大澤真幸のレビュー一覧
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ネタバレ■読んだきっかけ
・中国出張するにあたり、行く土地の歴史・地理・文化・国民性を知っておきたかったから。
・ニュースや人の話で聞く、中国の悪いイメージ(自己中心的・反日)は、あくまで日本側の視点なので、中国側の視点も知りたかった。
■本の内容
・社会学者3人による、「中国」についての鼎談であり、どちらかと言うと親中で中国に詳しい橋爪氏が、他二人の疑問点(以下のようなこと)に答えていくかたち。
・中国のような大きな帝国が、二千二百年も前(秦の時代)にできたのは、どうしてなのか。いかにして、帝国としての統一性を実現し、維持することができたのか。
・中国人=アグレッシブで自己中心的なため、統一国家に不向きでは?
■印象に残った主張
中国の車の運転の激しさについての以下の意見は、中国に行って深く納得できた。
「中国には交通ルールはない。強いて言うと、事故を起こさないというのが交通ルール」
ルールがないと見える一方で、彼ら相互の、行動の予測可能性はきわめて高い(究極の帰結主義による秩序)。
■感じたこと
(1)疑問設定の重要性
・中国に関する、社会学者たちの鋭い疑問の数々を読み、何となく納得してしまいそうなことでも、良く考えたら不思議なことは深く追求する、ということが大事なんだと感じた。
(2)知識の不足を知る
・近代中国についての章を読み、自分が毛沢東の時代についてあまり知らないことに気付かされた。今の中国を知るためにも、他の本を読んで知識を補強したい。 -
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3回に渡っておこなわれた講演をまとめた本で、柄谷行人の「昭和・明治平行説」に則る形で、戦前と戦後の日本社会における超越的な審級の変容を読み解いています。
第1章では、江藤淳や加藤典洋の議論を参照しつつ、戦後の日本がそれまでの「天皇」に代わって「アメリカ」が超越的な審級に位置づけられていたと論じられます。ところが、1970年以降もはや「アメリカ」は超越的な審級としての役割を果たさなくなっていきます。1970年代の日本では、「日本」というローカリティが意味を失い、日本人であることがそのまま世界市民であるという奇妙な錯覚が行き渡ります。戦前においてこの時代に対応するのが、超越性を持たない天皇を戴いた大正時代です。
そして、その後にやってくるのが戦後においては「ポストモダン」であり、戦前においては「近代の超克」です。著者は、西田幾多郎や田辺元といった京都学派の議論を参照しながら、彼らの主張した多文化主義の立場が、それまで超越的な審級としての機能を果たしていた「西洋」が普遍性を失い、オブジェクト・レヴェルに引き下げられることに注目しています。ここでは、超越的な審級をたえずオブジェクト・レヴェルに繰り込んでいくことが、逆説的に普遍性を示すことになるというロジックが見られます。そして著者は、これと同じロジックが、「ポストモダン」の時代における消費社会的シニシズムに見いだされると主張しています。
正直に言って、個々の議論の扱い方が恣意的に見えてしまうところがあるのですが、著者の議論の大きな枠組みが共有できるならば、興味深い見方なのではないかと思います。 -
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戦後という時代を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」の3つに区分し、それぞれの時代における「第三の審級」のあり方について考察しています。
オウム真理教事件やオタク文化が現代の日本社会のある側面を示していることは間違いないとしても、それらに焦点化する形で戦後日本社会の総体を把握することができるのか、という疑問はもっともだと思います。ただ本書は、戦後日本社会を包括する試みではなく、見田宗介の『現代社会の理論』や『社会学入門』(ともに岩波新書)から、オウム真理教事件を中心に現代社会を論じた著者の『虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫)への展開を改めてたどりなおし、同時に『虚構の時代の果て』から東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)への展開に対する応答の試みとして理解するべきだと思われます。
個別の議論では興味深いところも多くあるのですが、本書の議論の背景をなしている理論的な枠組みは、第三の審級をたえず繰り込んでいく資本主義の運動に対する否定神学的な解決なので、既視感は否めないように思います。 -
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著名な社会学者達の対談だけあって視点が多岐に渡っていて面白い。
人類史の中で、他の文明とか他の文化の真似や影響なしで独自に文字をつくったところは4つしかない。メソポタミア、エジプト、マヤ、中国。
頭の中が漢字でフォーマットされた中国人が日本を理解することは難しいという指摘は興味深い。
また一方で、日本には行動規範となるテキストが存在しない。イスラムのコーラン、インドのヴェーダ聖典、中国の経典。特に戦後の日本は何をよりどころにしてきたかといえば米国であろう。パックス・アメリカーナの中で平和を享受してきたわけだ。
経済の視点では、西側陣営で起きている資本主義の社会主義化と中国に代表される社会主義という名のもとでの資本主義化が議論されている。
中国の社会主義市場経済は、長期ビジョンに基づく発明であるとも言えるが、中国への富の集中を米英が簡単に許すとも思えないため、政治問題へ発展していくことは十分に考えられる。
何れにしても、小国日本が主導権を握ることはできない状況にある。米中関係のなかで日本がどの様な役割を演じるかに過ぎない。 -
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3人の社会学者が、中国について話し合うという本。前半は中国、中国人に関する基本的な謎について。なぜ中国人は、日本人から見ると自己主張の強い人たちに見えるのか、中国人にとっての宗教とは何か、そもそもなぜ広大な地域が国としてまとまっているのか、といった問題や、共産党と毛沢東についての話。後半は中国の歴史問題に関する認識の捉え方と日中関係のあり方を論じている。
今回の3人のうちの2人が参加している『ふしぎなキリスト教』がとても面白かったという記憶があって、中国についてはまともに知らないけど、読んでみた。とても面白いけど、難しかった。まず中国の歴史、特に戦時の日中関係や日本の行動について、おれはあんまり分かっていないというのが大きな問題だった。というか、こういう無知については、著者らも問題にしているところだ。さらに、著者らはやっぱり学者なので、「AにおいてはBということがあるけれども、中国の場合はどうなのか」といった話の展開をすることが多いが、おれとしては「AにおけるB」の部分がよく分からないので、余計に難しい。
それでも特に前半は、面白いと思ったことがたくさんあった。まずヨーロッパのように、宗教があって政治があるということではなく、政治的統合があって、諸子百家のような「政策的オプション」がある(pp.36-7)という点。そして「文官優位の根本」(p.80)について。軍事力を排除するために、科挙のような物差しを使ってとにかく序列をつけて、その序列にはみんな従うということで合意しているということ。トップが間違っていても、みんなで従っておけば争い合わずに済むという知恵のようなものがある、というのは、おおよそ日本人には発想できないところではないだろうか。また、「漢字によって言語がつくられた」(p.88)というパラダイム転換は、もう少し考えてみたい。漢字があって、その読み方を色々な集団がそれぞれに付けていった、ということらしい。次に、「ネタがベタになる」(p.124)という表現。手段がいつの間にか目的になるという、日本の近代史でよく見られる現象、ということらしいが、歴史の勉強をするときには何がネタで何がベタなのかということを押さえていないといけないと言うことが分かった。最後に、中国の「社会組織の原則」(p.162)について。「1自分は正しくて立派」、「2他者も自己主張している」、「3自己と他者が共存するために枠組みが必要」ということで、「順番システム」を作り上げるというのが、面白かった。(15/05/24) -
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橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の3人が、中国をテーマに語り合った本。
中国という国のあり方は、ヨーロッパの近代国家を基準にして作られた西洋の社会学の枠組みでは説明しきれないところがあるにも関わらず、文化左翼的な立場からの中国論者たちはポストコロニアル批評などの西洋の現代思想を当てはめることで中国を理解しようとしてきました。本書はそうした一方的な中国への共感を戒め、理論社会学についても独自の思想を展開し、中国の実情にも詳しい橋爪を中心にして、理論と現状分析の双面にわたって中国を分析しています。
日中の歴史問題や、今後の日中関係についての議論も、たいへん興味深く読みました。ただ、座談会形式ということもあって、それぞれの論点の背後にある問題領域が見通しがたく、社会学についても中国についても詳しい知識を持たない読者としては、少し読みづらく感じてしまいました。 -
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ネタバレオビの文句「なぜこんなにも息苦しいのか?」と「不可能性の時代」というタイトル。これらにある種の救いを得ようと本書を手に取る人も多いのではないかと思う。しかし個人的には、「理想の時代」、「虚構の時代」そして「不可能性の時代」という戦後を3期に区分する発想と、その画期としての1970、1995という年を想定することに、「なんとなく」「あいまいに」うなずかされる以上に、得られるものはなかった。そもそも時代を象徴する事件の特殊性にその時代の空気を見出そうとする発想は、それ自体あまりにも陳腐であり、気鋭の社会学者たるもの、その手法の有効性を疑うところから出発べきではないのだろうか、という疑問もつきまとう。何故「オウム真理教」ごときに時代を区切られなければならないのか?という問いに対して、まず「オウム」が鏡のように照らし出す「オウム」以外の日本を掬いとる態度を確立すべきなのであって、いまさらにオウムの省庁構成やホーリーネームの意味を云々する発想にはそれこそ可能性を見出すことは出来ないと感じた。良く出来たお勉強の成果、とは認めるが、それ以上でも以下でもない。
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ネタバレ功利主義の最大の問題は「普遍性」を放棄すること。
功利主義は。犠牲を正当化するケースからもよくわかるように、公平性に二義的な関心しか向けない。Cf. トローリー・ケース by イギリスの哲学者フィリッパ・フット p73
【修正功利主義】p74
「最大多数の最大幸福」のような目標を、数学ではダブルオプティマム(二重最適化)という:ダブルオプティマムは、一般には解けないことが数学的にはわかっている。つまり、二つの変数を同時に極大化するような理想的状態は一般にはない。
修正功利主義は最大多数をカッコにくくって、一定の規準になる集団を決める。cf. 国益→国際政治のゼロサムゲームへ cf. ベーシックインカム
【カントの定言命法への批判―コンスタンの「殺人鬼」の例】p91
【「われわれ」の再有限化】p103
①(修正)功利主義―規準となる「われわれ」の限定
②リベラリズム―「われわれ」の無限の普遍化
③コミュニタリアン―「われわれ」の再有限化
【アリストテレス倫理学のアクラシア(Akrasia)―わかっているけどうやめられない】p122
「無抑制」:意志が弱い:わかっているけど、ついやってしまったという状態。
アリストテレスの目的因(テロス)における最高善=「不動の動者」p139
【ジャン=クロード・ミルネールは1950-60年代のフランスの左翼知識人と共産党との関係を「アキレスと亀」の喩えで描いた】p152
亀=共産党、左翼知識人=アキレス
共産党に漸近していくけども、決してそこに入ってしまったりしない。そういう構造。
Cf. プロテスタントにとっての「最後の審判」
人格的(非限定的)関係=友情、恋人、家族
物象的(限定的)関係=eg. 貨幣による取引(特定のアスペクト・機能)
Cf. タルコット・パーソンズ「型の変数(パターン変数)pattern variables」「限定/非限定」
ウェーバー、テンニエス「ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト」p211
【二重の意味での自由】p217
①労働者が、自由な契約主体にならなくてはいけない。
②「生産手段からの自由」ということ。
「商品の物象化」(マルクス、ルカーチ)≒「抑圧されたものの回帰」(フロイト)p221
【労働者内の二極化】p236
旧来型:ブルジョアとプロレタリアートの二極化
現在:労働者階級内の二極化 Cf. アメリカの経済学者ロバート・ライシュ『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』
①シンボリック・アナリスト:情報の直接の生産や操作に関わる。(思想:多文化主義でリベラル)
②肉体労働者:膨大な数の周辺的な労働者。(思想:ポピュリズムや原理主義)
b/c 「一般的知性」の囲い込み
「ライプニッツ的態度」→ヘーゲル「理性の狡知」:歴史の大枠の中で、偶有的な出来事が、事後的には必然のようにしか見えない。
「裏返しの終末論」Cf. フランス政治哲学者ジャン=ピエール・デュピュイ「破局について」p276 -
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面白い…のかなぁ~?これ。
最近の社会学の本としてはそれなりにヒットしてるんだと思うんだけど、個人的には読んでてそんなにしっくりこない。講義の形を取ってるので、恐らくは誰かに向けて話していた授業みたいなものを本にまとめてるんだと思うんだけど、結果として大学の授業を聞いているような、砂を噛むような議論がずーっと続いてく感じ。少なくとも、強い興味と関心を持って最後まで読み続けられる、という本ではない。
その点で、少し前に流行った『これからの「正義」の話をしよう』に通じるところがあるかも。流行ってるから読んでみた、でも難解で分かりにくい、でも周りのみんなが見ている手前、難しくて分かりませんとは恥ずかしくて言えない、そんな感じ。
まぁ、俺は堂々と「分かりません」と言いますが。
ちょいちょい、大学教授の講義でありがちな「あえて難しい言葉や、変なところで拘りのある表記をする」のが散見されてて、そういう小細工が嫌いな俺としてはそこもマイナスポイントになってしまう。難しいことを難しいままで言うだけなら猿でもできるわけで、そこを誰にでも理解できるような、一般への親和性の高い語彙(←こーゆーのが、いわゆる「分かりにくい表現」)で噛み砕いて論じるのが、本当にアタマの好い人の文章の作り方なんだと、そう思います。
小難しい本に挑戦して、達成感を得たい人にはオススメしますが、特に社会学とかに関心がないならわざわざ手を出すこともないと思います。好みが分かれますね。すぱーんと。