【感想・ネタバレ】生権力の思想 ──事件から読み解く現代社会の転換のレビュー

あらすじ

死を迫る権力から、生かすための権力へ──これこそ近代への転換であった。そして規格化された従順な身体を規律と訓練によって創り出してきた近代の権力は今や「管理型権力」という新たな形式へと転換しつつある。身体の扱いはどのように移り変わってきたのか。そして現代の我々の生を取り巻く不可視の権力のメカニズムはいかなるものなのか。ユダヤ人虐殺やオウム、宮崎勤事件などの様々な事例と、フーコーらの権力分析を交差させ、社会を根底で動かすものの正体を暴き出す。

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Posted by ブクログ

大澤先生の新書での著作。いつもの議論の展開ではあるが、権力と身体とのあり方についての考察。個人的には「見られているかも知れない不安」から「見られていないかもしれない不安」への転換についての議論は非常に面白かった。まだ自分の頭も十分に整理は出来ていないので、何度か見返したい。

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2013年04月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

恐らく、ベースとなる通底する論拠がないのであろう、つらつら文章が流れるだけで、何を訴えようとしているのかが、わからない。
大澤との結論とは別に、抵抗への主体を紹介している、ソクラテスに代表される真理を語るパレーシアに見た。
権力への抵抗は、包括的に権力に依存する。
第3領域において、真理を語る主体、運動の方が、余程、権力にとって、厄介だ。

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2019年03月27日

Posted by ブクログ

これは生権力について語っているのだろうか。フーコーをメインに語ってるというかというと、違う。むしろいつもの大澤節というべき、猟奇犯の動機推理小説。主体の客観的同一性の自己崩壊から甘さの再措定へ。
そこからでてくるのは、神のゾンビ。価値の生々しい否定によって別の超越的価値を復活させる錬成術。
そして、その生々しさ(内なる他)との和解が、アウシュビッツ的悲劇を回避するという。ほんとうか。

補論の「パレーシアとその裏側」は、けだし、超重要論考である。ヘーゲルをキーに、フーコー生政治的主体の脱構築をはかる。

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2014年11月07日

Posted by ブクログ

規律訓練型の権力から逃れるために、むしろその権力が自己否定的な結果をもたらす程度まで徹底的に作動させること。

規律訓練型権力から管理型の生権力への変容を内在的に後付ることによって、権力に対する抵抗の足がかりを見出す。管理され尽くされること自体がその権力関係を内側から食い破っていく。

この論点はわかるが一方で、権力は抵抗を乗り越えてしまうのではないか?この点はフーコー読みのあとでいつも議論になってたような気がする。

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2014年02月09日

Posted by ブクログ

ミシェル・フーコーが提起した「生権力」から現代社会において、生権力がなぜ、どのようにして規律訓練型から管理型へと転換したのかをオーム真理教事件、宮崎勉事件などをとりあげて説明する。私には少々難解でした。

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2013年05月07日

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