高橋源一郎のレビュー一覧
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『13歳のハードワーク』がいちばん興味深くわかりやすい内容。これを最初の章に持ってくるべきでした。本当に中学生に読んでほしいと思うなら、まず読みやすい文章から載せるのがいいと思います。「こんな難しいこと書いてるオレってすごいでしょ、みんなついてこれる?」って思ってる大人の文章から始められると読もうとする気持ちがなくなります。
中学生は小説以外の文章を読む機会が少ないし、意外とまじめなので本は常に最初から読もうとします。興味のあるところから読もうとは思いません。
そしてこれを書いているおじさんたち、子どもがいるなら精一杯育児に関わったでしょうか?中学生、高校生の息子、娘にしっかり向き合ったという自信はあるでしょうか? -
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ネタバレ小説書きに行き詰まったので拝読。
まず、ずっと高橋源一郎先生の語り口が柔らかくて、かわいらしい。読んでいて、ここまで暖かさがある文章は初めてかもしれない。面白さもあり、楽しみながら読んでいたが、これも最後まで読んで振り返ると、小説(広い意味で)を先生自身楽しく遊んだ結果なのではないかと思う。その楽しさがこちらにも伝わってきたように感じられ、面白い。
飛んできたボールを楽しみながらキャッチするのはなかなか難しい。それを面白いと言っていいのかわからないこともあり、抵抗してしまったところもあった。素直に楽しみ、遊んでいきたい。
自分が書く小説も同じように、楽しみながら遊びながら書いてみたい。読んでくれるかもしれない他者を思いながら書くのも決して悪くはないと思うが、まずは小説という子どもと真剣に遊びたい。そうしたらいいものが書けるかもしれないと思う。 -
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作品紹介・あらすじ
あたりまえを疑ってみると、知らない世界が見えてくる。
「ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよ、といってくれることだと思います。」(本書より)
〈目次より〉
1日目・たぶん、読んじゃいなよ!
カリキュラムにはのらない授業/ソクラテスはなぜ自分で書かなかったのか/想像力を生む場所/「絶対にありえないこと」を疑ってみる/自分で探さなければ、先生には出会えない/「自殺をしてもいいのか?」―鶴見俊輔さんの答え/正解が見つからない問いに、どう答えるか/「外側」から考える/常識ってなんですか?
2日目・なんとなく、書いちゃいなよ!
小学校と工場の共通点は?/自由な論理は「危険」かもしれない/考えるときの基準は自分しかない/「浮かない感じ」―吉本隆明さんの戦争体験/説明できないモヤモヤを大事にする/「渋谷109方式」で文章が書ける!/自分以外の「私」を想像して書く/ほかの誰にも書けない文章ー木村センさんの遺書/「自分」という不思議なものを、ことばにする
本書は17歳の特別教室『答えより問いを探して』を文庫化の際、改題したものです。
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読み進めていくうちに「あれ、どこかで読んだことあるな」と気が付き、調べてみたら「単行本『答えより問いを探して』より改題」とある。そしてこの「答えより問いを探して」は6年程まえに既読だった。今回再度読み直してみても感想はその時とあまり変わらず。なのでその時の感想を転記します。
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本書は、2018年6月10日~11日、きのくに国際高等専修学校において、高橋源一郎を迎えて行われた授業を元に再構成されたもの。
きのくに国際高等専修学校とは、「広く国際的な視野を持ち、自分自身と社会について深く考えたい人のために、少人数で社会問題、国際問題、英語などを重点的に学習する学校」。
特徴として「学年がない」「時間割に普通の教科の名前がない」「宿題がない」「先生と呼ばれている大人がいない」「大人の給料に差がない」「廊下がない」「学校と地域社会との壁がない」「堅苦しい儀式がない」「校長室がない」「お金もない」を挙げており、きちんと文部科学省の認可を受けた正式の学校であるとのこと。
「学年がない」ので高校○年生を対象にした授業、という明確な切り分けは出来ず、本のタイトルにある「17歳の特別教室」から推測するに、17歳前後の少年少女を前にした授業ということになるのかな。
内容は高橋源一郎と生徒たちの会話で成り立っている。
1日目が「たぶん、読んじゃいなよ!」2日目が「なんとなく、書いちゃいなよ」という授業になっている。
簡単に要約すると1日目は本の中にいる大切な先生の紹介、2日目は文章上達の方法、ってところだろうか。
まぁ、この学校の校風からして「授業」という表現自体が間違っているのかも知れないけれど。
あまり詳細に書くとネタばれになりそうなので辞めておくが、僕がもし中~高校生だったら「ああ、こういう授業を受けたかったなぁ」と心の底から思う。
ここには暗記をしたり、方程式を習ったり、先生の質問に「先生の期待している」返答をしたりする姿は全くない。
その代わり、自分自身で「論理的」に考え、「常識」を疑い、「恥」をかき、お互いを「理解」する大切さなどを教えている。
本書の帯には「学校では教えてくれない本物の知恵を伝える白熱授業」とあるが、まさに「知恵」の大切さを説いているように思える。
しっかりと身に付けた「教養」も大切だけれど、その「教養」を正しく使えるための「知恵」がなければ意味がない。
そんなことを教えているように思える。
まさに「答えより問いを探して」なのだろう。
余談になるけれど、「小説に『誤読』はない」という、とても勇気づけられる教えがあった。
僕のように、小説を読んで「あれ、こういう受け取り方でいいのかな」なんて思い悩むことがたまにある人間にとっては金言ですね、これ。
もうひとつ、とある書籍から木村センさんという方の文章が紹介されている。
僕が今までに読んできたどんな文章よりも、胸をギュっと締め付けられる、いつまでも忘れることの出来ない美しくも重たい文章だった。 -
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作品紹介・あらすじ
なんだかどんどん「ヤバく」なる
「AI文学者」「ジャニーズ問題と玉音放送」「ひとしとたけし」「不適切にもいろいろあるが」など、話題に本質に迫るコラム満載!「サンデー毎日」人気連載「これは、アレだな」書籍化第3弾!
「毎回、そのとき話題になった事件や本を「これ」としてピックアップし、その問題をさらに深め、考えるために、どこかの時代、どこかの場所にある、「これ」と相棒の「アレ」を見つけ、それぞれを比較、検討してゆく。その作業をひたすら進めてきた。」(「本文」より)
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週刊誌「サンデー毎日」に連載されている高橋源一郎のエッセーをまとめた本で「これは、アレだな」「だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな」に続き第三弾。
「これは、アレだな」「だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな」は持っているのだけれど積読状態で、いきなり第三弾の本書を読んでしまったのだけれど、差し障りは全くなし(多分)。ほぼ4分の3が2023年に書かれたものなので、今から2年程前の出来事に対しての考察になる。タイトルからも推察されるようにテレビドラマ「不適切にもほどがある」が流行っていた時代だし(僕は観ていなかったです)ジャニーズの性加害問題、映画「さかなのこ」公開、松本人志問題、パレスチナ・ガザ地区問題などなど。未だに尾を引いている問題もあれば、すでに「そんなこともあったっけ」と忘却の彼方に追いやられてしまった問題もある。「あれ、まだあれって2年前だったんだ」と自分の記憶力に自信を失う場面もあったりする。
世間を大いに騒がせた出来事だけでなく、メディア等では全く取り上げられなかった出来事や、(これは高橋さんのエッセイで必ず出てくるのだけれど)メジャーな所では取り上げてくれなかった書籍の書評などが載っており、僕としてはそちらの方が参考になった。但し(これも高橋さんのエッセイでは常識なのだけれど)ここで取り上げられた書籍は全て「面白い!」と絶賛されており、「是非手にとって読んでみたい」気持ちにさせられてしまう。今までに何度もこの勧誘に乗っかって「ああ、そんなに面白くもなかった」という書籍を手にしてきたことか……。その都度「ああ、お金が……」とちょっと後悔を繰り返している。それでも当エッセイを読み終えた後、「ああ、そうか、こういう書籍もあるのか。ちょっと読んでみたいなぁ」とウズウズさせられている本が数冊ある。勿論、高橋さんが紹介してくれる書籍には面白い本が非常に多いのだけれど……そうでないものもそれなりにあったりするのも事実。危険ですね、本書は。 -
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ラジオ番組「飛ぶ教室」のことは
開始当初から存じ上げている。
一番最初に、こんなテーマ曲(?)ができました、
のピアノの不協和音の音楽を聴いた時から、
なんだか変な番組だなあ、
でもこれは面白そうな番組だなあ、
と思ったこともよく覚えている。
金曜日の夜の放送と言うことなので
初めは聴いていたのですが、夜のその時間には
すでに床に就いてしまう暮らしのリズムなので、
なかなか聴くことが出来ないことが多い。
でも、このオープニング・トーク集を読んでいる時には高橋源一郎さんの声がよみがえることがうれしい。
よし!いま一度、
「飛ぶ教室」LIVEの視聴者の一人になろう
と思っている。
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NHKラジオ金曜夜の「飛ぶ教室」のオープニングトーク集、
なのだそうだ。
印象に残るのは、著者の友人が逝去された際の語り。
思い出話になる。
それが何人もいる。
そういうお年頃。74歳。
それとどうしても印象に残るのが、
ルワンダの虐殺をラジオが煽動した、という語り。
元は仲の良い人たちが、どうしてあんな残虐なことができるのか。
日本人の朝鮮人虐殺も同じ。
いや欧米列強も似たようなことをしてきた。
なんで人は狂うのかなあ。正義の名のもとに。
ま、あとは、与太話、と言っては失礼だが、
徒然に語っている、という印象。
教養はあるのかもしれないが、
あえて読むほどでは、、
ラジオの、光と闇――「まえがき」ではなく......
二〇二二年度前期 声だけの人
二〇二二年度後期 斧のような本
二〇二三年度前期 ことばより雄弁なもの
二〇二三年度後期 命終
おわりのことば
本書でとりあげられた主な作品ほか -
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著者が深夜ラジオ番組で語った最初の言葉の記録から。著者の実に個性的な人生が語られている部分が多く、簡潔な2頁ごとのエッセイになっており楽しく読むことができた。それぞれの文章に余韻が残る、印象的な終わり方が心地よい。この人は私の1年先輩のようであり、時代が重なっている分が私自身と照し合わせて理解し易かった。高校2年の時に初めてベトナム反戦デモに引きずられて参加したときの一線を越えたスリルある感覚というのは肌間隔として共鳴できる。3回の離婚歴や幼少期からの度々の引っ越しの経験(夜逃げも含む)、母親のさまざまな職種経験など面白い話が満載である。1967年4月10日の大阪国際フェスティバルで「トリスタンとイゾルデ」を観賞した際には熟睡してほとんど記憶なし、とは笑ってしまった。8年間の大学満了退学、50歳の時の長男誕生なども、ドラマティックな人生である。
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震災後、社会は変わった。社会というか、著作に書かれているように空気が変わった。
震災といえば、まだ311である。
あの衝撃は、以後の地震災害を未だ凌駕している。
音に出すのを慎重になった言葉、単語自体もいっぱいあった。言葉にならない、言葉が出てこない、まさに絶句した時間も長かった。
それは、死者やその身近にいる人びと、渦中にいる人の立場、心情を想像してだったと思う。
電力の大消費地である東京に住んでいる罪悪感も大きかった。加害者のような気持ちだった。
読後、この著作の内容を私は受け止められてない、ざわついた気持ちで、再度、ランダムに開いては読んでみた。
非常時、まずは自分を見つめる。足元を見つめる。
こだまのように、誰かの発言を周りに、次につないでいく。その結果、私も色んな文章を聞くことができているのだ。
考える。反射で答えない。
前を見る、上を見る。でも、その前に足元を見る。 -
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『DJヒロヒト』から遡って手に取る。『DJヒロヒト』は帝国日本の戦争の時代だったが、こちらは明治の「近代文学」誕生から大逆事件までを取り扱う。石川啄木が援助交際をしていたり、田山花袋がアダルトビデオの製作に参加していたりと奔放なパロディが反復されているようでいて、二葉亭四迷、島崎藤村、尾崎紅葉、夏目漱石、森鷗外らの「文学」に対する真摯さ、ことばと現実の距離をめぐる苦闘に対するリスペクトは一貫している。横瀬夜雨や北村三啞、川上眉山ら、「文学」に憧れ、「文学」の夢に破れたマイナー/ポエットたちの真剣さに対しても。
初出は『群像』1997年5月号~2000年11月号だから、ちょうどすが秀実が『帝国の文学』を『批評空間』に連載しているタイミングだったのではないか。その頃、『こころ』の「K」を歴史上の誰に比定するかという解釈合戦(?)が繰り広げられていて、なぜそんなことで盛り上がっているのかまったく理解できなかった(いまも理解できない)ことを思い出した。ただ、フィクションとして考えたとき、高橋が「時代閉塞の現状」をめぐって、漱石と啄木との間にあった黙契と加藤を取り出してきたことは、思考実験としては興味深いと感じた。