高橋源一郎のレビュー一覧
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『さようなら、ギャングたち』を読んだのは、三年前の年末。その時は、何だかわからない衝撃を受けた。それから、著者の作品を何度か読もうとしたけど、続かなかった。
それから源一郎さんとは、疎遠な日々が続いていたが、吉祥寺の古書店で、この本をパラパラとめくっていた時、中上健次がタバコを咥えながら、野球帽をかぶってバットをかまえている写真が見えた。
「源一郎さんらしそうな本やな」と思って読まずに置いておくかもしれないのに、懲りずに買ってしまった。
内容はエッセイだが、今回は最後まで読めた、と言うよりやっぱり面白かった。80年代半ばの作品なので、懐古的な楽しさもあったが、この人は、当時の軽薄さを、今の人と同じように捉えていてちゃんと読み物に仕上げていた。
何だか元気づけられたような気もするのだ。 -
Posted by ブクログ
ラジオを聴いているので
読んでいて
そのままその声が再生される気がした
ラジオ同様紹介される本が面白そうで
いくつかメモした
実生活ではなかなか手に取らない
もしくは知る機会のないタイプの本もあり
ありがたい出会い
著者の本自体は
若い頃読んで
そんなに好きではなかったけど
この方自体は割と好き
おじさんながらに
アップデートしたり
頭を柔軟にしておきたいと思っているおじさんだと思う
マンガや聴く音楽も決して懐古趣味ではなく
新しかろうが若かろうが
好きなものは紹介するし
面白がる
というスタンスは
とてもいい
(余談だけどこの方の声?しゃべり方
山田五郎さんにちょっと似てると思います) -
Posted by ブクログ
『僕らの◯◯なんだぜ』が高橋氏のトレードマークになっているようで、この本では戦争にまつわる文学作品を取り上げて紹介し、様々思索したことを書き連ねている。その引用がものすごく多くて長く、旧仮名遣いや詩文など、普段読み慣れていない様式の引用文に苦労しながら読んだ。筆者の思索も哲学的かつとりとめのない印象で、もう少し整理してメリハリのあるを編集してくれるとよかったのに、と思った。
引用文の中で印象に残ったのは、ドイツの高校生用教科書で、ナチスが合法的に政権を取り独裁体制を敷いてファシズムに取り込まれる加害の歴史をきっちり記述していることだ。一度あったことは二度三度起こり得る、現在の問題であることを教えている。政府が検閲して加害の事実を隠蔽する国との相違は著しい。また、太宰治が戦時中世に傑作を出し続けた特異性、天才性も強く印象に残った。今まで戦争という視点で読んだことがなかったので、目から鱗だった。 -
Posted by ブクログ
なんリベポストモダン vs なんリベフェミニズム
高橋源一郎のことはポストモダン小説を評する、どこかすっとぼけたひとだと思ってゐる。読巧者とはまったく思ってゐない。むしろズレてゐる。
池澤全集の新訳古典のときも、町田康の「宇治拾遺」訳と自分の「方丈記」訳とを比べて、なるほどそのやり方があったかと町田訳に感心してゐた。それぐらゐズレてゐる。
だいたいが、純文学で社会を知らうとするのが無理やりなのだ。純文学は、文壇村とその周辺でしか通用しない通貨みたいなもんだ。木を見て森を見ず、群盲象を評す、である。
『アンクル・トムの小屋』が、奴隷解放に貢献した偉大な通俗小説なのはまちがひない。
したがって世に膾炙したコロナ・震災小説といふのも、どこまで純かは疑はしい。エンタメ小説こそ社会を反映してゐるかもしれないのに、それは取り上げない。
本来なら、身分差別で、共和・自由主義者が批判すべき天皇制。天皇小説である『東京プリズン』でも『JR東京駅上野公園口』でも触れてゐないのは不自然だ。
池澤夏樹の『アトミック・ボックス』のやうな、日本の原爆開発計画が北朝鮮に流れたといふ、荒唐無稽なおバカ原発原爆批判小説についても、特になにも感じないらしい。
社会問題を先取りしたら高評価といふのも、SF小説みたいだ。
しかし、村上春樹と大江健三郎が共に無意識を共有した、共通の作家といふ点を見逃してゐないのは、勘が冴えてゐる(柴田元幸との対談でも同じことを言ってゐる)。
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高橋源一郎のくだけた、さばけた話しぶりが面白い読書案内本。いろいろ意見も言っているのには、全ては同意はできないが、こちらが考えるきっかけにはなるね。たくさん紹介されているが、強く引っ掛かった本を書いてみる。
・川内有緒「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」白鳥さんに芸術作品を言葉で説明する人が二人いるというのが肝だな。人の観点の違いに気づくわけだ。
・ジャック・ウェザーフォード「チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み」チンギス・ハンは次のようだったという。拷問を禁じる。幅広く人材を求めた。地方では直接民主主義を導入した協議会を作った。歴史上初めて公立学校を作った。信教の自由を保障した。流血や暴力を嫌悪した。モンゴル文化を被征服民に押し付けなかった。エジプトのラメセス二世も平和主義者でいい王様だったようだ。ここではマンガ「王家の紋章」が挙げられている。
・栗原裕一郎・大谷能生「ニッポンの音楽批評150年100冊」ペリー艦隊の軍楽隊の演奏やミュージカルにノリノリになった薩摩藩士や浦賀与力がいたのが面白い。
・伊藤比呂実「いつか死ぬ、それまで生きるわたしのお経」お経の現代訳がうわーすげえと思わせる詩になっている。中原中也の詩みたい?仏陀の説教も詩になるし、ボブ・マーリーの歌詞「雨を感じられる 人もいるし ただ濡れる だけの人もいる」 も仏陀の言葉みたいとか。確かに。
・逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」主人公はロシアの少女だが、射撃手仲間のウクライナの少女から語られる昔から続くロシアのウクライナへの搾取と迫害を聞かされる。日本人の戦闘美少女好きについて語られているのも面白い。「近代(男性性)が救えなかった世界は、反近代(女性性)によって救われるのではないか、という勘違い」と斉藤美奈子「紅一点論」で述べている。そうそう、ゴーゴリ(ウクライナではホーホリ)はウクライナの作家で、後半生はロシア語を使っているとのことで、ロシアはゴーゴリをロシアの作家と主張しているそうだ。
・ショーレ・ゴルパリアン「映画の旅びと イランから日本へ」イランはひどく日本に似ている国とか。世界で一番「おしん」が見られた国だそうだ。
・魚豊「チ。ー地球の運動についてー」このアニメを見たんだけどねえ、主人公というべき人々が次々と処刑されていくし、画面も無茶苦茶暗い。著者は夢中になってマンガを読んだそうだけどね。
・九段理江「Schoolgirl」太宰治の「女生徒」にインスパイアされて書かれた小説だそうだが、頭がよくてグレダ・トゥンベリみたいになっていって、母親を批判し反抗しまくる娘が、太宰治の「女生徒」をたまたま読んで変調をきたしてしまう。がんじがらめになっていたのが自由になったんかいな。
・三島由紀夫「美しい星」なんとも奇天烈な小説を書いたものだ。主人公は自分たち家族は火星から飛来した宇宙人だと信じ、白鳥座あたりの惑星からやってきたという3人組と地球の存続を巡って議論を交わすというもの。ウルトラセブンとメトロン星人とがちゃぶ台を挟んで議論を交わすのとそっくだというので、ウルトラマンは三島由紀夫が作ったなんて言う輩がいるそうな。
こんな感じで、なかなか面白い書籍が紹介されている。結構マンガも多い。 -
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日本版『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』。
一般の方から寄稿してもらった嘘みたいな本当の話を集めた短編集。
都内某所のイベントで、古本のくじを引いた際に当たった本。
アメリカの普通の人たちに寄稿してもらったショート・ストーリーの中から佳作をラジオ番組で朗読する『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』。
それの日本版です。
すべて誰かの身に起きた実話、とのことですが、本当に嘘みたいに不思議な話、奇跡のような話がたくさん集められています。実話かどうかはちょっと疑いつつも、「友人から聞くスベらない話」っぽくて面白い。
読み心地としては、新聞とか雑誌に載っている読者からのお便り紹介。あれが延々続く感じと言ったら近いかも。
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一般の方から募った短編集。一つ一つが1,000文字以内ということなので、さらさら読める。短いのは一行だったり。
アメリカのナショナルストーリープロジェクトの日本版ということだそう。
私は最初から通して読んだけど、手元に置いて、好きなとこだけ読むのもありかもしれない。
新聞の読者投稿の小話みたいなのを読むのが好きだったけど、そんな感じのもあり、ブフォッと笑ってしまうのもあったりする。
元の?アメリカのものとは違うタイプのに仕上がってるとのことで、そちらと読み比べてみたくなった。
たまにオチというか、ポイントがわからないのがあって、選者の内田先生に聞いてみたい気にもなった。 -
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センセーショナルなタイトルに惹かれて、手に取った。高橋源一郎 氏のことは、その昔、日テレの「スポーツうるぐす」で顔と発言内容は知ってだけれど、著作は読んだことが無かった。
戦争は他人事ではない、というタイトル通りと言えばタイトル通りのような、期待外れのような、微妙な読後感。(戦中の自分の態度を指して)「あのときはどうかしてたんだ」と安易に言うような人は、また別の時にも、簡単にどうかしてしまう可能性が高い、と自戒しないと、いつのまにか戦争状態となってしまうかもしれない、という指摘はその通りかもしれない、と思った。
少なくとも、筆者が戦争のことをとことん考え尽くしながら書いたことはよく分かった。
この本の白眉は、最終章(第五章)の太宰治に関する考察だろう。太宰治と言えば、女と心中を失敗ばかりしている、自堕落でどうしょうもない男、という印象だが(人間失格という自伝的作品のせいだろう)、実際には、活動期間の大半は戦争中で、厳しい言論統制・出版統制の中、嘘はつかず、ギリギリのテクニックを駆使しながら、自分の本心を発信し続けた、攻めた作家、と見るのが事実に近いようだ。例として挙げているのが、「十二月八日」、「散華」という小品二作品。前者は、奥さんの日記の体をとり、百年後(の皇紀二千七百年)に開戦当時を振り返った際に、一市民(一作家)がなにを考えていたかを残したい、という動機で書かれており、国家への(学のない役人が読む分には気が付かない程度の)あからさまで無い不信が滲み出ている。
P358
(三田君から太宰治への四通目の手紙)
御元気ですか。
遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます、
この戦争のために -
Posted by ブクログ
エッセイとされているが、書評としての印象が強い。たまに映画や漫画も取り上げられているが、だいたいは書籍について。高橋源一郎の書評エッセイは、むかしからだいたいこんな感じの作りである。
小説家だからといって本をたくさん読むとは限らないが、高橋源一郎はよく読んでいる。これもむかしから。そして、批評眼に関しては衰えが見られない。
申し訳ないけれども、高橋源一郎の小説に関しては、一時的にすこし盛り返すことはあれど、初期作以降はずっと低空飛行だと思う。最初の2冊、「ジョンレノン対火星人」と「さようなら、ギャングたち」は、とても良い小説だったけれども、それ以降はちょっと。
ただ、くりかえしになるけど、書評に関してはずっと安定している。古希を迎えても見る目は落ちないものなのかと思う。