高橋源一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
天皇と憲法、韓国・朝鮮、新型コロナ・ウイルスという三つのテーマについて、著者自身が学び、考えてきたことが書き記されている本です。
「ぼくたちが生きてゆくとき、なにか困難なことが生じたら、自分の「考え」で対処したい」と著者はいい、そのためには「知識が必要だ」と主張します。とはいえ、どんな事柄であれ「完全な知識」に到達することは不可能であり、だからこそ学びつつ考え、考えつつ学ぶことがたいせつだというのが、本書における著者の立場なのだと思います。
たとえば著者は、天皇や憲法についてみずからの考えを開陳したあと、つぎのように述べています。「この「考え」には、いいところも、むちゃくちゃなところもあるだろう。もしかしたら、明日は、ぼくはもっと別のことを考えているかもしれない。……だから、いつまでたっても、決定版にたどり着かないかもしれない。でも、それでいいんだと思う」。
こうしたスタンスでつづられている文章が、たとえばブログなどではなく、本という形態で刊行されていることに、さいしょはすこし戸惑いを感じましたが、本書のなかで著者が「あいだ」の重要性を語っているところを読んで、すこし著者の意図を理解することができたような気がします。本書でとりあげられている三つのテーマはいずれもアクチュアルな問題だといってよいでしょう。しかし著者は、それらの問題に対する明快な答えを出すことをめざしているわけではないようです。むしろ著者は、問いと答えを明快に直結する道をめざすのではなく、その「あいだ」に立ち止まって考え、そうした場所でことばを綴ろうとしているように思えます。
ペストやスペイン風邪などの感染症が人びとの記憶から去っていったあと、それらの猛威のなかに立つという経験をわれわれに教えてくれるのは、小説家たちのテクストだと著者はいいます。著者もまた、アクチュアルな問題をめぐる喧騒のなかに立ちつつ、その体験を考えことばにしようと努めているのでしょう。 -
Posted by ブクログ
高橋源一郎による、小説とは何か?を解説した本
以下、公式の概要
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世の中には小説の書き方に関する本があふれている。そういった本の読者の大半は、小説を書きたい、あわよくば小説家になりたい人だろう。しかし、本書の「少し長いまえがき」の中で、高橋源一郎は早々に断言する。「わたしの知っている限り、『小説教室』や「小説の書き方」を読んで小説家になった人はひとりもいません」。なぜか。「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかない」からだそうだ。
しかし、著者は小説家志望者の夢を打ち砕こうとしているわけではない。この本は、標題どおり「1億3000万人のための」小説教室なのだ。「小説を書く」という作業の前に、「小説の書き方をひとりで見つける」方法を手とり足とり、教えてくれる。
小説は「つかまえる」ものであること。小説と「遊ぶ」こと。まねることから始めること。小説の世界に深く入ること。そして最後に、自分の小説を書きはじめること。著者の後について「小説を書く旅」に出た読者は、今まで気づかなかった小説のおもしろさに気づかされる。書くよりもまず、読んでみたくなるはずだ。そして、著者の教えどおり、まねをしたくなる。
要するに、本書は「小説(を楽しむための)教室」でもある。その意味では、小説家になりたい人が目を通すべき実用の書といえる。音楽を好きな人が音楽家になり、スポーツの好きな人がスポーツ選手になるように、小説を書くためには小説を深く、楽しめることが前提だ。この本を読むと、小説がますます好きになるはず。文章の巧拙やプロット、キャラクターづくりのテクニックを越えた、小説の魅力に目を開かせてくれるからだ。(栗原紀子)
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元々は子供向けの講座で話した内容を、新書向けに再構築したもののようだ
その子供たちが書いたという小説が冒頭に記載されてあって、確かに小説でしたねぇ
小説をかくとはどういうことなのか?
「すべての傑作といわれる小説は、その小説家が、最後にたったひとりでたどり着いた道、その道を歩いて行った果てにあります。そんなのを書く方法なんか、だれも教えられるわけがない」
概要でも説明されてあるけど、小説は自由なものなので、一人ひとり書き方が違うわけで
なので教えられるようなものではないんだよなー
なので、「一億三千万人のための」は、全員共通の方法という意味ではなく、個々での見つけ方指南という意味なのでしょうね
小説をボール遊びに例え、ボールを追いかけ、戯れて遊び、「掴まえる」事が重要だという
速いボールや変化球であっても「掴まえる」ためには、まずはそれを好きでいなければいけない
その次は「まねる」
自分が面白いと感じたボールの投げ方、つまり文章の書き方を真似る
要は、小説の書き方と言いつつ、小説の楽しみ方を説いているように思われる
もしくは、小説への向き合い方、かな?
詩は、作者が詩として向き合っていれば詩
小説は確固たるものがなく、自由なもの
言葉を使う表現の中で一番ルールに縛られない自由なもの
だから、全ての人が自分にしか書けない小説を書くことができる -
Posted by ブクログ
ネタバレ30年毎年、ではない。
毎年はせいぜい4年で、あとは刊行直前に30年ということにするためにレンジを広く取った。
そして選書自体が「そういう傾向」のものなので、そうなるだろうなという放談に過ぎないが、まあまあ面白い。
文芸誌を集中的に読んでいた時期とも重なるので。
@以下、コピペして、【 】で追記。
2011年から令和まで、計6回おこなわれた本をめぐる対話から、日本社会が浮かび上がる。思いもよらない解釈や、意外な作品との繋がりなど、驚きと発見に満ちた、白熱の対談集!
目次
はじめに
●第一章 震災で小説が読めなくなった
ブック・オブ・ザ・イヤー2011
生存にかかわるリアリズムは最強だ
『マザーズ』金原ひとみ/『苦役列車』西村賢太/『ニコニコ時給800円』海猫沢めろん
謎の「いい女」小説はちょっと前衛 【自分で足場を作る作家は、現実が変わっても平気】
『きことわ』朝吹真理子/『私のいない高校』青木淳悟/『いい女vs.いい女』木下古栗/『これはペンです』円城塔
緊急時、ヒトはクマやウマになる 【文学には、夢を見させる作用と、覚醒させる作用がある】
『馬たちよ、それでも光は無垢で』古川日出男/『雪の練習生』多和田葉子/『神様2011』川上弘美
君は3・11を見こしていたのか
『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』宮沢章夫/『戦争へ、文学へ 「その後」の戦争小説論』陣野俊史/『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』開沼博/『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』レベッカ・ソルニット 高月園子訳
●第二章 父よ、あなたはどこに消えた!
ブック・オブ・ザ・イヤー2012
原発事故は終わっていない
『阿武隈共和国独立宣言』村雲司/『むかし原発 いま炭鉱』熊谷博子/『線量計と機関銃』片山杜秀
母と娘の確執が文学になるとき 【父と息子の近代文学150年でようやく母と娘】
『冥土めぐり』鹿島田真希/『東京プリズン』赤坂真理/『母の遺産 新聞小説』水村美苗
ここにいたのか、落ちこぼれ男たち
『K』三木卓/『大黒島』三輪太郎/『その日東京駅五時二十五分発』西川美和
嵐の中の、もうひとつの避難所
『燃焼のための習作』堀江敏幸/『ウエストウイング』津村記久子/『わたしがいなかった街で』柴崎友香【2012年に2010年という災害前夜を描く】
多色刷りの性と個性が未来を拓く
『ジェントルマン』山田詠美/『奇貨』松浦理英子
●第三章 近代文学が自信をなくしてる
ブック・オブ・ザ・イヤー2013
母と娘の第二章はけっこう不気味
『爪と目』藤野可織【せっかく母を始末したと思ったらクローンのように別の母が】/『abさんご』黒田夏子/『なめらかで熱くて甘苦しくて』川上弘美
巨匠にとって「晩年の様式」とは 【無意識であることを意識的に】
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹/『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』大江健三郎【家族に否定されても小説という表現に自分の生涯を賭けざるを得なかった人の悲しい話】
マルクスも驚く「労働疎外」のいま
『工場』小山田浩子/『スタッキング可能』松田青子
作家が考える震災前と震災後
『想像ラジオ』いとうせいこう/『初夏の色』橋本治【弱い父と息子】
わけがわからない「大作」の中で起きていること
『南無ロックンロール二十一部経』古川日出男/『未明の闘争』保坂和志
青春はあんまりだ
『青春と変態』会田誠/『永山則夫 封印された鑑定記録』堀川惠子/『世界泥棒』桜井晴也
●第四章 そしてみんな動物になった⁉
ブック・オブ・ザ・イヤー2014
ステキな彼女に洗脳されて
『死にたくなったら電話して』李龍徳/『吾輩ハ猫ニナル』横山悠太
家こそラビリンス
『穴』小山田浩子/『春の庭』柴崎友香【家が主人公。人に興味がない。人と人ではなく、人とモノの関係】
21世紀の私小説は社会批判に向かう
『33年後のなんとなく、クリスタル』田中康夫/『未闘病記 膠原病、「混合性結合組織病」の』笙野頼子/『知的生き方教室』中原昌也
近代の末路を描く「核文学」
『震災後文学論 あたらしい日本文学のために』木村朗子/『東京自叙伝』奥泉光【東京中私という究極の私小説】/『アトミック・ボックス』池澤夏樹/『聖地Cs』木村友祐
保存された記憶、または90歳の地図
『徘徊タクシー』坂口恭平/『ラヴ・レター』小島信夫/『夢十夜 双面神ヤヌスの谷崎・三島変化』宇能鴻一郎
●第五章 文学のOSが変わった
平成の小説を振り返る(2019)
下り坂の30年
今から思うと平成を予言していた
『タイムスリップ・コンビナート』+『なにもしてない』笙野頼子/『親指Pの修業時代』+『犬身』松浦理恵子/『OUT』桐野夏生
プロレタリア文学とプレカリアート文学
『中原昌也 作業日誌2004→2007』中原昌也/『ポトスライムの舟』津村記久子
異化される「私」 【近代的自我からはじまった日本文学はもう終わっている。新しいOSをインストールされている】
『インストール』綿矢りさ/『コンビニ人間』村田沙耶香/『スタッキング可能』松田青子/『野ブタ。をプロデュース』白岩玄
地方語と翻訳語の復権 【語り手が人間である必要すらない】
『先端で、さすわさされるわそらええわ』川上未映子/『告白』+『パンク侍、斬られて候』町田康/『イサの氾濫』木村友祐/『献灯使』多和田葉子/『ベルカ、吠えないのか?』古川日出男
相対化される昭和 【昔のインテリに相当するのが女子高生で、批評的】
『ピストルズ』阿部和重/『東京プリズン』赤坂真理/『巡礼』+『草薙の剣』橋本治/『あ・じゃ・ぱん』+『ららら科學の子』矢作俊彦/『残光』+『うるわしき日々』小島信夫
日常のなかの戦争
『バトル・ロワイアル』高見広春/『阿修羅ガール』舞城王太郎/『虐殺器官』伊藤計劃/『となり町戦争』三崎亜記/『わたしたちに許された特別な時間の終わり』岡田利規
当事者として書くこと 【同時代的出来事を描くのには60年? あるいはとりあえず即応?】
『バナールな現象』+『雪の階』奥泉光/『神様2011』川上弘美
●第六章 コロナ禍がやってきた
令和の小説を読む(2021)
セクシュアリティをめぐって
『オーバーヒート』千葉雅也/『ポラリスが降り注ぐ夜』李琴峰
海外に渡った女性たちの選択
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』+『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ/『道行きや』伊藤比呂美
SNSが身体化した社会で 【SNSが身体機能の拡張になっている】
『かか』宇佐見りん
世界に羽ばたく日本文学
『夏物語』川上未映子/『献灯使』多和田葉子/『密やかな結晶』小川洋子/『JR上野駅公園口』柳美里/『コンビニ人間』村田沙耶香/『おばちゃんたちのいるところ』松田青子
過去の感染症文学を読む 【言葉が人々を汚染して人々の紐帯を破壊していく。SNS】
『ペスト』アルベール・カミュ
コロナ文学は焦って書かなくてもいい
『ぺストの記憶』ダニエル・デフォー/『感染症文学論序説 文豪たちはいかに書いたか』石井正己
コロナ禍を描く日本文学最前線
『旅する練習』乗代雄介/『アンソーシャルディスタンス』金原ひとみ/『貝に続く場所にて』石沢麻依
記録を残すことの意義
『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』/『コロナ黙示録』海堂尊/『臨床の砦』夏川草介
おわりに
特別収録 ブック・オブ・ザ・イヤー2003~2010 全106作品選書一覧