大澤真幸のレビュー一覧
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東日本大震災と原発事故が問いかけている倫理的な問題について、さまざまな思想的資源を活用しながら、考察をおこなっている本です。
著者は本書の冒頭で、脱原発という方針を「いきなり結論」として提出します。しかし問題は、これまでもこれからも、原発をめぐる議論がロールズの想定するような民主主義的な議論の枠組みによって正解に到達することができないという点にあります。著者は、バーナード・ウィリアムズの提起した「道徳的運」の概念を用いて、行為の倫理的な価値が偶発的な結果によって遡及的に決定されてしまうという問題や、ロールズの「無知のヴェール」という装置では未来世代との連帯を基礎づけることができないといった問題をあげて、このことを明らかにします。
そのうえで著者は、ユダヤ・キリスト教における神義論や、マルクスによるプロレタリアートをめぐる議論、さらには江夏の二十一球のエピソードなどを紹介しながら、問題を掘り下げていきます。著者は、この否定的な現実が神の国であるという逆説をバネとすることで、新しい倫理を立ちあげることができるという見通しを語り、さらに真理を知らない社会運動の指導者が、いまだわれわれによっては到達しえないでいる未来の他者との連帯の道筋を切り開くことの可能性が論じられています。
本書では、原発をめぐる問題が、倫理というフィールドにどのような問題を投影しているのかということについて議論が展開されていますが、中心的な問題はむしろ、ロールズの想定する民主主義によっては連帯することが不可能な他者との連帯の可能性を示すことにあると理解することができます。ただその結論については、アポリアをすべてパフォーマティヴな次元に投げ込んでしまっているだけではないかという疑問も感じます。 -
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現代の日本が直面しているいくつかの問題をとりあげ、民主主義そのものについての思想的に掘り下げて、大胆な提言をおこなっている本です。
著者は、本書の提言が非現実的なものではないということをたびたび述べていますが、これを常識的な意味で実現可能性のある提言として受けとるべきではないのでしょう。それは、本書の提言が非現実的な理想主義であるということではなく、それを実現するにあたって必要となる技術的な細部を欠いているからです。本書の冒頭で著者は、現代の政治哲学におけるハーバーマスとデリダの相互批判がもっとも中核的な問題であると主張していることからも、著者は理論と実践を切り分けることがむしろ不適切であると考えており、現実への提言というパフォーマティヴな振る舞いを通じて民主主義をめぐる思想的な掘り下げをおこなうことをめざしていたと理解することができるように思います。
そのように理解してよいとするならば、本書の議論において注目するべきなのは、その提言の具体性ではなく、その提言を通じて上述のハーバーマス・デリダ論争の問題がどのようにあつかわれ、その相克から抜け出す道筋が示されているのかということであるということができるでしょう。著者は、ハーバーマスとデリダの相互批判が構成する問題は、「他者の尊重」という倫理が空疎なものになってしまうということだとまとめています。そのうえで、現代の民主主義が「われわれ」と「絶対的な他者」との対立という構造を抱え込んでいることを指摘し、見田宗介の図式を改変して「交響圏」と「公共圏」がクロス・オーバーするような逆説的な民主主義の可能性をえがこうとする試みがなされています。
思想的な冒険を積極的に推し進めていくことで、従来の思考の枠組みを打ち破ろうとするのが著者の意図なのだとすれば、本書の試みは一定の成功を収めていると評価できるのではないかと思います。 -
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2020年夏に刊行された本。コロナ後の社会の変化について。 人間、生命、歴史、国家、くらしと文化をテーマに21人の知性が語る。
インタビューと寄稿された文で構成されている。コロナが蔓延し拡大していた頃の見解なので、現在の視点で読むとやや違和感がある意見もあるけれど、総じてコロナをきっかけに、今後社会が大きく変化すること、先が見通せない不安がつきまとうことで一致している。コロナ発生から1年が経って、ワクチン接種が進んでいるが、なかなか終息しないのが心配。 経済活動は悪化しているが、でもマクロレベルでの指標と実態の乖離は、それほど危機的ではないように思う。 影響が出てくるとすれば社会構造の変化、人間の付き合い方の問題だろう。 この本は、賞味期限が短いと思うので、読むなら早めがよい。 5年から10年経って、彼らの予想がどうだったのか検証には使えるかもしれない。 -
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大澤真幸(1958年~)氏は、東大文学部卒、東大大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学、千葉大学文学部助教授、京大大学院人間・環境学研究科助教授、教授等の経歴を持つ社会学者。橋爪大三郎との共著で新書大賞(2011年)を受賞した『ふしぎなキリスト教』等、一般向け著書多数。
本書は、2020年8月~11月に、NHK出版のウェブマガジン「本がひらく」で6回にわたって連載した「真に新しい<始まり>のために」を再編・加筆修正し、書下ろしの最終章(第5章)を加えたものである。
著者は、本書で「新型コロナウイルスを超えて・・・どのような社会を構想すべきか、そのような社会の実現のために何を克服しなくてはならないのか」についての考えを論じていると述べているが、目指すべき社会が「(脱成長)コミュニズム」であるという結論は、斎藤幸平氏のベストセラー『人新世の「資本論」』と同様である。ただ、『人新世~』の出版は2020年9月17日なので、著者は、ウェブマガジン連載当初は独自でイメージを有しつつ、途中で『人新世~』を読んで、それを取り込み、最終的に本書のような内容・構成に仕上げたと思われる。どちらか1冊を読むなら、迷わず『人新世~』を取るが、本書には、より幅広い古今の宗教・思想を引用し、かつ、(限定的ではあるが)コミュニズムを実現するための具体的な理論・手法を紹介しているという特徴がある。
内容的にも必ずしも読み易いとは言えず、私自身消化不良の部分があるが、私なりの理解を大まかにまとめると以下である。
第1章:コロナ禍は、地球レベルのトータルな破局の予兆と解するべき現象である。我々は、その「破局」に際して、キューブラー=ロスが明らかにした、個人が「死」に際して経る5段階の精神ステージの第5段階と同様に、破局を直視しつつ、かつ前向きにこれに対抗する必要がある。
第2章:我々は、コロナ禍に対処するために、地球レベルでの普遍的連帯が必要であることを自覚しているが、実際に起こっていることは、正反対の、それぞれの国民国家が利己的に行動することによる地球規模での格差の拡大である。資本主義とは、「将来の利潤」のために「現在の犠牲」を受け入れることによって成り立つシステムであるが、今の我々がコロナ禍に対処するための普遍的連帯ができないのは、「将来の利潤」の保証されない「現在の犠牲」を受容できない、すなわち、資本主義を手放せないからである。
第3章:コロナ禍で我々が最も苦しんでいるのは、感染症対策と経済活動のトレードオフの関係である。しかし、主要ないくつかの財をコモンズにすることができれば、感染症対策をしながら、貧困化を回避することができる。即ち、上記の困難を克服するためには、資本主義からの脱出、即ち、(斎藤の唱える)「脱成長コミュニズム」の実現が必要である。
第4章:資本主義を「内から」脱出するためには、資本主義を他のどのようなシステムよりも魅力的に見せている「自由」を、<未来の他者>(やがて確実に到来する破局に苦しむ他者)のために制限されることを受け入れる必要がある。ヘーゲルの論じた「絶対知」とは、完全に閉じているという意味で、死や破局が必然であるということを見ているのと同じであると同時に、終末の後に新しいものの始まりの可能性を直観している。
第5章:我々が目指すべきコミュニズムとは、「全ての人がその能力に応じて貢献し、必要に応じて取る」という趣旨の平等性と自由が実現している世界であり、そこにおいて(最低限)コモンズとされるべき領域は、自然環境、ヒトゲノム、知的所有権によって守られているような文化、の3つである。しかし、コミュニズムへの移行は容易には実現できず、今回のコロナ禍のような破局的危機が繰り返し起こり、その反復を通じて、少しずつ近づいていくことになるのだろう。
『人新世の「資本論」』、及びそのコンセプトである「脱成長コミュニズム」について、多角的なアングルから考えてみたいという向きには参考になる一冊といえるだろう。
(2021年8月了) -
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ラジオ「荻上チキセッション」が夕方に移ってから聞くようになり、荻上チキさんとはどういう人かと探していて行きあたった本。読みたいと思った人の章のみ読みました。
養老孟司:「不要不急とは」という、今回もまた若干ずれた感のある内容なのだが、この用語への同氏の違和感は、医者でありながら現場ではなく解剖をやっている自分、また現在の老人で公職にもない自分の存在は不要不急なのではという根本から生まれている。そこからさらに、人間自体不要不急なのではという話。この辺りは、前回読んだ氏のインタビューで、老人はコロナ禍を乗り切ったところで生き甲斐はあるのかという疑問と相反するようで通じるところがあり、面白いなあと思った。それにしても毎回若干ずれてるのに毎回養老先生が出てくるのは、よっぽど好かれているということなんだろうなあ。
五味太郎:絵本作家だからなのか子供にあたたかい視点。そもそもの教育が、子供の権利のはずなのに子供に失礼だというところから発し、不安だったのはコロナ禍のせいなのか、収束して非日常から戻った際の「日常」は(特に子供にとって)そもそもよかったのかという議論。学校はありがたいけれど、現行の教育に対する疑問や批判が帳消しにされるべきではないということなのだろう。これまたコロナ云々を超えた根本的議論。
荻上チキ:検察庁法改正(定年延長)が見送られたことに見る世論の動きの分析。良くも悪くも議論が単純化されることで世論が盛り上がるというところに、なるほどなと思った。
ブレイディみかこ:息子が受けた、コロナ禍でのアジア人蔑視発言から、各人が自分のなかにある偏見に気づくきっかけになったという話。分析する息子さんも、その発言を注意した級友も、なんとも冷静ですごいなあと思う。またキーワーカーへの拍手の要不要論も、それが次世代に残すであろう影響から反対はできないというブレイディさん、現在がそうこうで終わらせずコロナ後に続いていく、次世代を育てていくという先を見据えた視点にハッとした。
(お名前を失念):会うことが暴力という言葉になるほどなあと思った。だから「あつ森」のように会わなくて良い平和なゲームが人気になると。裏を返せば、会うことの暴力に対峙できない人の中に、その分の暴力をネット上で振るう人がいるのではないかと思わないでもなかったが、生身とバーチャルの違い=暴力・重力という視点が面白いと思った。 -
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著者が、みずからの見解を織り込みつつ、社会学の歴史をいろどる主要な社会学者たちの業績を解説している本です。
600ページ頁を超える分量で、新書としてはかなりヴォリュームのある本ですが、語り下ろしということもあって、比較的やさしい語り口で説明がなされています。日本の社会学者による社会学史の著作としては、富永健一の大著『思想としての社会学―産業主義から社会システム理論まで』(2008年、新曜社)がひとつの到達点を示していると思いますが、富永が実証性を重視する立場をとっているのに対して、著者は社会学を「近代社会の自己意識の一つの表現」とみなす立場から、それぞれの社会学者たちの仕事の意味を解説しており、著者のオリジナリティが発揮された内容になっています。
ホッブズ、ロック、ルソーの社会契約説の解説では、ゲーム理論の発想を借りながら、「社会秩序はいかにして可能か」という問いがどのようなしかたで彼らの理論のうちに見られるのかということを解き明かす試みがなされています。また、フロイトやマルクスを社会学史上の重要な人物としてとりあげているのも、本書の特色をなしています。
20世紀の社会学についての解説では、パーソンズと、現象学的社会学やエスノメソドロジー、ラベリング理論などが、「機能」と「意味」というキーワードのもとで対照的にとりあげられるとともに、「第三の審級」論などの著者自身の理論にもとづくと思われる考えかたにもとづいて、両者の統一的に理解する可能性を切り開こうとしています。
さらに著者は、ブルデュー、ルーマン、フーコーなどの議論に説きおよんで、現代の社会学が取り組むべき課題を見定めようとしています。 -
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序盤は中国社会、中盤は日本との関係、終盤は将来についてが書かれている。
序盤では、宗教観についてが印象に残った。
儒教が伝統的に強いというのは知っていたが、それが権力者が統治するのに都合が良く、科挙を突破できるようなエリート向けなのに対して、イマイチどういったものか掴めなかった道教が、科挙を突破できなかったような敗者を救うもので、「裏儒教」といっていたのは今後、道教を理解するきっかけになるものと感じた。
中盤の日本との関係では、第二次世界大戦付近の話が中心だった。
例え話も含めて分かりやすかったが、耳が痛い話が多かったので、読むのが辛かった。
納得する話ではあった。 -
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社会学者の大澤真幸が、日本の戦後~現代を代表する社会思想家として柄谷行人と見田宗助の両名を選び、対談及び自身の解説文によって両名の思想を描き出す一冊。
両名の著作にあまり触れたことがない人でも理解できるように書かれた解説文や、大澤真幸自身の優れたインタビュアーとしての論点設定により、両名の思想の入門書として確かに良い一冊になっている。
柄谷行人については、2010年に発表された『世界史の構造』以降のテーマである交換様式論が主に解説の対象とされ、かつ自身の恩師である見田宗介の思想との接続を図る最後のパートが非常に面白い。
少なくとも研究室のメンバーで柄谷行人を読んでいなかった人は相当少ないように記憶しており、彼らほどではないにせよ、『日本近代文学の起源』や『探求Ⅱ』を読み、社会思想の学問としての面白さを知った自身としては、対談で語られる著作誕生のバックグラウンドなども含めて読み応えがある。 -
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いわゆる「知的生産」や発想法について、著者自身のこれまでの仕事を振り返りながら具体的な方法が語られている本だと思って手にとったのですが、中心となっているのは社会科学、文学、自然科学のそれぞれの分野からいくつかの本を導きの糸として、大澤社会学の比較的新しい展開を語ったものになっています。
社会科学篇では、真木悠介の『時間の比較社会学』を導きの糸として、時間についての理論社会学的な考察が展開されています。時間意識のありかたが社会によって異なることを論じつつ、西洋近代における時間意識の背後に、予定説によって想定された神の位置から自己を規定するとともに、そうした自己の視点から逆に神を規定するような見方が可能だと述べられ、そうした見方にもとづいて未来の他者への倫理の展望が示されることになります。
文学篇では、夏目漱石の『こころ』、赤坂真理『東京プリズン』、イアン・マキューアン『贖罪』などの作品の解釈がおこなわれています。社会科学篇で提示された倫理とも共振するような思索をそれぞれのテクストのうちに読み込むとともに、「罪」というテーマをめぐる魅力的な考察がなされています。
自然科学篇は、耳目を引くような科学上のいくつかの事実を紹介しつつ、「存在」についての考察がおこなわれています。
期待していた内容とはちがいましたが、興味深く読むことができました。