あらすじ
なぜ今「正義」なのか?経済格差のもとに社会が分断されるなか、「善」はもはや抽象的お題目にすぎないのか? ケータイ小説から沖縄基地問題までの多様な事例の検討、意表をつく思考実験、そしてカントからサンデルに至る正義の理論を徹底的に吟味し、普遍的連帯のアクロバティックな可能性を論じる。大澤社会学、至高の到達点!
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Posted by ブクログ
201103/
ウォルター・リップマンの『世論』/
世論の形成においてエリートの存在がいかに重要か/
個々の市民は群集の中におぼれている。だから、彼らにはローカルなものしか見えていない/
エリート知識人があたかもすべてを見通しているかのように人に思われることは、世論が形成され、民主主義がうまく機能するための絶対条件/
つまり、個々の市民は自分のことしか分からない。ローカルな視野しか持っていない。でも誰かが普遍的な知を持っているという幻想が成り立つことが重要なんです。このとき初めて市民は、エリートによって自分たちが代表されていると思うことができる/
ここで重要なのは、エリートが自分の代わりに見通してくれていると判断すると、そのとき個々人は自らが選んだような気分になるということです。人は、自分のために、自分に代わって何かをやってくれる他者を選ぶことができれば、自分がやっているに等しいという気分になる。これこそが民主主義の重要なトリックです。このような、誤ってはいても、しかし政治的に有意味な幻想を持つことが可能になるのが民主主義のポイント/
人々はローカルな判断しかできないし、情報が正しいか間違っているかを判断できなくとも「わかっている人」というポジションを想定できるときに、代表制民主主義というのはうまく機能する。だから、民主主義の危機はどこに生ずるかというと、実はエリートのところに来る/
民主主義が危機的状態になるのは、エリートを信頼できなくなったときです。つまり、民主主義とエリート主義は、持ちつ持たれつの相互依存の関係にある/
ジャン=ピエール・デュピュイ/
未来において現に破局が起きてしまったと仮定してみなさい/
その未来の位置に立っている人には、その破局までの過程は「必然だった」と見えているはず/
裏返しの終末論/
われわれは、どこに向かうべきかについての展望はないとしても、何を回避すべきか、どこに向かってはならないかということについての、消極的・否定的な目的ならば持っています。例えば地球生態系の全体的な破局は避けるべきことです。どこに向かっていくべきかはわからなくても、どこを避けるべきかは分かる。
Posted by ブクログ
授業で著者のことが紹介されていたので読んだ。
正義論の変遷について学ぶことができた。
<功利主義>(ベンサム)
最大多数の最大幸福
<リベラリズム>(カント)
定言命法(汝の~行為せよ)
<コミュニタリアニズム>(サンデル等)
多文化相対主義(共同体の慣習の指向する共通善を重視)
Posted by ブクログ
より良い社会を作るにはどうしたら考え、行動したら良いか。そういうことを論じて、提示してくれる本だと思って読んだのですが、そうではなくて、あくまで「正義」を「考える」という体裁です。つまりは、より良い社会を作るための土台としての知識、勉強をこの本を通してしようじゃないかというもの。一つの答えをドンと提示してくれていたら、星5つでした。喩えるならば、ゴール前までドリブルで切り込んでいって、シュートを打てるようなところなのに、誰かにパスするFWでしょうか。
「物語」というものが失われがちな現代というところからはじまって、
これまで考えられた、「正義」を位置づける数々の思想の紹介と論考。
そして、それらに足りなかった資本主義社会というものの構造から受ける力の解説。
後半には、キリストの言葉から考える、現代思想を補うものの説明。
といった感じの本です。
まぁ、キリストはなかなか深いなぁと思いました。
一瞬、親鸞の悪人正機と通じるのかな、
なんて思えるキリストの言葉もあり、
脳みそをくすぐられる体験をしました。
読みやすく、後半はちょっと難しいのですが、面白かったです。
以下、ネタバレを含む、感想に代えた僕の考えをツイートから。
___
現代人の病んでいるゆえんは物語の喪失だとか言われますが、
情報化社会になったがために許容しなければならない物語が多様で大量で大きくなったので
無意識的に拒否している部分もあるんじゃないかと思った。
本にも書かれてたことだけれど日本人としての物語には、
アジアで最初の近代化に成功した国民であり戦後の復興をとげた国民であり、
被爆国であり、太平洋戦争でいろいろな国に迷惑をかけてもいるなどがある。
それに細かい歴史だとか個人的だとか共同体的だとかがあってオーバーフローするんじゃないでしょうか。
そういう「物語の喪失」「物語の拒否」もあるんじゃないかなと思う。
目的があって、それに向かうことで意味のある人生になったら、
物語のある人生になる。そっちのほうの物語の喪失には、
夢も希望もみにくい社会が原因だとも考えられていて。
ひきこもりの心理は、「何かをしたり、しようと思う自分」の土台になる、
「存在する自分」(アイデンティティ)が傷ついたためだと解説されていたし、
なるほどなあと思った。土台が壊れちゃ何もできない。
物語を支える屋台骨が壊れているともいえる。ここにも物語の喪失が。
震災もそうだけれど、天災やテロや通り魔だとかの、
理由なき暴挙を受けるような事柄による心的外傷っていうものもありますよね。
そういう暴挙ゆえんの傷は物語化しにくくてただ拒否感や否定感、
もしくは恐怖感しか湧いてこなかったりする。
でもやっぱり社会構造が物語を消しているんだと思うんですよね。
映画「レ・ミゼラブル」でもあったけれど、
革命の学生たちの屍が街にたくさん転がっていたりして、
それを片づける市民がいた。彼らはその行為で物語を失ったりしないけれど、
現代人が同じことをしたら物語を失うでしょう。
現代社会においての、自然的・人的の問わない暴力性や死とか汚いものだとかに対処する精神性が
科学の名のもとに消されたような気がする。または技術革新によって。
天災は神さまが怒ったためだとかあったわけです、昔は。良くないことの前兆だとか。
そんな捉え方で安定したのが人間の心だった。
死というものだって、宗教的なデコレーションがしてあって近づきやすかったり、
そもそも昔って死とか死体が身近だったんじゃないかな。怖いとか汚いだとか、
ちょっとは思うかもしれないけれど、生物ってそういうものでしょ的な、
前提としての認識が今とは違っているような気がする。
バーチャルだとか、やんややんや言われたことがありますけれど、
やっぱりそれには理由があって、生々しさというものを、
たとえば死でもエロスでもなんでもいいけれど、感じた方があとで
「生きやすい精神構造」になりやすいってことだったんじゃないかな。
肉を得るためのと解体だっていまや分業で、
まるで隠ぺいされているかのように切り分けられてスライスされたものしか見る機会がないし
誰も見たいと思わない。魚すら解体するのを見てグロいってことになる。
そうやって、現代人が視界から排除していったものに物語と人を結びつける何かがあるかな、なんて。
という一連のツイートから導き出されるのは、
死も汚物の処理も身近にあらざるをえなくなるペットの世話と交流が、
人の物語性の喪失にあらがう手段になるんじゃないかということです。
今身近な手段としてはこれですよね。
以前、葬儀屋、死体洗い(湯灌)のアルバイトを急に始めて
サイトに書いて本になった若い女の子がいましたが、
これって彼女なりの物語の喪失からの抵抗だったのかなぁと思ったり。
檀蜜さんが葬儀屋の専門学校に行っていたというのも、物語が関係しているよなぁ、たぶん。
エロ・グロ・ナンセンスって、
物語喪失の現代のその理由を感覚でキャッチして出したものなんだろうかね。
はっきりわかってないからとがった表現だったりしてさ。
今みたいに解説書が出ていて研究が深まっていると、
もっとやんわりした表現作品が「あり」になりそう。
エロ・グロ・ナンセンスの文学って、その時代の人のわめきかな。
なんかヘルニアみたいな。
___
こんなことを考えるようになる本です。
Posted by ブクログ
サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」を意識して書いたと思われる、大澤版「正義についての話」だと思う。
サンデルは、コミュタリアンとしての正義を書籍で語っていたが、大澤氏は、サンデルと同じように功利主義、リベラリズム、コミュタリアン、アリストテレスと展開しながら、コミュタリアンの限界も指摘している。
その上で、資本主義や普遍的な正義も絡めながら、冒頭の1章で引用した「八日目の蝉」の物語のように人は感動することから、「癒し」というキーワードで現代社会ををまとめている。
サンデルが講義から始まったように、この本も講義から文章を起こしたようでわかりやすいが、前半が非常にまとまっているのに比べて、後半はほのめかす、ぼかす形で終わってしまったのがもったいない。そのあたりはまだ筆者も十分にまとめきれていないのか。
ともかくサンデル氏の著作を読むのであれば、この本で相対化することができることがあるので、一緒に読んでみて損はないと思う。
Posted by ブクログ
既存の説を現代社会に当てはめ、それが成立しないということを証明する中で、現代社会がどのような物かということを考察した本。民主主義が孕む矛盾の話というのが印象的。
Posted by ブクログ
最後はやや尻切れトンボな「ほのめかし」で終わってしまった感じ。できればもう一章ほしかった。でも途中の議論は、自分にはサンデルより頷けるところが多かった。
Posted by ブクログ
講義録のためか、かなり読みやすい。
特に、「普遍性」や「歴史の必然性」についての解説は、たいへんに興味深かった。
ただし、第4章は全体の中での位置付けがあまりはっきりしない感じがした。
『癒す人』も読んでみたくなった。
Posted by ブクログ
功利主義の最大の問題は「普遍性」を放棄すること。
功利主義は。犠牲を正当化するケースからもよくわかるように、公平性に二義的な関心しか向けない。Cf. トローリー・ケース by イギリスの哲学者フィリッパ・フット p73
【修正功利主義】p74
「最大多数の最大幸福」のような目標を、数学ではダブルオプティマム(二重最適化)という:ダブルオプティマムは、一般には解けないことが数学的にはわかっている。つまり、二つの変数を同時に極大化するような理想的状態は一般にはない。
修正功利主義は最大多数をカッコにくくって、一定の規準になる集団を決める。cf. 国益→国際政治のゼロサムゲームへ cf. ベーシックインカム
【カントの定言命法への批判―コンスタンの「殺人鬼」の例】p91
【「われわれ」の再有限化】p103
①(修正)功利主義―規準となる「われわれ」の限定
②リベラリズム―「われわれ」の無限の普遍化
③コミュニタリアン―「われわれ」の再有限化
【アリストテレス倫理学のアクラシア(Akrasia)―わかっているけどうやめられない】p122
「無抑制」:意志が弱い:わかっているけど、ついやってしまったという状態。
アリストテレスの目的因(テロス)における最高善=「不動の動者」p139
【ジャン=クロード・ミルネールは1950-60年代のフランスの左翼知識人と共産党との関係を「アキレスと亀」の喩えで描いた】p152
亀=共産党、左翼知識人=アキレス
共産党に漸近していくけども、決してそこに入ってしまったりしない。そういう構造。
Cf. プロテスタントにとっての「最後の審判」
人格的(非限定的)関係=友情、恋人、家族
物象的(限定的)関係=eg. 貨幣による取引(特定のアスペクト・機能)
Cf. タルコット・パーソンズ「型の変数(パターン変数)pattern variables」「限定/非限定」
ウェーバー、テンニエス「ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト」p211
【二重の意味での自由】p217
①労働者が、自由な契約主体にならなくてはいけない。
②「生産手段からの自由」ということ。
「商品の物象化」(マルクス、ルカーチ)≒「抑圧されたものの回帰」(フロイト)p221
【労働者内の二極化】p236
旧来型:ブルジョアとプロレタリアートの二極化
現在:労働者階級内の二極化 Cf. アメリカの経済学者ロバート・ライシュ『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』
①シンボリック・アナリスト:情報の直接の生産や操作に関わる。(思想:多文化主義でリベラル)
②肉体労働者:膨大な数の周辺的な労働者。(思想:ポピュリズムや原理主義)
b/c 「一般的知性」の囲い込み
「ライプニッツ的態度」→ヘーゲル「理性の狡知」:歴史の大枠の中で、偶有的な出来事が、事後的には必然のようにしか見えない。
「裏返しの終末論」Cf. フランス政治哲学者ジャン=ピエール・デュピュイ「破局について」p276