あらすじ
生きのびるためには、気持ちよく生きるためには、きちんと考えることが大事だ。ウイルスの災禍をデフォー、カミュ、スペイン風邪に遡り、明仁天皇のビデオメッセージから憲法1条と9条に、そして隣国の韓国、朝鮮へ。物語の底力が解き明かす最高の知の旅。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
先生は左翼文化人とのレッテルを貼られがちだが、単に政治の愚昧を嘆いているだけだ。憲法すらも一種文芸批評の方法を持って提示してくれているため、むしろ一切の偏りがない。その上で憲法論議が引っかかっているトゲをクローズアップして見せてくれた。自ずと天皇論も、先生が誰もに向ける人間への慈しみを注ぐ点においてよりヒューマニズムを感じることができた。この視点と立ち位置は続く韓国朝鮮関連の章においても、コロナの章に至るまで貫かれている。
かといって高踏派だとか相対主義などとは全く違う主張があり、納得してしまう。どうやらシリーズになりそうなので、タイムリーに発刊していってほしい。「年刊 高橋源一郎」ならばもちろん定期購読したいのだ。
Posted by ブクログ
「知識が必要だ」に共感する。
日本国憲法の前文から天皇、9条の戦争放棄までが国の基本的な考え方、思想を書いた「前文」にあたるという指摘にはなるほどと頷いた。そうだよね。
茨木のり子さんと尹東柱さんの詩を読みたいし、「金子文子と朴烈」のDVDも探したい。
コロナについては「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」「今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを」という言葉にクラクラした。
Posted by ブクログ
自分がよくわからないことを「知ること」、そのために「読むこと」、そして、「考えること」と、さらにはそれによって触発されたことを「書くこと」。それらがわたしたちにとってどんな意味を持っているのかということをあらためて考えさせれられる。
Posted by ブクログ
確かに、どんどん読み進めたくなる教科書。学生時代にも同じように思えたかというと、ちょっと微妙かもしらんけど。でも、本作のような思考力を、学生時代に授業の一環として触れられるなら、そんな素晴らしいことはないかも。ものの考え方を教える大変さを、本作はかなりのレベルでクリアしている。素敵。
Posted by ブクログ
天皇そして憲法、朝鮮と韓国、さらにコロナ禍。これらについて、きちんと立ち止まって考えるということがないから、この本は確かに「たのしい」知識が満載だった。憲法9条は変えるべきなのか、変えないとしたらなぜなのかが少しわかった気がするし、日本人は、韓国、朝鮮の人たちと立場があの時変わっていたら、どう感じていたんだろうか、コロナはまたオミクロンが猛威を振るってあっという間に東京は13,000人を超えてしまった今日、この三つだけでなくさまざまなことを考え、考えたいのか考えなければいけないことだから考えるのか、わからないけどそういうことが満載の毎日をこれからも繰り返して行くんだな…
Posted by ブクログ
高橋さんの教科書、次もお願いします。こんな教科書なら読みたい、そう思いました。「文学」って、これまでなんとなくボワッとしたもののイメージでしたが、もしかしたらとんでもない凄いもの、アプローチの仕方がこれまでの私の次元より数段上の次元かもしれないと思いました。「汝の隣人」については自分の勉強の足りなさを痛感させて頂きました。第3章のコロナについては、人間は「忘れる」ということ、これについて考えされられました。
Posted by ブクログ
こんな薄い新書にいっぱい教えてもらいました。
盛りだくさんで消化しきれていませんが
天皇(憲法)・韓国朝鮮・コロナ
とても具体的で実際に生きた人の著作も引用して
読んでみたい!と思わせてくれました。
文句を言って嘆くより知らなければ!と強く思いました。
知らないことばかりだと改めて思わせてくれました。
生き延びるために、自由になるために知らなけれぼ!
≪ この時代 書き留めるんだ その言葉 ≫
Posted by ブクログ
何かについて意見を持つならば、まずはそれについてよく知らねばならない
発信するためのアイテムを沢山手にいれ過ぎ、受信することを疎かにしてしまった
また直接役に立つ(ように見える)情報に気をとられすぎ、本質は周辺やあいだにあることを忘れてしまった
そういう当たり前のことに気づかされる本
Posted by ブクログ
天皇と憲法、韓国・朝鮮、新型コロナ・ウイルスという三つのテーマについて、著者自身が学び、考えてきたことが書き記されている本です。
「ぼくたちが生きてゆくとき、なにか困難なことが生じたら、自分の「考え」で対処したい」と著者はいい、そのためには「知識が必要だ」と主張します。とはいえ、どんな事柄であれ「完全な知識」に到達することは不可能であり、だからこそ学びつつ考え、考えつつ学ぶことがたいせつだというのが、本書における著者の立場なのだと思います。
たとえば著者は、天皇や憲法についてみずからの考えを開陳したあと、つぎのように述べています。「この「考え」には、いいところも、むちゃくちゃなところもあるだろう。もしかしたら、明日は、ぼくはもっと別のことを考えているかもしれない。……だから、いつまでたっても、決定版にたどり着かないかもしれない。でも、それでいいんだと思う」。
こうしたスタンスでつづられている文章が、たとえばブログなどではなく、本という形態で刊行されていることに、さいしょはすこし戸惑いを感じましたが、本書のなかで著者が「あいだ」の重要性を語っているところを読んで、すこし著者の意図を理解することができたような気がします。本書でとりあげられている三つのテーマはいずれもアクチュアルな問題だといってよいでしょう。しかし著者は、それらの問題に対する明快な答えを出すことをめざしているわけではないようです。むしろ著者は、問いと答えを明快に直結する道をめざすのではなく、その「あいだ」に立ち止まって考え、そうした場所でことばを綴ろうとしているように思えます。
ペストやスペイン風邪などの感染症が人びとの記憶から去っていったあと、それらの猛威のなかに立つという経験をわれわれに教えてくれるのは、小説家たちのテクストだと著者はいいます。著者もまた、アクチュアルな問題をめぐる喧騒のなかに立ちつつ、その体験を考えことばにしようと努めているのでしょう。