高橋源一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
30年間の間に発表された小説、主に10年間の間に発表された小説を中心に本読みのプロである2人が対談形式で徹底的に語った一冊。世相や日本のみならず世界で起きた出来事と絡めて、日本の文学について語られるが、凡人とは見る視点が違いすぎて、終始驚かされた。
文学から日本の社会の動向がここまで分かってしまうとは、小説がフィクションだと軽視できない存在であると改めて思い知らされた。この30年で、イラク戦争や9.11、東日本大震災などの日本だけでなく世界をも変えるような出来事が文学にも大きく反映されていて、いかに私たちの生活にもこれらの出来事が影響を及ぼしているのか知ることができた。
しかし、自分が読んだことがない小説に対しては、2人の対談を読んでもしっくりこない部分があったので、未読の作品は自分で読んで、改めてこの本を読み返したいと思わされた。 -
Posted by ブクログ
なんと言っても本書は、小説が書きたくなる本。
小説を書くためのネタ探しの方法とか、文章の書き方とかいう技術論には触れずに、小説をはじめるまえにすることは何か、小説を「つかまえる」ために何をするのかにページを割いています。
著者は作家の高橋源一郎さん。本書は小学生に小説を書かせるシーンで始まりますが、つかみが良く、ほぼ一気に読めました。
基礎篇・実践篇と段階を踏んでいく本書では、20個の「鍵」が示されます。
例えば「何にもはじまっていないこと、小説がまだ書かれていないことをじっくり楽しもう」という鍵。
そして、著者は『エミールと探偵たち』(ケストナー)の「話はまだぜんぜんはじまらない」という文章を提示して「この小説の、この、はじめの部分には、小説を書きはじめる人たちが、いちばん最初にやらねばならないことが、完璧な形で書いてあります。これさえ読めば、わたしには、教えることがないぐらいです。ブラヴォー!」と語り、「小説を、いつ書きはじめたらいいか、それが、いちばん難しい」という鍵を提示します。
さらにヘレン•ケラーがWATERを知る有名なシーンを引用したのち「あなたが最初にやらなければならないのは、知識をぜんぶ、いったん、忘れてしまうことです。なぜなら、あなたは、感受性をとぎすまし、こうやって、暗闇の中で目を見開き沈黙の中で耳をすまさなければ、小説をつかまえることができないからです。
これもまた、とてもたいせつな鍵の一つ。
⑧小説は書くものじゃない、つかまえるものだ」
そして「つかまえる」ためには「世界を、まったくちがうように見る、あるいは、世界が、まったくちがうように見えるまで、待つ」という鍵が提示され、入門篇が終わります。
実践篇の中心となるのは「あかんぼうみたいにまねること、からはじめる、生まれた時、みんながそうしたように」。面白かったのは「小説家になるためのブックガイド」。例えば太宰治の小説は全ての著作がまねの対象になると断言したうえで著者が実際にどのようにまねしたかの実例が示されています。
ただ、技術論は詳細には触れられていません。
それでも、本書は一読すると小説が好きになります。そして、小説を書きたくなります。
最後の鍵は「自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて」。この鍵を見たら、背中が押されたような気になり、何か書いてやろうと思いました。
若いときに読んでいたら人生が変わっていたかもしれない楽しい新書です。 -
Posted by ブクログ
本を永く読んでいると
「ああ、この本の感覚は、あの本を思い出す」
ということになります。
このエッセイはそんな感覚を本だけに限らず、マンガ、映画、ドラマなどのジャンルに踏み込んでいて、なかなかにユーモアセンスのよろしく、よみごたえありました。
というか私がマンガ、映画、ドラマをまり観ていないなあ、と気づかされ今年はそれもやってみようと。
私が読んだ本もあるし「そうそう、それだ!」と、読みたい本も見つかりました。
最後のChatGTPの章はちょっと泣けましたね、こういう感想やブログを頑張らないと、わたしが私であることを忘れそう~と。間違っても「代わりに書いて」とは言いたくありませんよ。 -
Posted by ブクログ
親鸞が現代にいたらこう話すのだろうと思うくらいわかりやすく書かれている。
ただ平易な言葉だからこそやっぱり解釈が人によって変わってしまうのは当時も今も同じかと思う。
作者があとがきで解説したくなってしまう気持ちがすごく理解できる。
悪人正機の私の理解。
世の中には良いことを言う人、良いことをする人がいてみんなから尊敬されている。
そして多くの人がそうなりたいと願い、そうしようと努力する。
それではダメだ、むしろ害になると喝破したのが親鸞。
良い事悪いことなんて人間にわかるわけがないし、仮にわかったとしてもみんなに対して良いことなんてできるはずがない。人間なんて弱い存在=悪人だと認める事こそが唯一の救われる方法なのだと。、
この立場に立つと人を非難する事も憎む事も少なくなり、
そして自分が被害者、相手が加害者という視点もなくなる。
ウクライナやイスラエルの現状を見ていても親鸞の思想があればと思ってしまう。
ただ唯円が嘆いたことが現実になり、日本の浄土真宗は親鸞の教えとは異なる教団になってしまっていて人を救う力はなくなっているのかもしれない。