高橋源一郎のレビュー一覧
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二十年、インテリ源ちゃんこと、高橋センセイは、論語に向き合ってきた。
その成果が本書だとのこと。
過去の注釈類を踏まえつつ、現代人に通じる表現に訳したのが本書だ。
例えば。こんな具合。
89 子曰く、約を以て之を失う者は鮮し。
「不思議なことに、人間っていうものは絶体絶命ってところまで追い詰められると、意外に失敗しないんですね。冷静になる、っていうより、アドレナリンが出て、脳がフル回転するからじゃないでしょうか。あなたたちも、たまには、そういう境遇になった方がいいのかもしれませんね。フフフッ」
こんな風なので、読み通せる。
というか、論語についていろいろ読んできたけれど、本文を最初から最後まで読めたのはこれが初めてだ。
レベルが低くて恥ずかしいが、こんなところで自分としては感動してしまった。
ただ、どうも高橋センセイと文化を共有していないところもあるわけで、ところどころポカンとしてしまう部分もある。
例えば。160の「セイセイセイ、ヘイヘイヘイ事件」。
斉の国の韶に孔子がはまってしまったというエピソード。
辞書を引くと、韶は舜が作った楽だそうだ。
しかし、語注はないようにした本なので、「セイセイセイ、ヘイヘイヘイ」が何だかわからない私には、お手上げとなる。
意外な落とし穴だ。
…と考えていくと、この本も、意外と近い将来に、例えば日本が約一億三千万の人口とは言えなくなったころに、「注釈」が要るようになるのかも。
やはり次はほかの全訳本を読もうかな。
先ごろ亡くなった井波律子さんのもあると、本書の註で知った。
それもまた、本書からの収穫だ。 -
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中高生にとって必読の書であるのはもちろん、私たち大人も読んでおくべき1冊。
以下、印象に残ったフレーズを。
「この世に『最低の学校』というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは『よきもの』は何も生まれません。これは断言できます。」(p10:内田樹)
「疑うというのは『排除する』とか『無視する』ということとは違います。『頭から信じる』でもなく、『頭から信じない』でもなく、信憑性をとりあえず『かっこに入れて』、ひとつひとつの言葉を吟味するということです。そうすればおそらくみなさんは『なんとなく、身にしみ入る言葉』と『なんとなく、違和感がする言葉』を識別できるはずです。それくらいの判断力は生物である限りは備わっています。」(p14:内田樹)
「『わかった』というのはあまりいいことじゃないんです。人間同士では、『わかると、コミュニケーションが終わる』ということになっている。」(p38:内田樹)
「物理を専門にしておられて、科学についてすばらしい本を何冊も書いておられる山本義隆さんは、何のために勉強するのですかと尋ねられて『自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです』と答えられました。これは、勉強だけでなく、科学という言葉にも、ぴったりとあてはまります。」(P184:仲野徹) -
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ネタバレ帯と巻末エッセイで最果タヒが全て代弁してくれているような気もするが
「宇宙の果てには何があるのか?」
「言葉ってなに?」
「自分は本当は存在してないんじゃないか?」
「この世界は全部誰かの見てる夢なのかも」
「パラレルワールドがすぐ近くにある」
「自分と全く同じ記憶を移植された自分のクローンは、自分なのか?」
「小説のキャラクターは、本当に作者が操っているだけなの?」
宇宙から身の周りのことまで、こういう誰もがした覚えのあるような想像が全て詰めこまれている。第二章までの種播き感、小道具のチョイス、文章全てに対して、こんなにワクワクしたの小学校以来では?というくらいワクワクした
「あまのがわのまっくろなあな」という言葉、見ただけで異常にワクワクすると同時に怖いような気もしたのだが、言葉にはこうした 意味以上の何かがあるのかな -
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誰が書いていたのか
思い出せないけれど
2001年のアメリカでの同時多発テロ事件の
後では「言葉」と「世界の見方」が
変わったと書いていた文章を思い出していた
まして
髙橋源一郎さんがこの一冊のタイトルになっている
2011年の3/11の時は
この日本という国で起きた出来事
まさしく「非常時のことば」である
この一冊の中で
紹介されていく
石牟礼道子さん
ジャン・ジュネさん
加藤典洋さん
川上弘美さん
内田裕也さん
ナオミ・クラインさん
太宰治さん
山之口獏さん
リンカーンさん
堀江敏幸さん
鶴見俊介さん
まどみちおさん
…
その言葉、文章の数々が
「絶句」してしまった人の心に
波紋が広がっていくように
沁みわたっていくように
思いました -
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「学んで時に之を習う。亦た悦ばしからずや。朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして憤らず。亦た君子ならずや」、「巧言令色には、鮮いかな仁」、「十有五にして額に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず」など有名な言葉はあるが、全体を読んだことがある人は少ないだろう。
高橋源一郎が『論語』に出会うきっかけは、二十年ほど前に世界の古典を色々な人に翻訳してもらおうという企画があり、『聖書』や『コーラン』に並び選択された『論語』の担当として割り当てられたというものだという。その企画は立ち消えになったそうだが、それ以来『論語』についての翻訳作業を続けていたという。
翻訳とはいうものの、かなり現代に当てはめるとこういうことを言っているんだ、という解説になっている。この手の古典は、それが書かれたコンテキストがなければ理解することも難しい。そのコンテキストを理解した上で、現代のコンテキスト合わせるとこうだとしてもらえるのはそこに著者のセンスが現れるという意味でも無味乾燥な直訳よりも読む方としては楽しめる。
なお、読んでもらえればわかる通り、ところどころにしつこく現政権にも爪の垢を煎じて飲ませたいといったような補足が入る。ある意味、高橋さんらしくなく、また高橋さんらしくもある。それでも、違和感を隠せない。これまでの高橋さんの言葉への取組みのことを思うと、そこまで明示的に表すべきではないのではないか。その部分は、読者に任せてもらえるべきではなかったのか、と思う。せっかくの『論語』でもあり、現政権を批判する道具として使うべきではないので、と思うのだ。
それにしても、「礼」や「仁」という言葉は深いというべきか、また便利というべきか。内容というよりも姿勢やそこでの柔軟性が大切なのだろう。それにしても「忠」や「孝」の概念はずっと厳しいもので、それにも時代のコンテキストが表れているのだろう。「忠」や「孝」の概念を好む権力を持つ層というものがあったのだろうと推察もする。この後も東アジアにおいて大きな影響を持った思想家という意味でも押さえておくべきものかもしれない。でも、そこまですごいとも思えなかったのだが..。 -
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中学生、あるいは高校生ぐらいの読者を対象にしているシリーズの一冊。ほかの出版社の、ぼくは気に入っている「よりみちパンセ」のシリーズより少し年上の読者が想定読者か?
内容は、あれこれあるのだけれど、高橋源一郎の、アメリカの大統領だった、オバマの広島訪問演説に対する解説(?)が俊逸、さすが「ゲンちゃん」という内容で、記憶に残った。
内田樹の編集方針も悪くない。学校の先生方も通勤電車で、一つずつお読みになればいいのではないでしょうか。ここで、さまざまに指摘されている社会の変化の中で、教育が、それはあかんやろ、という方向を支えていることに、ギョッとなさるかもしれない。 -
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タカハシさんは、2012年から「源ちゃんのゲンダイ国語」というラジオのコーナーを担当し、十五分程度の枠で本を紹介し続けていた。本書はそこで紹介された本をまとめたものになる。タカハシさんは、紹介すべき本を見つけた後はぶっつけ本番でしゃべっていたと書いている。本当にそうなのかどうかはわからないけれど(周到に頭の中で準備をしているのかもしれないし、そうでもないかもしれない)、結果として比較的力の抜けた本になっている。それぞれのエピソードの質に少しムラがあるのも、ラジオのぶっつけ本番(らしい)コーナーであるということになるのかもしれない。
偶然短歌や大阪のおばちゃん語訳日本国憲法あたりは面白く、ここら辺りはさすがの目の付け所。 -
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平田オリザの「青年団」がお芝居にしているそうで、見たいのだけれど、東京は遠い。町田康は読めないけど、高橋源一郎にはハマったという若い人の意見を聞いて、首を傾げたりしている。まあ、町田と高橋は違うけど。でも、そういう人は初めの頃の高橋君も読んでみるといいと思う。ひょっとしたら・・・・。
考えていたら、なんか気分が変になってきた。この小説を面白く読みながら、つくづく、高橋君も年をとったんだと、ぼくは思ったけど。
どこまで行っても、彼が書こうとしている「小説」とやらの正体がわからないのは、つづくのかな。そんなふうにも感じたりした。そりゃあ、胃潰瘍にもなるよな。