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とても読みやすく、すらすらと読めました。
小学生に小説の書き方を教える、というかたちで進んで行きます。
この本自体が小説だと感じました。
村上春樹さんの本は読んだことないですが、チャンドラーの本とよく似ているということをはじめて知りました。
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今までの小説の書き方や文章教室に比べて具体的でいい。村上春樹がレイモンド・チャントラーのスタイルの学習をしたということを本人の文章と対応させて書いているところがいい。また、最初のようこそ先輩で、文学について小学生が周りの人に聞いてくるということは秀逸である。
具体的に役に立つのは、小説家になるためのブックガイドであろう。
大学に入ってから小説をかなり読んだのだけど、いまいちわかった気になれなくて、この本を読んでみた。なんだろうこの本……。小説の作法を教えてくれるわけではない。でも読んでいてとても心地いい。思い出したのはディケンズの『クリスマス・キャロル』。高橋さんが幽霊(天の声)になって、過去から未来、色んな人の話を聞いたり、生活を覗いたりしながら世界を飛び回って、最後「ことば」「小説」という名前の宇宙にたどり着いて、本を閉じればまた自分の部屋に戻っているような感じ。とても面白かったです。何回も読むと思います。
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これは、なんというか、「小説」の書き方がわかる本ではあるけれど、(括弧付きではない、一般で言われている、そしてこの本の中では「狭い意味での」と言われている)小説の書き方の参考には、あんまりならないと思う。自分の中に何か燻っているもの、煮えたぎるもの、不穏な気配とか、抑えがたい欲求とか、そういうものがあって、それのやり場に困っている、という人にはおすすめできると思う。
それと、この本を通して、高橋源一郎が小説というものにどのように向き合っているのかが少しわかる。なので、彼の書いた小説が、嫌い、というわけではないけれど、ちょっとよくわかんないよな、と思っている人にとっては、この本がひとつの高橋源一郎の小説読本になるかもしれない。
でもまあ、やっぱり、高橋源一郎はどうしても受け付けない、無理、という人には薦めづらいものではあるとは思う。
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小説の書き方の指南書ではない。上手な文章を書く方法でもない。小説を書くということは学校でお勉強をするのとは真っ向対立するものなのだから。
小説を書きたいなら、まず小説を書くこと。
では、何を書くか? 自分がよく知っている事を書く、本当に知っていることを書く。いきなり書き出してはいけない。書く前の沈黙を味わう。
そして次に小説と遊ぶ・つかまえるレッスン。
どんな文・考え・ことば、が飛んできても受け止めるレッスン。
この著書の中にはとうてい受け入れがたい文章も例として出てくる。でも目を背けてはいけない。
ことばの直球、変化球も捕る。ただ一人が持つ一つの専用道路を走る小説を拒否しない。
そして遊ぶ、何がおもしろいか考える。自分とズレを感じる作品ほどそのズレを楽しんでみる事だ。
また、飛んでくる球から、自分の恋人をみつける。好きにならずにいられないものをみつける。
そして赤ん坊のように真似る。心酔したものを真似る。母親の真似をしてことばを覚えるように。
小説の楽しみ方、味わい方が書かれた本。これからはより「たいせつに」「あじわいながら」「あそびながら」、そしてどんな強い球でも受けることができるような読書をしたいと思う。
小説を書いてみたい人にも、小説をよく読む人にも効いてくる本。
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小説と遊ぶ
ははおやをみつける...などなど、この方向でいいんだという自信をくれた本。
はじめて高橋源一郎氏の文章を読んだのだけれど、読みやすくておもしろい。
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小説とは書くものではない、つかまえるものだと高橋さんはいう。つかまえるためには、世界が今までとは違って見えるようになるまで、ただ待つ。なるほど、ここに小説家が小説家たる所以、価値があるのだろう。
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先生と対話しながら小説のキモ、について教えてもらえます。基本的で当たり前すぎて顧みることのなかったことが、実はとても大切なことだと気付かされました。
これを読んだ後は、もっと小説と「遊んで」みたくなります。
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小説はこれでいいんだと思う。というか、むしろ、今までどうして出てこなかったのか、というか、おれが知らなかっただけなんだけど。沈む日本を愛せますか、の高橋源一郎にひかれて、購入した3冊のうちのひとつ。こうだよね、これだよね、そう、忘れてた、おれはこういうのがやりたかったんだ、っていうのを明確に言語化してくれた。ありがとう、高橋源一郎。小説っていうのは、世界にたいして自分を投げ出す作業で、(読むのも書くのも)そこで好きにすればいいだけ。そうそう、そういうことなんだよ。それが一番大事で、それさえあればよくて、それ以外に大したことなんかないんだった。愛だよ。怨念とか執念とかじゃないんだよ、怒りや憎しみもあるけどさ、そういうもののために小説はないんだよ。なんだか、好きなものの総体が、ここに書かれているようだ。ただ、おすすめリストは無視します。でもちょっとだけ、何冊か読んではみます。
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どの世界でも技術と本質があって、どちらかだけでも足りない場合が多いと思う。
技術を述べる本をたくさん読んだので、純粋に「小説とは?」の本を今回読めて、とても良かった。
ABCに進めば書けるよ、と言われたら哀しくなってしまう。もっと深くて素敵な世界、ということがよくわかった。
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小説を読んでいるかのように読める小説入門。
ウィリアム・サローヤンを初めて読んだときのような
優しさとユーモアを感じました...って
サローヤンの引用も入ってる。
「(16)小説を、あかんぼうがははおやのしゃべることばをまねするように、まねる」で、盗作ではないオマージュの例が出てます。
へーこうなってるんだ。これ、よく見つけられますね。
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なんと言っても本書は、小説が書きたくなる本。
小説を書くためのネタ探しの方法とか、文章の書き方とかいう技術論には触れずに、小説をはじめるまえにすることは何か、小説を「つかまえる」ために何をするのかにページを割いています。
著者は作家の高橋源一郎さん。本書は小学生に小説を書かせるシーンで始まりますが、つかみが良く、ほぼ一気に読めました。
基礎篇・実践篇と段階を踏んでいく本書では、20個の「鍵」が示されます。
例えば「何にもはじまっていないこと、小説がまだ書かれていないことをじっくり楽しもう」という鍵。
そして、著者は『エミールと探偵たち』(ケストナー)の「話はまだぜんぜんはじまらない」という文章を提示して「この小説の、この、はじめの部分には、小説を書きはじめる人たちが、いちばん最初にやらねばならないことが、完璧な形で書いてあります。これさえ読めば、わたしには、教えることがないぐらいです。ブラヴォー!」と語り、「小説を、いつ書きはじめたらいいか、それが、いちばん難しい」という鍵を提示します。
さらにヘレン•ケラーがWATERを知る有名なシーンを引用したのち「あなたが最初にやらなければならないのは、知識をぜんぶ、いったん、忘れてしまうことです。なぜなら、あなたは、感受性をとぎすまし、こうやって、暗闇の中で目を見開き沈黙の中で耳をすまさなければ、小説をつかまえることができないからです。
これもまた、とてもたいせつな鍵の一つ。
⑧小説は書くものじゃない、つかまえるものだ」
そして「つかまえる」ためには「世界を、まったくちがうように見る、あるいは、世界が、まったくちがうように見えるまで、待つ」という鍵が提示され、入門篇が終わります。
実践篇の中心となるのは「あかんぼうみたいにまねること、からはじめる、生まれた時、みんながそうしたように」。面白かったのは「小説家になるためのブックガイド」。例えば太宰治の小説は全ての著作がまねの対象になると断言したうえで著者が実際にどのようにまねしたかの実例が示されています。
ただ、技術論は詳細には触れられていません。
それでも、本書は一読すると小説が好きになります。そして、小説を書きたくなります。
最後の鍵は「自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」。この鍵を見たら、背中が押されたような気になり、何か書いてやろうと思いました。
若いときに読んでいたら人生が変わっていたかもしれない楽しい新書です。
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これから小説を書こうとする人に向けた指南書。ただ、「書き方」を教えるというよりも、一小説の書き手として、小説を書くとはどういうことかを伝えようとした本、という印象で、とても好きな本だった。
著者は、「私の知っている限り、『小説教室』や『小説の書き方』を読んで小説家になった人はひとりもいません」と言い切った上で、その理由を、「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかないから」だとする。それぞれの章では、自分の小説の書き方を見つけるコツとなる習慣や考え方を説明していく。
「小説に書けるのは、ほんとうに知っていること、だけ」「自分について書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」といったことを鍵としているところからも、自分だけにしか書けないこと、他の人には書けないことを書くことを小説を書くこととして、大事にしているのだろうと思う。小説というのは「書くもの」ではなくて、「つかまえるもの」だという。
そのためのコツとして、徹底的に考えること、そして、自分が書いた言葉や、他人の書いた言葉を好意的に受け止めようとすることが大切なのだろう。それが「小説と、遊んでやる」「ボールを受け止める」といった言葉で表されている。
こうした小説を書き始めるための心構えの中で、具体的なアドバイスとして出されているのが「まねる」ことだった。小説の書き方というのは、赤ん坊が母親の言葉を真似るように、別の人の小説を真似るところから始まる。人の言葉をまねることを繰り返すことで、誰から教わったのかも分からない言葉をそのうち話すようになる。小説もまた、そういうもので、そのうち自分の中から生まれてくるもので、ただ、そのためには、小説を考え続けなければいけない。そういった本だった。
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小説の書き方というより、執筆に向けた準備をさせてくれる一冊。
技法ではなく、そもそも小説とは何なのか、何が必要なのかを子どもを諭すように教えてくれる。
抽象的すぎていたり、納得のいかない部分もあった。しかし、長い目で見れば、読んでおくべき一冊だと思う。殊に、レッスン6と7は非常に有意義ではないか。
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銀河鉄道の夜の冒頭部分が引用されていた箇所がよかった。
ジョバンニのように、他の人達と同じように世界を見ることができない「バカ」こそ、小説を書く資格を持っている。
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「小説を書くためのポイント」が書かれているhow-toものではない。小説を書くための思考とか考えがメインの一冊。色々な小説家による作品の一節が引用されているので、多くのことばに触れることができる。文体が気になる人がいるかもしれないけど個人的には好き。読み物として面白いのでサクサク読み進められる。自分も何かを真似して文章を書きたくなる。
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著者の小説へのアプローチは、その作家の作品全てを読破することなんだろう。だから、その作家の文体を真似ることができるはず。できる自負もあるはずだ。その背景を知ると彼の真似をするのは大変困難に思われる。でも、自分の好きな作者ではなく、作品を真似てみようと思えば気が楽になるかなぁと思った。やってみるかなぁ、
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小説家の高橋源一郎による、小説の指南書です。
みずからの小説の書き方を方法論として明示している現代の小説家には、著者のほかに保坂和志がいますが、どこまでも小説の中核をめがけて方法を絞り込んでいこうとする保坂に対して、本書は小説の臨界に迫っていくような印象があります。
本書を読んですぐに小説が書けるようになるというものではないでしょうが、小説の途方もなさといったものが実感できるという点で、おもしろく読みました。
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以前某牛丼屋でバイトしてた時にお客さんとしていらした方の本です。
それはともかく小説教室です。
まぁほんとに小説家になるような人はハウツー本なんて読まないんでしょうけど、形から入るの好きなので読みました。しかも何度かw
2004年に重版されたものを買ったのでもう11年も前に手元に置いてたのでした。
さて、そろそろ書ける年頃になったかな。
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あなただけの小説とは、あなたの人間を文字の羅列で曝け出すこと。しかし、曝け出そうと、息巻いてはいけない。それはあくまで自然体で、所謂小説と遊ぶこと。即ち、書くことを純粋に楽しむ。遊びとは元来そういうことだから。苦痛を伴ってはいけない。呻吟するのはあくまで書く前の思考の段階においてのみ。俺はそう理解した。俺から見てどう見えるか。つまるところ、それが至上命題だろう。それを突き詰めることは
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高橋源一郎による、小説とは何か?を解説した本
以下、公式の概要
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世の中には小説の書き方に関する本があふれている。そういった本の読者の大半は、小説を書きたい、あわよくば小説家になりたい人だろう。しかし、本書の「少し長いまえがき」の中で、高橋源一郎は早々に断言する。「わたしの知っている限り、『小説教室』や「小説の書き方」を読んで小説家になった人はひとりもいません」。なぜか。「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかない」からだそうだ。
しかし、著者は小説家志望者の夢を打ち砕こうとしているわけではない。この本は、標題どおり「1億3000万人のための」小説教室なのだ。「小説を書く」という作業の前に、「小説の書き方をひとりで見つける」方法を手とり足とり、教えてくれる。
小説は「つかまえる」ものであること。小説と「遊ぶ」こと。まねることから始めること。小説の世界に深く入ること。そして最後に、自分の小説を書きはじめること。著者の後について「小説を書く旅」に出た読者は、今まで気づかなかった小説のおもしろさに気づかされる。書くよりもまず、読んでみたくなるはずだ。そして、著者の教えどおり、まねをしたくなる。
要するに、本書は「小説(を楽しむための)教室」でもある。その意味では、小説家になりたい人が目を通すべき実用の書といえる。音楽を好きな人が音楽家になり、スポーツの好きな人がスポーツ選手になるように、小説を書くためには小説を深く、楽しめることが前提だ。この本を読むと、小説がますます好きになるはず。文章の巧拙やプロット、キャラクターづくりのテクニックを越えた、小説の魅力に目を開かせてくれるからだ。(栗原紀子)
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元々は子供向けの講座で話した内容を、新書向けに再構築したもののようだ
その子供たちが書いたという小説が冒頭に記載されてあって、確かに小説でしたねぇ
小説をかくとはどういうことなのか?
「すべての傑作といわれる小説は、その小説家が、最後にたったひとりでたどり着いた道、その道を歩いて行った果てにあります。そんなのを書く方法なんか、だれも教えられるわけがない」
概要でも説明されてあるけど、小説は自由なものなので、一人ひとり書き方が違うわけで
なので教えられるようなものではないんだよなー
なので、「一億三千万人のための」は、全員共通の方法という意味ではなく、個々での見つけ方指南という意味なのでしょうね
小説をボール遊びに例え、ボールを追いかけ、戯れて遊び、「掴まえる」事が重要だという
速いボールや変化球であっても「掴まえる」ためには、まずはそれを好きでいなければいけない
その次は「まねる」
自分が面白いと感じたボールの投げ方、つまり文章の書き方を真似る
要は、小説の書き方と言いつつ、小説の楽しみ方を説いているように思われる
もしくは、小説への向き合い方、かな?
詩は、作者が詩として向き合っていれば詩
小説は確固たるものがなく、自由なもの
言葉を使う表現の中で一番ルールに縛られない自由なもの
だから、全ての人が自分にしか書けない小説を書くことができる
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2022/05/22
途中から面白くなってきた。ケストナーの小説が引用されていてうれしかった。小説だけじゃなくて色んな分野で考え方を応用できそうだなと思った
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積ん読だと思っていたら再読だった。
源一郎節が楽しいけどこれが果たして「小説教室」なのか。
「一億三千万人のための」は明らかな誇大広告では。
源一郎節を喜ぶのは10万人ではないのか。
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読むべき人は読めず
読まなくてもいいは人ほど共感して読む
もしくは、理解しすぎてて読む気にならないかも
なんか、つかみどころのない事なので
なんだろ…まぁ、その…うん
やる気が出ない時に読むにはいいのでは?
でも…読む意味無いと思う人もいるはず。
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小説家として有名な著者が、古今東西の様々な文学を通して、小背を書くことを指南した一冊。
著者自体、様々な文学に精通しており、それぞれの作家にそれぞれのスタイルがあることがよく分かった。
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書き方そのものというより、書き始めるまでに、みたいな内容でした。
筆者が例に出したいくつかの小説の一節だけでも、本当様々な種類があるのだなあと改めて思いました。
さくさく読みやすかったです。
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NHKの「ようこそ先輩」で小学生に「小説を書くこと」を教えたことに肉付けした本らしい。
たくさんの引用文がとても面白くて、楽しんで読めた。
ハウツー本というより本が好き、言葉が好きっていう随筆のよう。
「すべての傑作といわれる小説は、その小説家が、最後にたったひとりでたどり着いた道、その道を歩いて行った果てにあります。そんなのを書く方法なんか、だれも教えられるわけがない。」
って最初に言っちゃうし。
・小説と遊ぶ
書いてはダメらしい。
降ってくるまでじっと待つ。
そういえば、村上春樹が書こうと思ったのはヤクルト戦を球場でみていた時だったような。
大好きな「フィールド・オブ・ドリームス」を思い出す。
「飛んでくる、たくさんのボールの中に、あなたの恋人を見つけてください。好きにならずにいられないものを見つけてください。」
・まねる
「なにかをもっと知りたいと思う時、いちばんいいやり方は、それをまねすることだ」
「まねることは、その間、それを生きること、でもあるのです。」
「あらゆるものを、(それが、わからない言葉で書かれているものなら)、わかることばに翻訳して、死んだことばを生きていることばにして、運んでくれるのが、小説、とわたしは考えるのです。
小説はいう、生きろ、と」
「自分のことを書きなさい。ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」