あらすじ
変化に乏しく見える日本の歴史でも、一人だけ革命家は存在する。信長でも明治維新の志士でもない革命家とは誰か? イエス・キリストの革命、中国の易姓革命、日本の天皇制など、洋の東西、日本史と世界史を俯瞰しながら、社会を変える真因に迫る、大澤社会学の新たな地平。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
わが日本の歴史において、成功した革命はただ一度しかない、それは北条泰時による法(貞永式目)の制定である、と著者は言う。この着想自体は、山本七平の「日本的革命の哲学」に依拠している。
大澤の本領は、なぜ欧米で可能であった革命が日本では不可能であったか、しかしその不可能性の中でなぜ北条泰時は革命を起こすことができたのか、を問う。
いつものことながら、ミステリー仕立ての論理運びは知的にスリリングで、一歩間違うと大澤の論理展開は知的な遊戯に堕してしまうのであるが、ここでは一定の説得力をもった議論が展開されている。
一般に革命は、その変化の意志が人民に外在する「例外的な一者」(第三者の審級)に帰せられる時に実現する。それは中国では「天」であり、西洋では「唯一神」である。日本における「一者」である天皇は、しかし外在するのではなく、内在している。ゆえにこの一者はすでに与えられたことを追認することしかできない、というのである。すなわち日本における革命の不可能性だ。ではなぜ泰時は、革命を成しえたのか。
ここで大澤は、山本とともに明恵上人を持ち出す。
その思想の中核にある「自然発生的な秩序の過剰な肯定」という契機が、革命を可能にしたというのである。
この展開は単なる論理遊びではない。
日本的な精神の運動の本質的なものに触れえている、と私は感じた。
Posted by ブクログ
承久の乱と現代の対米従属をつなげて語るという、無理がありそうな展開をなるほどと思わせてくれるあたり、たくさん本を出している学者さんだけはあると思う。日本史の謎と言いながら、実は日本史の本ではない。現代社会の病理を考えるために、歴史に手がかりを求めるという本だ。日本では革命はただ一度を除いて成功していないという。ここでいう革命とは、社会の在り方を一変させる事象だ。万世一系という天皇をいただく日本においては、社会を一変させるなんてことはかつてなかった。ただ一度、承久の乱における北条泰時をのぞいては、という話。承久の乱が日本史においてひとつのターニングポイントになった、というのは歴史の本でも書かれていたくらいだ。それだけ大きな出来事ではあったのだろう。
本書の面白さは歴史を追求するのではなく、日本はなかなか変わりにくい国だけど、一度できたのなら、そこを分析することによって、現在日本が抱えている対米従属という病理も克服できるのではないか、という展開にある。
知的なアクロバット?という感じでね。刺激的だったし、考えさせられた。
Posted by ブクログ
まず、まえがきにやられる。
1ページ目から、なんとも刺激的な問いかけである。
「日本社会には、革命と見なしうる社会変動がなかった。革命の不在は、日本の歴史の特徴である。/・・・いや、実はそうではない。よく目を凝らして見るならば、一度だけ成功した革命があったことがわかる。一人だけ、成功した革命家がいたのだ。」
日本の歴史上、革命家という言葉のイメージに最もよく重なるのは、織田信長だろう。しかし、彼の革命は、道半ばで途絶えた。
では、明治維新や大化の改新はどうか。これらは確かに、革命的な政変ではあったが、どちらも大きな外圧に対して起きたのであって、ここで扱うのは国民の内発的なきっかけで起きた革命に限る(太平洋戦争敗戦後の民主化を革命とは呼ばないのと同じ)というのだ。
そこまで話を限定して、日本史上唯一の革命とは何であったか。
その答えは、いささか意外なものだった。
その答え以上に面白いのは、革命が起きる精神性、その成り立ちについて、西洋、中国そして日本を比較し、日本では革命が起きにくく、西洋や中国では革命が成就する理由を、ひとつの理論の中で説明しようとする試みである。
構造主義的で、刺激的な、知的論考。
Posted by ブクログ
タイトルが内容を正しく表わしていないように思う.「革命の条件」とでも言った方がいい.「御成敗式目とは何だったか」とか.
わが国の権力の中心は空虚だ,と看破したのは猪瀬直樹だったが,その分析をもう一歩進めた感がある.