高橋源一郎のレビュー一覧

  • ぼくたちはどう老いるか

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    老い、死、人とは、切なく、哀しく、寂しさを感じ、考えさせられる。そんなことを考える年になったのが苦しい

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    2026年02月20日
  • こんな日もある 競馬徒然草

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    kotoba競馬を読むから。
    1990年の有馬記念の感動を、何度でも思い起こさせてくれる文章。なんとか頑張っていこうと思える。

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    2026年02月12日
  • 高橋源一郎の飛ぶ教室 はじまりのことば

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    Audible で読んだいや聞いた。同じ作者の他のエッセイよりもラジオ用の原稿 ということで喋り言葉のためよりAudibleで聞く意味がある。高橋源一郎のエッセイは 喋る言葉に近いので当然といえば当然だが。
    本作はラジオの冒頭3分間という縛りがあるためかあえて結論らしきものは省いてあるところがとても想像をかき立てられる。物によっては短歌や詩に近い。
    散歩をしながら聞くにはもってこいのものだったのだ。2巻目もすぐに読みたい、いや聞きたいと思う。

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    2026年02月08日
  • ぼくたちはどう老いるか

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    高橋源一郎は、72歳になった自分自身を起点に、「老いるとは何か」を真正面から見つめる。本書に通底するのは、老いを美化も克服もしない、しかし絶望とも同一視しない、独特の距離感である。老いとは「もうろく」だと彼は言う。つまり、一生懸命に考えることができなくなっていく過程そのものだ、と。

    第1部で語られる哲学者・鶴見俊輔の「もうろく帖」は、その象徴だ。69歳から77歳にかけて書かれた記録は、「役に立たなくなる自分」を引き受ける試みでもあった。うつ病を「もうろくの稽古」と呼び、癌で入院し、自分がよぼよぼの老人であることを認めるには「日々の努力」が必要だと言う。その姿は、老いとは衰退ではなく、自分という拠点から少しずつ撤退していく作業であることを教えてくれる。受信はできるが、発信ができない状態で3年9か月生きた鶴見の晩年は、なおも人間が好奇心を持ち続けられる存在であることを示している。

    老いは個人の問題にとどまらない。第2部で描かれる吉本隆明の晩年は、偉大な思想家であっても、老いの前では例外ではないという事実を突きつける。書斎の机の前に座りながら、自分がどこにいるのかわからなくなる瞬間。精神は活発であるが、身体と外界との回路が閉ざされていく苦しさ。妄想や子ども時代への郷愁は、老いが人を「内側の世界」へと押し戻していく過程でもある。

    有吉佐和子の『恍惚の人』が描いたのは、老いる本人ではなく、老いを引き受ける家族の物語だった。異物となっていく夫、疲弊する妻と娘。老いは個人の病ではなく、家族全体を静かに侵食していく文明病であるという指摘は、いまの超高齢社会の日本において、より切実な意味を持つ。

    私小説作家・耕治人の章は、とりわけ胸に迫る。認知症で変わっていく妻と、癌を抱える自分。「あたしもう洗濯ができないわ」という言葉、排泄物の世話、この世で会う最後の日――。老いは尊厳を奪うが、それでも作家は「老いを観測する義務」を手放さない。妻の記憶から自分が消えていくことを、冷静に、しかし深く悲しみながら見つめる視線が、老いの現実を最も誠実に語っている。

    特別編「二人の俊」では、詩人・谷川俊太郎や金子光晴の若々しい老いが示される一方で、高橋自身の実弟である「トシちゃん」の死が静かに語られる。身近な死は、思想や文学よりも直接的に、「老いと死」が他人事ではないことを突きつける。老いるとは、他者の死を見送り続けることでもあり、そしていつか自分もまた見送られる側になるという事実を引き受けることなのだ。

    本書を読み終えて強く残るのは、老いとは「自分を失うこと」でありながら、同時に世界との関係を組み替え直すプロセスでもある、という感覚である。国家や社会から町内へ、友は少なくなり、発信力は衰える。しかし、ゆっくり読むこと、花の美しさに目を留めること、壊れていく自分を観察することは、なお可能だ。

    『僕たちはどう老いるか』は、老いの処方箋を示す本ではない。むしろ、「まっすぐ老いや死に向かっていく」覚悟を持ちながら、それでも最後まで考え続けようとする人間の姿を描いた記録である。老いから逃げないこと。そのこと自体が、老いた人間に残された、最後の知性なのかもしれない。

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    2026年01月29日
  • ぼくらの戦争なんだぜ

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    どの文献も選び抜かれたものだけあって精神的に それはかなりきついのだ。 だからこそ 読み続けなければならないのだが、 林芙美子の従軍の手記だけは いけなかった。 グロテスクの極みに読んでしまった。 戦後の自らの全集には収録しなかったというが、何という 卑怯な振る舞いだろう。 そのことがまた さらに グロテスクで。

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    2026年01月12日
  • ぼくたちはどう老いるか

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    高橋源一郎が「老い」をテーマにした雑誌収録のエッセイ集。題材として取り上げる作家とともにタカハシさん自身も1951年生まれなので今この時点で74歳で老境の域に入っていると言ってよいだろう。この本に書かれたこともタカハシさんの老いを色濃く反映している。今の時点で能力が劣化したというよりも、これから劣化することの覚悟、そして何より死してしまうことへの強制された覚悟が見てとれる。語るもの自身が、老いの「当事者」となっているのだ。もちろん、それを読む自分にとってもそれは当てはまる。
    銀行が七十歳以上の人には融資できないというような個人的な経験を通して、タカハシさんは老いについてこういう。
    「七十歳」前後を目安にして、「老人」たちは少しずつ「社会的な死」を迎えるのだ。社会から「もう「必要ない」と、そっといわれるのだ。あなたの役割はもうないのだ、と。ぼくたちには、「肉体的な死」の前に、「社会的な死」があるのだ。そのことも考えてみる価値があるだろう。ぼくはそう思った。」

    この本には何人かの七十歳を超えて死を迎える人の話が出てくる (恍惚の人は実在の人ではないけれども)。鶴見俊輔、吉本隆明、有吉佐和子『恍惚の人』、耕治人、谷川俊太郎、そして実弟の「トシちゃん」。どの人の話もタカハシさんの手によって心に刺さるものになっている。特にぐっとくるのが私小説作家の耕治人の最後の小説『そうかもしれない』の話だ。

    何人もの老いの記録について書いたあと、タカハシさんは次のように綴る。
    「ぼくは、自分の「老い」と付き合いたい。自分の「死」に向かい合いたい。それは、あまり愉快なことではないのかもしれない。けれども、そこには、「老い」や「死」と付き合い、向かい合うことの中には、ひとにしかできないことが含まれているのだ。そのためには、その日を迎えるために、ぼくたちは、これから起こることを知らなければならないのだ。」

    癌に侵されても「考える」ことを止めない鶴見俊輔さんの『もうろく帖』に触れた章で、「考える」ことについて次のように語っている。
    「「癌」になる、「癌」のことを考える。それはいい。けれども、「癌」のことしか考えられなくなったら、それはよくない。それは「癌」に支配されてしまうことだからだ。
    支配されてはならない。それがなにであっても。
    (...)なぜなら、それは自発的に「考えている」ように見えて、実は「考えさせられている」からだ。「癌」というものがやてって来て、それに支配されて、考えさせられている。それは、自分の力で、内発的に「考える」のとはちがうのだ。」
    「癌」のところに別の病気を入れてもいいだろうし、「老い」でも「死」でもいいかもしれない。タカハシさんはこれから自らの「老い」と「死」について考えて、先に取り上げた先人がしたように、自らの「老い」について「考えて」、それを書き残してくれるはずだ。そして、その後に続く「ぼくたち」もそれを読んで「考える」ことになるのだろう。そのことをずっと期待しているので、ぜひタカハシさんにはぽっくり急死するのではなく、長く老衰していってもらいたいのである。

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    2026年01月02日
  • 居場所がないのがつらいです みんなのなやみ ぼくのこたえ

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    高橋源一郎さんの人生相談回答本第ニ弾。

    前作の「誰にも相談できません」よりも泣きました。
    前書きでもう泣いた。

    【また別のとき、誰かが泣きながらずっと話をしている。もう誰もとめることができない。ただわたしは話を聞くだけ。それでもいい。いや、それがいいのだ。やがて、時が過ぎ、その誰かは泣き止んで、わたしにこういう。
    「話を聞いてくれてありがとう。もう、わたしは大丈夫」】

    離婚4回、結婚5回、子供が5人、父親はギャンブル依存症で離婚家庭、本人も昔ギャンブル依存症だったことがあり現在も借金返済中。大学は中退しニート経験もあり。20代の頃は日雇い労働者。不眠不休での育児経験あり……筆者の経歴が濃過ぎます。
    でもエリートコースを進んで挫折を知らない人じゃ心に響く回答なんて出来ませんよね。

    相談を見ていると、相手の立場で考えられない人、自分の頭で考えられない人がすごくたくさんいて、それに苦しむ人が多いなと。
    人との距離感って難しい。

    ……私も人生相談投稿しちゃおうかな。

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    2025年10月05日
  • 誰にも相談できません

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    悩み相談の本は世にたくさん出ているけれど、これはなんだか今まで読んだものとは少し違うような。

    元の相談文はもっと長いそうなのですが、編集の都合で数行にまとめられており、筆者の回答も結構短めです。

    でも、なんというか、回答が美しいです。

    相談内容は家族やお姑さんとの関係から老いの恐怖、ニート生活が続き今後どうすればいいかなど様々。

    筆者は離婚歴が4回ほどありお子さんもいらっしゃるので、浮気や子供への接し方のアドバイスに説得力がありました。(浮気相手はあなたを愛しているのではなく依存相手を求めているだけ、など)
    子供の教育方針よりも愛をたくさん与えることが1番大事だというのは納得。
    不登校の子やニートの方への回答が優しくて泣けました。もっとこの方の本が読みたいな。

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    2025年10月02日
  • 誰でも、みんな知っている

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    待ってましたの”コレアレ”最新作。相変わらず広範囲にわたるカバー領域で(分野的にも時代的にも)、満足度高し。その割にというか、実際に読んでみたくなる本は、毎度あまり多くなく、今回もブックガイドというより読み物として堪能させてもらいました。

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    2025年09月29日
  • 一億三千万人のための『歎異抄』

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    阿弥陀とは待つ人なのかも知れないね。自然、他力、念仏。全ての人を救うと誓い、ただただ待つ人。いつでもそこにいてくれる人。
    我々や他の誰かではなく、私のため。誰にとっても私のため。それに違いなどないし嫉妬したり僻んだりするのもおかしな話。でもそう思ってしまうのもほんと。
    「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
    我々は、常に既に、ひとりかも知れない。でもだからこそ、他人がいることの有難さが在る。
    読んでいたら、あとがきでドストエフスキーと文学、ことばについて。
    最近考えていた、仏教学、仏教教育とは何か、ということ。
    救われるとかそういうことを知ることではない。
    人生は苦しい、というそのことだけかも知れない。
    加えて太宰治が!
    「ひとへに親鸞一人がためなりけり」
    ある言葉に出会って「これは自分にしか分からない」と思うこと。
    個人として考えことばをつむぎことばを届ける。

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    2025年09月14日
  • 居場所がないのがつらいです みんなのなやみ ぼくのこたえ

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    SNSで流れてきた新聞掲載の人生相談の切り取り。きちんと読みたいと調べたらこの本が出てました。「生きるのが億劫です」という相談者に「残念ながら、この問題に解決策はありません。だってそれはあらゆる人間がかかる病なんですから」と。そして「ひとついいことを教えてさしあげます。人間がみんな突然かかるもうひとつの病があります。希望という病です…」 回答者の高橋氏は決して上からでもなく寄り添うわけでもなく誰も想像できない答えを提案してくれます。時にバッサリと切り捨てる時もありスカッとします。自分の悩みなんてたいしたことはないなと思える本です。

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    2025年06月20日
  • 「書く」って、どんなこと?

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    表現者それぞれで違う鉄格子の隙間を抜けて飛び立った言葉だから、同じ隙間の形をした鉄格子に閉じ込められた「わたし」に刺さるのだと思う

    「閉じ込められた「わたし」は、その場所から抜け出すことはできなくとも、鉄格子の隙間から「鳩」は飛び出すことができる。「わたし」のメッセージをその脚に結びつけ、高く広い大空を翔んで、どこかの誰かに届けるために。」 -27p.

    「昼のわたし」と「夜のわたし」、ぼんやりと感じていたことが言語化されていた
    わたしが「考えずに書く」時の最短距離は思考をそのまま手で写し出すことだから、スマホやパソコンではなく紙に直接「書く」ことが好きなのかもしれない

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    2025年06月08日
  • 一億三千万人のための『歎異抄』

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    老若男女を問わず歎異抄を一通り理解できる。その著者の目的は達成できていると思う。親鸞の言葉が異なって受け取られていることに歎く言葉。
    阿弥陀の大きな慈悲を信じること。それに尽きるのでは。

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    2025年05月25日
  • 一億三千万人のための小説教室

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    面白かった!小説書きた〜い!
    もともと小説を書くことに興味があって読んだのですが、読み物としてとても楽しく読めました。
    参考文献としておすすめされている本も読んでみたいものがいっぱい。読みたい本がどんどん増えちゃいますね!

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    2025年04月30日
  • ゴヂラ

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    こういう荒唐無稽で不条理な不思議ワールドは大好きである。整合性や時系列を考えることを放棄して良いからスルスルと読める。
    タイトルからして良い。
    箒でひたすら街を掃除し続けるお爺さん、最高である。
    辻褄など合わなくても良い、永遠に続いても読み飽きないと思う。よく練られた芸術的小説であると思う。
    しゃべるぬいぐるみがまた出てきた!

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    2025年04月02日
  • ぼくらの戦争なんだぜ

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    率直に言って自分は高橋源一郎の小説の良い読者では無いのだが、源一郎さんの新書が間違いなく面白いことは知っている。本作も期待して読んだ。
    だが、本作はそんな気軽な期待を遥かに超える射程距離を持っていて、度肝を抜かれてしまった。もう一度源一郎さんの小説もその心構えで読み直してみようと思う。

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    2025年03月10日
  • 高橋源一郎の飛ぶ教室 はじまりのことば

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    母の友で紹介された本。
    病院の待合、昼休み、どこでも読めるので重宝している。

    大事なことに気づかせてもらえる、珠玉の短編集。

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    2025年01月11日
  • 「不適切」ってなんだっけ

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    ネタバレ

    「サンデー毎日」連載(2021年10月31日~2024年3月3日)の「これは、アレだな」の第3弾。

    著者の対談は雑誌でいくつか読んでいましたが、時事エッセイは初めて読みました。毎回取り上げられた各項目は少々軽薄なタイトルですが、内容はかなり重たいというか、著者の深い洞察力が感じられます。

    例えば「老人はみんな死ね」という項目では・・・
    このタイトルを見て、以前に、変な形の眼鏡を掛けて、マスコミから持てはやされていたイェール大学経済学部アシスタント・プロフェッサーの成田祐輔なる人物が、近年の日本の財政的な諸問題を解決するには「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」などの発言を繰り返し行っていたのを思い出しました。
    ただ高橋源一郎氏は、御年73歳で、38歳の成田某のような他人事として、この問題を取り上げたのではない。

    きっかけは友人が銀行から突然「70歳を超えたので、ローンの残額を全額払うように」という連絡があったそうだ。本人も、とある理由で地方に仕事場を借りたときに不動産屋から、70歳を超えているのでと、いろんな条件をつけられたり、インターネットを開設する段になって、業者から「65歳を超えているので、奥様に確認をとりたい」等など、身近な問題が起きている。
    ローンや賃貸やネットだけではなく、70歳を目安に、この国では一気に住みにくくなるようだと言う。

    そして映画「プラン75」の話へ発展してゆく。
    映画の内容は、少子高齢化が進んだ近未来の日本で「長生きする老人」のために、社会は疲弊してゆく。そのため75歳になると「生死の選択権」を与える制度が国会で可決される。それが「プラン75」・・・本人曰く「なんだか生命保険にありそうな名前で微妙な気持ちになる」
    「この映画での倍賞千恵子の演技が素晴らしいというか、その老い方があまりにリアルなのだ。顔や口もとの皺、たるんだ皮膚、鈍い動き、そのすべてが老人とはこういうものだという現実を突きつけてくる・・・そして『プラン75』を選択した者は、ある施設に向かう・・・その施設で亡くなった者たちが残した者は、集められ、分けられる。迎え入れから最後の分別まで、画面を見ながら、どこかで見たような風景だと思った・・・最後に気づいた。それはナチスの強制収容所(の映像)で見かけた風景だった」

    さらに話は「棄老」の物語である深沢七郎の「楢山節考」の話へ展開し、著者曰く「プラン75」と「楢山節考」にはまったく同じシーンがある。それは最後に日に家を出るときの作法を教えるシーンだという。
    「楢山節考」では、その作法を教えるのは、経験のある村人たちで、深い共感といたわりに満ちたものだが、「プラン75」では、それを伝えるのは、そのサービスのために作られたコールセンターの係員だという。
    私は、きっとこれが現実になった時には、人工音声に代わっているだろうと思います。

    以上は一例ですが、軽いタイトルとは裏腹に深い洞察に満ちた話が満載です。

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    2024年12月10日
  • 一億三千万人のための『歎異抄』

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    親鸞。
    学生時代に吉川英治の小説で読んで知った。
    のちには五木寛之の小説で読んだ。
    でも、親鸞の言葉を記した歎異抄を読むのは、初めてだ。

    「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」。
    他力本願。
    念仏。

    これらの言葉はもちろん小説を通して知っていた。
    でも、意味が分かっていたか、と言われれば、怪しいものだ。
    今回の高橋源一郎さんの訳を通して、改めて考えた。

    この新書にも、いや、歎異抄自身にもあるが、
    「意味もわからず念仏を唱えるだけで浄土に行けるなんて、おかしい!怠けてる」
    そう考える。多くの人はそう考える。
    努力もしないでいい思いができるわけがない、と。

    親鸞は違う。
    もっと深い。
    今回そこを考えた。
    努力したから、勉強したから、これだけやったからその引き換えに浄土に行けるだと?
    阿弥陀様はそんなもんじゃない。
    何を勘違いしてるんだ。
    お前がやったことはそんな偉いことじゃない。
    人間は無力だ。
    学があるやつが浄土に行けて、字も読めない者は行けないというのか。
    阿弥陀様は、浄土はそんなものではない。
    無心で念仏を唱えさえすれば、浄土に行きたい、と思いさえすれば、だれでも行ける。

    善行悪行も同じ。善行をしたから浄土に行けるのではない。
    善行も悪行も自分の意志だけではどうにもならないもの。
    阿弥陀様はそんなものは見ていない。

    唱えること、浄土に行きたいと思うことがすべてなのだ。

    人間は無力だからこそ他力本願で、念仏を唱える。
    無心だろうが、苦痛だと思おうが(親鸞自身そういってる)構わない。
    とにかく現世の苦しさ辛さから逃れたい、浄土に行きたい、と思うことが大事。
    その思う手段として念仏を唱えるのだ、と。

    ・・・高橋さんの訳を読みながら私なりに解釈したのは上記。

    そう、思えばいいんだったら念仏も唱えなくてもよさそうだけど、
    人間おろかだから、何かしないと違うことを考えちゃう。
    だから唱えて、祈るのだ。

    ・・・今の私にピンとこないのは、
    そうまでして浄土に行かなくてはいけないのか、ということ。
    これはわからない。
    今がそれだけつらい、苦しい、ということか。
    宗教なんてそういうものなのかもしれない。

    でも、私は私自身で生き方を考える。
    読書がその支えだ。





    1(アミダのお誓い;ジゴクこそわたしにふさわしい場所;悪人だからこそゴクラクに行けるんだ;ジヒってなんだ;いくらネンブツをとなえても誰も救えない;ネンブツはアミダからの贈りものだ;ネンブツは自由だ;ネンブツは、「修行」でも「善行」でもない;ぼくは告白した)
    2(もしくは、ぼく自身のための序文;アミダのお誓いの不思議な力;信じてもいいし信じなくてもかまわない;「人を千人殺してみろ」と「あの方」はいった;みんなを救う、ひとりも捨てない;アミダの「ホンガン」という「船」に乗り、ぼくらの「苦海」を渡り、いつかジョウドの岸辺にたどり着く;ほんとうの「回心(エシン)」は生涯にただいちど
    ジョウドのかたすみに転生(テンショウ)したって大丈夫
    寄進やお布施なんか必要ない)

    その二 ジゴクこそわたしにふさわしい場所その三 悪人だからこそゴクラクに行けるんだその九 ぼくは告白したその十三 「人を千人殺してみろ」と「あの方」はいったその十四 みんなを救う、ひとりも捨てないその十五 アミダの「ホンガン」という「船」に乗り、ぼくらの     「苦海」を渡り、いつかジョウドの岸辺にたどり着く*宗教ってなんだ(『歎異抄』(タンニショウ)を「翻訳」しながら考えたこと)ネンブツと文学/ただひとりのために/正しそうなものには気をつけろ

    宗教ってなんだ(『歎異抄(タンニショウ)』を「翻訳」しながら考えたこと)

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    2024年11月28日
  • 「書く」って、どんなこと?

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    考えずに書くこと、考えて書くこと。
    余計なテクニックとか、文法とか難しいことは一旦忘れて原稿に向き合う。そのときに社会の検閲から逃れるべくこの世界の存在を疑ってみること、それを考え続けること。そんなことを思いながら書き続ける。

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    2024年11月25日