大澤真幸のレビュー一覧
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60年間隔
柄谷行人「昭和・明治平行説」
1920大逆事件 1972連合赤軍
加藤『敗戦後論』=敗戦による自己否定の構造による抑圧
太宰治は戦後、戦争についてほぼ書いてない
戦前と戦後のあいだの水門
太宰治だけ開けても水が微動だにしないようだ
=戦時中にかけた以上のことは戦後に書こうとしなかった
『薄明』『トカトントン』
江藤淳
戦後知識人の日本の現状を批判するための「作為の論理を可能にする他者の視点」=アメリカによってsymbolizeされていた何か
アンダーソンのナショナリズムの理論
ウルトラマンとしてのアメリカ
佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』
2
ウルトラナショナ -
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Posted by ブクログ
ネタバレ中国は西洋より早くに国として成立したので、西洋的国家概念には当てはまらない。
古代から一貫して支配層は文官。
毛沢東は史上もっともラディカルで、利己主義を徹底した(伝統的な儒教すら破壊しようとした)。
そんな毛沢東を中国人が否定しないのは、伝統的な皇帝システム(天と天子というシステム)の形式が無意識的に残っているから。
日本人は日中戦争が「何であるのか」を意味づけられていないので、いくら誤っても中国側は納得できない。
さらに、日本は戦争当事者世代と現在の世代のあいだの連続性を設定できていないので、過去について謝れない。
日本は米中関係の付属物にすぎず、情勢を正しく分析して最善の選択をし続け -
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東日本大震災と原発事故が問いかけている倫理的な問題について、さまざまな思想的資源を活用しながら、考察をおこなっている本です。
著者は本書の冒頭で、脱原発という方針を「いきなり結論」として提出します。しかし問題は、これまでもこれからも、原発をめぐる議論がロールズの想定するような民主主義的な議論の枠組みによって正解に到達することができないという点にあります。著者は、バーナード・ウィリアムズの提起した「道徳的運」の概念を用いて、行為の倫理的な価値が偶発的な結果によって遡及的に決定されてしまうという問題や、ロールズの「無知のヴェール」という装置では未来世代との連帯を基礎づけることができないといった問 -
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現代の日本が直面しているいくつかの問題をとりあげ、民主主義そのものについての思想的に掘り下げて、大胆な提言をおこなっている本です。
著者は、本書の提言が非現実的なものではないということをたびたび述べていますが、これを常識的な意味で実現可能性のある提言として受けとるべきではないのでしょう。それは、本書の提言が非現実的な理想主義であるということではなく、それを実現するにあたって必要となる技術的な細部を欠いているからです。本書の冒頭で著者は、現代の政治哲学におけるハーバーマスとデリダの相互批判がもっとも中核的な問題であると主張していることからも、著者は理論と実践を切り分けることがむしろ不適切である -
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2020年夏に刊行された本。コロナ後の社会の変化について。 人間、生命、歴史、国家、くらしと文化をテーマに21人の知性が語る。
インタビューと寄稿された文で構成されている。コロナが蔓延し拡大していた頃の見解なので、現在の視点で読むとやや違和感がある意見もあるけれど、総じてコロナをきっかけに、今後社会が大きく変化すること、先が見通せない不安がつきまとうことで一致している。コロナ発生から1年が経って、ワクチン接種が進んでいるが、なかなか終息しないのが心配。 経済活動は悪化しているが、でもマクロレベルでの指標と実態の乖離は、それほど危機的ではないように思う。 影響が出てくるとすれば社会構造の変化、人 -
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大澤真幸(1958年~)氏は、東大文学部卒、東大大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学、千葉大学文学部助教授、京大大学院人間・環境学研究科助教授、教授等の経歴を持つ社会学者。橋爪大三郎との共著で新書大賞(2011年)を受賞した『ふしぎなキリスト教』等、一般向け著書多数。
本書は、2020年8月~11月に、NHK出版のウェブマガジン「本がひらく」で6回にわたって連載した「真に新しい<始まり>のために」を再編・加筆修正し、書下ろしの最終章(第5章)を加えたものである。
著者は、本書で「新型コロナウイルスを超えて・・・どのような社会を構想すべきか、そのような社会の実現のために何を克服しなくてはな -
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ラジオ「荻上チキセッション」が夕方に移ってから聞くようになり、荻上チキさんとはどういう人かと探していて行きあたった本。読みたいと思った人の章のみ読みました。
養老孟司:「不要不急とは」という、今回もまた若干ずれた感のある内容なのだが、この用語への同氏の違和感は、医者でありながら現場ではなく解剖をやっている自分、また現在の老人で公職にもない自分の存在は不要不急なのではという根本から生まれている。そこからさらに、人間自体不要不急なのではという話。この辺りは、前回読んだ氏のインタビューで、老人はコロナ禍を乗り切ったところで生き甲斐はあるのかという疑問と相反するようで通じるところがあり、面白いなあと