高橋源一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
(2016/10/15)
中高生に、とあるが、我々大人が読んでも十分学べる内容。
物事の考え方を、平易なことばでみごとに説明してくれている。
小田嶋さんの成功者村上龍への食いつきは面白い。「会社員」という仕事がないと。
村上龍は成功しているから会社員をはずしていると。
確かに、13歳のハローワークに上がっている仕事で食っていける人はごくわずか。
みな「会社員」として何とか生きている。
白井さんの「意味」には際限はない、というのはなるほど。
本能的欲求は限度があるが、誰も持っていないものを持つ、という欲求には切りがない。
そこにはまったら最後だな。
戦争中における「国」とは、国民でなく国体 -
Posted by ブクログ
高橋源一郎先生の本は、いつも知性と節度で満ちている。
一人称代名詞を、「ぼく」から「おれ」に替えて書かれたものも、一見荒々しく想いをぶつけているように見せているけれど、それでも、そこには節度がある。その節度に、僕は大人の知性を、僕よりも長く生き長く考えてきた人の信頼を見る。
最もグッときたのは【メメント・モリ】。
幼い子供たちの、「ままのおなかにもどりたいな」「しにたくないから?」という衝撃的な会話から始まり、『生きている者には死にゆく者にかけることばなどなくていいのだ』、『ひとりで「死」に向かう者を、癒してくれるのは、彼の懐かしい「死者」たちなのだ』に至る、深い深い話。
身近な人を亡くした -
Posted by ブクログ
学校教育の授業の現場で扱いにくい話題は、性、宗教、そして政治。それは塾でもさほど変わらない。入試過去問題の文章にそれらが扱われていても、何となく回り道せざるを得ない(平安古文なんか大変!)。しかし、日常の会話でも取り上げにくいそれらこそ、実は、教育の現場で語られるべきものだとも思う。オープンに議論するという土壌のないこの国で、民主主義を考える機会が確保されていると言うことはできない。◆この本は、朝日新聞に月一回掲載の「論壇時評」の最近四年分をまとめたもの。扱われる言説の範囲はいわゆる「論文」だけにとどまらず、雑誌の記事やインターネット上の発言、YouTube の動画までに及ぶ。難しい言説だけを
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善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
で知られる歎異抄。この言葉の意味、わかるようでやっぱりよくわからない。
ただ、この本のおかげで少しはわかった気がするし、そもそもわからなくてもよい気がする。この本に出てくる親鸞は、穏やかに、そういうことではないんだよと言ってくれそうです。
ー「シンラン」にはわかったのだ。「ふつうの人」のこころの中にはそんなものはないのだということが。「念ずるこころ」も「菩提心」も「慈悲心」も、「ふつうの人」にとっては贅沢品なのだということが。そんなものよりもっと単純で、もっと根本的なものが、そこにはあるのだ。ただ「つらい」があるだけだ。「死んだら楽になれるのかなあ -
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分かりやすい文体で読み手に問いかける。戦争は、穏やかな顔をしてやってくる。気がつかねばならない。大きい言葉、大きい声に、と。印象的だったのは太宰治の作品に隠された反戦の文意。恥ずかしながら知識不足で今回初めて知ったのが詩集「大東亜」。高村光太郎や室生犀星などが詠んだ国策の詩。「正しさ」に向かって人々が、言葉が動員されたと。それに対して、無名の兵士詩人たちの詩のすごさ。
印象的だったのは、「敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいたが、しかし、夕食を整えない女はいなかった」という文章。日常を捨てない、ということの大切さ、正常な感覚を非常時に捨てないことが、戦争への道を阻止する大きな手段だと -
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「誰も戦争を教えられない」
は?何言ってるの「ぼくらの戦争なんだぜ」。
先の言葉は古市憲寿氏による著者のタイトルだ。まるでヒップホップのディスやビーフの応酬だが、高橋源一郎氏は、この古市氏の本を授業に用い絶賛したのだという。しかし、心中は、軽蔑している。戦争を自分ごととして捉えられず、戦争なんて知らなくて良いという古市氏を。一方で、戦争ではなく、平和にしがみつく事を根拠にせよという、新時代の発想にも、首肯すべきと唸る。
本書は、小説トリッパーという雑誌の連載だったらしい。詩や小説などの戦争文学や各国の教科書を眺めながら、様々な形の戦争を考える。大岡昇平の『野火』は私も読んだ。向田邦子の『ご -
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文化人×仏教ものは回避がちなのだけど周囲の評判がよかったので読んでみた。
これはすごくいい。高橋氏が『歎異抄』を自分のことばで現代語訳をしている。これは高橋氏の読み方、受け取りなのだ。それを自分が読みながら、自分の読み方、受け取り方を確認していくような、ここは一緒だな、似ているな、違うなと対話していくような読書経験ができる。
「あとがきのあとがき」、「名前を呼ぶこと」がこの本の意図をしっかり語ってくれている。高橋氏ならではの文学、演劇からのことばのうけとめはとてもよかった。
これを教科書的に正しい一つとして読むと言うのではない。あくまでも『歎異抄』を読んだひとりの人間の受け取りを聞くのだ。
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高橋さんの、話し言葉による文章が、とても良かった。
読みやすい。
言いたいことが伝わりやすい。
そして私は太宰治の作品が好きだ。
私は『津軽』を読んで太宰治のイメージが変わった。
そして『斜陽』を読んでまたも太宰治のイメージが変わった。
さらに本作を読んで、太宰治という人の印象がまたまた変わってゆくのを感じた。
というか、
ぼんやりとしか現れていなかったものに、次第にピントが合ってゆく感覚。
日本人におそらく年代問わず一番知られた『人間失格』という作品と、
好きな作品である『津軽』や『斜陽』から受ける印象にギャップを感じていたが、
そこを埋めるものとなり得そうな切っ掛けを掴んだ感覚。
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Posted by ブクログ
海上自衛隊の訪問をきっかけに、積読を解消。高橋源一郎さんが「戦争を語ること」について感じている違和感や勘違い、思い直しを記述したもの。戦争は悪いこととは分かっているが、それとどう向き合うかについては実は全く分かっていない。もちろん、戦争に関する本はたくさん読んだし、8月になればTVなどでみることもある。日本は加害者の国であり、沖縄や鹿児島、東京でも、戦争の爪痕を感じることもある。ウクライナでは今まさに戦争が起こっている。でも、個人としてどう向き合っているか、どう捉えているかと問われると、甚だ心許ない。しかし、こうしている間にも、ひたひたと戦争に向かっているかもしれない。戦争とはっきりとわかる前