大澤真幸のレビュー一覧
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タイトルからは予想できませんが、これは日本史に関する対談本です。
一般に知られている歴史的事実をテーマにとりあげ、なぜそうなったのか?を語り合うのだけど、著者ふたりが詳しすぎて、「一般的にはこうだけど」の部分が既に初耳ということも少なくない。
詳しい人が読んだらもっと楽しめたと思う。
たとえば、
・日本の親族構造は父系とも母系ともみなしがたい、太平洋諸島と共通するもの。
・縄文文化もシベリア方面から来たと思われるが、南方の要素もある。
・日本語も、文法は北方系だけど、母音は南方系。
・これらを見ると、誰かがまとまってやって来てほかの連中を追っ払った、ではなく、いろんな人々がやってきて時間をか -
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『(前略) その大澤さんが、やっぱりキリスト教だよ、と言う。キリスト教を踏まえないと、ヨーロッパ近現代思想の本当のところはわからない。現代社会もわからない。日本人が、まず勉強すべきなのは、キリスト教ではないだろうか。
まったくその通り!と私も思った。
「キリスト教入門」みたいな本なら、山ほど出ている。でもあんまり役に立たない。
「信仰の立場」を後ろに隠して、どこか押しつけがましく、でもにこにこ語りかける。さもなければ、聖書学あたりの知識を、これならわかるかねと上から目線で教えをたれる。
人びとが知りたい、いちばん肝腎なところが書かれていない。根本的な疑問ほど、するりと避けられてしまっている。
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哲学的歴史を相剋したものとみなすとき、それが因果的な過去や史実に限らず、「昨日何をしたか」という個人の記憶や道徳的履歴まで含めて考えるべきだと感じた。その上で、結局、一人の人生は生まれながらの初期設定も含めて〝因果“あるいは〝予定説、運命論“で描き出せるものであり、ニーチェの超人という思想は、その関係性からの思考的離脱にあるのではなかろうか。
ルターやカルヴァンの予定説は、「人間は生まれる前から救われるか否かが決まっている」という救済の選別を前提とする。が、ニーチェは人間が自己を創造しうる「自己超克」を重視。つまり、予定説が押し付ける「すでに決まった運命」や因果論には反旗を翻し、自らの運命へ -
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まず社会学とは何??って知識レベルから読み始めたので、社会学がどういう学問か知れただけでも収穫アリ。
実はSNS上で見る社会学者さんたちの発言に首を傾げることが多くて、じゃあ彼らの研究している分野ってどういう学問なの?という疑問がすごく強くあったので。
宗教や王の立場が強かった時代が終わってから社会学という概念が生まれた、というのはなるほどなーという気づきでした。
確かに言われてみれば、自由意志のある個体が強い支配を受けてるわけでもないのに勝手気ままやりすぎずちゃんと「社会」をやってるのは不思議なことだし、どうしてそれが成り立ってるのかは研究の余地があるんだなぁ。 -
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ハイデガーの思想に関しては先に読んだ飲茶の『あした死ぬ回復の王子』が物凄く分かりやすかったので、もう少し違う視点、更に原典に近い内容を読みたくて手に取った。それと、何より著者の高井ゆと里に興味があった。ノンバイナリーの哲学者である。
ハイデガーの哲学そのものは、やはり原典をきちんと読もうという結論に達した。私は物臭なので、原典の今の感性から少しズレた語感を今の感性に直して、その上で自分自身の思考に当てはめる所作を好まない。噛み砕いて解説する本があるならそれで良くて、原典を経験したマウントは、本質的にそこまで重要視しない。
ただ、本書は、高井ゆと里氏独特の感性というか、言葉遣いがあったと思う -
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まず、まえがきにやられる。
1ページ目から、なんとも刺激的な問いかけである。
「日本社会には、革命と見なしうる社会変動がなかった。革命の不在は、日本の歴史の特徴である。/・・・いや、実はそうではない。よく目を凝らして見るならば、一度だけ成功した革命があったことがわかる。一人だけ、成功した革命家がいたのだ。」
日本の歴史上、革命家という言葉のイメージに最もよく重なるのは、織田信長だろう。しかし、彼の革命は、道半ばで途絶えた。
では、明治維新や大化の改新はどうか。これらは確かに、革命的な政変ではあったが、どちらも大きな外圧に対して起きたのであって、ここで扱うのは国民の内発的なきっかけで起きた革命 -
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高校生の娘が、ある日「模試の国語の問題文が面白かった」と言って見せてくれたのが、大澤真幸の文章だった。人が未来のために、あるいは他人のために努力するのはなぜか、というテーマの文章だった。それではと、大澤真幸の本を買ってみたのであった。
しかし、読んでみて気付いたのだが、僕は経済にとんと興味がなく、内容にはなかなか夢中になれなかった(買う前に気付け)。
それでも、グッとくる部分はあった。
あるパラグラフのタイトルが、「桐島なき世界をいかに生きるか」だったのだ。
もちろん、桐島とは、映画「桐島、部活やめるってよ」の、桐島である。
運動神経抜群で、勝ち組の代表だった桐島が、突如僕たちの世界から -
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コロナ後の世界というのはわたし自身にとっても明確にいろいろな意味でそれまでと変わりました。
わたし自身は50代半ばですがワクチン接種は拒否しています。
コロナウイルス自体に関しましては、日本人にとってはもともと大騒ぎをするほど大して問題ではなかったのですが、健康な人達までもがコロナワクチン注射を受けてしまうことによって、ワクチン注射を打った人たちの体内で悪いウイルス・菌が増殖をしてしまい、その悪いウイルス・菌を周り・周囲や日本中にばらまいてしまうことになるという説を信じています。
そしてコロナ以前にはわたし自身では、「何とかコツコツと学び続けてさえいけば、生きていく道はあるのではないのかな」 -
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AIとは、人間には不可能な全知に近い領域から、その対象にとって最も合理的な最適解を導く事の出来るツールと言える。桁数の多い暗算は人間には難しいが、計算機は即答だ。同様に、数字による規則性ではなく、言語による記号接地、つまり現物と言葉を対にして紐付け、概念にも言葉を当てはめ、自然言語をマスターした上で、それらの動きや関係性を考慮できるなら、圧倒的に人間を凌駕する。大企業の社長が企業全体のリソースや活用策を把握する事は難しいが、AIは可能だ。
「押すなよ、絶対に押すなよ」
この文脈は最後までAIには分からないが、分かる必要はない。ここが人間とAIの境目であり、皮肉や嫌味、ギャグや曖昧な表現は、不 -
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社会学者の大澤真幸さんによる三島由紀夫論。
ふたつのなぞは、1970年11月25日の割腹自殺と同日に書かれた「豊穣の海」の最後のシーンのこと。
あれほど頭の良い人がどうしてあんな愚かな死に方をしたのだろう?そもそもどうして天皇陛下万歳になってしまったのだろうというのはわたしにとっても大きな謎なので、読んでみた。
大澤さんは、割腹自殺の愚かさという視点から三島作品を読むのではなく、高いレベルの三島作品の内在的な論理から割腹自殺を説明しようとする。
構造主義、記号論的な概念を使いながら、多くの三島作品を丁寧に読み解いていくことを通じて、三島がなぜボディビルディングをして体を鍛え始めて、天皇 -
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「おどろきの中国」が面白かったので、こちらも読んでいた。
タイトルと内容は、ちょっと違う感じで、内容はウクライナ戦争を真ん中にはさみつつ、中国、ロシア、そしてそれに対する西側の対立の話しかな?
いろいろな話しがあって、もちろんウクライナの話もあるわけだけど、それはほとんどロシアとの関係ででてくるもの。ウクライナ戦争もそれ自体というより、ポスト・ウクライナ戦争について考えるための前提くらいな感じが出てくるところかな。
西側的な資本主義と中国的な資本主義の対立というところに話は進んでいく。それを中立的に、あるいは相対主義的にどっちもどっちとするのではなく、価値判断をしつつ、はっきりと西側?に