Posted by ブクログ
2018年10月14日
問いがあり、惹きつけられ、考えながら読み進めた。
本書において主となる問いは、
正義とは何か、
正義を満たす要件は何か、
である。
その答えを探るために、
「正義」という主題が置かれた文脈について、
どんな困難に対応しどう機能しているのか、
を考えていく。
さらに、この探究はなぜ行われざるを得な...続きを読むいのか、
というところまで連れて行かれる。
私たちは今、
自分の生や社会を一つの物語のうちに解釈することの
困難に直面しているのではないか。
自分はどの共同体の中で、
どのような役割やアイデンティティを持っているのか。
「正義」に関する諸理論を紐解きながら、
丁寧にかつダイナミックに仮説を構築していく。
物語、国家、資本について。
それら知の開拓新地がどの方向にあるのか、
を感知できたことに感謝したい。
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【読書メモ】
つまり、物語とは、「価値ある終結へと関連づけられている出来事の連なり」のことです。 p26
解釈するということは、そこに一つの物語を与えるということなんですね。つまり、解釈を通じて、悲惨だった出来事が、物語の中に統合されるのです。思いきってわかりやすくいってしまえば、かつてのトラウマが、人生という物語の中で、一つの試練として解釈し直されるわけです。そうすることによって、トラウマに物語の中での意味が与えられる。意味が与えられることによって、どんなに悲惨なことでも、耐えたり、受け入れたりすることができるものになる。 p31
? (修正)功利主義―――基準となる「われわれ」の限定
? リベラリズム―――「われわれ」の無限の普遍化
? コミュニタリアン―――「われわれ」の再有限化 p104
物語の困難、これこそが、冒頭から確認してきた現代の特徴だからです。現代社会の中の個々の主体は、自らが引き受けられる、自らがコミットし得るような物語を喪失しつつある。物語は、もはや道徳や正義の根拠を提供しない。誰もが、自然とコミットしてしまうような物語があるということを前提にしているコミュニタリアンの議論は、社会構想のための原理とはなり得ない。コミュニタリアンが前提にしていること、そのことがもはや成り立たず、機能していない、それがわれわれの困難だからです。 p117
・・・・・・われわれは資本主義を、<資本>が当たり前の前提になった世界を視野に入れて、そのとき正義がどのようなものとしてとらえ直されるのかを根本的に考え直さなくてはいけません。 p158
・・・・・・どこでも、実は資本主義の揺籃期には絶対主義を経由しているという事実がある。 p167
・・・・・・機能としての君主です。知を決断へとつなぐ機能が必要で、それを実体化すると君主と言うものになる。・・・・・・実際に追うがいるかいないかということとは別に、近代的な政治システムは、ちと決定を媒介する最終的審級をどこかに装備しておかなければいけない、ということなのです。それを抽象的に表現すると主権という言葉になります。別の言葉で言えば、主権をその中に実体化させた君主という一つの身体が必要だ、ということになるのです。君主を機能として考えれば、ヘーゲルの君主制は、市民社会と紙一重です。君主のいる絶対王権と君主のいない市民社会は通常思われているほど違わない p174
資本主義と代表制民主主義の両方に共通している受動化のメカニズム―――意志の能動性を超越的な他者に投射し続ける名家にズ無―――は、共同体についての包括的な判断が帰属する視点そのものを否定してしまう p186
民主主義との関連で言えば、かつて、エリートによって占められていたその場所が、機能しなくなる、というわけです。このとき、物語の崩壊は必然です。それを導いているのは、繰り返せば、<資本>のメカニズムであり、それと一体化している民主主義の自己崩壊のメカニズムです。 p187
一般的知性を囲い込むことで、そこに私的所有権を設定した上で、一般的知性に関する使用料をとるような方法で利潤が獲得されているのです。その場合、最も重要な固定資本は人間そのものになります。つまり、「物」ではなく、「人間の持っている経験・知識」そのものが取引されているのです。 p234
両者は、異なる方向から、同じ空虚を目指している。一方は、断念という身ぶり(多文化主義)え、他方は、より強い拒否という姿勢(原理主義やナショナリズム)で、逆に、普遍性を指向しているのです。 p241
現代の資本主義というのは、必然的に、労働者階級のうちに格差を生むようなメカニズムを内臓させている。それぞれの階級に典型的なイデオロギーを図式的にとらえてみると、どちらも普遍性の欠如に対する反作用の産物であることがわかります。逆に言うと、両者どちらも本来、普遍的なもの、普遍的な説得力を有する価値を欲していると見なすことができます。 p244
それぞれの文化が打ちに保持している「自己に対する不寛容」によって連帯する、と。あるいは、自らの中に収容しきれないような―――あえて言うと「自己に対する否定性」―――、そういうものによって繋がる、と。 p260
物語の中で、「現実性」という性質と、共同体による承認という性質とを備えているものが、歴史ではないでしょうか。ですから、人は、まさに歴史という物語の中で、「私は何ものか」を規程されます。 p263
傷を負うということは、共同体が自分に付与するアイデンティティに還元できない否定性を、自分の中に刻みつけることです。そのことで外へと開かれる可能性が宿る。 p283
【目次】
1.物語化できない人生 「生きづらさ」の現在を考える
1 蝉の八日目
取り替え子
逃避行、そして離れ離れに
ねじれる愛と憎
憎悪からの解放
疑問―――なぜ「八日目の蝉」は共感を集めたのか
物語なき現代社会
2 新しい傷
リスク社会論
精神分析のメカニズム
「新しい傷」の三類型
解釈枠組みの崩壊
「傷」の時間的一般化
ひきこもり―――「する自己」と「ある自己」
「子供は誰かと一緒にいるときに一人になれる」
「ある自己」としての薫
ケータイ小説―――出来事の羅列と「現実」への逃避
3 物語化できない他者
「とてつもない他者」の登場
物語による他社性の隠蔽
2.正義の諸理論 サンデルからアリストテレスまで遡る
制度にとっての究極の徳
1 功利主義―――「最大多数」か「最大幸福」か
幸福の足し算
功利主義の難点?―――快楽の質の問題
お寿司とドストエフスキーの優先順位
功利主義の難点?―――犠牲の問題
功利主義のどこが問題なのか
修正功利主義
2 リベラリズム―――普遍性こそ正義の条件
正義の基準としての自由
不自由な自由
定言命法の作り方?―――他者を目的として扱うこと
定言命法の作り方?―――普遍化可能であること
定言命法は隣人愛と同じか?
殺人鬼と友人
定言命法を欺く
三つの選択肢
普遍化の逆説
3 コミュニタリアン―――共同体こそ正義の条件
人はいかにしてコミュニタリアンとなるか
「負荷なき自己」に抗して
「われわれ」の再有限化
戦後生まれに戦争責任はあるか
共通善と「名誉」
同性結婚は認められるか
コミュニタリアンの難点?―――相対主義
コミュニタリアンの難点?―――境界線の道徳的意味
コミュニタリアンの難点?―――自己の物語性の限界
4 アリストテレス主義―――幸福こそ正義の目的
助っ人アリストテレス
アリストテレス倫理学の三つのポイント
アクラシア―――わかっているけどやめられない
アクラシアは存在するのか
証明の難所
3.資本/国家/民主主義 物語はなぜ崩壊するのか
1 アリストテレスの盲点―――快のパラドクス
アリストテレスにおける善
快の階層構造
快の苦への反転
不動の動者
円運動への執着
2 アキレスと亀―――<資本>のパラドクス
投資の反復
プロテスタントの世俗内禁欲
死の欲動
共産党に絶対に入党しない共産主義知識人
永遠に到達しない目標
「共産主義の地平では」
コミュニタリアンの盲点
3 絶対王権をめぐる謎―――市民社会のパラドクス
資本主義の揺籃期
絶対王権成立の背景
絶対王権をめぐる疑問
市民社会にとっての絶対王権
清教徒革命―――King against king
「リヴァイアサン」のモデル
ヘーゲルの君主制国家
絶対王権と資本主義の内在的関係
4 エリート主義と民主主義―――代表制のパラドクス
文革のアイロニー
コミュニケーションの二段の流れ
民主主義の超越論的腐敗
問題の整理
4.普遍的「正義」への渇望 リベラリズム再検討
1 イエスの奇妙な喩え話
問題提起―――イエスのリベラリズム?
ブドウ園の労働者の喩え話
放蕩息子の喩え話
イエスの原理とは何か?
普遍主義のアンチノミー
イエスだったらどうするか
2 二種類の物神化
資本主義の枠内にあるリベラリズム
「貨幣への讃歌」
人格的(非限定的)関係
商品交換の外部に
人格的支配
二重の意味での自由
抑圧されたものの回帰
形式的自由の実質的意義
3 知性の囲い込み
反転する物神化
共有地としての一般的知性
知的所有権
マイクロソフト社はどのように利益を出しているのか
国家の権威の両義性
4 分断される労働者階級
シンボリック・アナリストと周辺労働者
ライフスタイルと生活様式における二極化
空白かした普遍性への代理物
なぜ「プロジェクトX」に感動するのか
5.癒す人 正義と<普遍性>
1 マルクスはなぜホメロスに感動するのか
古典の魅力の謎
普遍性と特殊性との奇妙なリンク
2 何が普遍的連帯を可能にするのか
中村哲さんとアフガニスタン人との相互感応
文脈化に抗する残余
普遍主義のアンチノミー再考
異文化との連携の根拠
イエスの喩え話再考
3 人は運命を変えられるか
物語としての歴史
歴史に対するライプニッツ的態度
ライプニッツの工夫
ベルリンの壁崩壊―――偶有性から必然性の発生
裏返しの終末論
4 「新しい傷」はいかに癒されるか