高橋源一郎のレビュー一覧
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主人公は、本を書く才能に苦悩するご本人?高橋源一郎。
彼が憧れる明治時代からタイムスリップしてきた夏目漱石や森鴎外との語りを通して、文学とはなんぞや、そしてタイトル通り文学史についても学べる。誰もが知っている明治時代の文壇のスキャンダルで本当のところが謎の樋口一葉とその師の半井桃水の不倫関係についても、パラレルワールドの様に話が展開する。
鴎外がとっても自由すぎて、髪を金髪にして、終いにはAV男優にもなってしまうというはっちゃけぶり。それでも、結局、鴎外は鴎外で現代に復活しても本業は作家だし、文学には真摯に向かっている。作品がどれほどの苦労でこの世に生み出されるのかということに、自然と思いを馳せてしまう。
高橋さんは彼の妻に偏見を持っており、避けてきたが、どうしてなかなかおもしろかった。
樋口一葉と半井桃水だけが主人公と同じ時代なのか、過去に存在するのかがグレーゾーン。高橋さんの物語の中?樋口一葉がホスト上がりで、あけすけな文を書き、浮気を繰り返す。元妻で、同じく水商売上りの室井をモデルにしているのではないかとどうしても想像してします。作中の高橋さんにも、よく元妻から電話がかかってくるしね。 -
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タイトルのつけ方は個人的には気持ち悪い感じはしますが。
内容的にはとても面白い内容だったと思います。
明治学院大の著者のゼミで実施された、岩波新書を読み込み
その著者(鷲田清一氏・長谷部恭男氏・伊藤ひろみ氏
の3人)とQAを実施するという内容。
大学生は書籍を読まないという話があって、それが個人的な
課題にも関連しているのですが、本当に大学生が本を読まないということが一般化されているのか?
確かに読む人が少なくなっているのは、そうなのだろうと
思いますが。もっと、この本のように、本を読むことの
楽しさや、満足感などが、他の人にも伝わるような
取り組みがほかの人たちにも影響して、本を読む人が
増えていくような気がしました。 -
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2011年から2015年にかけて、『朝日新聞』の「論壇時評」に掲載されたエッセイをまとめた本です。
本書で展開される議論には大きな感銘を受けたのですが、それは必ずしも個々のテーマについての著者の「主張」に賛同するという意味ではありません。むしろ、冷静でいることが困難な時代に正気を保つための著者の「スタイル」に感銘を受けたと言ってよいと思います。「ぼくらの民主主義なんだぜ」というタイトルは、まさにそうした「スタイル」を端的に言い表わしています。著者がここでおこなっているのは、「制度としての民主主義」を学んだり批判したりすることではありません。著者が本書を通じて読者に示しているのは、自己の想像力を超えた他者の声を聴き取ろうとする「スタイル」としての、「ぼくらの民主主義」なのではないでしょうか。
「論壇時評」という性格のため、本書には数多くの文献が参照されていますが、それらは著者の意見を補強するために担ぎ出されているのではないはずです。著者は、そうしたさまざまな声に耳をそばだてているのであり、読者に感銘を与えるのも、そうした著者の振る舞いなのではないかという気がします。 -
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【星降る夜に】
『二十五年…わたしは、自分の口から出たことばに驚いた。二十五年も書きつづけていたのだ。誰も読まない小説を! その間に、もっとなにかできることがあったのではないだろうか? 山に登るとか、動物園に行って熊を写生するとか。もう少し、有益なことが。』
【お伽草子】
「『せっくす』というのは、人がわかりあうためにすることの中で、もっともいいもののひとつだ、同時に、もっとも、むずかしいもののひとつなんだ」
「どうして?」
「ことばをつかわないからだよ。ことばは、わかりあうために、人が使うものの中で、いちばん簡単なものだからね」
「簡単ないみのことばはないのかい?」
「あるよ。『アルランス』とか」
「どういういみなんだね」
「『一時間目の授業の時、先生に、頭が痛くて、熱があるみたいなので保健室に行っていいですか、ってきいて、保健室に行って熱をはかったら、三十六度ちょっとしかなくて、すぐ教室に戻りなさいって保健の先生にいわれること』だよ」
「そのことばのいみが、簡単なのかどうか、わたしには、わからんが、熱がないのに、すぐに保健室に行くのは、パパは感心しないね」
「わかった。ねえ、こういうことばって、使ってはいけないの?」
「きみは、どうして、そういうことばを作ったのかね。『ティーズィッテ・ナン!』とか」
「決まってるじゃないの。他に、ぴったりしたことばがなかったんだもの」
「オーケイ。『コネタキイ・イカンマクヤヒ』だと思うんだが、パパは」
「なに、それ?」
「『自分でことばを作るのは、おおいにけっこうだが、寝る前に、明日、学校に持っていくものを、ランドセルに、自分で入れてからにしてもらいたい』といういみだよ。それに、『フルエノウヨチ・ダシアタカ』でもあるしね」
「わかったよ。そういうことばを作ると、質問ばかりしなきゃならないから、めんどうくさいってことだね」
「その通りだ。でも、わたしがいったことばのいみは、『そろそろ、お昼ごはんにしようじゃないか』ってことさ」
『手で髪の毛を触る。それから、顔。目、鼻、唇を触る。ずっと触っていって、足の爪に、到着する。ぼくは、寝る前に、必ず、それをやるんだ。おまじない。
確かに、そこに、ぼくがいる、というおまじないだ。』 -
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昨年発売された「ぼくらの民主主義なんだぜ」の続編、朝日新聞の論壇時評で書かれたものとその他雑誌などで発表された文章に加筆・修正されたものがまとめられています。
前作に続けて、たくさんのメッセージが読者に投げかけられていました。
中でも僕が印象に残ったのは、「オバマさんのことば」。昨年、5月ヒロシマを訪れた際のオバマ演説を聞いてひっかりを感じた高橋さんが、演説の中で使われた「私」という言葉の回数を数えた(私たち…75個、私…4個)ところから内容に関する分析をおこなったところ(「私(オバマ氏)は思う」と触れられたのはたった1か所だけ)。政治で使われる「私たち」は、抽象的な囁きで「私」を見失わせていくという指摘はとても考えさせられました。「私たち」といった瞬間にそこに入らないと感じる人たちをつくり、また無意識の内に作り分けてしまう面があることは、社会運動においてもきちんと考えておかないといけないですね。
障害者運動は、権利条約の策定過程で使われた「Nothing About Us Without Us」(私たちぬきに私たちのことを決めないで)ということをこの間の運動のスローガンにしてきましたが、そのことの意味を深く考えたいと思いました。
「オバマさんのことば」と対比する形で、本では「美智子妃のことば」が取り上げられています。ほとんど触れたことのなかった僕としては、その内容もとても印象的でした。
ぜひたくさんの人に読んでほしい一冊です。 -
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訳すということは、普段、ただ文法通りに当てはめていくといった直訳から始まる。
けれど、人が書いたものである以上、その人が抱いたイメージをどう「解釈」するか。
また、その解釈をどの言葉を選んで表現するかという所に、訳者と作者の憑依なくしては得られないものがある。ように思う。
そう考えると、池澤夏樹が、この三人に憑依を頼んだことがまず、面白いではないか。
特に私が触れることの多い、高橋源一郎と内田樹に至っては、こりゃあ買わないと、と思わせるグッドチョイス。
日本古典三大随筆が、一つの巻に揃って、尚且つ面白い憑依が見られるなんて、お買い得すぎます。
青色大好き清少納言は、自分の自慢話を隠しきれない女性と評されているけれど、そうかなぁ。
この時代において日記ではなく、これほど詳細に身の回りを描き、またその感情を温めていた女性を愛おしく思う。
内田樹の『徒然草』は、テンポが良い。
それが兼好法師のシンプルさにつきづきしい読み心地に仕上げてくれている。
人から離れきれなかった兼好法師の愛着を見る人もいるが、それでも平安期の男女の想いとはまた違った、つれなさ?をこの文章からは感じる。
高橋源一郎の『方丈記』は、どう読まれるか。
一口では異色。だけど、鴨長明の偏屈さがそこにあるような気がして、楽しい。
一体、どれほどの人が方丈の庵を作っていたのか。
この人だけのことだったのか。
けれど、心身共にストイックな生活において、鴨長明が思い及ぶ世界は広大無辺である。
古典に学ぶ思いは必要である。
けれど、古典を楽しむことが出来ると尚素敵だ。
この時に、こんな人がいたんだな、と身近に感じさせる憑依の達人たちの一冊。
面白かった。 -
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高校生が文章を読むに当たり、基本的な考え方をあたえてくれる、良本。
平川克美「人口減少社会について根源的に考えてみる」ではグラフの見方とともに、当たり前のようにように言われている言説について批判的な見方を示唆する。
仲野徹「科学者の考え方-生命科学からの私見」ではパラダイムシフト、疑う、シンプルに考えるなど科学を発展させている考えが書かれている。
白井聡「消費社会とは何か-『お買い物』の論理を超えて」ではボードリヤールの考えを援用し、いわゆる「消費」的な感覚が政治や教育にも適用させようとする現在の社会のゆがみと弊害を述べる。
山崎雅弘「『国を愛する』ってなんだろう」では、政治的無関心が生む危険と愛国の意味の多義性について分かりやすく述べている。 -
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知人のおすすめ。
冲方丁の「はなとゆめ」を読んだら、枕草子が読みたくなった。
酒井順子ぴったりだなぁ。違和感なく読める。
なんだか、ブログみたいですね。長さも内容もまちまちで。面白い。
わかる!とか、言うねぇ、とか、にやにやしてしまう。
教養。
方丈記は、あとがきにもあったように自分たちの時代の言葉になっているのですごくわかりやすいし、それによって書かれた時代に読んだ人たちと同じような体験ができているのかなと思った。
当時こういう発想や行動は、センセーショナルで、変人扱いされたんじゃなかろうか。
横文字が出てくるような、一見ぶっとんだ訳が面白い。
それにしても鴨長明さん、苦労人だったのですね…だからこそのこの文章なのだなぁ。
徒然草は、渋いな〜という印象。
あと、枕草子ぽい、と思ったら解説でも直系の子孫と書かれていてですよねってなるなど。こうやって3作続けて読めたのがよかった。
作品の個性を感じられるのは現代語訳してくれたからこそだよなぁ。
物に触れると心が発動するとか、世の中を変えないと盗人はなくならないとか、現代にも通じるところあり、おじいちゃんの説教みたいな感じで反発したくなるところありで、面白く読みました。 -
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【読書メモ】
p185
・何のために勉強するのですか?
自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです。山本義隆
p190
・同じことを、違った側面から考える視点を与えてもらうためにディスカッションをするのです。当たり前のことですが、自分は自分の考えに染まりきっています。そこへ、違う刺激を与えてもらって、自分の考えを方向転換させたり、バージョンアップさせたりすることが重要なのです。
p103
・科学がグローバルである最大の理由は、真実をあつかうからということです。
…科学的な視点は予測できない社会を生きるうえでの全員にとってマストなものの見方なのかもしれない。情緒的に考えたとしても、それを相手に理解できる自分の言葉で伝えて、ブラッシュアップしていかなきゃいけない。誰かが先に答えを用意してくれている時代でないのであれば、自分の考え、意思を言語化して、まず自分を納得させることができなければ、何も頼りにするものがなくなってしまうから。自分を納得させるために、何故自分がそう考え、思ったのか、その前に何が頭に浮かんだのかを自分自身に伝えなければならない。
科学的なものの見方とは、パラダイムが人間の思考をいかに制限・固定・維持しているかを理解したうえで①まず疑う、②データに基づいて具体的に説明する③合理的に考える④いっしょに考えてグロ−バルに展開してくという流れ。
・消費社会について
…資本主義がすすみ、消費社会が到来した。最初は「必要だから」何かを求めていたものが、今では「これを持っていると周りから羨望の眼差しを向けられるから」といった“意味”に価値が置かれている。だって、物が溢れる時代に、物をほしがり続けてもらわないと資本主義は回らないのだから。
しかし、そうした消費社会の高度化が人間精神の在り方に異常を来していると筆者は述べる。「お買い物」の論理を、その論理が当てはまらないもにまで当てはめようとしているからだ。
選挙の投票や教育はその良い例。
投票は、投票したい候補者がいないし行っても無駄、という合理的な考えで処理されることがあるが、その危険性はでかい。あなたがほしがるものをお膳立てしてくれるわけではない。あなたが何もしなかった行為そのものが、結局はあなたとあなた以外の人にふりかかることになる。だから、「もっともマシ」だと思う人に投票することが求められる。
また、教育はお金を払えばすぐに分かりやすい商品価値が返されるものではない。つまり、商品として捉えるならば出来損ない。さらに教育が商品とみなされたが、教育は不可能になる。学ぶ主体が「消費者である」と自己認識している限り、最低限の支出で最大限の有用性を得ようとしている限り、教育は死ぬ。お客様→学ぶ主体
・「愛国心」について
…そもそも「国」をどう捉えるかは3種類ある
①外国的に「独立国」として承認されている国家の領土
②その領土内に住む国民を特定の政府が統治する国家体制
③政府に統治される側の、一人一人の国民の命と生活環境
時代的背景によって、上記の優先順位は前後する。
第二次世界大戦で、ドイツ軍に攻め入れられたフランスは、わずか6週間で降伏を宣言した。③市民の命を最優先にし、①領土の半分を失い、③ドイツ寄りの中立の立場をとることになった。
一方、太平洋戦争中の日本は、軍人や市民の命が犠牲になったとして、早く負けを認めて戦争をお渡せようという空気は起きなかった。なぜなら②天皇とその天皇が統治する国家体制が何よりの崇高なものであったわけで、③はそれを支えるために存在していると解釈されていたから。
日本で「愛国心」というと、この戦時中のイメージが先行されてしまうきらいがある。なぜなら、平和な時代の③を優先する愛国心(いわゆる新バージョンの愛国心)の概念ができあがっていないから。
反戦運動をする人に対して「裏切り者」や「売国奴」などど軽々しく言うひとにとっての愛国心は、②と③を最優先にさせたもので、指導者が決めた物事について疑いをかけずに従順に突き進んでくれる都合の良い存在。いわゆる「馬鹿」なのだけれど、そんな存在を刺激するには近隣諸国に敵をつくって、危機を煽れば良い。そういったかれらにとっての愛国心は、本当は国を破滅に導くとも知らずに、彼らはついてくるから。
「もしかしたら、自分の国の指導者は間違った判断をするかもしれない」と考える市民、そして命を最優先に考える市民にとっての「愛国心」は上の人たちとは違うことを理解しておく必要がある。
自国の黒歴史、つまり、戦争のために命を落とした人たちの死が無駄であったか、そうでなかったかは軽々しく結論付けられないが、それを決めるのは現在と将来の私達の行動にかかっている。
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ブレーズ・パスカル「われわれは絶望が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶望のほうへ走っている」(パンセ)