高橋源一郎のレビュー一覧
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生活にストイックな点で、鴎外と村上春樹は似ている?
アメリカ文学は自己意識の文学だったけれど、グローバル化の進行で、日本文学とも意識の上での差がなくなった?
ごくわずかしかアメリカ文学に馴染みがないので、柴田さん、高橋さんというアメリカ文学の偉大な読み手を通してみると、また違う日本文学像が見えてくる。
日本の文学が、現在の「ニッポンの文学」にへんしつする結節点にいるのが中上健次なのだとか。
言葉が壊れているというのがその徴なのだそうだが…。
翻訳文のリズムとか、言葉の壊れ方などは、どういうことかわかりにくい。
できれば作品を引用してほしいところだ。
最後の方に、二人がそれぞれ選んだ海外小説30、現代日本の小説30が挙げられていた。
…外国文学をあまり読んでいないはずなのに、読んだことがある作品や名前だけでも知っている作品は海外小説の方が多かった。
いかに普段自分が読んでいる小説がテキトーなものばかりなのかが分かる(苦笑)。 -
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高橋源一郎とSEALDsのメンバーの対談による活動の起こりと展開。
さらに、民主主義とは何か、歴史の変化を解説。
安保法案に反対するデモで知られるSEALDs。
どんな成り立ちでどんな人がいるのか?
知らなかったので、興味深く読めました。
名称の意味は、「自由と民主主義のための学生緊急行動」といったところなのですね。
たまたま集まってきたメンバーそれぞれの個性。
生真面目なばかりでもないのね。
冷静で、無理がないのに感心しました。
奥田愛基さんの生い立ちもすごいですね。
親御さんが人並みはずれていて、「家にマザーテレサがいたらうっとうしいでしょ」って、確かに(笑)
何万人もの普通の人たちが、デモに集まった。
デモすら起こらない日本だった頃よりも、ある意味では増しな兆しなのか?
事態は複雑だけど、譲れないこともあると。
歴史はざっと知っているつもりでも、このように整理した形で読むとまた、違う印象がありました。
民主主義‥
響きはいいけど、面倒くさくて、かつ、民意は意外にまとまりにくいもの。
困ったね‥
大事なことは何なのか?
わかりにくくても、少しずつでも、興味は持っていきましょう。
当たり前のことも、口に出しましょう☆ -
Posted by ブクログ
高橋源一郎の作家としての作品は、読んだことがありません。
テレビのコメンテーターとしての発言を見聞きしていた程度。
まあ、リベラルな人だな、という印象。
この本は、震災直後の2011年4月から2015年3月まで4年間、朝日新聞に月一掲載された「論壇時評」48編をまとめたものです。
なので一編一編は短いし、言葉も平易でとても読みやすい。けれどその中身はとても濃く重く深く、示唆に富み、時に意見の相違は感じつつも、状況を見つめる視座には共感と感銘を覚えました。
印象に残った部分を一つだけ。
「人々が攻撃的になるのは、視野を狭くしているからだ。世界を、広く、深く、複雑なものとして見ることを忘れないようにしたい。」 -
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作家の高橋源一郎氏と学生グループSEALDsの座談会。
前半は、SEALDsの成り立ちと活動内容が、紹介されている。どの様な経緯で結成され、どのような理念を持っているか、SEALDsの活動をなんとなく知っていた程度なので、その辺の興味、疑問は埋められた。
この本のメインである、民主主義とはなにかというのは後半部分で述べられている。
民主主義とはなんだ?という疑問が持ち上がるように、民主主義という言葉の定義は人それぞれ違う。
が故に、安倍首相のやっていることも民主主義といえるのだろう。
納得いかないけれど、それを頭ごなしに違うというのも違うのだろう。
アテナイの民主主義は、中央集権的な組織がないためアナキズムに近い。
それは私たちが現在考える民主主義とは随分違う。
物理的なことを考えると実現するのが不可能なので、現在の民主主義は直接民主主義ではないけれど、アテナイの民主主義というのが私の中での定義、理想に一番近いように思う。
国家という組織の中では難しいけれど、もっと小さな社会であれば実現可能である。
けれど、そうであるためにはそれなりのことも引き受けなければいけない。
そこの部分は、議会制民主主義であれ、同じだ。
直接的に関われなくても、主張と引き換えに相応のことを引き受けなければフェアではない。
ただ、どの場合もやはり憲法や規則があることが大前提である。人間は過ちを犯す生き物だということは忘れてはいけない。
いずれにしろ民主主義は面倒くさいものであり、自分たちの権利を主張するだけのものではない。
デモを起こしたり、民主主義について考えたり、意見したり、それらはとてもパワーのいることだ。
そういう意味では、学生運動というのも頷ける。
彼らには、大人にないパワーと行動力がある。そして、よく勉強しているなと思った。
彼らの逞しい運動を横目に見るだけでなく、同じように自分のこととして考えていかなければと思った。 -
Posted by ブクログ
【目次】ことばもまた「復興」されなければならない/非正規の思考/みんなで上を向こう/スローな民主主義にしてくれ/柔らかくっても大丈夫/「そのままでいいと思ってんの?」/一つの場所に根を張ること/「憤れ!!」/「憐れみの海」を目指して/民主主義は単なるシステムじゃない/冷たい世界でぼくたちはもがいている/〈東北〉がはじまりの場所になればいい/ぼくには「常識」がない/標的探しをする人びと/ぼくたちの「家族」はどこに? 一から創り出すということ/国も憲法も自分で作っちゃおうぜ/「社会を作る」ことは楽しい/「暴論」なんかじゃない/フタバから遠く離れて/被害者の度量、加害者の慎み/自民党改憲案は最高の「アート」だった/選ぶのはキミだ 決めるのはキミだ 考えるのはキミだ/「壁」にひとりでぶつかってみる/大きな力に立ち向かう/なんだかおかしい/膝がくっつくほどの距離で/ぼくらはみんな「泡沫」だ/悲しみを受け継ぐ旅へ/戦争を知らない世代こそが希望なのか/甘えているわけじゃない/あるひとりの女性のことば/「考えないこと」こそが罪/DV国家に生まれて/ぼくたちはみんな忘れてしまうね/新しい「物語」はまだ/新しい幸福の形はどこにあるのか/わたしたちは自ら望んで「駒」になろうとしているのかもしれない/ぼくらの民主主義なんだぜ/「アナ雪」と天皇制/現実はもっと複雑で豊かだ/想像する、遠く及ばなくとも/〈個人的な意見〉「愛国」の「作法」について/支配と服従が横行する国で/記憶の主人になるために/クソ民主主義にバカの一票/そこはつねに、それ以上のことがある/「怪物」は日常の中にいる/「知らない」から始まる
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Posted by ブクログ
SEALDsのおかげで、初めてデモに行けた。集会に行けた。この1点だけで、個人的にものすごく感謝している。
特定秘密保護法が可決される前後、私は自分にイライラしていた。せいぜい家族やごく身近な友達に話すことはしていたが、それ以上のことができない。「デモ?集会?いやいや、そんなところにはよう行かん」と行動できない自分にいらだっていた。
自分は何もしていないくせに、「どうして日本の学生は反対運動をしないのか」と思っていた。実際はその頃から彼らは活動を始めていたのだが、そのことを知らなかった。
「どうして日本の学生は」などと思える自分では全くなかった。自分が学生の頃、政治には全く関心がなく、ただただ自分のことだけ考え、浮かれ、遊んでいただけだ。そのままこの年まできた。
よくぞ立ち上がってくれた。若い人たちの世話になるような年では、まださすがにないのに、SEALDsに完全に乗っかってしまった。
デモが楽しい、集会が楽しいと言っていいのかと思うが、本当に楽しい。悲惨な状況に、必死で訴えかけているのだが楽しい。コールが楽しい。帰宅後、1人2役?でやってしまう。家でやっても仕方ない・・・
カッコイイし、オシャレ。それと賢さが両立しているのがいい。よく勉強し、自分で考え、自分の言葉で語る。尊敬する。
と同時に、遊びたい盛りの若者たちにこんなことをさせてしまった大人として、とても反省している。何が悪かったのか。どこで間違ってしまったのか。
私たちがのほほんと消費に明け暮れているうちにこんなことになってしまった。
全く本の感想になっていない。
メンバー3人と高橋源一郎さんが語り合う。
前半は「SEALDsってなんだ?」奥田さん、牛田さん、芝田さんそれぞれが、個性的な小中高生活を送られていて、さもありなんと思わせられる。
他のメンバーのことはわからないのだが、わりと皆さんそうなのだろうか。私は「ゆとり世代」と揶揄されがちだけれど、意外と「ゆとり教育」が花開いたのではないかとちょっと思っていたのだが。違ったかな。
後半は「民主主義ってなんだ?」ちょっと難しい話になって・・・ちょっと付いていくのが大変になったのが悲しい・・・ -
Posted by ブクログ
初めの半分はSEALDsってなんだ?と言うことで
立ち上がりから今に至る過程の話で
第二部が本命の《民主主義って何だ?》となる
言葉の定義に始まり70年安保の経験者である先生である高橋さんから
叩き台が提示され学生である奥田愛基(あき)さんと牛田悦正(よしまさ)さんと
柴田万奈(まな)が参加してそれぞれの生い立ちから自己紹介となって
民主主義についての思いを語り討論へと向う
鶴見俊輔と小田実が言い出しっぺのベ平連を立ち上げ社会運動を始める
議会制民主主義という西欧風のデモクラシーに対して
一歩前に進んだ直接民主主義の実践的運動として
組織立たない出入り自在で全員が対等観を持つ環境へと民主主義を解放した行った
シールズはそれを引き継ぐ意識で輪郭の定かでない運動を目指していると言えるだろう
ギリシャのデモクラシーは全員参加の直接民主主義で
紀元前500年頃につくられた
デモス=民衆クラスト=権力・政治体制つまり民衆性=people's power
アメリカの憲法の基礎のなったのはインディアンのイロコイ族の政治体制だと言われているし
それがヨーロッパに渡って憲法の土台となった
しかしフランスの革命では民衆が先頭に立ったけれども
ロベスピエールなどに結果を持って行かれ民主主義は建前となっり
恐怖政治に取って代わられたとなり
アメリカの政治システムは大統領の立場が君主制で上院が貴族制で下院が民主性という
三つを合わせた共和制となる
ちなみに下院の力が一番弱いということになる
本気の民主主義ならば下院だけで事足りることになる
この本では語られていないが
民主主義は信仰とか法や契約という暴力への依存心からなる
嘘と秘密による煽動に揺るがない
自分で選択できる自律を目指すシナヤカな個意識と広い視野によって
利己的な利害の矛盾を卒業して
全体観を持った人々で構成されていなければ不可能だということになるだろう
民主主義に答えはなく無限の成長がある
人の数だけあるいは人の成長とTPOに合わせて無限の可能性がある
平等と自由と友愛と平和という建前では人権も民主主義を貫けない
直接民主主義の要は個性という部分をつなげることを可能にするそれぞれの
全体観である集合意識を感じ取れる心だろうか!
コレさえ身に付ければ出合ってお互いを選択して違うお互いだからこそ
切磋琢磨しながら学び合える関係を創れるだろう
多数決で負けた惨めさなどあり得ないシナヤカなコミュニケーションで
お互いを認め合い再分配して補い合える相乗効果を納得できるはずだ
そこにはテレパシーという情報交換の方法も実用化されているはずだ
追記:
平等と対等:
あなたとわたしが選び合って集うと
二人の好みも状態も違うから選ぶ物も違い
この違いを受け入れ視野を拡げることができる一方で
否定して内にこもることも可能だ
この二人が違いを受け入れ支配関係を嫌い
民主的な関係を創造しようとした場合
同じグラスを並べてジュースを同じ高さに分け合って
満足する平等感がお互いにわかりやすくて
採用されるかもしれない
しかしあなたは喉が渇いていてジュースをもっと欲しくて
私はむせていて飴の方が欲しかったとすれば
ジュースは一口で十分かもしれない
どちらも中途半端で満たされずにいるよりも
お互いの状態をわきまえて程よく満たし合うことの方が
より幸せなのでないだろうか
民主主義がお互いの心を過不足なく満たし合う
自らの幸せを求めるものであるならば
部分的な平等よりもより全体的な対等な関係を
目指すことになるのだと思う
同じように相手の違いを考慮しない部分感の強い
気ままな自由勝手よりも
俯瞰した視野の広い全体観を併せ持つしなやかな
自在性を好むのではないだろうか
更に友愛という情にまみれたプライドよりも
相手を自分の一部とできるドライな仲間とする関係の方が
好ましいだろうし
この世にあり得ない一体感という無味無臭の
100%の平和をナイモノネダリするよりも
活気にあふれ個性と個性をつなげて流れをつくる
調和というダンスを模索する五分五分の冒険を操る方が
充実していて愉しいのでないだろうか
民主主義が絶対君主に依存したら
よしんば君主が民を思う善良なものであったとしても
民主と違うものになってしまう
民主であるためにはあくまでも未知なる今を歩もうとする
一人ひとりの自律を自ら育てる自主的な意識を持った
環境でなければならない
それは体験から得る倫理観として個々に蓄積されて行くもので
与えられたり依存するモノであってはならない
そこにはお互いの切磋琢磨で裏打ちされている
現状を愉しもうとする意志が必要となる
あなたとわたしという関係:
個と個が対等に集う民主主義には
自己責任と自己管理が付きものだ
個々のフリーダムとコモンの間には
自ずとコミュニケーションという橋がなければ
つながらない溝がある
集いから嘘と秘密を排除するには人工的で
自然観を無視した競争原理による
過去に対する權利と利権の主張と
未来に対する契約という仮想の所有システムを
集いの場に持ち込まないこと
過去は万民万物に解放されたものであり
未来は個々それぞれの範疇に属するものであり
今現在を目指すものは
集うものの調和の関係にある
無限に入れ子となった連なりである
より部分とより全体の連鎖において
部分性は視野が狭くより即物的で具体性に富み
全体性はより視野が広く意識的で抽象性に富む
知識と意識:
外からの情報をコピペした状態を知識と呼び学問すると言い
自らの生活を冒険することで得る発見を意識と呼び学びと言う
更に借り物の知識を咀嚼することで得るヒラメキも学びと呼ぼう
そしてその学びの延長線上に思いを描くことを創造と呼ぼう
私達が選び合ったあなたと私は相対の関係となり
私の知らないあなたという情報から無限にある筈の
未知なる部分の一部分を拾い取り
自分の意識と照らし合わせながら噛み砕き繋ぎ合わせ
新たな意識を育んでいく
この一瞬一瞬を繰り返すことで視野を広げ
自分という部分と共にその全体となる環境をふくらませていく
部分と全体とは意識を通して繋がる
磨き上げた個意識は全体である集合意識からヒラメキとなって
個意識へとフィードバックされ循環し続けながら
私という個である部分も私を取り巻く環境である全体も
無限に成長して行くということなのだろう