大澤真幸のレビュー一覧
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元気と言えば、「元気ですか~」のあの赤いマフラーをした萌える闘魂が浮かんでくる。とはいっても本書にあの人は登場しない。日本人のルーツと価値観や行動様式はどうなのかと言ったことを探っていくことで「二十一世紀を生きる日本人、元気の源」を見ていこうという趣旨で書いたそうだ。
読んでいくと不思議に思っていたことが次々と出ている。日本の土器は、世界で一番古いのか、大きな古墳が造られたのか、貴族なるものが存在するのか、など。
新書の割には分厚いが、読み進むのに苦労はしない。『歴史上の出来事を、社会学の方法で、日本のいまと関連させるsディかtが出掘り下げた」とあるので、カビの生えた歴史にはならない。 -
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『ふしぎなキリスト教』でおなじみの橋爪氏・大澤氏の対談。古代から幕末に至る日本史の特色を語りつくす。
興味深い内容が多いが、僕が特に印象に残った点をいくつか列挙したい。
1、武士とは馬を飼い、操る技術に習熟した人々であったという事。そのような人々が荷役や商人の護衛をしつつ実力をつけていった、という説。「馬」という動物を中心にす据えて武士を論じるというのは新しい視点だと感じた。
2、藤原薬子の乱は貴族が武器を取って戦った最後の戦いであること。承久の乱は天皇と武士が真っ向からぶつかった初めての戦いで、武士が勝利したという意味で画期的だった・・・等々。歴史に関する知識を増やすことができた。
3、信長のこと。安土城のデザインから、信長は天皇を安土に招くことを構想していたらしい。「招く」というのは目上のものが自分より下の者に対して行う事。つまり信長は天皇を下に見ていた、という事。信長の天皇観は大いに議論されているが、この考えは面白い。
4、秀吉については、「いつ信長が死んでもいいように準備していた。だからあんなに早く動けた」と書いている。常にあらゆる場面を想定していた、ということは信孝や柴田勝家は秀吉の中では常に「敵」だったのか。そう考えると秀吉は恐ろしい男だ。
5、江戸時代は流動性のある社会だった?武士から商人、、商人から武士という階級を超えた移行はできなかっただ、同じ階級内の流動性はあったという。大抵の農民が一生に一度は江戸に行ったことがある、というのも驚きの説。
『ふしぎなキリスト教』もそうだが、この二人の対談は非常にわかりやすい。読みかけて挫折した『おどろきの中国』にももう一度挑戦しようかと検討している。 -
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【あくまで論として、自由対談として読まれるのがベターです】
「ふしぎなキリスト教」がベストセラーとなった社会学者の橋爪大三郎氏と大澤真幸氏のタッグが、今回は日本の歴史をテーマに対談形式で論じ合った本です。橋爪氏と大澤氏が、日本の歴史にまつわる18の疑問トピックについて、互いの領域の知識・アイデアを総動員して解剖していきます。話題は縄文・弥生時代から平安・戦国、そして江戸・明治時代までと、広くカバーされています。なぜ大きな古墳が作られたのか?なぜ日本には幕府が存在したか?なぜ信長は安土城を立てたか?など、選ばれているトピックもシンプル明快で、全編通して知的好奇心をくすぐるやりとりが進んでいきます。
対談形式の読みものとしては、終わりまでとても面白く読み通せました。特に、日本の歴史に対する視点の置き方、光の当て方が独特です。歴史を学ぶ時には正面から「何があったのか、そしてどうなったのか」を覚えたり理解するに留まることが多いですが、この対談のアプローチは「なぜそうなったのか、どういう位置づけと意味を持つのか」をヨコからナナメから切り崩していく印象で、新鮮に感じました。また、対談者お二人の知識や発想も型にはまらず、様々な一見関係のない考えや出来事を糸でつないでいく作業も非常に面白いです。
ただ、読まれる際には次の点を留意されると良いかと思います。
・タイトルが「日本論」となっているように、話される内容すべての根拠やデータが明確・正確なわけではなく、むしろ内容の大半が対談者の知識に基づく推察や仮説、アイデアによるものです。仮説の上に仮説を乗せるような空中戦のような展開もありますので、正しい正確な歴史を本書に求めてしまうと、真偽の?の連続で、なかなか前に進めなくなるかもしれません。へー、そんなこともあるのか、ぐらいに力を抜いて読むのがベターです。(論、としたのは「ふしぎな〜」で一部誤りが多いと批判を受けたため?というのは邪推かもしれませんが)
・同じく、内容はとても面白いですが、読後、得たものが何かの役に立たつかといわれると少し微妙ではあります。トピックも本当に絞られていますので、当たり前ですが各時代を網羅したものではありません。また、「げんきな」とのタイトルですが、読み終わって、日本の価値観を知って活力を得る、というような感じはありませんでした。ハイコンテキストな葛藤の多い歴史を良くぞ紡いでつないで来たな、というしみじみとした思いは湧きましたが。
・論調は基本言い切り型なので、わかりやすい反面、多少引っかかるところもありました。
例えば、冒頭まえがきで「歴史教員や歴史学者が歴史を理解していない」とバッサリ断言されていましたが、少なくとも私が中学から大学まで歴史を教わった方々は、大半がダイナミックで面白い時代や人々の数々を情熱を込めて教えてくれましたし、そこで興味関心が大きく膨らみました。確かに社会学のアプローチは新鮮ですが、敢えて歴史学者をことさら否定する必要はないのでは、、?と少し疑問でした。
以上、細かい点は色々あるものの、全体通して面白く読み進むことのできる一冊です。 -
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社会学者大澤真幸さんと憲法学者木村草太さんの対談で、新書ということもあり、ライトな語り口、難解なところなど全く無く、余り本を読まない人でもすんなりと一気に読めるだろう。
大澤さんのいつもの心理学的な視点や独特のキーワードも冴えており、本書では特に中核となる「法の支配/人の支配」という二項対立を提起し、一貫して言及される。
日本人にはいまだに「法の支配」という近代社会の原則がなじめない。「法」を外部からの介入としてしか感じ取れないのだ。その上、戦争の責任者を結局うやむやにして過ごしてしまった点、ドイツとは真逆である。日本人は自らが引き起こした戦争を、あたかも天災か何かのように、まるで自分たちが被害者であるかのようにイメージして、そのままの心情を保持してきた。
戦後はアメリカにひたすら思いを寄せ、中国が経済的に台頭してくると、アメリカからの「愛」を取られまいと、ますます必死に媚を売る。すでに沖縄等の米軍基地や「思いやり予算」などという法外なもので徹底的に服従してきたのに。
最近無理矢理成立された安保法制は、木村草太氏が断言するように、間違いなく「違憲」であり、しかも安倍晋三やその一派が繰り返してきた妙な「例示」や説明がいかに馬鹿馬鹿しくデタラメであるか、本書では明確に語られている。
ここで指摘されているように、「集団的自衛権」はその本質が理解されることも無く(もしかしたら安倍自身も全然理解していない)、「日本を守るため」という不可解な名目で自公政権が打ち出してきた。勘違いやデタラメばかりの彼らの説明を、真に受けて信じてしまった国民がいるというのが情けない。
他にもヘイトスピーチやネトウヨについての分析が面白かった。彼らは「国に愛されていない」と感じ、「国に愛してもらいたい」と必死なのである。つまり彼らの場合愛国者といっても「国に愛されたい者」の意味なのだ。
学術的な論述を好む私としては、この小冊子ではちょっと物足りない部分もあるものの、万人向けのわかりやすい本として、本書はおすすめできそうだ。
ただし、「国家的な緊急事態への対処を決めておくべき」という議論の部分は、いま安倍自民党が目指している改憲=緊急事態法案の中身とはどうやら異質なもののようだが、そのへんは本書では詳細に突っ込まれていない。それもそのはず、これは昨年(2015年)1月に刊行された本なのである。 -
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3人の社会学者が、中国とは何か、近代中国と毛沢東、日中歴史問題、中国と日本のこれからの4テーマを語り合う。興味深い切り口をテーマとしているので、中国の入門書としてよい。
古代に鉄が登場すると、農業の生産力が向上し、農民が武装して対抗できるようになったため、貴族が没落して春秋戦国時代になった(マクニール「戦争の世界史」)。春秋戦国時代には、諸子百家が生まれて様々な政策的選択肢を提供した。秦は法家を採って儒家を退けたが短命で終わった。漢は儒家を採って法家を隠し味にした。唐は儒教を相対化するために仏教と道教も採り入れた。宋は儒教に純化した。法家には、税金を払わなければ罰するという論理しかない。儒家は、税金を払うことが道徳的で人間らしいことだという哲学や道徳を備えている。儒家は、ローカルな血縁集団から政府の官僚機構によじ登るパイプを用意しており、能力のある者は政府に加わることができる。儒教のテキストである四書五経(十三経)は、昔の政治家である聖人の記録。中国には統治権を授与する天があるだけで、過去の正統な政権に類似していることを示す必要があるため、過去志向になる。
イスラムにはコーラン、インドにはヴェーダ聖典、中国には経典(四書五経)があり、思想や行動規範が書かれているため、近代化に時間がかかる。日本にはそのようなテキストがないため、西欧の制度を受け入れるのに抵抗が少なかった。
満州事変の際、アメリカの中国に対する政策は門戸開放だった。満州の鉄道事業を共同で行おうという鉄道王ハリマンの提案を、日本の陸軍が反対したことが門戸開放政策に対する拒否回答と受け取られ、日米戦争の遠因になった。日華事変は偶発的に起こったものだったが、日本政府は中国からの満州国への抗日分子の侵入を防ぐための華北分離工作として位置づけた。その直前の国共合作によって構築されていた抗日戦線は、上海に駐屯する日本海軍を攻撃したため、日本は大軍を送って上海を占領した。日本軍は、敗走する中国軍を追って首都南京をはじめとした各都市を制圧し、侵攻は中国全土に及んだため、内外への申し開きのために近衛内閣が持ち出したのが「東亜新秩序の建設」だった。 -
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大澤真幸さんの本は初めて読んだが、非常に面白かった。
社会学内の「社会哲学」という分野のようだが、じゅうぶんに哲学としての深みがあり、意想外の視点からどんどん事象の解読を進めていく有様はほんとうにスリリングだ。
中身の主張については必ずしも同意できないとしても、この知的刺激のスパイシー度は並みのものではない。「私は花火師である」と語ったフーコーに近いと言えるほどに、知的興奮の導火線に急接近する炎の塊のような論述だ。
本書は2001.9.11の米国で起きたテロ事件をめぐるものだ。それに「2011.3.11/Japan」の事件(震災と原発事故)についての補章が最後にくっつけられている。
テロに関してはつい最近のパリの同時多発テロ事件につながる話題だが、もちろん執筆当時まだ「イスラム国」はなく、アルカイダ/ビンラディンが最大のキーワードであった。
著者は狙われた米国のワールド・トレード・センターを「ヴァーチャルな資本主義の象徴」と捉える。そしてこの主本主義というのは、欧米がキリスト教の精神に端を発して数世紀にわたって成長させてきた資本主義経済である。著者はこれに対立するものとして、「イスラム教世界」を論述する。
とはいえ、アルカイダもイスラム国も、イスラム教を代表する思想の行動者では決して無い。本書では「イスラム原理主義」という言葉で最初のうちは記述されているが、罪深い者を裁こうとする「キリスト教原理主義」集団のことを考えると、原理主義者というのは元々の教義の一部(隣人愛、博愛、殺人の禁止)を切り捨てて好戦的なところだけ極端にデフォルメしてしまった人々であり、そこにもとの宗教の姿は、もはやない。
「イスラム原理主義」テロリストが欧米資本主義に攻撃を加えるとき、テロという手段には賛同しないけれども心密かにすっきりしたものを感じているイスラム一般市民が少なからずいる、という大澤氏の指摘には「確かにそうかもしれない」とは思うけれども、その境界線を曖昧にして良いとは、私には思えない。
まあそこはさておき、本書の論考でここが面白いところなのだが、「ビンラディンの偏在」という説が出てくるのである。ビンラディンは本当はどこにいるのか?(当時はまだ「殺害」されていない。)実はアメリカのどこかの州に潜んでいる、という噂も9.11直後にささやかれていたそうだ。それに、彼の「手下」たちは実際、どこにいるかわかったものではない。現在、ISILの成員・賛同者が世界中あらゆるところにひそんでいる可能性があるのと同様に。
そうすると、「テロとの戦争」というのは、どうも敵がよくわからない。むしろマフィアにも似た組織の彼らは、国家という明確な輪郭がなく、現在のテクノロジーに支えられて世界中至る所に移動しているわけだから、むしろこれは「どこかとの戦争」というよりも、「世界」というおおきな組織体の内部における「内紛」に近い物になってくる。
9.11が欧米社会にもたらした衝撃は、確固として世界に君臨したかに見えた「西洋型文化」の「外部」が突然身近に出現したという点にある。
もちろんこれは、西洋型文化=資本主義が絶対的に唯一の「普遍」であるという常識が間違っているのである。
「普遍」は不可能である、というのが大澤氏の結論である。異質性の衝突にあっては、どちらかの「普遍」を勝利させるのではなく、他者性との出逢いによってお互いのアイデンティティが変容していくこと。これしか解決の見込みはないという。
一方、3.11とくに原発事故に関して、付け加えられた終章で語られていることも興味深い。けれども、結論部分はちょっと納得がいかなかった。やってくるかもしれないカタストロフィーXは、実際にやってきてみなければはっきりしたことはわからず(偶有性の問題)、それに備えて最大の予防策をはりめぐらすという行為は、最終的にXが来なければ膨大な「無意味な行動」でしかなくなってしまう。この点に関して、大澤氏は「カタストロフィーXを、<必ず来るもの>として予言する、予言者の立場を取るべきだ、という結論を最後に置いているのだが、それだと単に「ノストラダムスの大予言」みたいな妄想的宗教のようになってしまわないか。
最後は非常に納得がいかない感じが残ってしまったが、それでも本書は、知的な刺激を十二分にそなえた、優れた著作だと思う。 -
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対談本という性質上、ある事柄について体系的な知識を学べるというようなものではなかったが、憲法学者と社会学者が、特定のテーマについてそれぞれの専門分野からの知見を述べ合っており、刺激的な内容だった。政治や法律に関心のある人なら何かしらの考えるヒントが得られるはず。
個人的にこれはと思った部分を以下に引用する。
木村「憲法研究者ではない一般の人から見れば、憲法というのは国の物語の象徴としての役割のほうが重要なのではないかと思います。それがどのよに誕生したのかという物語と不可分に結び付いている。……ところが、日本国憲法の場合には、大多数の国民が共有できるような、よりどころとしての具体的な歴史的物語がない」(pp58-60)
大澤「日本国憲法の原点には、敗戦がある。それは、敗戦から始まる物語にならざるを得ない。ところが、先ほど述べたように敗戦を否認しているために、物語にならないのです」(p61)
木村「表現の自由が萎縮しやすいのは、表現の自由には、それ自体に対価がないからということになりますね。……しかしながら、人々の発する情報が自由に流通することによって、社会全体のレベルでは利益を得られます。個人が表現するということは、自分の利益ではなく、社会の利益を実現するための贈与としての性質があり、そこに社会的価値がある」(pp86)
木村「……ヘイトスピーチにはグノーシスのようなものも感じます。……グノーシスをどう理解するのかというのは、それ自体すごく難しいのでしょうが、私が注目しているのは、「現に流通している標準的な世界観はすべて間違っているのであって、自分たちだけが真理を知っているのだ」という一種の秘教主義、選民思想的な部分です」(pp110-111)
木村「〔集団的自衛権の〕賛成派は、アメリカに見捨てられたら日本はやっていけないから……集団的自衛権をもとうという。それに対して反対派は、集団的自衛権を認めたら戦争に巻き込まれるからだめだという。激しく対立しているようでいて、いずれの議論も利己的である点は同じです。どちらも国際公共価値には目を向けていないわけです」(p171)
大澤「「日本の国益のために」という論理は、本当はまだ、理性の私的利用の範囲なんです。……究極的には、国の振る舞いも、理性の公共的使用という観点から考えるべきだと思っています」(p180)
木村「〔命令委任の禁止について〕そもそも何のために独立して判断しなければならないのかというと、単なる地域の代表としてではなく、全国民の代表として、日本全体の公共的な価値を実現するためです。そうした地点から議論しなければのらないのに、それがないままに命令委任から解放されてしまうと、国会内論理みたいなものに突き動かされてしまう」(p201)
大澤「理性を公共的に使用せよ、といったところで、何が公共的な判断なのかは本当はわからないわけです。公共的に使用されたりせいがどう判断するかは、結局、不可知のままだ。とすれば、そもそも、公共的な判断などというものはないのだ、と開き直ってはいけない。内容は定かでなくても、公共的な判断は必ずある、と想定することが重要です」(p261) -
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社会学者大澤真幸先生と憲法学者木村草太先生の対談をまとめたもの。
そもそも、法の支配とは何か?
法に書かれているものは絶対神の言葉であり妥協が存在しないイスラム教。法の上に皇帝が君臨し、法を支配する中国。そして、人間が法を作り、その法に人間が支配されるという形での法の支配。
日本国憲法の成立、意義、そして国民感情の成り立ちなど鋭い切り口で明快に分析される。
具体的各論についても、非常に明解である。集団的自衛権はなぜ違憲か、そしてあるいみ明確に違憲である自衛隊の存在と、生存権の関係。法解釈についての議論など、非常に面白く、また気づかされることが多い。
憲法について考えるということだけでなく、法というものはなにか?法を運用するということはどういうことかなど、法治国家で生活し、法律を使用して仕事をしている私たちには非常に参考になる本だと思いました。 -
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腑に落ちたところも、「?」のところもあったけれど、総じて面白かった。
第一部は、中国が何をアイデンティティにして成り立つ国家なのかという話。
儒教や漢字が大きく作用していて、それは軽く民族や王朝といった枠組みを越えてしまうとのことだった。
第二部は毛沢東の「権力」とはどのようなものだったかの話。
フーコーなどの社会理論が当てはまる部分、当てはまらない部分が列挙されていた。
こういうところが「反知性」の立場の人からは、知的遊戯というか、まだるっこしく見えるんだろうなあ、と思う。
ただ、私は理論を使いこなすというのは、こういうことなのかなあ、とむしろ好意的に読んだ。
第三部は歴史問題をどう考えるべきかについて。
責任の所在への認識があいまいなところが原因となって、謝罪の仕方もただ謝るだけになってしまっているとのこと。
それはそうなんだろうけれど、宮台さんがいうように、東京裁判の虚構を踏襲するということが、今の日本人にとって実際にできるのかどうか。
第四部は日中関係のこれから。
日本は米中関係の付属物になる、という認識は私もよく理解できる。
だからこそ、戦略的に立ち回らなくては、ということも。
中国の問題を合わせ鏡に、日本の様々な問題が照射されていた点が面白い。 -
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これからの千年を人類はどう生きるべきか?千年の射程で人類のビジョンを示す、日本を代表する社会学者による奇蹟の対談集。
私の『社会と思想』に関わる思考の基礎は、見田さんとの出会い、見田さんの本から出来ていると思う。
そんな見田さんの対談集。全てを読み込むことは出来ていないけど、見田さんの思考の一部が、私の中に溶け込んでくる感覚が堪らなく好きだ。
『気流の鳴る音』、『現代社会の理論』、『社会学入門』…にして、何度も何度も読み返す中で、体に馴染んできたように思う。
この本も、何度か読み返しながら…『時間の比較社会学』、『自我の起源』も少しずつ読み進めたいとは、思っている…自分の思考の基礎を、積み上げていきたいと思う。
今回読んで、特に印象に残ったところは、
○虚構のシステムはリアリティの一点から破綻する。
○スモールワールド・セオリー…小さな交響的な共同体がたくさんできれば、全体の人間を覆うような大きな共同体を構築することができるのではないか⁈
○利己性と利他性が問われる地平そのものが、どんどん問い詰めていくと、そこが抜けていく。
○他者性を他者性として繰り込むという契機がどこかにないと、近代性の主体としての自我は存立しない。
○災害の破局は、革命の好機でもあるのだ。
○リスク社会のリスクの特徴…全体として危機に陥るほどの破局である…生起する確率が小さ過ぎて計算不能である。
○第三者の審級の許可が絶対の成功を保証してくれてから、踏み台したいという気持ちがあるから、物事は正しいだけではなかなか前進しない。
○第三者の審級による承認を待っていたら、決して、革命に匹敵するような決定的で本質的な選択はできない。
○未来の他者との連帯はいかにして可能か?その連帯を正当化するどのような理論が可能なのか?
これらの千年を生き抜くために必要な社会と思想の断片的ビジョンを手に入れた私は、自らの実践をもって、これらのビジョンをカタチあるものにしていきたいと思う。