高橋源一郎のレビュー一覧
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歴史的大敗となった自民党→民主党の政権交代について。渋谷陽一さんの雑誌SIGHTでの内田樹と高橋源一郎の対談。自民党について語ってくださいから始まり小沢一郎はナロードニキだとか「金で買えないものはない」とかいう絶頂期に出てきた言葉は田吾作だとか。政治について自分はどちらよりだからどちらが正しいと思うとかいうありきたりな対談ではなく(そんなもの苦痛で300ページも読めない)日本の政治、システムについてを「言葉」の側面から口語的に語られた対談。
いや、かなり笑いました。笑い事じゃないんだろうけど。最初は笑い事でいいのかな。
これ、ちょうど2011年の3月11日の直前までの対談。あの大地震で、それま -
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1982年、高橋 源一郎著。「わたし」を取り巻く超現実的な世界が、1ページに数文しか載っていなかったり、頻繁に行替えがあったりする独特な文体で語られる。「わたし」と家族の関係を描く第一部、詩の学校で「わたし」が様々な人の話を聞く第二部、ギャング達が本格的に動き出し「わたし」に接触してくる第三部。
非常に不思議な小説だった。いや、これは小説というより詩なのだろうか。ただ、それだけだったら、意図してそのような構成にしたとも考えられ、似たような小説は他にもあるのかもしれない。おそらく、この小説がすごいのは、文章自体が含んでいる独特の「間」だろう。前の一文を書いた後、思考を一時中断し、時間を空けて -
購入済み
答えが無いことを考え続ける
自主規制。空気を読む。考えることを放棄する。それが楽。でも。
イスラエルの戦闘地域で、ジュネが夥しい数の死体を、艶めかしく書いた。その意味。
考え続けること。答えは出ないけど。 -
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すごく面白かった。
大爆笑。
そして、あぁ、その通りだな…と思うところもあって。
とにかく心底楽しかった。
同じ日本語でも、自分が普段使っている言葉とは背景にある文化が違うのではないか?と思うことがある。
読めるけどちんぷんかんぷんなのだ。
この本で取り上げられている「ことば」の中にもそういうものがあった。
でも、分からないことが面白い。
こういう世界があるのねと驚いて、高橋源一郎さんのツッコミに心地よく笑えました。
この本の素晴らしいところは、テーマと著者のバランス感覚だと思う。
引用されている文章に私が引いている時には一緒に引いてくれて、面白がっている時にはさらにのってくれている。
一 -
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3歳児ランちゃんが「悪」と戦い「世界」を救う。
童話めいた語り口で、結構深い作品。
解説にあるように「悪」とは何か、最後まで明示されることはないが、作中で表現される「悪」は案外分かりやすい。
「悪」に(仲間とみなされて)引き込まれるのは、パーツは完璧なのに畸形の顔立ちに生まれた「ミアちゃん」。言葉の発達が遅い「キイちゃん」。そして、生まれてこなかった子供「マホちゃん」。
また、ランちゃんが見る「悪」のイメージは、極端ないじめられっ子であったり、性的虐待に遭い障害を持った子供であったり、完璧すぎる美人であるがゆえに自分の内面を誰にも見てもらえない(と思い込んでいる)少女であったりする。
「 -
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今日(7/25)の朝日新聞の論壇時評を見て、最近読み終わったこの小説のことに思いが至った。
「悪」とは何か?ミアちゃんの母親が冒頭に発する「わたしは「悪」と戦っているのです」という高らかな宣言。
「風立ちぬ」と「チェルノブイリ・ダークツーリズム」に共通して描かれる、技術の「善悪二面性」。零戦と原子力発電。新しい技術を産み出すことは、同時に新たな事故の可能性を生む。そういう危うい技術革新によって、今の我々の生活は「便利」を手に入れている。
人間は「善きものと悪しきもの」が混じり合った存在である。小説の主人公ランちゃんは、無邪気な子供という存在にも関わらず、さまざまな「悪」と対峙することに -
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吉本隆明が亡くなった後、新聞雑誌に数多くの追悼の言葉が溢れたが、その中で最も心に響く追悼文は、朝日新聞に掲載された高橋源一郎氏のものだった(この追悼文は、冒頭に再掲されている)。また、加藤典洋氏は、吉本の思想を世界の思想の中でどう位置付けるかを考え続けているのも見ていた。この二人は、吉本の思想から何を受け取ったのか。
高橋は、戦争中に愛国青年だった吉本が、「みんなで神社へ必勝祈願に行こう」と誘われたが、「なにか浮かない感じ」がしたという体験に注目している。「善いことばっかりいっぱいいるでしょう。それに対してやっぱり浮かない感じがする時には、<浮かないよ、それは>と言うべきであると思います。