大澤真幸のレビュー一覧
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ネタバレアメリカに管理され、高度経済成長を理想の時代から
凶悪な犯罪事件などに代表される虚構の時代を経て、
不可能性の時代に突入した今。
不可能性の時代とは、「現実への回帰」と「虚構への耽溺」という、
2つのベクトルを持つ時代という。
政治の世界でいえば、
「現実への回帰」は原理主義
「虚構への耽溺」は多文化主義
に対応する。
また、この時代は神のような
『第三者の審級』(全能者みたいなもの?)がいない。
そのため自己責任で意思決定をしていかなくてはいけない。
最後に市民参加型の民主主義は
小さい社会集団の中でしか機能しないことに対して、
『6次の隔たり』、『ランダムな線』で解決の糸口を見つけよ -
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ネタバレオビの文句「なぜこんなにも息苦しいのか?」と「不可能性の時代」というタイトル。これらにある種の救いを得ようと本書を手に取る人も多いのではないかと思う。しかし個人的には、「理想の時代」、「虚構の時代」そして「不可能性の時代」という戦後を3期に区分する発想と、その画期としての1970、1995という年を想定することに、「なんとなく」「あいまいに」うなずかされる以上に、得られるものはなかった。そもそも時代を象徴する事件の特殊性にその時代の空気を見出そうとする発想は、それ自体あまりにも陳腐であり、気鋭の社会学者たるもの、その手法の有効性を疑うところから出発べきではないのだろうか、という疑問もつきまとう
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ネタバレ功利主義の最大の問題は「普遍性」を放棄すること。
功利主義は。犠牲を正当化するケースからもよくわかるように、公平性に二義的な関心しか向けない。Cf. トローリー・ケース by イギリスの哲学者フィリッパ・フット p73
【修正功利主義】p74
「最大多数の最大幸福」のような目標を、数学ではダブルオプティマム(二重最適化)という:ダブルオプティマムは、一般には解けないことが数学的にはわかっている。つまり、二つの変数を同時に極大化するような理想的状態は一般にはない。
修正功利主義は最大多数をカッコにくくって、一定の規準になる集団を決める。cf. 国益→国際政治のゼロサムゲームへ cf. ベーシッ -
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面白い…のかなぁ~?これ。
最近の社会学の本としてはそれなりにヒットしてるんだと思うんだけど、個人的には読んでてそんなにしっくりこない。講義の形を取ってるので、恐らくは誰かに向けて話していた授業みたいなものを本にまとめてるんだと思うんだけど、結果として大学の授業を聞いているような、砂を噛むような議論がずーっと続いてく感じ。少なくとも、強い興味と関心を持って最後まで読み続けられる、という本ではない。
その点で、少し前に流行った『これからの「正義」の話をしよう』に通じるところがあるかも。流行ってるから読んでみた、でも難解で分かりにくい、でも周りのみんなが見ている手前、難しくて分かりませんとは恥ずか -
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資本主義の「暴力」とか、「必然」なんてタイトルだったら買わなかったと思う。惹かれたのは「謎」というタイトル。帯に挙げられている「謎」は次のようなもの。曰く「なぜ西洋で誕生したのか」、「法人の起源はどこにあるのか」、「利子率革命とは何か」、「成長なき資本主義は可能なのか」。
ぼくの浅薄な知識によれば、最後の「謎」には「否」と即答することになる。但し、門外漢のぼくが即答するようなレベルのことが、わざわざ「謎」として例示されているはずもない。「もしかしたら可能性があるのか?」という興味から購入。
読み終えてみると、高校時代に読んでいたら経済学を志したかもしれないと思うほどに面白かった。あるいは、 -
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大澤真幸が最初に、この本はとても素晴らしいと自画自賛してて、橋爪大三郎も最後で同様に自画自賛してるんだけど、本人たちが言ってるほど、おもしろくはなかったぞ。
でも、分かりやすい部分もあって、読んで良かったと思ってる。
分かりやすかったのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係。どこまで一緒で、どこからが違うのか?それが、クリアーに整理されてた。
イスラム教の方が、論理的に矛盾が少なく、キリスト教は矛盾がいろいろあるので、ギリシャ哲学みたいなものを通じて「三位一体」という、どう考えても、理解しにくい理屈をつくりだした。
ところが、前近代までは、イスラム世界や中国のほうが文明的にリードして -
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近年、著者が巡らせてきた様々な哲学的論考(『不可能性の時代』、『ふしぎなキリスト教』など)を切り口に、3.11を読み解いた作品。著者独特の表現が多用されていること(「第三者の審級」、「アイロニカルな没入」など)も踏まえると、はじめて著者の本を手に取る方には難しいような気もします。
論考の中身も、キリスト教の終末思想や、ノン・アルコールビールの思想などをむりくりに3.11に結びつけて語っているようなところもあります。私個人としては『不可能性の時代』を読んだ時に感じた衝撃(特に秋葉原の事件を切り取る社会学的視点に驚いたわけですが…)は感じることはなかったのでした。期待が高かったといえばそうかもしれ -
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「家族ゲーム」松田優作、食事のシーン、テレビ
V 不可能性の時代
3 反復というモチーフ
「終わり」の回復
このようにして第三者の審級を逆説的に回帰させることによって初めて、偶有的であった選択に関して、「必然性」の感覚をもつことが可能になる。選択したことに関して、「これでよい」「これしかない」という感覚をもち、それを引き受けることができるようになるのだ。 p.213
VI 政治的思想空間の現在
1 「物語る権利」と「真理への執着」
「物語る権利」と「真理への執着」
「物語る権利」を擁護するのは、典型的には、多文化主義である。「真理への執着」として現象しているのは、たとえば、原理主義だ。