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Posted by ブクログ
2020.11.1
やっと読み終わった、、
長らく論語の全訳が読みたいと思っていた中、本屋で発見。積読状態が長かったが、ようやく読み切ることができた。
時代背景の理解も必要な論語を、現代風にわかりやすく訳された内容で大変素晴らしい。何より孔子への愛が伝わる文章で、とても気持ちよく読めた。あとで調べたら筆者の経歴も中々のもので、「よくぞ書いてくれた」といった感想を抱きます。
論語は年1は必ず読んでいますが、読むたびに自分の悩んでいることの答えが見つかり、自分の定点観測的な立ち位置になってます。たくさんの解説本を読みましたが、その中でも今回の本はバイブル入り間違いなし。
今回もまた、孔子に学ばせていだきました。
Posted by ブクログ
2019年11月17日三省堂経堂店で購入。ただいま奥さんが読んでる。
2020年5月19日に奥さんから回ってきたので、世界の名著の貝塚茂樹訳と並べて読み始める。本当なら、学習研究社版の中国の古典も見ておきたいのだが、屋根裏から出すのが大変で断念。
嫁から回ってきたのが2020年、しかしすぐに中断。再び取り出したのが今年2026年の春先だった。
しかし読み方が先を急いで、あまり頭に残らない。
その上、近頃思うように漢字が思い出せなくなっている。
自分の手で書かずにキーボードで済ませている。
そこで原文を世界の名著から筆写しながら、この新書を横に置いてチマチマと読み出した。
そこから約半年、新書入手から6年半かけて、ようやく読み終えた。
高橋源一郎訳は、その昔の橋本治の桃尻語訳とは趣きが違い、現代の世情を反映したところが多い。
それは文学作品と思想書の違いでもあるだろう。
貝塚茂樹訳よりもより身近に感じるように仕上げられているし、なるほどそう読むかと感心させられるところも多々あった。
漢字が日本にもたらされて以来、漢籍の知識は日本の古くからの伝統であった。
ところが、いまや高校でも漢文は必修ではないらしい。
まともに漢字も読めない首相が「美しい日本」と曰い、伝統を云々しているのを現首相引き継いでいるようでは、そりゃ日本の沈没からは逃れられない。
Posted by ブクログ
二十年、インテリ源ちゃんこと、高橋センセイは、論語に向き合ってきた。
その成果が本書だとのこと。
過去の注釈類を踏まえつつ、現代人に通じる表現に訳したのが本書だ。
例えば。こんな具合。
89 子曰く、約を以て之を失う者は鮮し。
「不思議なことに、人間っていうものは絶体絶命ってところまで追い詰められると、意外に失敗しないんですね。冷静になる、っていうより、アドレナリンが出て、脳がフル回転するからじゃないでしょうか。あなたたちも、たまには、そういう境遇になった方がいいのかもしれませんね。フフフッ」
こんな風なので、読み通せる。
というか、論語についていろいろ読んできたけれど、本文を最初から最後まで読めたのはこれが初めてだ。
レベルが低くて恥ずかしいが、こんなところで自分としては感動してしまった。
ただ、どうも高橋センセイと文化を共有していないところもあるわけで、ところどころポカンとしてしまう部分もある。
例えば。160の「セイセイセイ、ヘイヘイヘイ事件」。
斉の国の韶に孔子がはまってしまったというエピソード。
辞書を引くと、韶は舜が作った楽だそうだ。
しかし、語注はないようにした本なので、「セイセイセイ、ヘイヘイヘイ」が何だかわからない私には、お手上げとなる。
意外な落とし穴だ。
…と考えていくと、この本も、意外と近い将来に、例えば日本が約一億三千万の人口とは言えなくなったころに、「注釈」が要るようになるのかも。
やはり次はほかの全訳本を読もうかな。
先ごろ亡くなった井波律子さんのもあると、本書の註で知った。
それもまた、本書からの収穫だ。
Posted by ブクログ
「学んで時に之を習う。亦た悦ばしからずや。朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして憤らず。亦た君子ならずや」、「巧言令色には、鮮いかな仁」、「十有五にして額に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず」など有名な言葉はあるが、全体を読んだことがある人は少ないだろう。
高橋源一郎が『論語』に出会うきっかけは、二十年ほど前に世界の古典を色々な人に翻訳してもらおうという企画があり、『聖書』や『コーラン』に並び選択された『論語』の担当として割り当てられたというものだという。その企画は立ち消えになったそうだが、それ以来『論語』についての翻訳作業を続けていたという。
翻訳とはいうものの、かなり現代に当てはめるとこういうことを言っているんだ、という解説になっている。この手の古典は、それが書かれたコンテキストがなければ理解することも難しい。そのコンテキストを理解した上で、現代のコンテキスト合わせるとこうだとしてもらえるのはそこに著者のセンスが現れるという意味でも無味乾燥な直訳よりも読む方としては楽しめる。
なお、読んでもらえればわかる通り、ところどころにしつこく現政権にも爪の垢を煎じて飲ませたいといったような補足が入る。ある意味、高橋さんらしくなく、また高橋さんらしくもある。それでも、違和感を隠せない。これまでの高橋さんの言葉への取組みのことを思うと、そこまで明示的に表すべきではないのではないか。その部分は、読者に任せてもらえるべきではなかったのか、と思う。せっかくの『論語』でもあり、現政権を批判する道具として使うべきではないので、と思うのだ。
それにしても、「礼」や「仁」という言葉は深いというべきか、また便利というべきか。内容というよりも姿勢やそこでの柔軟性が大切なのだろう。それにしても「忠」や「孝」の概念はずっと厳しいもので、それにも時代のコンテキストが表れているのだろう。「忠」や「孝」の概念を好む権力を持つ層というものがあったのだろうと推察もする。この後も東アジアにおいて大きな影響を持った思想家という意味でも押さえておくべきものかもしれない。でも、そこまですごいとも思えなかったのだが..。
Posted by ブクログ
高橋源一郎氏の作家としての才には昔からよく親しんできて敬服する一方で時事問題への過度のナイーブさとそのナイーブさを誇示して恥じないかのような厭らしい扱い方には気になるところも多かった。果たして本書はその悪い部分が強く出た厳しい読後感となった。
高橋源一郎による超訳論語、というか小説化という試み自体は悪くなく、正確さよりリズムとノリを重視する砕けまくった文体もそこはいいのだが、あまりにメッセージ性が素朴かつ空疎すぎる。
論語という書物の性質上、現代政治や時事とある程度絡める超訳は翻案として悪いものではないですが、隙あらばどこからでも現代政治批判、現代政権批判に持ち込むのは優れた現代意識ではなくただの政治的スケベ根性というべきです。
加えてあまりに皮肉を言いたい、皮肉を指し示したいという著者の精神が本来古典の持つ多義性を貧困化しているところも感じられるし、また自分の超訳に自分で感心して合いの手を入れるのはあまりに滑り散らしており、またそれを滑っていることに気付けない、恥ずかしいのでは?という自己懐疑の欠片も見られないのはこの優れた作家にして政治的党派意識に染まるとなんと情けない姿を見せるものかと戦慄する。
孔子に現代政治への当てこすりを言わせて(さすがセンセイ、目のつけどころが違いますねえ)って高橋センセイ、その目のつけどころは今数行前にあなたが超訳して創造したものですよ……
この作家ならばある程度自己へのメタ的な視点も取り込めばもっと面白くできたはずだと思います。実に残念でした。
Posted by ブクログ
高橋源一郎先生が20年かけて翻訳した論語の解説本。なかなかのクセつよ翻訳だが、そのクセがゆえに、何が通説から漏れていた情報なのかが分かりやすい。
高橋先生がはじめて論語を翻訳した時、意味はわかるのだが、孔子が何を言いたいのかは分からなかったそうだ。そして、「孔子先生がいうことがわかるまで決してこの人のもとを離れまい」と決めたのだそうだ。だからこの本は、「孔子先生の教室に20年通っている間に、ぼくがとったノート」なのだと。
このエピソードは、内田樹先生がエマニュエル・レヴィナスに(勝手に)弟子入りした時のことを思い出させる。賢い人は、師をみつけるセンサーが敏感で、師から勝手に学んで、そうしてまた賢くなっていくんだなあ。
499個の孔子先生のメッセージの全ては読んでないけど、最後の499個目に「ことばというものを理解しなければ、ほんとうに人間を理解することはできない」とあったのが興味深い。
言葉にとらわれるなとか、言葉より心だとか、そんなことを言わない孔子先生が好きです。
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