた、おれはこういうのがやりたかったんだ、っていうのを明確に言語化してくれた。ありがとう、高橋源一郎。小説っていうのは、世界にたいして自分を投げ出す作業で、(読むのも書くのも)そこで好きにすればいいだけ。そうそう、そういうことなんだよ。それが一番大事で、それさえあればよくて、それ以外に大したことなんかないんだった。愛だよ。怨念とか執念とかじゃないんだよ、怒りや憎しみ
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とにかく言いたい放題じゃねーか、と切り捨てるのは早計にすぎる。
少しばかり前の政治談義だが、ほとんどの事象は「言葉」の問題に収斂される。
言葉の(日本語の)構造の問題でもあるし、言葉をどう扱うかの問題でもある。
こういうことを押さえていないと、政治でも仕事でも失敗の要因を表層的なものにしか求めなくなり、ますます学習性無力感に陥るはめになる。
最近「空気」をどう作って人を動かすかってビジネス書を読んだが、感覚的に近いものがある。
沈む日本を、シュリンクする市場を、ダウンサイジングしていく社会を直視した上で、ビジョンが描けるリアリスト。少なくとも政治の場に求められるのはそんなリーダーっちゅう -
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今年最初に読んだ本だが、最初から大当たりとは幸先がいい。さすが天才詩人だと思う。正月から笑わせてもらった。とても幸せな気分になった。
言葉にに対する「感度」がとても高いのだ。これはどういうことなんだろうと自分なりに考えてみたのだが、どうやら「書いた人の気持ちを考える」という、およそ小学校の国語の時間がら教えられていることなのだろうという結論に至った。そして、如何に自分はそれができていないか思い知るのである。
コミュニケーションが何故難しいのか。それはお互いの思いが伝えられないからだと思う。その対策として、言葉にどれだけ向き合えるか、が重要なのだろうと改めて感じた。 -
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高橋源一郎の文章教室。といっても美しい文章を書くための教室ではない。高橋サンの文芸評論ではいつも取上げられた文章が全然別のものに見えてくる。
例えば、この本で取上げられている印象的な文章は、小島信夫のボケ老人小説や木村センという遺書を書くためだけに文章を習って初めて書かれた文章。
どちらも高橋さんに取り上げられなけが出会ったとしても何じゃこれで終わる文章だ。
特に小島信夫の小説に対してはある種の希少性に対するレスペクトがある。「直し」が入っていない文章。これを「直接的」、子どもの言葉のように「直接的」だと言う。
高橋サンは死者およびいまだ生まれていない者への視線について言葉を重ねてきた。